第二話 魔王って大概悪い奴だもんね②
「こちらカミオ。グレモリー、応答願います」
リリスの肩に乗ったまま、カミオはそこら辺を浮遊している真っ白な球体に向けて声を発した。これはリンクさせた球越しに離れた場所からでも会話を可能とする通信用の術式である。
「……、」
だがしばらく経っても、その球体から声は聞こえてこない。それから数度に渡って返答を促したが、帰ってくるのは沈黙のみだった。
それならば、と。カミオは二階の門番に通信を入れる。
が、そこもまた通話に応じる気配がない。
「ありゃりゃ。これはまた随分と腕の立つ勇者が来たみたいじゃない。あいつらが返答も出来ない状態にされるなんて珍しい事よ」
リリスの言葉に、全ての階の門番と連絡を取ろうとしていたカミオが逡巡する。
「……どうやら十一階までの門番は全てやられてしまったようです。今しがた十二階の門番とは連絡が取れましたのでそこまでは到着しているとみて間違いないでしょう」
と冷静に判断しているようにも見えるが、実の所カミオはリリスの肩で小刻みに震えていた。
それもそのはずで、カミオには実質的な戦闘能力が備わっていない。カミオの悪魔としての特徴はあらゆる言語を自在に操れ、海の音から波の状況を理解出来るというインテリ的なものでしかない。肉体系には並の人間と同様程度の能力しか持ち合わせていないのだ。鳩という姿で並みの人間と渡り合える辺り流石は悪魔だが、それでも恐らくここまで容易く門番を葬り去る勇者には敵わないだろう。
それでも意地を張って冷静に努めようとするカミオをリリスは微笑ましい瞳で見る。カミオがどれだけ我慢していてもリリスの肩に乗っている以上、その震えは全てリリスに伝わってしまっているのだが、そこまで気付く心の余裕はないらしい。
「ふふふふふ……! これは楽しめそうな相手ね。少しは動いておかないと肩こり腰痛頭痛の原因にもなるそうだし、今日ばかりは本気出しちゃおっかなー」
準備運動のようにリリスが肩をグルグルと回す。
その時だった。
バンッ!! と唐突に勢いよく大広間の扉が開放されてたのは。
「……、」
しばらくの間。
リリスもカミオも言葉を忘れそうになっていた。目の前の状況が上手く理解出来なかったからか。それとも唖然としていたのかは分からない。
けれど、その原因ならば一目見れば理解出来る。
扉を開けて大広間に入って来たのは間違いなく勇者だった。それは間違いない。けれど、その背丈は130センチにも満たない程度。茶色の髪の毛は耳下の辺りで綺麗に切り揃えられているいわゆる坊ちゃんカット。薄汚れた麻生地の衣服越しでも理解出来る貧相な体格とそれを支えている両脚の見事なまでの細さ。手にしているのはただの木の棒みたいだが、一応は先端を刃物で鋭く斬った形跡がある。だがそれも数度使ううちにすり減ったのかこれ以上何かを切れるとは到底思えない。そして極めつけはその童顔なのだが、ここに来るまでに疲れ切ったのか瞼は半分閉じ、虚ろな表情になってしまっている。
簡単に言ってしまえば、
「……子供?」
リリスが呟いたように、目の前にいるのはどう見ても人間の子供だ。しかも、子供の中でもまだ幼稚さが抜けきる前の年齢だ。10歳になっているとすら思えない。
その少年はペタペタと大人の一歩分を数歩に分けて歩きながらリリスに近づいてくる。
(……いや待て私! 見た目は子供でも秘められた力を持つ者という可能性だってあるじゃない。現に数十体の悪魔を倒してここに来ている訳だし。用心に越した事はないわね! あぁ、でも子供可愛いなぁ……)
と考えている内に、いつの間にか少年がリリスの目と鼻の先まで接近していた。
「……ッ!?」
余計な思考に気を取られてギリギリまで接近に気づけなかったリリスは酷く困惑する。
それだけではない。
その少年は「やー」と気の抜けた声を発しながらリリスへと木の棒を振るった。
ぺシン。
「………………………………」
ぺシン。
ぺシン。
ぺシン。
「…………あの。何してるのかな?」
堪らずリリスは少年に問いかけてしまった。ここまで来る間に数々の悪魔を葬ったはずの一撃が来ると読み、防御の構えに徹していたリリスに振るわれたのは木の棒でぺシンと叩くだけのもの。音的にはぺシンッ! ですらないのだ。
「こーげき」
「それは分かってるんだけどね……、いや分かっているのか? 私はそもそもこれを攻撃と認識していたのだろうか?」
「あれ? まだやっつけられないの?」
「んー、それで私を倒そうとするのは無理じゃないかなー」
「えー。今までのおねーさんたちはこれでやっつけられたのにー」
「やっぱりか! 薄々気づいてはいたけど、あいつら子供の純粋さに心打たれやがったな! 微妙に歳のいった女達じゃ小さな子供の無邪気さに抗えなかったか!!」
「てい」
こうしている間にもリリスの身体に木の棒が当てられる。痛くはない。むしろ程よい刺激なので逆に血行が促進しそうだった。
「……リリス様、どうされます?」
「どーするって言ってもねー。魔王たる私だって子供に手を上げる気はないしなー。それに微笑ましいからもう少しだけ見ていたい子供可愛い」
「……リリス様?」
「そうだわカミオ。ちょっとだけ私の肩から離れていなさい」
そう言うと、リリスは近くにいた少年を抱きかかえて立ち上がる。少年は「うわー!」と叫び声を上げながら抗おうとするが無駄だった。
大広間の中心に移動したリリスはそこで少年を降ろし、少しだけ距離を取る。
そして仰々しく両手を左右に広げると不敵な笑みを浮かべて、
「良く来たな少年! 私こそがこの世界を支配する魔王リリスであるぞ!」
「……リリス様?」
遠くからカミオの声が聞こえてきたがリリスは気にも留めない。
少年はその仕草に驚いていたが、自分の使命を思い出したのか木の棒をリリスへと向け、
「ぼくのなまえはジークだよ」
何よりも先に自己紹介を始めた。
「ほう、ジークと申すのか。ここまで来れた事はまず褒めてやる。……ジークね。中々に勇敢そうな名前じゃない。見た目と相反してそれが逆に可愛いわ」
後半部分は誰にも聞こえないように呟いた。
その少年――ジークはその場で木の棒を高く振り上げると、
「やーやー、リリスめー。やっつけにきたぞー」
まるで児童のお遊戯のような調子で言葉を放った。
「キュン (ハートに何かがかすった音)」
「……、」
ジークはリリスとの空いた数歩分をタッタッと駆ける。木の棒を振り上げたまま走るのは疲れてしまったのか、一度足を止めて手を下に下げてからもう一度走り出す。
その幼い仕草に。
「ズキュン!!(ハートを完全に撃ちぬかれた音)」
リリスは再度両手を広げると、ジークを待ち構えるかのようにその場で構える。
そして幸悦そうな表情を浮かべながら満足そうに言葉を紡ぐ。
「よーし! お姉ちゃんがやられてあげるぞー。世界もくれちゃうぞー!」
「やー」
そして両者は交差した。
正確にはジークが振るった木の棒に自ら当たりに行く形でリリスが身体を捻り、当たったのを確認するとオーバーな動きで「ズザザー!」と声に出しながら倒れる。
「まおーうちとったりー!」
「やられてしまったー。ジークが強すぎるー」
「待てええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええいッ!!」
目の前で繰り広げられた茶番に我慢できなくなったカミオが城中に響き渡る声で怒鳴りを上げた。
「うっ、うわー!」
急に怒鳴られた事に酷く驚いたのか、ジークは近くにいたリリスに抱き着く。
リリスは抱きかかえると、己の両腕の中で震えるジークを見て、
「ほっこり」
悪魔とは程遠い、というか真逆の存在に近い仏のような表情をしていた。
「ああもう! 全体的に意味が分からないッ! さっきの茶番もそうだし、私に怒鳴られたからって敵であるはずのリリス様に抱き着くそこの少年の意図も! 子供に頼られて嬉しいのか謎のリズムを刻んでいるリリス様の気持ちも分からな過ぎるッ!!」
「ねー、リリス。あのはとさんはなんでおこってるのー?」
「それはねー、鳩だからだよー。見た目通りに頭が小さいからお馬鹿さんなんだよ」
「へえー、そーなんだー」
「誰も私の抗議を聞いちゃいねぇ!? というか普通に馬鹿にされた!!」
「ねぇジーク。疲れてない?」
腕の中でジークの頭が揺れ始めたと気づいたリリスはそう尋ねた。
「ねむくなってきたかも。きょーはいっぱいあるいたから」
「そっか。なら私のベッドに案内してあげるね。今日は私が一緒に寝てあげる」
「んー」
既に返事すらままならなくなってきたジークを抱えてリリスは立ち上がる。そしてカミオには視線さえ向けずに扉を通過してこの大広間を後にした。
「……、」
その場に残されたカミオはもう何も言葉を発しなかった。
そして重要な事に気が付く。
リリスという悪魔は、サタンよりも古い悪魔であり、原初のアダムの妻であり、悪霊の母であり、時には吸血鬼と表現されたりもするが、実はまだもう一つだけ逸話が残っていた事に。
リリスは夜になると人間の子供、しかも男の子をさらっていくという伝説がある。
平たく言うと、リリスとは原初のショタコンとされる悪魔でもあったのだった。
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