第五話 子供の純粋さって大人には毒だよね

 ジークを魔王城に住まわせる事にした。

 

 魔王城ニヴルヘイムに住んでいる悪魔達を大広間へと集結させてリリスがそう宣言した。仮にも勇者として魔王城に攻めてきた者を住まわせるという事に、悪魔達から多少の反感を買うかもしれないと思っていたリリスだったが、意外というか当然の如くウェルカム大歓迎状態だった。

 その場に居たジークがおっかなびっくり、

『おねーさんたち。なかよくしてねー』

 などと言った時には、大勇者の攻撃でもビクともしなかったとの伝説がある魔王城が、歓喜からの絶叫と雄叫びという驚異のダブルコンボで激しく揺れたのだから相当なものだった。

 ちなみに、魔王城に住んでいる悪魔はカミオを除いて全て女性で構成されている。姿かたちをある程度変化させられる悪魔に性別の概念が存在するのかと聞かれれば怪しいものだが、サタンよりも古い存在のリリスが女性として語り継がれている以上、やはり性格的な問題で男女の違いは出てくるのだろう。

 リリスが従者を女悪魔で固めている理由は単純で、男悪魔とは何かと意見が合わず敵対とまではいかなくとも互いに距離を置いている現状では仕方のない事だった。

 リリス自身も女性なので、この女悪魔しか居ない状態は気が楽で気に入っていた。

 ――少なくとも、この瞬間までは。

 集まった従者の中から飛び出してくる悪魔が一人。

 淡い碧色のストレートな髪をかきあげながら、リリスとはまた違った美貌の女性がツカツカとジークの元へ近づいてくる。

「あら? あらあらあら、私が不在の間に随分と可愛らしい子が来たのですね」

 リリスはその悪魔に露骨に嫌そうな視線を向けながらジークの肩を抱き、

「……グレシール。そういえば今日帰って来るって言ってたわね」

「ええ! 人間達の視察とはいえ、結構楽しませて頂きましたわ。老若男女問わず、皆さん揃って私の美貌に飲み込まれるんですもの! あれに勝る快感はありませんわ!」

「……はぁ」

 リリスは目の前でくねくねと腰を振るグレシールという悪魔を見て小さく息を吐く。

そしてこっそりとジークの耳を塞ぎ、

「で、今回は何人の男を抱いてきたのよ?」

「ズバリ66人! そこは悪魔的な数字で纏めましたのよ? しかも内訳的には男よりも女の方が多いときたわ! これはグレシール様の時代到来かしら!!」

「……はぁ」

 リリスはもう一度溜息を吐いた。

 このグレシールという悪魔は不純や不潔をもたらす者とされているのだが、その実態は単なる淫乱女。定期的に視察と言っては人間の街に降り立って何人も骨抜きにして帰ってくる悪魔なのでリリスの頭痛の原因にもなっていた。本人は『そういう悪魔なんですから。これもお仕事の一つですわ』と言っていたが、明らかにその範疇は超えている。

 少なくとも一晩で20人の男と寝る仕事など、この魔王城には存在しないはずだ。

「んー。リリス―、なにもきこえないよー」

 抗議の声を出すジークの耳を塞いでいる手を緩めて「もうちょっとだけ我慢してね」と呟いた後、リリスは視線を戻して、

「何度も言ってるけど、少しは控えるようにならないの? グレシールのせいで働きにも出られなくなった人間の男が何人も居るって苦情があるんだから」

「私(わたくし)だって何度も仰っているではありませんか。これも仕事の内ですわ。……それに、」

 グレシールはちらりと目の前のジークへと視線を向け、

「リリス様だって随分とモラルに反する伴侶を連れているではありませんか?」

 その言葉にリリスのジークを抱く力が強まる。

「なっ!? ななな、何を言っているの!? 私はジークがあまりにも可哀想だったから、せめて私が立派な勇者にしつつ甘やかせてゾッコンにさせるつもりなだけで他意はないわよ!!」

「うふふふふ!! その言い訳は見苦しいというか語るに落ちてますわ。別に言い訳は結構ですのよ。ここへ来る前に鳩さんから一部始終を聞かされているのですから」

「カミオはどこに行った!! どうも姿を見ないと思ったらあいつ逃げたなっ!!」

「そもそも、魔王様のくせに勇者を育てるとか言っている時点で理屈が通っていない事は分かっているのでしょう?」

「うっ……」

 と、リリスが一時的にジークから手を離したほんの一瞬で、

「ほいっと。うふふ、捕まえましたわ」

「?」

 いつの間にかジークがグレシールの胸の中に捕らえられていた。

「うふふ……。不潔と不純の悪魔たる私の前に、このような可愛らしい伴侶を晒すという事の意味がお分かりで? つまりは寝取って下さいと言っているようなもの!!」

「言っているようなもの、じゃねぇよ!! 上司の目の前で堂々と寝取り宣言とか頭狂ってるのか!? つーか返しなさいよ!!」

「それは無理な相談ですわ!! 私のプライド的に一度でも捕まえた男を抱かずに手放すなど出来るとお思いで!? そのような事をしたら痴女の風上にも置けませんわ!!」

「このド変態がッ!!」

 などと口論を繰り返してはいるが、結論的には痴女とショタコンが言い争いをしているだけなので周りの悪魔からしてみればどっちもどっちでしかない。

 と、その時。

 グレシールの胸に抱かれていたジークがようやく自分の状態に気づいたのか、目線を上にあげてグレシールの顔をマジマジと見つめる。

 そしてこう呟いた。

「わー、きれいなおねーさんだー。こんなきれいなおねーさんともいっしょにすめるなんてうれしいなー」


 次の瞬間、グレシールは膝から崩れ落ちた。

 それだけに止まらず、瞳からは静かに涙を流している。

 

「……聞くまでもない事だと思うけれど、どうしたのよ?」

「……いけませんわ。この子は私にとって純粋過ぎます。仕事だからといって何人もの人間に身体を渡してきたこの私が酷く穢れた存在に思えてしまうほどに……」

 つまり、不潔や不純の象徴たる悪魔といえど、100パーセント無垢で純粋な子供相手には弱かったと言う事か。

 グレシールは胸の中のジークを愛おしむかの如く優しく抱きしめると、別れを悲しむ親のような表情でリリスへと送り返そうとする。

「さぁ行きなさい。あなたはいずれ私が正々堂々と奪ってみせますわ。あなたの純粋さに誓って」

「なんだかよくわからないけど、わかったー」

「いや、あのね? 過程とか心構えがどうあれ、人の伴侶を奪うのは駄目な事なんだよ? いや、伴侶じゃないんだけどね? ていうかジークも、良く分からないのに承諾しないの!!」

「ここに居る皆さんも聞いていましたか!? ジークを我が物にしたいと願うのならば、真正面から狙うのですわよ!! これは戦争です!!」

「何でそうなるの!? どこから話が飛躍したらそうなった!?」

 だがリリスの叫びも届かず、この場に居た150近い女性悪魔達(皆隠れショタコンの気があり)が、ジークを一人占めしようと一斉に声を上げる。

 そのせいで再び魔王城からかつてない程の振動が発生した。

「あぁ、もう収拾がつかないわ! 今日はこれでお終いにするッ! ほら解散解散!!」

 それでもこの場は収まろうとしない。このままではジークを奪い合うという名目でクーデターまで起きかねない状況だとリリスが頭を抱えていると、それを見ていたジークがリリスの前へと踊り立つ。

 そして、

「こらー! リリスがこまってるよ! おとなしくしてなきゃメッ!!」

 それだけの。

 怒鳴る訳でも凄む訳でもないそれだけの言葉で。


「「「「「「「「「「はーいっ!」」」」」」」」」」


 150を超える数の悪魔達の足並みが綺麗に揃った。

「この薄情者達めっ!!」

 とはいえ、自分の為にジークが行動してくれたという事実に胸がキュンキュン鳴っていたりもするリリス。

 ……、一先ず、ジークの言葉もありこの場は解散になった。

 残ったのはリリスとジーク。それとグレシールの三人。

 その中でグレシールがポツッと呟く。

「……思ったのですけれど。たった一言であれだけの悪魔を操ったこの子は、実際もう悪魔から世界を救ったという事になっていませんか?」

「……まぁねー」

 


 これは後日談になるのだが。

 結局グレシールは二日後、人間の身体を求めて街へと降り立った。

 そうそう悪魔の本質というものは変わらなかったのである。

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