大和屋と視える絵師(二)
斬り捨て御免とはよく言うが、実際に武士が手打ちにする以上、それなりの理由が必要だ。春冲の場合、一応武士身分の朔次郎に、無礼な口をきいたのだ。斬り捨て御免とはいかずとも、それなりの制裁は受けるべきだろう。それは本人もわかっているはずなのに、春冲は朔次郎に謝るどころか、朔次郎の存在を無視して梅屋敷の梅を鑑賞している。どころか、おもむろに取り出した
(油屋へ行く気はないのでしょうかねえ……)
だからといって、直接話しかけるのは憚られる朔次郎は、少し離れた場所にあった
本人も言っていた通り、春冲を連れて行ったところで、解決する事件だとも思えない。それに、万が一モノノケのしわざだとしても、春冲は祓うことができないと言う。もういっそのこと一人で油屋へ向かおうか、と思い立った朔次郎は、一心不乱に筆を動かす春冲へと近づいた。
「春冲どの」
「……」
「その……よき絵は描けましたか?」
尋ねる朔次郎を、切れ目の双眸がじろりと見上げる。
「やはり、訊かないのですね」
「は?」
「……旦那はアタシのことなんざ、興味がないとみえる」
「いいでしょう」と、春冲が大きな溜息と共に立ち上がった。
「そろそろ行きましょうか。……はあ、油屋。油屋ねえ……」
そう零す春冲は、目に見えて厭そうだ。
「気が乗らないのなら、私一人で行きますけど?」
「旦那一人で行ったところで、何も解決しやせんよ」
「でも、あなたが行ったところでモノノケは退治できないのでしょう?」
そう言えば、思いっきり睨まれてしまった。どうやら言葉の選択を間違えたらしい。
お蔭で大和屋までの道のりは、すっかり無視されることになった。無言で前を歩く春冲は、心なしか肩が上がっているように見える。どうやら、ひどく怒らせてしまったらしい。
気まずいまま訪ねた大和屋でまず対応してくれたのは、頭に白いものが混じり始めた初老の番頭。同心や岡っ引きなど入れ替わり立ち代わりで訪れているはずなのに、番頭は朔次郎のことをしっかりと覚えてくれていたらしい。
「そりゃあ、こんなにお優しいお顔立ちの町役人なんて珍しいですからね。私だけでなく、お店のみんなが旦那の顔を覚えていますよ」
なかなか口達者な番頭は、朔次郎と春冲を奥の座敷へと通してくれた。明らかに役人の装いには見えない春冲のことをちらちらと伺っていたので、とりあえずは「私の助手です」とだけ言っておいた。
「助手? すると、岡っ引きのお嬢さんか何かですか?」
「アタシは岡っ引き風情になったつもりはありませんよ」
隣を歩く春冲の機嫌が、更に降下したことを肌で感じた。
無理もない。同心の
(ま、私のような胡散臭い同心の手札を受けたいと思う岡っ引きもいないでしょうがねえ……)
通された奥座敷からは、庭の見事な紅梅が見えた。これには春冲も満足したらしい。大和屋の主人を待つ間、懐から取り出した浅草紙に筆で描き殴っている。咄嗟に止めようと思ったのだが、あまりにも見事な梅の絵に、気がつけば感じ入っていた。
「わあ……見事な紅梅ですね」
感じ入ったのは、茶を運びに来た女中も同様らしい。主人の許しなく客人へ話しかけたことを詫びるように、そばかすの目立つ娘は慌てて頭を下げた。
「た、大変失礼をいたしました」
「いいよ。褒められて悪い気はしないからね」
にこりと笑った春冲に、女中はほっと胸を撫で下ろす。同世代の娘が相手ならば、こうも優しい笑みを浮かべることができるのか。出逢ってからそう時間は経っていないはずだが、思い出せる限り鼻で笑われた記憶しかない朔次郎は、ちょっと面白くない気分になった。
「あなた、名はなんと?」
「ちかです」
「そう、おちかさん。あなた、亡くなった長助と面識は?」
「その方が目の前で焼け死ぬ長助どのを目撃したのですよ」
おちかに代わって答えれば、どういうわけか娘のキラキラとした視線を受けた。
「旦那、わ、私なんかのことを覚えてくれていたのですか?」
「? 覚えていますよ。先日お話を伺ったじゃないですか」
答えれば、おちかはそばかすの目立つ頬を真っ赤にさせた。
「旦那、罪な男だねえ」
「……どういう意味です?」
訳知り顔でくつくつと笑う春冲に尋ねるも、意地悪な笑みが返ってくるだけなので諦めた。かわりに
「で、でも、旦那には先日洗いざらいお話したはずですが……」
「今日はここにいる春冲どのに語って聞かせて欲しいのです。あなたには何度も厭なことを思い出させるようで申し訳ないのですが……」
いいえ、と大きく頭を振るおちかの頬は、まだ赤い。
「確かにとても恐ろしい出来事でしたが、事件解決のためならば、何遍だってお話しますとも」
思いの他気丈な娘で助かったと、ほっと胸を撫で下ろす。と、隣の春冲からじっと見つめられていることに気づいた。
「どうしました?」
「野暮な男って、とことん罪作りですねえ……」
「は?」
「ま、いいや。おちかさん。長助が燃え死んだ前後のことを、覚えている限り詳しく話してちょうだい」
はい、と震える拳を握りしめるおちかが話すに、事が起こったのは昨日の宵口。寝る前に水を一杯、と思い土間へ向かったおちかだが、あいにく水瓶の中は空だった。仕方なく井戸まで水を汲み来たところで、ばったり長助に出くわしたのだという。
「その時の長助に変わった様子は?」
「別に……いつも通りだったと思いますけど。長助さんも喉が渇いて土間に下りたところ、水瓶に水が入ってなくて、それで井戸まで水を汲みに来たと言っていましたし」
「おちかさんと同じだったわけだ」
「はい。それでニ、三言立ち話をして、水の入った水瓶を手に、土間へ戻ろうとした時です。背後で突然わっと声が上がりました」
長助の声だったという。驚いたおちかが慌てて振り返ると、煌々と燃え上がる炎の中で、長助が暴れていた。
「それで私、びっくりしちゃって。でも、すぐに火を消さなきゃいけないと思ったんです。だって、このままだと長助さんが焼け死んじゃうでしょう?」
「ええ、そうね」
「それで、水瓶に入っている水を全部ぶちまけたんです。でも不思議なことに、長助さんを包む炎は消えなくて。むしろ、勢いを増したように見えました」
「勢いを増した?」
首を傾げる朔次郎に、春冲の二つ目がきょろりと向く。
「なにも不思議なことではありやせんよ」
「え?」
「モノノケの起こした炎ならば、水なんかで消えますまい」
春冲の言葉には、心中で首を傾げた。春冲は完全にモノノケのしわざだと思っているようだが、朔次郎は今一つ信じられない。
「長助が手燭を持っていたなんてことはないのですか? それか、井戸の周りに商いものの油がこぼれていたとか……」
「――――旦那。僭越ながら、それはありえません」
話に割り込んできたのは、唐紙の奥から姿を現した、齢六十ほどの男。歳の割には恰幅のよい身体を朔次郎の前に落ち着けると、畏まって頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません。長助の一件以来、お役人やら采配人やらひっきりなしで」
「これは、お忙しい時に失礼しました」
いえいえ、と
「失礼ながら、そちらは?」
「私の助手です。名を春冲と」
「春冲? はて、どこかで聞き覚えが……」
指を顎に当て考え込む久兵衛を手で制する。
「それより、ありえないとはどういうことでしょうか?」
「え? ああ、うちは代々菜種油を生業にした油屋でして、私で四代目になります。それなりの
「そうですか……」
久兵衛は古参の奉公人である長助を信頼しているようだが、朔次郎はあまり釈然としていなかった。いくら厳しく躾けていても、誰しも失敗はある。それは、いくら勤めが長いからといって、長助に考えられない話ではない。
「ねえ、旦那。あとの話は道々にして、そろそろ行きましょうよ」
ずい、と身を乗り出す春冲に、朔次郎はこてんと首を傾げた。
「行くってどこにです?」
「厭ですねえ。長助が焼け死んだ井戸に決まっているじゃありませんか。もちろん、おちかさんも一緒にね。そのままぐるっと屋敷の中も案内して欲しいものです」
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