第二十三話 カマセじゃない第二位の強さって半端じゃないよね⑩



 ――瞬間


 カミオの視界に映ったもの。

 それは、今まさに自分へ向けて放たれた黒い翼だった。

(…………、は?)

 ベルゼブブとの戦闘を観察していれば、それが天使の翼だということは理解できる。悪魔にとって致命的な一撃となる天使の恩寵を含んだ翼。アスタロトと戦闘を交える上で最も注意していなければならないものが、まさに今、眼前まで迫っている『これ』なのだから。

 それでもカミオの思考は予想外に停止しかかっていた。

 なぜならば、カミオには瞳を閉じていようと周囲の状況を理解できる特性が備わっていたからだ。ついさっきまでは確かにアスタロトの位置も行動も全て理解していた――していたはずだった。

 だからこそ、こうして自分に攻撃が迫っているなど考えてもいなかった。

(――ッ!)

 こればかりは普段から戦闘する側に立っていなかったカミオの誤算。

 いくら周囲の状況を理解できるとはいっても、戦況など一分一秒で変化していくものだ。そして相手が最上位天使である熾天使ならば、ほんの一瞬でも油断するべきではなかった。

 その油断が、ほんの一瞬で自分の身を滅ぼすことに繋がってしまうのだから。

 

 もはや逃げる時間すらも残されてはいなかった。


 ズガァッッッ!! と、カミオの身体が、その威力に身を任せるかのように吹き飛ばされた。


「っ、ぐああああああああああああああああッ!!」

 あまりの衝撃に思わず叫び声をあげてしまうカミオ。だが、そんなことで勢いは落ちてくれたりはしない。初撃で地面に叩き付けられ、その後は余剰とも呼べる勢いだけで何度も何度も地面に落ちては跳ね返ってを繰り返しながら吹き飛ばされていく。

 ただの鳩なら……いや、普通の人間だってこれだけ地面を転がれば命はない。打撲と摩擦で皮膚はただれ、骨は折れ、内臓に許容値を越えた衝撃が走っていたはずだった。


 だが、流石は悪魔といったところか。

 そこまでの衝撃を受けてもなお、カミオは絶命せず、未だ意識を保っていた。

 地面に伏したカミオはほとんど無意識のうちに言葉を発する。

「……な、なぜ……?」

 意識が混濁しかかってる状態で、既にまともに身体も動かせなくなりながら、それでもカミオの脳裏に流れていたのは純粋に疑問と違和感だった。

 アスタロトの攻撃に反応できなかった事への、ではない。あればかりは自身の油断が招いたものだと、カミオの中でも区切りはついている。

 疑問に思う点はそこではなく、もっと単純なこと。


(……どうしてまだ私は生きているんです……? 翼での一撃をモロに受けているんですから、とっくに消滅しているはずなのに……)


 あのベルゼブブだって、熾天使の恩寵を含んだ翼には耐えられなかった。何度かは受けながら生き延びていたが、あんなことは第一階級公爵だから出来るようなものだ。

 もちろん、カミオの耐久力がベルゼブブより優れていたなんてミラクルはない。 そんなご都合主義が挟み込まれるような戦場ではないのだ。ベルゼブブに出来なかったことをカミオが出来るはずもない。だからこそ、最後の手段として追放術式を選ぶしかなかったのだから。

 つまり……考えられる理由はほとんど一つしかない。

(……あの攻撃に天使の恩寵は含まれていなかった……いや、どう考えたってそれをする理由はないはず。ベルゼブブを殺して、ジークを殺そうとして、リリス様に宣戦布告するつもりのアスタロトが、この期に及んで私を殺すことに躊躇するとは思えません)

 ならば、カミオが考えもつかない理由があるのかもしれない。

 だが、それを悠々と考察している時間など残されていない。

「……ッ、ジーク……ッ!」


 あの位置からカミオは吹き飛ばされた。

 ジークにとって最後の盾となるべきカミオは、もう羽根の羽根の一つも動かせないほど疲弊している。

 これ以上は交戦する意志さえ覗かせるのは難しい。


 それらが意味するのはたった一つ。



 カミオは何とか、視線だけでもアスタロトへ向ける。

 そこにあったのは、考えうる限り最大の絶望。


 まだ、この段階ではジークは殺されていなかった。


 だが、それこそが絶望だったといえよう。


 あのまま殺されるなら、ジークも苦痛を覚えることはなかっただろう。気を失っている内に命を奪われるのなら、最悪の中でもまだマシな部類ではあった。


 だけど、カミオの視界に映し出されていたもの。



 ――それは、この騒動を受けて、ノロノロと目を覚ましたジークの姿だった。

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