4 ストーカー女と世界一強い女 その2

 熱川の顔や足に赤、青、紫という色とりどりのアザがいくつもついていた。熱川が歩くたびに片手に握られている杖から甲高い音が発する。

 昨日、星野にやられた傷だろうか。星野が無傷に見えることから昨日の闘いは一方的だったらしい。

 ん、無傷? 待てよ。昨日、星野のヤツ、鼻に絆創膏つけてなかったっけ? なんで今日はつけてないんだ? 

 今日の星野の鼻には、傷跡すらも見受けれない。

 てっきり熱川との戦闘中にケガでもしたかと思ったが、ちがったのか? そういえば、黒井も昨日、絆創膏を鼻につけてたな。どれもありふれた柄のない茶色いタイプのもの。

 なんとなく昨日、黒井と星野が人間離れした力を発揮した秘密がわかった気がした。

 ふと周囲の騒音に気づく。オレがひとりで納得してる間に、教室中がにわかにざわめき始めていた。これが熱川の狙いなのだろう。アザだらけの熱川の登場は無神経な学生達の格好なゴシップの的になっていたのだ。

「シロくん、おはよう」おろおろした態度で熱川が間城にあいさつをする。さすがだ。演技が板についていて周囲の生徒が気づいた素振りはない。

 これでは昨日、あの場所にいたオレたちにしか見破ることはできないだろう。あのアザのほとんどがニセモノだというとことを。

「あ、熱川さん、いったいどうしたの、そのケガ?」素直に驚いてるのは、教室の中で間城ただひとり。思ったことをすぐ口に出すことができるのが、間城のバカたるゆえんだ。

「なんでもないなんでもないの。星野さんとはまったく関係ないの」大げさに否定する熱川。

「そうなんだ」ほっとした顔でうなずく間城。当然、熱川の言葉で納得するのはこいつだけ。

 間城をよそに教室中のざわめきはさらに大きくなっていた。どうやらみんなは星野が熱川になにかやったと思いこんでるらしい。けれど、あまりにも間城が鈍感なので熱川の演技は続く。

「関係ないの関係ないの。星野さんに殴られたとか蹴られたとか、そういうことは一切なかったの」身振り手振りを大きくして星野の仕業だというとを必死にアピールする。目の奥に光る、早くだまされろという、いらだちが真に迫っていた。あ、これは演技じゃなかった。

「何回も言わなくてもわかってるよ」純粋な笑顔でうなずく間城だった。

 ザワザワ、と教室中のどよめきが最高潮に達する。教室中の視線が星野にも集まる。間城を除いた、ここにいる全員が星野が熱川をいじめたと思いこんでいるみたいだった。

「……っ!」星野は驚きを隠せていない。

 まさか熱川が告げ口するとは思ってもいなかったのだろう。群衆を味方につけるのが熱川の魂胆のようだった。

 あのアザはたぶんメイクによるものだろう。昨日見たとき、ゴミにまみれてよくわからなかったが、熱川の顔や足にアザなんて見受けられなかった。あとからできたものかもしれないが、それにしては数が異常だ。あれじゃあ、全治一ヶ月はかかる大ケガだ。杖に体重をかけようものなら全身が悲鳴をあげて、のたうち回ることもできず発狂してもおかしくない。なぜ他のヤツらは気づかない。

 周囲に目を向けると、オレの瞳には固唾をのんで見守ってる生徒の姿しか映らない。

 だが、空気の読めるオレにはそれで充分だった。

 なるほど。他人の不幸ほど、暇をもてあました学生が心躍らせるものはないということか。盛大な熱川のワンマンショーをだれもウソだと言うほど野暮ではない。彼らはただ見てるだけなのだから、無責任に楽しむことができる。人の不幸がつまった密の味を。

 しかし肝心の間城だけが星野に疑いの視線を向けなかった。蜜の味なんて知らないような、あどけない顔をきょとんとさせる。

「シロくん、本当に本当に星野さんは悪くないの。私はなんにもしてないんだけど、星野さんの逆鱗にふれたみたいなの」

 どんなことをしても間城に星野の正体を伝えようとしたい熱川だった。

「星野さんは怒っているように見えて、本当はやさしい人だよ」

 離れたところから星野が熱川を睨みつけている。大勢の前ではさすがの星野も熱川に対してなにもできないらしい。

 鈍感な間城に待ちきれなくなってきたのか、熱川がチラチラとオレをうかがう。

 さてどうしようか?

 熱川の言いたいことはわかる。ここで、オレが星野にいじめられた熱川を目撃したと言えば、間城はいやでも星野を疑わずにはいられない。

 でもオレの目的は間城に失恋させること。間城が星野にボロクソにけなされ、けちょんけちょんにのされ、こてんぱんにフラれるという、徹底的に完膚なきまでの人生のどん底に落ちた姿が見たい。そのためには、ここでオレが真実を明かすべきではないのだ。熱川には悪いが、間城には星野を好きになってもらわないと困る。――というのが立場上の考えである。ここでオレが沈黙を押し通すことができたら、さぞいいだろう。

 でも熱川が星野をいじめたことは、紛れもない事実なのだ。平等なんて言葉、信じてないけれど、このまま星野がなんの報いも受けず反省もしないのは、しっくりこない。良心なんて言葉、存在自体信じてないけれど、熱川が困っている姿は見ていられない。だって、あの熱川なのだ。

 あの……ってなんだよ。そんなに一度フラれた相手が気になるのか、オレは!?

 星野に負けず劣らずオレをバカにする熱川が、よりによってオレに助けを求めるなんてめったにない喜ぶべきことのはずなのに、ちっとも楽しくない。オレはどうかしてる。星野に負けず劣らずというかそれ以上に、熱川だって散々あくどいことをやってきたはずなのに、助けたいと思っている自分がいる。そんなのバカのやるべきことなのに、迷ってる。

 本当、どうかしてる。こんなこと考えてる間にも、時間は待ってくれないのに。

「本当のこと言うと、星野さんにいじめられたの」

 ついに熱川が白状した。

「星野さんはそんなことしないよ」

 それでも間城の表情は変わらなかった。

「シロくんは私の言うことがウソだと思ってるの?」

「う~ん。あっ、これがあったんだ」

 間城の手から取り出されたのはさかさまホン。それを間城は耳の中に入れる。

「耳せんなんかつけてどうしたの? そんなに私の話が聞きたくないの?」

「そうじゃないよ。それより熱川さんは本当に星野さんにいじめられたの?」

「本当よ、本当なんだから」

「熱川さんはウソをついてる」

 間城のまじりけのない瞳に熱川の不安そうな姿が映る。

 熱川の話は本当だ。さかさまホンのせいで間城は熱川の話をウソと判断したのだろう。オレはさかさまホンを耳に入れることができなかった。さきほどの迷いのせいで、事態の急変に対して、どう動けばいいのかわからなかったから。

「どうしてそんなことを言うの。本当のことなのに……」

「なぜかはわからないけど、熱川さんはウソついてる。ぼくにはそのことがわかるんだ」

 間城がきっぱりと断言した。その毅然とした態度に教室中の風向きが変わった。

 一転して、星野に疑いの目が集中した。群衆は熱川の言うことよりも間城の言うことを信じた。当然だ。二重人格の熱川にくらべたら間城の方が、よっぽど信頼を得られやすい。

「そうよね。あのケガはいくらなんでも変よ。それに熱川さんだもん」

「なんだ、やっぱりウソだったのか。熱川のことだから、おかしいと思ったんだ」

「私は初めからシロちゃんのこと信じていたわ。だれが信じるものですか、熱川みたいな性悪女」

「あのケガはぜったいニセモノだって、SCのリーダーである熱川がやられるわけないだろ」

 みんなやっとアザの不自然さに気づいたらしい。少し残念だが、熱川のワンマンショーはもう幕引きの時間だ。いくら蜜の味のとりこになってるからといって、積極的に他人の不幸を楽しまないのが、無責任な彼らのマナーなのだ。オレはというと、腹の底でなにか熱いかたまりが煮えたぎり、うずき始めていた。

「シロくんが……シロくんが……私のシロくんじゃないッ!」熱川はその場にひざまずき、泣き出した。

 今まで神のように慕ってきた人にウソつき呼ばわりされたことが相当ショックだったのだろう。当分立ち上がれそうにない。

 ひとりでにオレの両手の拳が震えていた。

 あれあれ? なにやろうとしてる、オレ?

 怒りで目頭が熱くなる。目の前の理不尽なことに対して、憤りがおさえられなくなっていた。

 なに、また熱くなってるんだ? たまたま星野の運がよくて熱川の運が悪かった。

 たったそれだけのことじゃないか。みんなが悪いわけじゃない。

 それなのに、つい口がすべってしまう。

「なんでだよ。なんでみんな間城の言うことを信じるんだよ。わかんないじゃないか。本当は間城の言うことの方がウソで、熱川が言ってることの方が本当かもしれないじゃないかッ!」

「それはないよ。ぼくはウソなんかつかない」間城は毅然とした態度をくずさなかった。

「そうだそうだ。シロくんの言ってることはぜったいなんだ」

「ブサイクのくせにシロくんにいちゃもんつける気?」

「ブサイクは黙ってろッ!」

 離れたところから、みんなの声が聞える。

「江久保、熱川さんをかばいたい気持ちはわかるけど、これは本当のことなんだ」

「ホントかウソか、熱川なんか関係ないッ!! どうしてみんな簡単に信じちゃうんだよ……」

 それほど、みんな間城が大事なのか? オレがブサイクだから、熱川が二重人格だから、信じないのか? それって変だろって思うオレの方がどうかしてるのか?

 どっちなんだよ? おかしいって思うオレか、おかしくないと思うみんなか、どっちがどうかしてるんだよッ!!?


「江久保、みんなはぼくの言うこと信じてないよ。本当は信じてるフリしてるだけだよ」


「へ?」

 間城の言った言葉に頭が一瞬、パニックになる。

 ……そうか、間城はかさまさホンをつけてるんだった。

 みんなは間城の言うことを心から信じきってる。その反対の心の声を聞いたから、間城はみんなが信じてないと思いこんだんだ。

「どうして信じたフリなんかしてるのかな?」

「そうか、わかった!」ひらめいた芝居をする。偽善者モード復活の瞬間だ。

「えっ、なになに?」

「みんなはこれを機会に星野と仲良くなりたいんだよ」

「さすが江久保、頭いい。みんなホントは星野さんと仲良くなりたかったんだよね」

「道理で間城の言うことをすんなりと信じたはずだよ。なんだ、それなら、それでよかったんだよ。間城、悪かったな」他人に不快を与えない、うわべだけの笑顔で手を差し伸べる。その手を間城が暖かく包みこむ。

 拍手がわき起こった。みんな偽りだらけのオレたちの関係を祝福した。

「ふたりとも、なにわけのわかんないこと言ってんのよッ!」

 捨て台詞を残して、熱川は教室を飛び出して行った。その瞳には涙がにじんでいた。

 ウソ泣きではない、本当の涙だと、直感した。

「なんか熱川さんに悪いことしちゃったね」

「いいよいいよ。あいつのことだから、明日にはケロッとしてるさ」

 少し胸がチクリとした。でも、関係ない。今のオレはあいつのことは好きではないのだから。

 舞台の主役である熱川がいなくなったので、みんな自分の席に戻っていく。

「ハァー」みんなが離れた瞬間、全身の力が抜けた。

 やばかった。マジでやばかった。

 あそこで間城が素っ頓狂なことを言ったおかげで、いつもの身勝手な自分を取り戻せた。

 そうだ。オレの目的は間城をだますことなんだ。忘れるな、オレは偽善者なんだ。

「あれで、本当によかったのか?」そばにいる黒井がオレにささやく。

「あん? よかったに決まってるだろ」

 とにかく助かった。熱川の二の舞はごめんだからな。

「見直したよ。てっきり偽善者をやめるかと思ってた。まさになめくじ男の名に恥じない男だ、きみは。ところで、そろそろぼくから離れてくれないか?」

 緊張から解放された脱力感から、思わずそばにいる黒井の肩によりかかっていた。

 バンッ! と素早くはじき飛ばした。そのつもりだったが、なめくじ宇宙人のぽよぽよとした感触によって、反対にはじき返されてしまった。床に這いつくばりながら、体勢を整えていると、間城の声が上から聞こえてきた。

「あ、星野さん」

 見上げると、まっすぐとした足取りで星野が間城に近づいているところだった。

「別にあんたに助けてもらったなんて思ってないからね。いい気にならないでよねッ!!」

 それだけ言い残して星野は自分の席に戻っていく。

「星野さん、照れてるんだね」

 間城の様子から、星野の心の声をさかさまホンで聞いたことがわかる。

 星野のヤツ、本当に助けてもらったなんて思ってないんだな。

「よっと」勢いよく立ち上がるとともに、自分の席についた星野の姿が視界をかすめる。その瞬間、ふと気になっていたことを思い出した。

「ところでさ、黒井、なんでお前まで倒れてるんだ?」

「いや、周りにあやしまれないように、江久保にはじき飛ばされたフリをした方がいいと思って……」周りに聞こえないような小さい声で黒井は答える。

「いやいや、ふたりとも倒れた方が余計あやしいだろッ! それよりも昨日オレをかつぎあげたとき、なめくじ宇宙人の道具を使っただろう?」

 床に伏せてる黒井にそう耳打ちすると、急に起き上がった。

「よくわかったね。あのとき、これを使ったんだ」

 黒井のポケットから、なんの変哲もない絆創膏が取り出される。

「商品名『怪力シート』これを鼻につけることで、ツボが刺激されて脳内にあるリミッターがはずされるんだ」

「もっとわかりやすく言えっ」

「人間の脳は筋肉に命令を与えるとき、自分の身体に負担がかからないようにある程度、加減するようリミッターが仕掛けられてるんだ。ところが、大声を出して運動したときや火事場のバカ力といった危機的状況に思いも寄らない力が発揮されることがあるだろう。そんなときは脳内にあるリミッターが少しはずれてるんだ。そのリミッターを強制的にはずして、筋肉の力を最大限引き伸ばすのが、この怪力シートなんだよ」

「ということは、昨日の星野は無傷に見えて、身体に相当負担がかかっていたってことか?」

 昨日の星野の鼻には、黒井と同じ絆創膏が貼られていた。

「筋肉が断裂されない程度に制限はかけてあるけど、ほしいちごは昨日、四人も倒したから、激しい筋肉痛は免れないと思う」

「それにしちゃ、痛がってるようには見えないけどな」

「がまんしてるとは思うけど、あの様子だと慢性的に怪力シートを使って筋肉が発達してるんじゃないかな。だから、昨日の運動ぐらいではたいした筋肉痛にはならないのかもしれない」

「星野の腕も足もムキムキには見えないけどな」

「攻撃に使う筋肉は、主に背中や太ももの筋肉だよ。昨日の武闘派のSCたちも発達していたのは胸や腹筋といった防御に使う筋肉だったから、動きは遅かったんじゃないかな。ま、胸や腹筋の筋肉が発達してる方が強そうに見えるから、そこを鍛えるのはわかるんだけど」

「そんなことはどうでもいいいだよッ! 宇宙人なのに、なんで地球人の筋肉について、そこまで詳しいんだよってツッコミはもうしない。なんで地球人であるはずの星野がなめくじ宇宙人の道具を持ってるんだ!?」

「知らないよ。昨日、四人も倒したってことは怪力シートを使い慣れてると見て、まずまちがいない。いくら力が強くなったといっても、どこをどう攻撃したら人間が気絶するのかなんて経験なしには学べないからね。たぶんぼくがこの学校に転校する前から、使ってたんじゃないかな」

 黒井が渡したんじゃないってことか。

「たしか地球にいる宇宙人はなめくじタイプだけだと言ってたよな。他のなめくじ宇宙人が怪力シートを持っていても、おかしくないのか?」

「怪力シートなんて宇宙人の子供がヒーローごっこをするときのオモチャみたいなもんだから。力が必要なときは他の便利な道具や機械を使えばいい。わざわざ筋肉に負担のかかる怪力シートを持ち歩いてる宇宙人なんていないよ」

「つまり、売れなかったんだな」

「そこは否定しないけれど。ただ地球で使う分にはこれほど怪しまれないものはないと思う。なにしろ見た目は絆創膏そっくりにしてあるから」

 黒井の言葉に対して違和感を感じた。

「おかしくないか? なんで宇宙人の道具が地球の絆創膏をモデルにしてあるんだよ?」

「たぶん、ぼくと同じように地球で使っても怪しまれないように改造したんだよ。あ、改造といっても、単に無地の怪力シートに本物の絆創膏を貼りつけただけという、だれでも考えつくレベルなんだけど」

「じゃ、地球にいるなめくじ宇宙人が怪しまれないように怪力シートを持ってきたということはありえるんだな?」

「その可能性は高いけど、ほしいちごは地球人だよ。なめくじ宇宙人なんかじゃない」

「わかるのか?」

「匂いでね。なめくじ宇宙人には、なめくじ宇宙人にしかわからない特有の匂いがあるんだ。それが、ほしいちごからは漂ってこない」

「なにかの道具を使って、その匂いをごまかしてるなんてことはないのか?」

「それはないね。宇宙人の化学力を持ってしても、なめくじタイプの宇宙人の体は神秘に満ちている。現に、どうしてぼくが変幻自在に姿を変えられるのか、ぼく自身もよくわかっていない」

「それじゃ、黒井以外のなめくじ宇宙人が星野に怪力シートを渡したって言うのか?」

「それ以外、考えられないね」

「そんなことしてなんになる?」

「そんなことぼくに訊かれても、わからないよ。ただその宇宙人の目的が地球征服ではないことはたしかだろうね。こんな原始的な星、征服してもしょうがない」

「じゃ、なんだって言うんだよ?」

「たぶん」

「たぶん?」

「ぼくと同じ」

「お前と同じ?」

「ひまつぶし!」

「ふざけるな!」

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