第二幕 大和屋と視える絵師

大和屋と視える絵師(一)



 十万人以上の大きな犠牲を出した明暦めいれきの大火以降、御公儀ごこうぎは過密になり始めた市中の武家地、町人地に広小路ひろこうじ日除地ひよけちを作るため、武家屋敷や寺社、町家を隅田川すみだがわの向こう、本所・深川へ移転させた。移転した武家の多くは小旗本で、本所入江町にも小さな武家屋敷が軒を連ねている。事件のあったという油屋は、横川を越えて更に南下し、天神橋を渡った長閑な場所にあった。

 そろそろ春に片足を突っ込もうかというような、うららかな小春日和。この亀戸かめいどで有名なのは東の大宰府と名高い亀戸天満宮であるが、天満宮だからといって梅の名所というわけではない。亀戸の梅の名所といえば、呉服屋の別邸だという通称・梅屋敷がある。道理で、天神橋を越えたあたりから盛りの紅梅が目立つようになったはずだ。

 ついつい首を巡らせて見事な梅を眺める朔次郎に、春冲は気づいていたらしい。少し遠回りをして油屋へ行こうと提案してきた。


「それは嬉しいお誘いですが、大和屋さんは大丈夫ですかね?」


 こうしている間にも、次の焼死体が出るかもしれない。案ずる朔次郎に、春冲はくすりと笑う。


「アタシらが急いで行ったところで、結果は変わりませんよ。アタシは歩き巫女や陰陽師の連中とは違いますからね。ただ、視えるだけです。モノノケをどうこうする力なんぞありません」

「そういうものなのですねえ……」


 だったら春冲を油屋に連れて行っても無駄ではないのか、という不安が朔次郎の心をかすめる。まだ信じられる話ではないが、春冲の目をもってしてモノノケの正体がわかったとしても、当のモノノケを祓えなければ意味がない。いや、そもそも、これは本当にモノノケのしわざなのかも怪しい。


「旦那は、訊かないのですね」

「え?」

「アタシがなぜ、モノノケが視えるのか。どういうモノノケが視えるのか。出逢った当初の善右衛門さまなんか、そりゃあ童のように目をきらっきらさせて、矢継ぎ早に問い質したものですが……旦那はあまり気にならないようですねえ」

「……」

「油屋の一件にしてもそうです。本当にモノノケのしわざなのか、モノノケのしわざだとしたらどのようなモノノケなのか、どうして大和屋はモノノケの恨みを買っているのか……善右衛門さまならば、こちらが逃げ出したくなるような勢いで毎回駆け込んできましたが、旦那は気性の穏やかな方でいらっしゃる。あまり、善右衛門さまと似ていませんね」

「それはそうでしょう。私は養父と血が繋がっておりませんから」

「いえいえ、顔かたちの話ではなく。旦那は、浮世のことに興味がないようにみえる、という話ですよ」


 今度は試されているのではなく、真っ向から厭味を言われているとわかったが、朔次郎は別段腹が立たなかった。

 困ったように微笑む朔次郎を振り返って、春冲はにっこりと艶やかな笑みを浮かべる。


「アタシ、旦那みたいな人、だいっきらいです」


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