第20話:嫌いにならないで
その日の夜、部屋に戻ると設楽は小さくなっていた。設楽は、これから大竹の説教が始まると信じている。小さくなるのは当たり前だ。
だが、大竹の口から出たのは設楽の思ってもいなかった言葉だった。
「ごめんな。俺のせいだ」
「え…?」
どうして先生が、そんな事……。
「俺があの時、お前を置いて俊彦くんの家になんか行かなければ、こんな事にはならなかった。お前と2人でここに来たんだ、お前の事を優先するべきだったのに、俺は仕事の事となると見境がなくなるらしい。お前に厭な思いをさせた。すまない」
その台詞に、設楽が信じられないという目で大竹を見た。
何を言ってるのだ。先生は、何を言ってるのだ。
「俺がいけないのに、先生が謝らないでよ!俺だって分かってるよ!先生が受験生放っておける訳ないじゃん!そんな事で癇癪起こすほど俺子供じゃねぇよ!俺、ちゃんと待ってようと思った。でも美智が……!」
興奮しかけた設楽を、大竹がそっと抱き寄せた。その腕の感触に、設楽はぎゅっと目を閉じた。
「さすがにゲイばれはまずいと思って、それであんな事……。言ってるうちに段々訳分からなくなっちゃって、それで……」
「もう良い」
「俺が、俺が考え無しで、先生が帰ってきてちゃんと止めてくれたのに、止まらなくなっちゃって、それで俺が……」
「もう良いから」
大竹の腕に力がこもる。
「お前は今日まで必死に我慢してたよ。並の努力じゃなかった。お前をあの子と2人にするべきじゃなかったし、俺がお前の傍にいれば良かったんだ。あの子は確かにお前を追いつめたけど、そのきっかけを作ったのは俺だ」
「違うよ!」
「うるせぇ、俺のせいだって自惚れさせてくれ」
「先生…」
その言いぐさがおかしかったのか、設楽はやっと笑顔を見せた。
「先生がそんな事言うなんて、思わなかった。俺が先生のせいで我慢できなくなった方が、先生は嬉しい?」
「……すまん。なんか、ちょっと嬉しい……。まずいな、こんなの……」
「先生……」
大竹が耳まで赤くしながら、困ったようにも、悔しそうにも、恥ずかしそうにも見える顔をする。その顔に、ジワジワと指先まで嬉しさが充ちていった。
暫くそうして抱き合っていた。それから、設楽はゆっくりと、「先生、キスして良い?」と小さく訊いてみた。
大竹は答える替わりに、設楽に口づけた。
大竹が良いと言ってくれれば、それで全て良いような気がした。
先生にさえ許されているのなら、俺は他の誰に許されなくても良いのだ……。
そんな設楽の気持ちを分かっているのだろうか、大竹は慰めるためのキスというよりは、官能的なキスを寄こしてきた。
舌と舌を絡め、お互いの吐く息を1つにして、互いの舌が蕩けてなくなりそうなキス。それだけで、設楽の理性は一瞬で飛ぶ。我ながら簡単だとは思うが、大竹の手にかかると、それだけで何も考えられなくなってしまうのだ。
昼間のことを考えたら、こんな風にサカるなんて間違ってる。
でも、先生が俺を許してくれる。
先生が俺にキスをしてくれる。
だったら俺は、もう他のことなんか考えられない。
先生が欲しい。
俺にとって大事なのは、いつだって先生だ。
唇から灯る火が、胸に飛び火して、そのまま体全体を包んでいく。
先生が欲しい。
先生が欲しい。
先生が俺を欲しがるところを、見てみたい。
「先生…」
銀糸を引いて唇を解いたとき、設楽は目の縁を染めて、大竹の肩口にぽふんと額をつけた。
「先生、一応訊くけど、エッチするって選択肢は」
「毎度で悪いが、それはない」
何度訊いてもつれない大竹の、それでも昂ぶっている腰に自分の腰を押しつける。ゴリっと固い感触が、互いの腰にじんと甘い痺れを生んだ。
「先生、ちゃんと勃ってる……。ね、先生、俺としたいって、思う?」
「そういう事、訊くな」
俺がどんだけ我慢してると思ってるんだと口の中でブツブツ文句を言う大竹に、嬉しくて口元が笑ってしまう。
設楽は大竹の形を感じるように、ゆっくりと自分の腰を擦りつけた。
あぁ、先生が感じてる……。そう思うと泣きたくなった。
「嬉し……、もう、これだけで達きそう……」
「だからそれは立派なセックスだっつうの」
それでも頬を僅かに紅潮させて、何かを堪えている大竹の顔は堪らない。
「先生、その顔、させてくれるまでオカズにして良い?」
「してくれるまでの間違いだろ」
「ね、先生。お願い。触らせて」
「ダメ」
「甚平の上からで良いから」
「ダメ」
「絶対それ以上しないから」
「日本には、『男の“先っちょだけ”は絶対に信じてはならない』というありがたい格言がある」
「え!?先っちょまでは入れて良いの!?」
「言ってねぇよ!」
暫くそうして言葉遊びを楽しんでから、大竹は設楽の手を握った。
「もう寝ようぜ。寝付くまで、手ぇ握っててやるから」
「うん」
設楽は手を握る大竹の右手を両手で包み込むように握りしめて、額にその腕を押しつけた。
「先生、今日は本当にごめんなさい」
「お前が俺に謝らないといけない事は、なんにもしてねぇだろ」
自分の謝罪を決して受け取ってくれない大竹に、設楽はなんと言っていいか分からなくなって、1番言いたい事を言う。
「……好きだよ……。先生のことが、好き。俺を嫌いにならないで」
「ならねぇよ。ほら、とっとと寝な」
「うん」
今日は気を張って疲れたのだろう。それから暫くすると、すぐに設楽は寝息を立て始めた。
「俺を嫌いにならないで、か……」
大竹はそっと体を起こして、眠る設楽の顔を覗き込んだ。
目元には涙が溜まっている。大竹はその涙を唇で拭いながら、自分の手を握りしめたままの設楽の手に、空いている左手を静かに重ねた。
「それはこっちの台詞だ、設楽……」
設楽の存在は、大竹の中でかけがえのない物になっている。これからたくさんの新しい出会いを迎える設楽が、自分の元を去っていくのではないかと、怯えているのは自分の方だ。
だが大竹は、それを設楽に見せることは出来ない。
いつもで余裕綽々の顔を設楽に見せているのは、それが大竹の性格ということもあるが、それよりも本当は怖いからだ。
設楽が自分から離れていくのが、大竹には怖かった。
だから設楽の好きな意地悪で余裕のある「大竹先生」を、設楽の前では見せ続けなければいけないのだ。
「設楽…」
────俺を嫌いにならないで────
そんな可愛らしい台詞は、大竹には言うことができない。
これから先も、第2、第3の美智が現れて、設楽を俺から取り上げようとするのだろう。設楽はいつまでそんな美智達を振り切って、俺の手を取ってくれるのだろう。
「……俺がお前を信じてなきゃいけないって分かってるのに、ダメだな……」
設楽を失いたくない。
でも、設楽を縛り付けたくもない。
いつか設楽が自分の手を離しても、設楽の負担にはならないように。もし後ろを振り返ったとき、いつもの自分を思い出してくれるように。
その為に自分は、いつでも設楽の好きな「大竹先生」でいたかった。
「設楽…」
せめて、設楽が少しでも長く自分の隣りにいてくれますように。
大竹は設楽の手をもう1度握りしめた。
それから唇にそっとキスをして、自分の布団に戻り、眠るようにと努力した。
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