第7話:帰り道

 水から頭を出すと、「智くん!?」と慌てたような声が頭上から降ってきた。心配したような、美智の顔。

 息が続かず、設楽は何度も肩で呼吸をしてから、もう1度息を吸いこんで、岸に向かって泳ぎだした。

 その僅かの間に、大竹はずいぶん離れた所まで泳いでいたらしく、滝壺の傍から顔を出した。


「先生、滝壺、結構深いよ?」

「ああ、こっちの方が水も冷たいな」

 もう1度潜ろうとした大竹を、遠山が止めた。

「その辺、水の流れが複雑で、滝壺に引きづり込まれんぞ」

 成る程、小さいとはいえ、滝は滝だ。流れ込んできた葉っぱがぐるぐると踊っている。

「この辺渦巻いてんな」

「水舐めんな。大竹、早くこっちに戻ってこい」


 設楽は大竹を心配しながら、それでも先に岸に上がった。いや、それ以上に遠山が大竹に馴れ馴れしいのが気にかかる。確かに優兄は先生より年上かもしれないけど、なんだその気安い話し方は。


 先に岸に上がった子供達は、もう体を乾かして服を着て待っている。

「智兄ちゃん、2人で何してたの?」

「お前らがいたらあっちの岸まで行かれないだろ。大竹先生、鉱石とか好きな人だから、あっちの岸見に行ってたんだ」

「鉱石?」

「この辺何か出たっけ?水晶とか、瑪瑙とか」

 すらすらと嘘をつく自分に嫌気がさす。それでも、小さな村でゲイばれして親に迷惑を掛けるわけにはいかないのだ。


 暫くして大竹が戻ってくると、打ち合わせたわけでもないのに、大竹も同じ言い訳を考えていたらしい。大竹は握っていた掌を開いて、砂利や粒の大きめな砂を子供達に見せた。


「ほら、この透明な砂があるだろう?これが石英だ」

「石英?」

「これのでかくて形の綺麗なのが水晶だ。石英は日本中広い範囲から出てくる」

「水晶?」

 美智が驚いたように大竹の手の中を見たが、そこにあるのはただの砂利だ。

「この辺も花崗岩多いけど石英の含有量は少なそうだな。どっかのズリでもありゃもう少し探せんだけど」

 頭を振って水を飛ばす大竹の体は、まだ水を含んでしっとりと濡れていた。


「この辺で水晶が出るとかいう話は聞かないな」

「あぁ、石英より黒雲母が多いな。だからこの辺の岩は黒っぽいんだ」

 遠山も大竹の手の中を覗き込む。大竹は頷いて、手の中の砂を淵の水に流した。


「まぁ、俺は水晶はもうおなかいっぱいだけど。信州ならフローレンス石とか苦度電気石が期待できるんだけど、ちょっとここでは出なさそうだな。設楽はまだ初心者だから、水晶探してんだろ?」

 わざと大竹がバカにしたように笑うと、設楽も憤慨して返した。

「良いだろ!水晶綺麗だし!石柱の形が良いんだよ!」

「水晶見つけたことあるの?」

 美智が目をキラキラさせて訊いてくる。そのわざとらしさが、正直設楽は苦手なのだ。


「あるよ、水晶。……1番良いのはあげちゃったけどね」

 設楽は少しだけほろ苦い顔で答えた。


 山中に水晶をあげた思い出は、まだ胸に生々しい。それでも、それはもう良い思い出だ。

 それにその思い出は、大竹と2人で川岸でキャンプをし、2人で光る石英を見た、美しい思い出でもあるのだ。


「え?あげちゃったの?」

「そ。……好きな人にね」

 笑ってそう言うと、美智は目を見開いた。遠山がひゅうと口笛を吹く。大竹は何も言わずに、Tシャツに袖を通した。


「す……好きな人って……智くん、付き合ってる人いるの?」

「別に美智には関係ないだろ?」

「そんな言い方しなくても良いじゃない!」

 まるで痴話げんかのように言い争う2人に、大竹は小さく苦笑すると、子供達の点呼を始めた。


「よし、全員いるな」

「何だよ、先生が1番道草喰ってたくせに」

「おう、悪かったな。水辺は結晶の宝庫なもんだからさ。おい設楽、もう暗くなるから、子供達と先に帰ってるぞ」

「えぇ!?待ってよ先生!」

 大竹は後ろも振り向かずに子供達と一緒に帰り道を戻って行く。先頭を遠山に歩かせ、子供達の最後尾をのんびり歩いていった。


 子供達は、飛び込みの1件で大竹を気に入ったらしく、ずっと大竹にまとわりついていた。帰り道の間中、石英の話や水晶の話をせがみ、飛び込みのコツを聞いている。

「先生、飛び込み、明日も教えてよ!」

「明日は他のことしてぇなぁ」

「水晶探すの?」

「俺も一緒に行く!」

 大竹の皮肉面も気にならないのか、子供達は大竹の気を引きたくて夢中らしい。いきなり現れて綺麗な飛び込みを見せた大竹が、スーパーマンにでも見えているのだろう。


 チクショウ。俺の先生なのに。

 大竹が子供達に好かれているのが誇らしいような、それでも好かれすぎてむかつくような、設楽の気持ちは複雑だった。


「何で俺が明日もお前らの面倒見なきゃなんねーんだよ」

「逆だから!俺達が先生の面倒見てやっから!」

「勘弁しろよ」

 大竹の大きな手が子供達の頭をぐわっと掴んで左右に揺すると、子供達は「やめろよー!」と叫ぶが、その声は嬉しそうだ。まだ小さい子供達が大竹に肩車をねだると、大竹は「それは別料金だ」と笑った。


 大竹らしくない笑顔の大盤振る舞いが誰の為なのか。設楽はそんな大竹の背中を、少し切なく見つめていた。

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