第29話:その後の話(設楽家にて)
田舎から戻り、設楽の家のチャイムを鳴らすと、母親だけでなく父親も帰宅していて、2人で揃って出迎えてくれた。土産を降ろす大竹に労いの声を掛け、上がって休んでいってくれと勧めてくる。
「遅くなりまして申し訳ありません。あの、もうお聞きかもしれませんが」
大竹が帰参の挨拶と謝罪を口にしようとすると、父親がそれを遮って先に頭を下げてきた。
「すいません先生、なんか智一がすごいご迷惑をおかけしたみたいで」
「も~、智くん~?田舎から何件も電話かかってきたよ~?」
「……な、なに?電話って……」
始めは玄関先で挨拶だけしたら帰ろうかと思っていたのだが、さすがに電話の内容が気になって、お邪魔していくことにした。だが、設楽の両親は電話のことなど気にも留めていないのか、「先生、今日はさすがにお疲れでしょうから、泊まっていって下さいね?うちお布団普通サイズしかないですけど、足出ちゃうかしら」などと暢気な事を言っている。
「いや、お話だけ伺ったら帰りますから」
「あらやだ、そういえば、田舎のお布団も普通サイズでしたよね?サイズ足りました?先生背高いから、普段はどうしてるんですか?うちも智くんが今頃伸びてきたから、お布団直さないといけないですよねぇ?」
「いや……今は通販でロングサイズの布団も普通に売って……ってそうじゃなくて!俺帰りますからね!?」
「お酒は何召し上がります?由希子さん、こないだもらった日本酒どこ置いたっけ?」
「車ですから!本当に帰りますから!!」
「も~、今更そんな他人行儀な事言わないで下さいよ。あ、バーボンもありますよ?」
あの兄妹が人の話し聞かないのは血か!?血なのか!?設楽一族、人の話聞けよ!!!
大竹が切れそうになっていると、さすがに設楽が「いい加減はしゃぐなよ!」と両親を止めにかかった。
「先生だって一週間も俺に付き合って家留守にしてたんだから、早く帰りたいに決まってんだろ。で、田舎から電話って?」
「あぁそうだった。じゃ、お茶だけでも淹れてきますね」
やっと二人が居間から出て行くと、大竹はげんなりとした顔をしてソファに腰を下ろした。
「……お前の両親、こないだのデイキャンプの時もすごかったけど、いつもあんななのか……?」
「あ~、大体あんなテンションかも……」
「……すごいな。疲れないのか……?」
「いや、逆にアレが大人しくなっちゃうと、こっちが心配になるよ?」
「……そういうもんか……」
ソファの背もたれに体重を預けて溜息をつくと、すぐに両親がコーヒーとおつまみと手作りらしいゼリーを持ってきた。
「先生、甘い物大丈夫ですか?」
「はい、お気遣い無く」
「赤ワインのゼリーと梅酒のゼリーだったら、どっちが良いですか?あ、どっちもアルコールは飛んでるから大丈夫ですよ?」
……酒呑みの家だ……。お母さん、こなだい酒飲めないって言ってたのに……。
その2つはどうやら設楽の好物らしく、設楽の目が急に輝きだした。
「先生、俺のお薦めは赤ワインのゼリーだよ?」
「じゃあ赤ワインで……」
フルボディの赤ワインで作られた渋みのあるゼリーは甘さも控えめで、何種類かのハーブが加えてあるらしく、複雑な味わいだ。ブランデーで風味付けされた生クリームとも良く合って、とても家庭で出てくるような味には思えなかった。
「どう、先生?」
「あぁ、旨いな。これお母さんが?」
「はい。お口にあったなら良かったです」
設楽の両親はニコニコと機嫌良く笑いながら、大竹と設楽がゼリーを食べている姿を眺めている。
……いかん。このままでは家に上がった目的がうやむやにされてしまう……。
「あの、もう電話でお聞きかもしれませんが」
「あぁ!智くんが色っぽい人妻と不倫してストーカーって話!そうそう、びっくりしちゃった!」
大竹が水を向けると、お母さんはぽんと手を叩いた。お父さんもうんうんと頷きながら、設楽に顔を寄せてくる。
「智一、年上の人妻も良いけど、ストーカーはまずいだろ?」
「いや、もうストーキングはしてないし。つぅか、年上の人妻ってとこはスルーかよ」
「遠くから憧れてる分には良いけど、不倫って、相手の旦那さんの気持ちになって考えてみろ!」
「いや、相手の旦那さんはウェルカム状態だったし」
「何そのウェルカム状態って!ちょっと詳しくお父さんに話して!」
「っていうか、あんた彼女はどうしたのよ!」
「それ、すぐ別れたから……」
……ずれてる。何かこの親子はずれてる……。
大竹は何だか言葉の分からない国に迷い込んだような気分になった。朝起きたらそこは異世界でした系な?
とりあえず、設楽の家族がずれてようが何だろうが、自分はご両親から引率を目的として頼まれた教師なのだから、不手際だけは詫びておかなければならないだろう。
「俺の監督不行届で、ご実家に大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
何とか3人の意識をこちらに引きつけて頭を下げると、設楽の両親はキョトンとした顔をした。
え……何その顔……。
「やだ、先生。不倫してたのはうちのバカ息子ですよ?」
「いや、でもそれを田舎で暴露してくる必要はなかった訳ですし」
なおも大竹が頭を下げようとすると、お父さんは急に父親らしい顔になった。それでも口元には微笑を忘れない。
「先生、大体のことは聞きました。何しろ色んな奴が電話してきましたから、色んな角度から聞きました。姪が先生に大変ご迷惑をおかけした話も。謝るのはこちらの方です。すいませんでした」
「……いや、俺は何も……。むしろ設楽の方が……」
「あぁ、智一は自分がバカやったんですから、少しくらい良い薬です。自分が好きでもない女子につきまとわれて、ストーカー被害がどんなに怖いか身をもって覚えりゃ良いんですよ」
「ちょ!ストーカーって言っても、ちょっと覗き見してたくらいだからね!?」
「それ充分ストーカーだって!怖いって!」
母親がわざとからかうように言うと、父親は少しだけ体をずらして大竹に向き合った。
「先生、先生には何から何までお世話になりました。本来なら僕らが息子の様子に気づいてフォローしなければならなかったところなのに、それも全部先生にお任せしてしまって、恥ずかしい限りです。今回の田舎行きも、少しは先生に楽しんでもらいたかったのに、それもままならなかったみたいで……。来年はもっと楽しめる場所を企画しますね?」
「……いや、来年は受験本番ですから、俺なんかに構ってる場合じゃないと思います」
そりゃもちろん、気分転換に付き合うつもりはあるけどさ。
そうじゃなくて。
そうじゃなてく、何なんだ、このご両親は。真面目に親らしいことを言うのかと思ったのに、何考えてんだ……。何かこれでは、まるでご両親は俺と設楽を一緒にどこかに連れ出したがってるみたいじゃないか。
……まさか?
いやいや。一瞬怖い考えになってしまって、慌てて大竹は首を振った。
ないないない。
それはない。
息子のフォローに回った教師と、その教師に懐いてる息子。息子はまだ色々と傷が癒えてないだろうから、お気に入りの先生と仲良く遊んで、早く傷を癒しなさいよ、と、そのくらいの考え……の筈。うんうん。そうそう。何か俺、この一週間でちょっと色々考えすぎて、頭煮えてるのかも……。
色々考えすぎて、ふと最初の話に戻る。
何でこんな話になってんだ?
それで田舎の話はどうなってんだ……?
大竹の無表情が少し重たくなったことに気がついた設楽が、慌てたように話を元に戻す。
「それで、電話はどんなだった?ばあちゃんち大丈夫そう?」
「あぁ、それは大丈夫だよ。ほとんどが智一は大丈夫かって、心配してくれる電話だったし」
「そうそう。若いときの過ちは誰にでもあるから、あんまり智一を責めるなよって」
「あぁ…、それなら良かった」
ほっと息をついた2人に、「でもまぁ」とお母さんが顔色を少しだけ変えて言葉を継いだ。
「お義姉さんからはすごい勢いで『もう2度とうちの美智に智一くんを近づけないで!』な~んて電話が来たけどね」
「……あぁ……」
あの美智の勢いなら、遠山家から何らかの文句が来るのは想定内だ。
だが。
「ま、言われなくても姉さんのところになんか、こっちから近寄らないけどさ。も~、姉さんすっごい自己中な人でさ~。姉さん的に美智って自分の分身なモンだから、義兄さんと優は女2人に頭上がらなくてね。あんなのにうちの大事な智一を誰が近づけるかってんだよ」
笑顔でとんでもない事を話す父親に、大竹は遠山の告白を思い出して、胸が痛くなった。
だが、それは自分がここで口にすることではないと、大竹は曖昧な笑顔で聞き流す。
「とにかく先生、本当に智一がお世話になりました。これに懲りずに、これからもよろしくお願いしますね?」
「はい。今回のことは本当にすいませんでした」
もう1度謝ってお暇しようと腰を上げかけた大竹に、父親が笑顔で畳みかける。
「末永く、よろしくお願いしますね?」
「はい……はい?」
末永く?
聞き間違えか……?
大竹が慌てたように2人を見ると、2人は澄ました顔をして「あ、お布団敷くからお風呂どうぞ?」「智一、先生にトイレとか洗面所とか色々案内してあげて」などと当たり前のように言っている。
「い、いや!もう帰りますので!」
「そんな先生、他人行儀な」
「いや!いや、本当に帰りますので!!」
他人行儀?
やばい。
何か分からないけど、やばい。
早く帰らないと……!!
「父さん母さん!もう先生困ってるから、これ以上引き留めるなよ!ごめんね先生、明日補習の準備するんでしょ?」
「あ、あぁ……」
ほっとして大竹が立ち上がると、さすがに2人とも「残念!それじゃあ先生、またの機会に!」と言ってようやく立ち上がってくれた。
「先生、ごめんね。うちの両親、あんまり深い考え無しに言ってるんだと思うから、気にしないで」
「お、おう。それじゃあこれで失礼します」
「はい。先生、また♡」
にっこりと笑う両親の顔に、なんだか含みがあるような……?
落ち着かない気持ちで設楽の家を後にすると、大竹は車の中で1人、今のご両親は何だったんだろうかと頭をグルグルさせた。あまりにも自分の想定していた状況と違って、どう対応したらいいのか分からない。
ただ、1つ分かったことがある。
「設楽一族、怖ぇ……」
大竹はぶるりと体を震わせると、大きく溜息をつきましたとさ。
~その後の話・終わり~
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明日もう1つ「その後の話」を載せて、「道標」はおしまいです!
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