旧鼠とこぼれ梅酒(二)



 足が速いという虎造は、歩いていても早かった。着流し姿の朔次郎と違い、木綿の着物の裾を端折っている虎造は、実に歩きやすそうだ。お蔭で朔次郎は、少々息を切らしながら亀戸を目指すことになった。

 道中、虎造との会話はなかった。謎解きとやらを聞きたかった朔次郎だが、虎造の口からは見込めないようだ。岡っ引きの手下が人見知りするタチでもないだろうに、彼はどうして朔次郎に対して敵意剥き出しなのだろう。結局、春冲の真名も内緒にされたままだ。虎造の謎が解けぬうちに、二人は梅の香薫る亀戸に到着していた。

 訪れた大和屋には虎造の言っていた通り、春冲の姿はない。おどおどしながら用向きを尋ねられた久兵衛に、答える言葉を持ち合わせていなかった朔次郎は、とりあえず「今日ここで謎解きをすると聞きましたので」とだけ言った。


「は? どういう意味です?」

「それが、私もわからぬのです。ひとまず中で待たせてもらってもよろしいですか?」

「待つって……あの化物絵師の娘をですか?」


 それには迷った挙句に頷けば、久兵衛は苦虫を噛み潰した顔になった。春冲に対する不信感は、まだ拭えていないらしい。

 とその時、虎造が久兵衛の前にぐいと身を乗り出した。


「やい、ご主人よう。お春ちゃんのことを悪く言うなんて、黙って見過ごすわけにはいかねえなあ」

「お春……?」

「虎! よけいな喧嘩を吹っかけんじゃないよ!」


 凛とした声に振り返れば、玄関先に春冲と雁助、そしておちかの姿があった。


「おちか? どうしてお前がここに?」

「アタシが呼んだんですよ、久兵衛さん。この謎解きに、おちかさんは必要な人だ」

「謎解き? なにを今更! 長助を殺したモノノケの正体は、昨日包み隠さず説明したではありませんか」


 店先だということで外聞を重んじたのだろう。小声になる久兵衛を見遣って、春冲は場所を変えようと提案した。朔次郎と春冲、それから雁助と虎造、久兵衛と佐吉とおちか、それから本日初の顔合わせとなるお内儀を連れて向かったのは、庭に立つ見事な梅の木の下。はらはらと紅い花弁をこぼす梅の木を見上げて、春冲はゆっくりと口を開いた。


「昨日大和屋さんから話を聞いて、ずっと不思議に思っていたのですよ。どうして、今更になって鼠はモノノケになり、長助さんを殺したのか。それともう一つ。鼠を捕まえた長助さんはさておき、今回の鼠殺しにはまったく関係のないおちかさんが、なぜ旧鼠に狙われたのか」


 確かに、と朔次郎は思う。久兵衛はおちかが狙われた理由を石見銀山の買い出しを頼んだからだろうと言っていたが、こたび佐吉が殺した鼠は石見銀山を使っていない。ならばどこに、おちかが狙われる理由がある?


「不思議に思ったアタシは、おちかさんに尋ねてみたんです。最近、おちかさんの回りで変わったことはなかったか、ってね」


 春冲に見つめられて、青い顔をしたおちかがかすかに頷く。たった二日見ない間に、随分とやつれたようだ。


「どんぴしゃでした。八ヶ月ほど前に、大和屋では女中が一人、いなくなっているそうですね。おちかさんととても仲のよかった、おうめという名の娘です」


 歳が近いこともあって、おちかとお梅は仲がよかった。背格好が似ていることもあり、まるでお神酒徳利みきどっくりのように仲のよい二人だと持て囃されていたが、おちかは自分とお梅が似ていないことなど端から承知していた。そばかすの目立つおちかと比べて、玉のように白い肌を持つお梅は、大変な器量よしだったのだ。


「お梅ちゃんの様子がおかしくなったのは、今から二年くらい前です。お梅ちゃん、最初は何も言ってくれなかったけど、きっと好い人ができたのだろうと、私はすぐにピンときました。だってお梅ちゃん、元々綺麗な顔立ちをしていたけど、あの頃は妙に女らしくなったというか、身体の内側から輝いて見えたから。それで、お梅ちゃんにこっそり訊いてみたんです。そうしたらお梅ちゃん、青い顔をして「このことは絶対に誰にも言わないで」って、泣いて懇願したんです。それでわかったんです。お梅ちゃんは、道ならぬ恋をしているんだって」


 まるで、何かに追い立てられるようにして早口に喋るおちかは、ひどく怯えていた。びくびくと身を震わせながら、ちらちらと視線を送る先にいるのは――――久兵衛だ。


「それで、お梅さんはどうなりました? おちかさん」


 春冲に促されたおちかの震えが、最高潮に達する。立っていられなくなったおちかは、梅の木の根元にへたりこんでしまった。


「わ、私は知らなかったんです!」

「おちかさん」

「だって、だって……! まさかお梅ちゃんが旦那さまの子を身ごもっているなんて、思いもしませんでした!」


 お梅が、久兵衛の子を? 久兵衛の女狂いは、お店の中まで影響していたのか。

呆れる朔次郎が見遣った先には、切れ目の双眸を更に鋭くしたお内儀が、むっつりと黙りこくっていた。


「身ごもったことを誰にも言えなかったお梅さんは、産む直前まで周囲に隠し通していたのでしょう。個人差はありますが、それほど腹の目立たない女もいると言いますからね。そして、いよいよ産まれるという時、その場に居合わせたのはおちかさんと――――大和屋さん、あなただ」


 春冲に見つめられた久兵衛が、血色の悪い唇を噛む。しばしの沈黙の後、消え入りそうな声で「私は何も知らない」とすっ呆けた。


「面倒な人ですね。まあ、いいや。話を続けましょう。赤子を生んだお梅さんは、その後どうなりました? おちかさん」

「私は……詳しいことは存じ上げません。お梅ちゃんの身体の様子がおかしいことを旦那さまに伝えると、すぐに産婆を手配されたようでしたが……その後、お梅ちゃんは産後の肥立ちが悪くて亡くなったと聞いています」


 ……まさか。まさか、お梅は。


「内々に処理された、ということはないのですか?」


 思わず口を挟んだ朔次郎を、春冲がにやりと見遣る。


「旦那はお疑いのようですが、どうですか? 大和屋さん」

「……」

「だんまりはよくありませんぜ。自分を追い詰めるだけだ」

「…………お梅は、本当に産後の肥立ちがよくなかったんだ」

「だそうですよ、旦那」


 あっさりと引き下がった春冲を見る限り、彼女はお梅の死を疑っていないようだ。


「お梅さんの死は大和屋さんの言う通りなのでしょう。でもね、ここで問題になってくるのは――」

「お梅さんの亡き後、生まれた赤子はどうなったかってことっすね!」


 思わず、といった様子で口を挟んだ虎造を、春冲がじろりと睨む。


「虎造」

「は、はい」

「ちょっと黙っていて」

「……ごめんなさい」


 春冲の育ての親である雁助の手下だけあって、二人は仲がいいようだ。付き合いが長いのだろうか。思わずほっこりしかけた朔次郎だが、状況がそれを許さない。


「お梅さんの赤子がどうなったのか、教えていただけますか。久兵衛さん」

「……っ」

「里子に出したんですよ。泥棒猫の子を、うちに置いておくわけにはいきませんから」


 口を挟んだのは、これまでだんまりを決め込んでいたお内儀だ。初めて聞いたお内儀の声は、想像通り、冷え冷えとしていた。


「里子に? どこに出したのですか?」

「さあ、覚えていませんね。店の手の者に頼みましたから」

「それは誰に頼んだんです? よければ、ここに連れて来てもらっていいですか?」

「どうしてそこまでしなくてはいけないのですか?」


 静かに睨み合う春冲とお内儀の間には、まるで見えない火花がバチバチと散っているようだ。虎造などは、思わずといった様子で息を呑んでいる。

 目元の険をふいに緩めた春冲は、ふ、と息を吐くように微笑んだ。


「お内儀さん、だんまりもいけませんが、嘘はもっといけません。いいです、アタシが当てましょう。事情のある赤子なんて、そう簡単に里親は見つかりませんからね。赤子は、つい最近までこの大和屋にいたんだ」

?」


 つい口を挟んだ虎造が、慌てて口を閉じる。だが、今度は春冲のお叱りはなかった。

 代わりに、勝気な顔立ちには似合わない、悲しげな表情を浮かべた春冲は、風に攫われそうな小さな声で呟いた。


「そう。赤子は、あの竹籠の中にいたんだ」


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