5月第2水曜日

2 なめくじ男とお人好しを越えたバカ その1

 翌日、朝のホームルームが始まる前にオレが向かったのは、体育館裏だった。オレのうしろには、だまされるとも知らず、のこのことついてくるバカがいた。

 ついさっきまで、オレとバカは教室にいた。どうやってバカを体育館裏に呼び出そうかとオレは悩んでいた。

 バカをだますのに複雑な作戦なんて、必要ない。

 それが開始0・5秒で出た結論だった。軽いノリで何の理由も説明せずに呼び出すことにした。そして、自分でも驚くくらい簡単に成功した。

 さすがバカという名の間城千広。

 普通、こんなところに呼び出してのこのことついてくるか。道端に捨てられた仔犬よりも、持って帰るのが簡単そうだな。

 現に間城には何度も誘拐されそうになったいう噂があった。あまりにもかわいいから、うちのペットにしたいと考えた頭のいかれた女性が何人もいたらしい。

 それなのに、このバカは警戒する素振りも見せない。

 間城は自分で自分の魅力に気づいてないのだ。きっと自分の顔を見慣れてるせいでなんで他人が親切にしてくれるのか、気づいてないのだろう。だから自分に近づく人はみんな親切だと思いこんでいるにちがいない。ホントおめでたいバカである。

「実はあるものを拾ったんだ。それを間城にも分けてやろうと思って、呼び出したんだよ」

「なになに?」瞳をらんらんと輝かせながら、顔を近づけてくるバカ。

「これだよ、これ? なんに見える?」さかさまホンを差し出した。

「イヤホン」

「そう、一見なんの偏屈もない黒い耳栓に……ってなんで知ってんだよ!」

「えっ、これイヤホンって言うんじゃないの?」

「じゃあ、プールに潜るとき耳につけるものは?」

「イヤホン」

 こいつ、耳栓とイヤホンをまちがえてやがる。

「あのな、イヤホンというのは自分だけに聞こえるように耳につける、細長い線のついてるものだよ」

「じゃ、これイヤホンじゃないの?」

「……イヤホンだ」否定したかったが、できなかった。

「なんだ、合ってるじゃん」

「合ってることは合ってるんだがな、これは特別なイヤホンなんだ。なんと、他人の心の声が聞けちゃうんだ。どうだ、すごいだろ?」

「すごいすごい」子供のように目を輝かせる間城。

「特別に譲ってやる」

「えっ、いいの?」間城の顔が驚愕と喜びに満ちあふれる。

「オレの分もあるからいいんだよ。ほら」間城の手をこじ開けて、さかさまホンを握らせる。

「どうやって使うの?」

「耳の穴に入れるんだよ」さかさまホンを間城に見えるように、自分の右耳に入れてみせる。

「それだけじゃわかんない。もう一回やってみせてよ」無垢な笑顔で懇願する。

「こうやるんだ」今度はハートホンを自分の左耳に入れてみせる。

「もう一回やって」あい変わらず間城の笑顔は無垢のままだ。

「ええい、めんどくさい。オレがつけてやるよ」さかさまホンを奪い取り、間城の耳の穴に押しこんだ。

「ひゃっ!」小さな体を震わせてびっくりする。

「どうだ?」

「なにも変わらないよ」

「そうか。なにしろ、特別なイヤホンだからな。周りの音が聞えづらくなることはないんだ」

「へぇー、すごい」

「ためしに今オレがなにを思ってるか、当ててみせてくれ」

 オレは今一番の願いを心に思い浮かべる。

 シロやろう、地獄に落ちやがれ。

「シロ様、天国へ昇ってください?」

「当たりだ」

「やった! でもどういう意味?」

「それはアレだ。お前みたいないいヤツはぜったい幸せになれっていう意味だ」

「ぼくは幸せだよ」

「それはよかった」

 オレは不幸だ。

「もうすぐホームルームがはじまるから、教室に戻ろう。あと、このことはだれにも秘密だからな」

「なんで?」間城は首をかたむける。

「だれだって自分の心の内を知られるのはイヤだからな」

「なんでぇ?」間城の首のかたむき加減がさらに大きくなった。

「お前にだってみんなに知られたらまずいことのひとつやふたつ……ないか」

「あるよ」間城の首がまっすぐになった。

「あるのかッ! いったいなにがあるんだ?」

「素直に言うと思ってんの!?」

 思ってた。まさか間城にツッコミを返されるとは思ってもみなかった。

 完全に想定外だ。

「ん、想定内だったんだ」

「えっ、あ! オレの心を読んだな」

「てっきりみんなと同じようにいい人だと思われていると思ったのに、江久保はちがうんだね」

「まあな。オレは固定概念にはまどわされないからな。とにかくこのことは秘密だからな」

「わかった!」間城は片手をあげて了解する。

「よし、早く教室に戻ろう」

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