第十一話 その異名って意味分からないもんね⑥
ベルゼブブの城、魔城ムスペルヘイムには数十体もの悪魔が居住している。
逸話の中のベルゼブブは蠅騎士団という騎士団を作って天界での戦争を戦ったといわれているが、その時の騎士団員は彼女に多大な忠誠を誓っていたらしく、こうして人間界で生活するようになってもその忠誠は変わらなかったらしい。
そんな多くの悪魔を率いるカリスマ悪魔であるベルゼブブは現在、身の丈の何倍ものテーブルに肘を置きながらジークとカミオへ警戒の視線を向けていた。
今までは何だかんだ会話していたとはいえ、ベルゼブブにしてみれば勇者と魔王の側近が連れ立って自らの城にやってきているのだ。あまりいい内容の話でない事は分かっている。
緊迫した空気の中、最初に口を開いたのはカミオだった。
「ベルゼブブ、最近あなたが管理している土地の住民が頻繁にトラブルや揉め事を起こしている事実について、あなたは統治者としてどう関与しているのです?」
「なんだよ、その話か」
と、呆れたような口調で背もたれに体重を預けた彼女は場の緊張感を解く。
ベルゼブブは言う。
「そんなの、このオレに統治を任せてるぐらいなんだから多少は黙認してくれよ。そっちのリリスほどじゃないにしろ、こっちも仕事仕事でてんやわんやなんだからよ」
「そんな言葉で済ませるつもりですか?」
「おいおい、なんでそんなにカリカリしてんだよ? どうせトラブルっても、軽い強盗とか作物の不作とかなんだろ? オレはあんまりそういう事には口を出さないようにしてるんだよ。人間の起こした不祥事は人間で片づけるべきだろ。違うか?」
カミオの態度とは真逆に、ベルゼブブの方はあっけらかんとした様子だった。
彼女は指を鳴らすと、ジークとカミオの前にグラスと飲み物を出現させる。
「なにこれ、すごい!」
いきなり目の前に現れたグラスと飲み物にはしゃいでいるジークだが、カミオの表情は未だに晴れていなかった。
ベルゼブブはそんなカミオの事は気にせずにこう言う。
「オレが統治してる土地で栽培されたブドウの搾り汁だ。飲んでみろよ、オレのお気に入りだ」
「やった! ジュースだ!」
ベルゼブブの勧めるままにグラスへと口をつけるジーク。グイッと両手で持ったグラスを傾けて中に入っている分を飲み干すと、瞳をキラキラさせながら、
「おいしい!」
「だろ? この辺は地面の養分が豊富らしくてな、果物にしろ野菜にしろ良質なものが採れるみたいなんだ。多分そっちの街で売られてる果物のほとんどはこっちから出荷してるもんだぜ」
「ほえー、すごいんだねー」
ジークの無邪気な瞳を見たベルゼブブはもう一度指を鳴らし、空になったジークのグラスの中に同じ飲み物を注ぐ。ジークは感激と驚きの表情を浮かべながら、注がれた飲み物を今度はちびちびと飲み始める。
そんなジークの姿を横目にベルゼブブはカミオへと向き、楽し気に口を開いた。
「ほら、鳩野郎も飲めよ。昔っから神だの天使だの悪魔だのの飲み物はブドウ系って決まってるだろ。人間の奴らもその辺は理解してたみたいでな。統治者になったオレへの貢ぎ物としていの一番に差し出したのがこのブドウだったんだぜ」
「それは本当に貢ぎ物だったのですか?」
「はぁ?」
と、それでも何やら棘のある発言をするカミオにベルゼブブの表情が変わる。
「はとさん?」
そこでようやく何やら不穏な空気を感じ取ったジークが顔を上げる。
そもそもこの少年、本来ならばリリスを困らせているベルゼブブを倒しに来ているはずなのだが、すっかりと忘れてしまっているようだ。度重なる魔獣との遭遇や、こうしてベルゼブブから手厚い歓迎を受けていては当然ともいえるが。
そんなジークにカミオはハァと溜息を吐き、
「リリス様の元へ届けられた報告書によりますと。ベルゼブブ、あなたが人間の街に降りて好き勝手に野菜や果物、その他にも陶器類や衣服などの商品を頂戴しているせいで、人間達の中に不満が溜まって騒動になっています。住人同士の喧嘩程度ならまだ黙認できましたが、最近では農民による土地の奪い合いや商人による殺し合いにまで発展しています」
と、カミオの口から発せられた言葉を聞いたジークは何かを思い出したかのように立ち上がるとベルゼブブとの距離を置く。持っていた木の棒は森の中でなくしてしまったので武器となる物はないのだが、ジークはさほど気にしていなかった。
……まぁそもそも、悪魔相手に木の棒を持っているかいないかで勝敗の結果が変わることはないのだが。
「そうだ! ぼく、ベルゼブブをやっつけにきたんだった!」
「その言葉には大きな語弊がありますがね」
立ち上がったジークの頭の上にカミオが乗る。
少年は敵対心をあらわにしながらも戦おうという構えはとっていない。ジークの無邪気さからなのかは不明だが手のひらをグーにもしていない。謎だ。
カミオは続ける。
「これ以上、人間の街で傍若無人な振る舞いをするようでしたら、あなたの権利を剝奪する可能性もあるとリリス様はおっしゃっていました。ベルゼブブ、何か弁明があるのならどうぞ」
ベルゼブブはいつの間にか立ち上がっていた。
静かに目を閉じ、鼻で息を吐き出すと瞳をジーク達へと向ける。
その表情には流石にジークの顔も強張った。無知ゆえに魔獣すら恐れないジークであったとしても、無意識のうちに恐怖を感じさせるほどの迫力がそこにはあった。
ジークではどうあってもベルゼブブには勝てない。
この世界でベルゼブブに勝てる者などリリスを措いてはサタンぐらいしかいないのだ。
ジークの額に汗が流れる。
「……おい鳩野郎。今の話はどういうことだ?」
ドスの効いた声とはまた違い、たった一言で成人男性を気絶させそうな威圧を含んだ声でベルゼブブは質問する。
悪魔とはいえ戦闘能力のないカミオは慌てたように言葉を取り繕う。
「わ、私たちはあなたの所業を改善して欲しいと言っているだけです。この少年の言うような戦いをしに来たのではありません。勘違いしないでくださいね」
「違う、オレが言ってんのはそういう事じゃない」
と、刹那、ジークの前に移動したベルゼブブはカミオの喉を掴む。
その行動は、このまま殺すことだって出来るんだぞ? という強迫だった。
ベルゼブブは口を開く。
だが、その口から出てきたのは予想外の言葉だった。
「いいか、そもそもオレは人間の街に降りた事なんて一度もないんだ。さっきから話してる、街で好き勝手に動き回ってるベルゼブブって一体誰の事を言ってやがんだよ?」
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