大江戸モノノケ捕物帖

朝木モコ

旧鼠とこぼれ梅酒

第一幕 視えない同心と視える絵師

視えない同心と視える絵師(一)



 御影朔次郎みかげさくじろうは困っていた。


 とんでもない難題が降って来たのだ。降らせた相手は、朔次郎が難題を解決すべきしかるべきお役目であるため、しかるべき手順を踏んだだけなのだが、当の朔次郎は困り果てている。それは別に、朔次郎が定町廻りのお役目を継いだばかりだという理由だけではない。さりとて、難題が難題すぎるという理由だけでもない。新参者の朔次郎が、難題を対処するだけの経験がないというのが問題だった。

 ゆえに、その手の経験が豊富な者へ相談することにした。朔次郎に家禄かろくを譲ると、とっとと向島むこうじまの別邸に隠居を決め込んだ養父・善右衛門ぜんえもんは、かれこれ十年近くの間、このちょっと変わったお役目をこなしてきた御仁である。何かよき助言でももらえないかと期待した朔次郎だったが、善右衛門は更に他の相談役を紹介しただけにすぎなかった。巡り巡って、朔次郎は更に困り果てている。

 なんだか少したらい回しにされている気分になったが、さりとて養い親の紹介を無下にするほど、朔次郎という人間は薄情ではない。だからといって、件の紹介人に千載一遇の解決策があると期待するほど、夢見がちな気性でもない。とりあえずは善右衛門の顔を立てる名目で、件の紹介人に会いに行くことにした。


 紹介人は、富岡八幡宮とみおかはちまんぐうを拠点として栄える門前町の岡場所、通称・辰巳たつみに居を構えているらしい。住処すみかだけを聞くならば、よもや芸者崩れの春をひさぐ女かと疑った朔次郎だが、どうやら生業は絵描きらしい。八丁堀定町廻り同心どうしんであった養父と、一介の絵師がなにゆえ知り合いなのか不思議に思うところであるが、今の朔次郎にとって、難題以上に頭を悩ませることはない。なので、たいして考えることなく、とにかく会いに行った。

 それが、大きな間違いだった。


「……ええと、」


 善右衛門に教えてもらった春冲しゅんちゅうという名を頼りに、辰巳をぶらぶらすること四半時。日陰長屋という名の通り、日当りの悪い長屋の一角に、件の人物はいた。というよりも、倒れていた。うつ伏せで。


「あの、あなたが春冲どのですか?」


 と尋ねてみたところで、無論返答はない。息を確かめるために顔を覗き込んで、驚いた。絵師だと聞いててっきり男だと思い込んでいたが、倒れているのはれっきとした女だ。おまけに、年が明けて二十五になった朔次郎より、十近く若く見える。

 健やかに息のあった娘は、なかなか愛らしい顔立ちだった。愛らしいというより、少々婀娜っぽいのだろうか。削げた頬には哀愁があり、きゅっと引き締まった唇は異様に紅く、色気がある。これで目を開いたらどんなかんばせなのだろうかと思っていたところに、ぱちりと二つ目が開いた。


「もし、大事ありませんか?」


 慌てて身を引きながら尋ねる朔次郎に、少女は虚ろな目を向ける。ぱくぱくと金魚のように開閉する口に耳を寄せれば、かすかな声が言葉を紡いでいた。


「は、腹が減った……」


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