4 ストーカー女と世界一強い女 その3

「今日こそ星野さんと二人っきりになるんだ」

 その日の放課後、電信柱の影でこっそりと宣言する間城だった。とても今まで六時間以上、星野に話しかけられなかった男のセリフじゃない。

「そのセリフ、今日で何回言った?」

「四回目だな。朝のホームルームが終わったときに一回、昼休みに二回、そして今の一回」

 間城の代わりに答えたのは黒井だった。

 いくら間城のとなりの席だからといって、よく知ってるな。

「だからひとりになる瞬間をねらって、帰宅途中の星野さんをこうやって尾行してるんだよ」

 さわやかに犯罪行為を吐露する間城だった。

 世間ではそれをストーカーと呼ぶ。やってることが熱川と変わりないぞ。

「それはいいが、なんでオレまで一緒なんだ?」

「ひとりじゃ心細いから」

 だからって、犯罪行為にオレを巻きこむな。

「昨日、江久保のせいで星野を見失ったんだから、当然だ。イヤなら、またお姫様だっこして今度は、東京タワーの上から突き落とすだけだな」

「お願いだから、それはやめてくれ。死にたくない!」

「なに泣いてるんだよ。冗談だよ、冗談」

「ウソだッ! 黒井ならぜったいにやるッ!!」

「宇宙人じゃないんだから、そんなことできないよ」

「お前はなめくじ宇宙人だッ!」

「間城~、江久保がぼくをなめくじ宇宙人って言って、いじめるんだぁ~」なにも知らない間城に泣きつく黒井だった。

「ダメだよ、江久保。黒井くんは転校したばかりなんだから、もっと親切にしなきゃ」

「お前はこいつの正体を知らねぇッ!」

 なめくじ宇宙人のくせに、身近にいるバカをだまして味方にするとは、やるな。もうすでに世の中の渡り方というものを学習してやがる。

 いったいだれから教わったんだ?

「なぁんて、江久保のマネはこのくらいにしておこう」

 なんだと、オレはそんな風に間城にこび売ってねえぞ! もっとさりげなくやってるよ。

「それよりも、さっきから星野さんのうしろにいる人ってあやしくない?」

 オレたちの他に、学校を出てから星野のあとをつける人物がもうひとりいた。

 その人物は帽子とサングラスとマスクとコートという一見、性別年齢不詳の格好をしていた。しかしその人物の手には見覚えのある杖が握られている。

 あの杖はどこからどう見ても熱川だ。まだ懲りてなかったのか。

「うーん。あの格好、どこかで見たことがあると思うんだけどなぁ」

 一度、同じ格好の同じ人物にストーキングされていたことを間城は気づいていない。

 熱川のヤツ、今度はなにをたくらんでるんだ?

 星野がひとけのない路地裏にさしかかったところ、それは起こった。

 目の前の熱川が突然、星野に向かって駆け出したのだ。熱川の杖が一瞬、きらめく。

 熱川の手にあるのは、刃渡り二十センチほどの仕込み刀だった。

 あいつ、通り魔の犯行に見せかけて星野を殺す気だな。

 そんなに間城に裏切られたことがショックだったのか?

 刃物を突きつけられたというのに、星野の顔は無表情のままだった。こうなることは、半ば予測済みだったのだろう。星野の鼻には怪力シートが貼られていた。

 刀が星野の胸をとらえた瞬間、星野の姿が消えた。そのせいで一瞬、熱川が星野の体を通り抜けたと目が錯覚した。

 星野は熱川のうしろにまわりこんでいた。肉眼では追いきれないスピードだった。

 あいつ、ホントに人間か? 怪力シートってどんだけすごいんだよ。

 星野は熱川の背中をチョイと押す。熱川は前につんのめり、その場に転んだ。熱川が起き上がるまで、星野は両手を腰につけて構えを取ることはなかった。

 完全に手玉に取られてる。力の差は歴然だった。

 熱川が刃物を使いたくなる気持ちもいたしかないことだった。相手にならないことは本人が一番わかっているだろうに、それでも熱川は攻撃の手をゆるめない。

 星野の胸に向かって、刀を持つ熱川の手が伸びる。だが次の瞬間、まったく予想外のことが起きた。

 星野がはじき飛ばされた。それも真横に。さっきまで星野がいた場所に踊り出たのは、間城だった。

 たぶん世界で一番か弱い男である。

 正気か? なんでこの闘いに割って入ろうとした?

 まるで世界一強い女を決める決勝戦のリングに、観客席にいた男がいきなり乱入したようなものだ。

 袋叩きや半殺しくらいじゃ済まないぞ! 死にたいのか?

 そのままの勢いで熱川の刀が間城に差し迫る。しかし間城は悲鳴もあげず、目もつぶらなかった。

 刀の切っ先が間城の顔面すれすれで止まる。

「……どうして?」刀を持つ熱川の手が震えていた。

「……星野さんはぼくが守るんだ」間城の全身が熱川の手よりも震えていた。

 おい間城、今までの闘いのどこを見てたんだ?

 あきらかに劣勢なのは熱川の方だ。守る相手がまちがってるぞ。足手まとい以外の何者でもない。

「そんなにあの女が大事なの?」サングラスの隙間から、熱川の涙がしたたり落ちる。

「うん」相手の目を見たまま、しっかりと間城はうなずいた。

「信じてたのに、信じてたのに。あなたを殺して私も死ぬッ!」

 今、女の愛が憎しみに変わった。オレはその瞬間を目撃した人間のひとりとなった。隣で黒井が熱狂的な応援をしてる。

 刀を持つ熱川の手が間城の胸へと方向転換する。

 しかし熱川の手はだれかの手によって押しとどめられる。

 熱川の手をつかみこんでいたのは、星野だった。

「あんたの相手はあたしだッ!」

 星野が両手で振り払うと、熱川の体がアスファルトに叩きつけられる。なにか硬いものが粉砕する音がした。

 よろめきながら熱川はゆっくりと立ち上がる。サングラスがひび割れていた。

 さきほどの音は、サングラスが破損した音だった。変装していたおかげで顔面強打をまぬがれたようだ。

 サングラスを捨てた熱川は星野から距離を取るように遠ざかる。

 熱川に向かって、星野が一歩足を踏み出す。しかし間城の背中が星野の行く手をさえぎった。

「どけッ! 邪魔だ。弱いヤツはひっこんでろッ!!」星野の肩が間城の肩にぶつかる。

「ダメだよ。星野さんはぼくが守るんだッ!」間城が押し返す。

 信じられないことだった。間城が怪力シートをつけた星野のタックルにひけを取らず、渡り合ってる。

 あの間城のひ弱な体のどこにあんな力があるのだろう。

 まさかこれが恋の力というものか? 一瞬、世界で一番信じたくないものを信じそうになった。

「自分の身ぐらい自分で守る。あたしはだれかに守ってもらうほど、弱くないッ!!!」

「イヤだッ!! 星野さんを守るのはぼくだッ!!!」

 力が拮抗するにしたがい、ふたりの体が密着していく。

「なにイチャイチャしてるのよッ!」

 星野と間城に向かって熱川は駆け出した。

 おい熱川、今のどこをどう見たら、イチャイチャしてるように見えるんだ?

 刀の切っ先が間城に向こうとした、その瞬間、熱川の体が宙を舞う。

「あたしのシロになにするのよッ!」

 ガラガラガッシャーンと派手な音が辺りを席巻する。星野に蹴り飛ばされた熱川はもんどりうって、またゴミバケツにつっこんでいた。

「星野さん、やっと素直になってくれたんだね!」間城が星野に抱きつく。

「か、かんちがいしないで、シロをやっつけるのもあたしだって意味だから。いくら相手に気を取られてふいをつかれたからといって、あたしをはじき飛ばすなんて、なかなかやるじゃない。いつかたたきのめしてやるわ」間城を引き剥がそうとするも、星野の頬はうっすらとピンク色に染まっていた。

「おい、江久保。ハートホンで星野の心の声を聞いてみるといい。おもしろいものが聞ける」

 黒井に言われてハートホンを耳につけてみると、星野の心の奥に秘めた声が聞えてくる。

(こいつに抱きしめられるのもちょっといいかも)

 おい星野、間城のことキライじゃなかったのか?

 さては間城に対するとき、手加減してたな。道理で世界一か弱い男が世界一強い女と渡り合えたはずだ。

 熱川の「なにイチャイチャしてるのよッ!」という言葉は遠からず当たっていたのだ。

 これで、なんとなく間城と星野の距離がぐっと近づいたような気がした。

 おいおい、間城が星野にボロクソにけなされ、けちょんけちょんにのされ、こてんぱんにフラれるという、オレの計画はどうなる?

 オレが星野に幻滅していたところ、ゴミまみれになった熱川の体がピクリと動き出した。その拍子で頭から帽子が転げ落ち、短いお下げがあらわになる。

「おい、熱川」熱川の耳元にこっそりささやく。

「な、なんのこと、私はただの通り魔よ」

 サングラスと帽子が脱げてるくせに、まだしらを切る熱川だった。

「殺人未遂と銃刀法違反の罪で警察に通報されたくなかったら、今すぐ逃げろ」

「わ、わかったわよ」くやしそうに顔を伏せる熱川。

「これはお前のために言っておく。間城はもうあきらめろ」

 地面を這いつくばりながらも、熱川はどこかに逃げていった。

 熱川の姿が見えなくなる。

 お前の代わりにオレが、間城をメチャメチャにしてやるよ。

 ぜったいにな。

 星野に抱きついてる間城の笑顔が憎しみのあまり、ゆがんで見えた。

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