第九話 その異名って意味分からないもんね④

 一旦状況を整理しよう。

 

 この森を意気悠々と歩いていたのは勇者とは名ばかりの八歳児と鳩型の悪魔。

 手にしている武器は先端がある程度尖っている木の棒のみ。鳩型の悪魔は知性を司るタイプなので直接的な戦闘力など皆無に等しい。勇者側も特に勇者補正などという年齢以上の膂力を有しているわけでもない。

 対して、目の前の生物を確認してみよう。

 四本足で地面に立ち、紅の瞳を持つ彼らは魔獣と呼ばれる生き物だ。どこかの悪魔が気紛れで元々生息していた生物を魔改造してしまった結果、通常ではあり得ないほどの戦闘力を有してしまった化け物が魔獣という生物なのだ。

 普通の人間では全く歯が立たず、不定期的に人里に下りてきてしまうので人間側としては堪ったものではない。リリスがこの世界の治安維持に頭を悩ませている原因の一つも実は魔獣関係なぐらいだった。

 よく見ると全身に薄暗い靄のようなものが掛かっているが、あれは魔獣から漏れ出した魔力が可視化したものである。魔力を持たない人間には可視化するぐらいの濃密な魔力は有害な毒と同様の効果を受けてしまうので、一歩でもあそこへ踏み込めばジークはあっという間に死んでしまうだろう。

 つまり、何が言いたいかというと……。


「(終わったあああああああああああああああああああああああああああ!! これ完全に詰んだパターンのやつだあああああああああああああああああああああああああああ!!)」


 状況考察終了。


「ねーねー、なんでブルブルふるえてるの?」

 頭の上で絶望しているカミオの気持ちなど知らないという風にジークが不思議そうな声を出す。

「目の前の状況が分からないのですか!? こうしている今にもあの魔獣は近づいてきているというのに!?」

「うわー、かっこいいなあいつ! きばがドワーッてグワーッてのびてるっ!!」

「聞いちゃいねえ! 今からその牙でグシャグシャに殺されるんですからねッ!!」

「??」

 やはり首を傾げるジーク。

 産まれてから数年程度しか経っていない子供だと逆に幽霊や熊を見ても全く驚かないという。それは脅威を脅威として正しく認識していないからであり、今のジークも恐らくは似たようなことなのだろう。その身一つで魔王たるリリスに戦いを挑んだほどだ。その辺りが欠落していても何ら不思議ではない。

 と、その時。

 ジークとカミオのやり取りで興奮した様子の魔獣が大きく口を開けて咆哮した。

 未だ数メートルは離れているというのに、その咆哮から射出された衝撃波のようなものでジークとカミオの身体は大きく揺さぶられる。

 強風と威圧感にさらされながらカミオは叫ぶ。

「ギャーッ! やっぱり無理だぁ! こんなのに勝てるビジョンが見えない!」

 これは流石にジークも驚愕の表情を浮かべながら眼前の魔獣を見据える。が、敵意剥き出しの魔獣を見てもその表情に恐怖の色だけは浮かんでいなかった。

「んー、あのおいぬさん。おこってるのかなー?」

「いいから取りあえず逃げましょうッ! 全力で走ればどうにかなるかも……ッ」

 カミオに頭を叩かれる形でジークは渋々とその身を反転させる。

 だがやはり所詮は焼け石に水というもの。

 ジークが背中を向けた瞬間、いつの間にかお互いの吐息が触れ合ってしまう位置に魔獣の顔が近づいていた。

魔力を乗せた踏み込みからの疾走と反転。さらにもう一度疾走という三つのプロセスが確かに存在しているはずなのだが、ジークはおろかカミオをもってしてもその動きを把握することは叶わなかった。

グフゥ……、という獣臭い吐息を顔面へと吹きかけられるジーク。

「おお! いつのまにちかづいたの?」

「言ってる場合ですか!? てか、これもうヤバいんじゃ……」

 カミオの言葉は続くことなく、魔獣はその鋭い牙を露出させながら大きく開口。人間の身体など薄皮を噛み千切る程度の力で砕いてしまうだろう。

 そして容赦のない一撃が幼い少年へと繰り出された。




「………………………………………………………………………………、……あれ?」

 ジークの身体が食われる瞬間、恐怖のあまり目を瞑っていたカミオだったが、いつまで経っても惨殺が行われているような音は聞こえてこなかった。こうしている今もジークの頭の上に乗れているということは、まだ少年は無事なのだろう。

 ――でもなぜ?

 カミオは恐る恐る瞳を開ける。

 そこには女性が立っていた。

 見た目だけならばリリスと同年齢に見える黒髪の女性。

 彼女の手には大きな剣が握られていた。その刀身からは赤黒い液体が滴り落ちている。彼女の足元には眉間を中心に縦に切り裂かれた魔獣の姿が転がっていた。

「――なんだ? こんな森に子供がウロウロしてるなんて」

 と、目の前の女性は今ジーク達に気が付いたような声を出す。

 カミオはそこでようやく、目の前の危機から脱出できたのだと安堵した。

が、それも一瞬の話。

 一度転がり落ちた岩がどんどんとその速度を加速させていくように。

 予想外のトラブルに対応できるのは同じ規模のトラブルでしかないのだ。

 カミオは目の前の女性に向けて口を開く。

「……お久ぶりですね」

「おっ、誰かと思ったら鳩の野郎じゃねぇか! 久しぶりだな、元気してたか?」

 屈託のない笑顔を向けられたカミオは思わず頭を抱えそうになった。

 この目の前の、黒髪で黒いワンピースを水着に変化させたような頭の悪い衣服を着ていて、身の丈よりも大きな剣を片手で悠々と掲げているこの女性。

 人間が束になっても敵わない魔獣を一振りで殺してしまうこの女性こそが。

「ええ相変わらずですよ。第一階級公爵殿」

 今からジークがやっつけようとしているベルゼブブ。

 その本人だったのだから。

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