視えない同心と視える絵師(二)



 少女が行き倒れていると慌て出た朔次郎を、長屋のおかみさんは豪快に笑って門前町の方を指した。参道には茶屋がやおら立ち並んでいることを思い出した朔次郎は、おっとり返して屋台で稲荷寿司を買ってきた。甘い酢飯の匂いに完全覚醒した少女は、脇目もふらず稲荷寿司にかぶりつく。無心でぺろりと五つ平らげた少女は、笹の葉の中が空になって、ようやく朔次郎の存在に気づいたらしい。


「あんた、誰?」


 と始めは不愛想に尋ねた少女だったが、朔次郎の纏う格子こうしの着流しに巻羽織、それから腰のふたふりに気づくと、慌てて身なりを正した。


「こいつは失礼をいたしやした。八丁堀はっちょうぼりの旦那が、こんなボロ長屋に何用でございやしょうか?」


 どうやら、懐に隠している十手じゅってにも気づいたらしい。若い娘の一人住まいに同心が単身で訪ねてきたら、それはたいそう外聞が悪かろう。せめて怯えさせないようにと、朔次郎は愛想笑いを浮かべた。


「いや、そう固くならないでください。私は定町廻り同心、御影朔次郎と申す者。あなたが春冲で間違いないですね?」

「はい。いかにも」

「そうですか。私は今日、養父である御影善右衛門の勧めであなたを訪ねたのです」


 そう言えば、春冲は米粒のついた紅い唇で、「善右衛門さまの……」と呟いた。二人は知り合いで相違ないらしい。


「善右衛門さまのご紹介ということは、またおかしな事件が起こっているということでございますね?」


 おまけに、理解も早いことで大変助かる。なんとも口にしにくい説明が一気に省かれた朔次郎は、ほっと胸を撫で下ろしながら、本題を切り出した。


「単刀直入にお頼み申し上げます」

「ええ? ご立派なお武家さまが、アタシのような下賤げせんの者に頼みごと?」


 春冲がにやりと婀娜っぽく笑う。歳の端に釣り合わない妖艶な笑みに、小さな苦笑が零れた。


「何を申しますか。養父より、あなたは世にも珍しいものが視えると聞き及んでいます」

「珍しいもの……とは?」


 試すような春冲の口調に、二つ目の苦笑が漏れる。


「この世ならぬもの――――俗に言う、モノノケが視えると聞き及びました」


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