第三話 名前って意外と大事になるよね①
ジークが魔王城に襲撃してきた翌日。
リリスは人が三人は優に寝れるであろうサイズのベッドで目を覚ました。連日の業務により普段から睡眠時間を削っていたリリスにとってかなり久しぶりに取れた休息だった。
寝起きの脳をゆっくりと覚醒させながらシーツに絡まっている自身の身体を溶かすように動かしていく。悪魔という種族のせいか、元々寝起きは良くない体質なのでこうしてじっくり覚醒させていくしかない。普段ならばカミオ辺りが口やかましく起こしに来そうなものだが、今日は何故か来ないようだ。
そうして数分ほど経った頃、ようやくリリスにある程度の思考力が宿る。
「……くぁぁぁ」
だがそれでも寝足りないのか、未だにリリスはベッドでゴロゴロとくつろいでいる。
徐々に取り戻していく思考力の中でリリスは思い出す。昨日はジークという少年が魔王城に攻め込んできたのはいいが、その子供特有の愛らしさにリリスの心が完膚なきまでにやられてしまい、一緒にベッドで寝る事になったのだ。
「……、ん?」
そこまで思い出してから、ようやく、リリスは違和感に気づく。
昨日の出来事についてではない。
「……ぁれ? いない?」
むしろ今この時に、ここに居るべきはずの人間が居なくなっていた。大きいベッドだからリリスと離れていて居ないと勘違いしている訳でもなく、本当に消えていた。
どうやら部屋の中にも居る気配はない。さりげなく時刻を確認すると、まだ朝日が昇ってからそう経っていない程度らしく、子供が行動するには早すぎる時間だった。
「……仕方ない。起きるかー」
渋々といった表情のままリリスはベッドから身を起こす。着用していた薄いピンク色のパジャマは所々がはだけてしまい、これもまたカミオが居たら小言でも受けそうだとリリスは思った。この魔王城で働いている悪魔はほとんどが女悪魔なので気にしすぎる必要もなさそうなのだが、と常々思いながらも口には出さないリリスだった。
着ていた寝間着を脱いでベッドの上に放り投げ、一糸まとわぬ状態になったリリスは普段着である赤いドレスをクローゼットから引っ張り出す。いつもは面倒なので従者に着替えを手伝って貰うが、この時間では誰も起きていないだろうと思い、時間は掛かりながらも自分だけで着替えていく。髪は綺麗なストレートになっている。普段のウェーブも従者に頼んでいるので今日はこのまま過ごすしかない。
そんなこんなでリリスが一通りの着替えが終わる頃には、普段ならばカミオに叩き起こされている時刻になってしまった。
「……失敗したわね。こんなに時間が掛かるならいっその事誰かを起こせば良かったかも。というより、ジークはどこに行ったのかしら?」
自室を出たリリスは魔王城を徘徊する。城という名目なだけあって、中はかなりの広さになっている。階数でいえば十四階建てで遠目から見ればタワーのようにも見えるほどだ。リリスの自室は最上階の十四階にあるのだが、大広間は同階、執務室は十階とそれぞれにバラけている。それだけならばいいが、食堂は六階で大浴槽が八階にあるので移動するだけで疲れてしまうと悪魔の中では評判が悪かった。
「……?」
十四階から順番に探し回ったリリスだったが、六階で何やら騒がしい音が聞こえてきた。
近づいていくと、その喧騒の内容が耳に飛び込んでくる。
「きゃー! 昨晩も思った事だけれど、この愛くるしさは反則級だわ!」
「ほらほら、お口に食べかすが付いていますわよ(ぺろり)。ふっ、ふふふふふふふふふ! ご馳走様でしたッ!」
「はいはーい。今度は私が食べさせてあげるねー。ほら、あーん」
なんか、もう大人気だった。
この喧騒の中心に誰が居るのかなど、深く考えずとも理解出来てしまう。
思い出せば昨晩のジークの襲撃時、一階から一三階までの悪魔は既に心を奪われていたのだ。一晩経った今、まだジークが城内に居ると知ればこうなるのも明白だったのだろう。
だからこそ、リリスの取った行動は非常にシンプルだった。
「どっりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
持てる悪魔としての全力を持って、あの群衆の中に暗黒の何かを撃ち出す。
ドッ! グアッパァアアアアアンッッ!! と派手すぎる轟音と共に食堂の半分以上が消し炭に変わる。ジークに群がっていた悪魔達はその衝撃で城の外まで弾き飛ばされるのも居れば、全身から黒い煙を発して瀕死になりかかっている者まで居る。
その中でジークだけが一切怪我をしていないのは、これだけの攻撃をしながらもリリスが冷静だった事の証明になるのだが、状況が状況だけにそうは思えない。
「?」
その年齢故に仕方ないっちゃ仕方ないのだが、当のジークはポカーンとしている。急に目の前の景色が変貌してしまった事に頭が追い付いていないのだろう。
そんなジークの元へリリスは、『中学生女子がデート場所に到着したら思い人が既に待ち合わせ場所で待っていたので、嬉しさと待たせてしまった罪悪感を感じながらもやっぱりどこか嬉しさを隠しきれていない』ような走り方で近づいていく。
「あ、リリスだー」
近づいてきたリリスを視界に捉えたジークは手を振る。
「はい、ジークのお姉さんことリリスさんです。っていうか、随分と早起きなのねジークって。朝起きたら居なくなってたからビックリしちゃった」
「なんかねー、ぼくがおきたらここにいたんだー」
「?」
「さっきのおねーさんは、『寝ているジーク君の姿が可愛かったからつい』っていってたんだけど、どーいうことだろーね?」
「単なる誘拐じゃねぇか!! 誰だ!? 勝手に私の寝室に入ってジークを誘拐した奴は!? 悪魔としては正しいかもしれないけど、私は許さないぞッ!!」
「でも、ごはんたべさせてもらえたからうれしかったなー」
「……そう。なら良かったわねー」
ジークの無邪気な笑顔に当てられたリリスまでも悪魔には到底相応しくない表情になってしまう。お婆ちゃんが孫を見る目に近いが、リリスのそれは近いようで遥かに遠かった。
「リリスはごはんたべたのー?」
「いいえ、さっき起きたばかりだから食べてないわ」
と、リリスのお腹から、くぅ、と可愛らしい音が鳴った。
それを聞いたからか、ジークは手近にあった皿からパンを掴むと、
「じゃーたべさせてあげるねー。はい、あーん」
「嬉ふぇwるhfkjsdhfかjs不意ydんxふぁうぇふぉnyxfれゎ」
ジークの行動にリリスの言語が崩壊してしまった。
訳すと、『嬉しいし恥ずかしいし、不意を突かれたしで感情のコントロールがぁ!』と言っているのだが、それは発したリリス自身すら理解していないだろう。最早、無意識の内にリリスの中の何かが放った言葉なのだ。
だがいつまでも醜態を晒す訳にはいかない。
「あ、あーん」
リリスは恥ずかしがりながら口を開けてジークへと突き出す。
「とおりゃ!」
「ぐ、ぐむぅほあっ!!」
だが、何故かジークはリリスの口の中に一切れサイズのパンを放り投げる。
「げほっ……げほ、ちょ、ちょっと待って! 何で急に……」
「とりゃ」
「むぐぅ!! ……待って! お願いだから待って! これ食事って言わな……」
「ほりゃ」
「おげぇ!!」
遂には悪魔とはいえ、女性が出してはいけない声を出しながら抗議するリリス。
それを傍から見ていたカミオは、魔王が子供に蹂躙されかかっている光景に打ち震えたのだった。
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