第六話 その異名って意味分からないもんね①
忘れているかもしれないが、リリスは多忙な悪魔である。
一国どころかこの世界全てを統治しようとしているのだから忙しいのは当たり前っちゃ当たり前なのだが、特にジークが魔王城に住むようになってからは、そちらに意識の大半を持っていかれてしまっていたせいでロクに仕事をしていなかった。簡素な業務に関してはカミオ処理してくれていたようだが、それでも溜まった書類の量はリリスの体積を遥かに超えるだけの量がある。
と、いう訳で。
リリスは今日も今日とて書類の山と格闘を繰り広げていた。
「ちっくしょー、最近はジークのお陰でハッピーゲージマックスだったのにさー……」
ぼやくリリス。
その肩の上に乗りながら、同じく書類の整理をしていたカミオが羽でリリスの頬を叩きながら口を開いた。
「口を動かしている暇があるのならば手を動かして下さい。リリス様が嘆いている間にも仕事は増え続けるのですから」
「そうは言ってもねー、なーんかやる気が出ないのよね。……はっ! これはきっとジーク成分が足りないせいかもしれないわ。これじゃ仕事にならないし、ジークの所に行っても良いわよね?」
「良い訳ないでしょうが。やる気がなくても手だけ動かしていれば済むのですから働いて下さいよ。元々はリリス様があの子供と戯れていたのが原因なのですから」
「うー、カミオの悪魔……」
「その悪口のチョイスは致命的に間違ってますからね。それじゃただ私を紹介しているだけです」
一通りの文句をカミオにぶつけた事でリラックス出来たのか、リリスは大きく息を吐きながら目下の書類へと視線を下ろす。
「……なんか最近、地方からトラブルが増えているわよね」
リリスの言う地方とは、この魔王城から遠く離れており、他の悪魔に統治を任せている地域の事である。県知事がそれぞれの街や市にトップを置いているように、悪魔の中でも特別に地位の高い者達を点々と派遣する事でリリスの負担を減らす役割をしている。
が、ジークの襲撃以前から、地方からの不平不満が多く見られるようになっていた気がした。
「まぁ、所詮は悪魔の統治ですしね。リリス様がただのショタコン野郎だったように、欲望の塊みたいな悪魔が上に立てば人間からの苦情が来るのも無理はないでしょう」
「さらっと私が罵倒された気がしたわ」
「特にベルゼブブの所はそれが顕著に現れているようです。流石は暴君と暴食の悪魔という事でしょうか」
「ベルゼブブってあのベルゼブブ? あの子ってそんな性格だったかしら? 素直で聞き分けの良い子だったイメージがあるんだけどなー」
「リリス様の前では猫を被っていただけなのでは」
「そうなのかなー」
と、リリスが頭を悩ませていた時、ギギと執務室の扉が開いた。
入ってきたのはジークだった。
そして、室内に響き渡る程の大きさで高らかに声をあげる。
「はなしはきかせてもらったよ!!」
そう言ったジークは、午前中のトレーニング(木の棒での素振り)が終わったのか額に軽く汗を滲ませながら意気揚々とリリスに近づいてくる。
何だか途轍もなく嫌な予感がリリスとカミオを襲ってた。
例えるならば、幼稚園にも入っていない歳の子供が一人でお使いに行きたいと駄々をコネる前のような予感。
だが、そんな予感など知る由もないジークはリリスの目の前に立つと、木の棒をブンブンと振りながら言い放った。
「その、ベルゼブブってあくまをやっつけたらいいんだね!」
「違うわよ!? 予想はしてたけど、それは駄目だからね! というか、良い悪い以前に今のジークじゃベルゼブブには勝てないと思う」
「えー。そんなことないよー」
「どうしてそう思うの?」
「ベルゼブブってハエさんのおーさまなんでしょ? ハエさんだったらよゆーでかてるもん!」
「おぉ……、何てオーソドックスな勘違いを。あのね、蠅の王っていうのはただの異名で本当に蠅な訳じゃないんだよ。第一階級で公爵の中で最も権力と力がある悪魔がただの蠅だったらビックリでしょ?」
するとジークは「うーん」と唸って、
「むずかしいはなしはよくわからない」
「……そっか! そうだよね。お姉さんが悪かったわ! 8歳児にする説明じゃなかったよね! こりゃ反省だ!!」
「どうしてそこで納得してしまうのですか」
と、いつの間にか肩から降りてジークの頭に乗り移っていたカミオが口を開いた。
「これ少年。あまりリリス様を困らせてはいけませんよ。これでもリリス様は忙しいのです」
「んー、またあたまのうえからこえがきこえるー?」
「だから手で払おうとするんじゃありません! ほら、今日は部屋に戻って勉強していなさい」
「やだもん! ベルゼブブやっつけるんだもん!!」
「そんな駄々を言うんじゃありません。……リリス様、どうしましょうか?」
リリスはウェーブのかかった金髪をゴシゴシと掻くと、悩ましげに小声で呟く。
「……ジークがあそこまでやる気を出しているのだから、ここは背中を押すべきか。……いやいや、流石に相手がベルゼブブとなると気安く送り出す訳にはいかないよね。……うー、これはどうしたものかしら……」
リリスとしてはそんな危険な場所にジークを向かわせたくないのだが、ここで下手に却下をだしてしまうとジークに嫌われてしまうのではないか? という不安が心中渦巻いてしまっている。護衛の一人でも付ければ多少は安全だろうが、このショタコンだらけの魔王城の中から安心して護衛に付けられる悪魔など居ないようなものだ。
「よーし! そうときまったらしゅっぱつだー!」
「――え? あ、ちょっと!」
と、無駄に思考を回している内にジークの中では何かが決まってしまったようで、リリスの方を振り返る事なく部屋を去って行ってしまう。頭にカミオを乗せたままで。
「……どうしましょう」
頭を抱えるリリス。
結局、今日も仕事は捗りそうになかった。
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