一の十
「まだ取り壊されてないんだよ。色々ね、取り壊そうとするとおかしなことが起きるって。だからそのまま。現場のおじさんたちの冷たい麦茶がめんつゆに変わっていたりだとか、解体用ショベルカーとかのレバーにたっぷりはちみつがかけられていたりだとか。もっと色々あるけど、本題じゃないからまた今度」
いかにも泉がしそうなとてもくだらない内容だった。いや、もしかすれば根も葉もないうわさであるだけかもしれない。彼女の頭の中で増幅されてそういう事件が起こったとされているだけかもしれない。
「とにかく、潜むならそこしかないよ。昔からいるなら、なおさらに。そこから登校してきてるの」
影が登校する様を想像すると、とても間抜けなようでおかしかった。カバンを抱えて裏門から入ってくる画だ。そうして暇つぶしには泉と同じように教室のロッカーに腰掛けて、勉学にでも励んでいるのだろうか。
「でも潜んでいる所がわかったとしても、さっきの通りにどうしようもないよ」
「でもちょっとだけ、ちょっとだけ覗いてみようよ」
「ええー」
少し前にあんな怖い目に会ったばかりだというのに、彼女は瞳に星を宿していた。ぐっと拳を握り、一緒に来てくれるように説得を始める。
「こんなの滅多にないよ。ねっ? ねっ? おまじないだって効いたんだし、ねっ?」
「いや、おまじないはたまたまかもしれないし……」
「ううむ、でもちょっと、ほんのちょっとだけでもお願いっ」
ここで一人で行けばと提案すると、本当に行きかねない。泉が取り逃がしているかもしれない。一人でそんな潜んでいるかもしれない廃校舎に行かせるわけにはいかなかった。
いつ使われなくなったかわからないけれど、古い建物で手入れされていないことは容易に想像できる。影がいなかったとしても、老朽化でなにが起こってもおかしくない。
「わ、わかった。ほんのちょっとだけ……」
「よし決まりね。じゃあ善は急げだね」
「ええっ、今から行くの? 明日とかじゃなくて?」
「もちろん。影も気づかれたと思ったら、場所を変えるかもしれないでしょ。いなかったとしても経験になるよ」
オカルト好きの女の子から、ぶっ飛んでいる女の子へとクラスチェンジした。恐ろしい好奇心に行動力だ。真っ先に命をなくすタイプの。いや、むしろここまで振り切っていると逆にそうはならないのかもしれない。
彼女と小学校は同じでなかったから、どういう娘であったか鶴一は知らない。クラスでは大人しくしているけれども、それは中学生になったのだし、表面上は落ち着こうというものかもしれない。とにかく話すようになってから、演技したり、突貫したり、あまり接点がなかった頃からは想像できない性格を味わってきた。
「ちょっと静かになったかな。わたし、先に出るから。恩島くんはもうしばらくしてから上手く出てきてね」
「うっ、上手くって言ったって、女子トイレから出てくるところ見られたら……っ」
「それをなんとかするのが上手くって意味だよ」
「無茶言いおるね……」
彼女は臆することなく出ていった。なにも起こっていないようなので、疑われることはなかったらしい。
しばらく待てと言われたけれども、じっと待ち続けるのも嫌になってきて、恐る恐る外へと出ようとする。ゆっくり個室を出、ゆっくりと女子トイレの戸を開け、ぎりぎりの隙間から外の様子を伺う。
現場の教室の中に人がいるようだ。しかし廊下には誰もいない。出るならば今だということで、音が鳴らないように静かに出ていった。そうして同じように廊下を渡って階段を降りていく。一階にたどり着いて特殊教室棟の玄関前にまでたどり着く。鼓動がひどく暴れていて、生きた心地がしなかった。
「あれ、早かったね」
「死ぬかと思った……」
「そんな大げさな」
「女子が男子トイレに入るのと、男子が女子トイレに入るのは、全然違うの!」
「ああ、それはそうかも」
あっけらかんと納得する。このやりにくさ、泉を相手にしているようで疲れてくる鶴一。それを相手に察してもらうようにそれはもう大きなため息を吐いた。
「疲れちゃった? 色々あったもんね」
「そういうわけでは」
もう一度、そしてもっとわざとらしく大きくため息を吐く。
「はぁぁぁぁぁ……」
「へえー。恩島くんてなかなか息多いんだね。わたし、そんなに吐けないよ」
まったく気づかない。さらにずれた感想を言っている。泉ふざけ関連だとよくも頭が回るのに、こういうことにはまったく割いていないようだ。鶴一はもうなにしても無駄だと思い、肩を落とした。
いきなり窓ガラスが割れたのだ。校庭で練習していた運動部のみんなは練習しながらも、ずっとあの教室のことを気にしていた。だから身に入っていなくて、指導の先生の叱る声が響く。
「気にすんなー! ケガするぞー!」
そんなことを言われた方がより気になってしまうのが人というものだ。
そんな中、一人の野球部の男の子がノックの球を股間に受けてしまった。なんとか身体の前に落とした球を拾い、一塁へ相当する場所へ送球した。一通りのことをこなし、彼はその場で腰を落としてうずくまった。鶴一はやはり自分に当たってしまったような感覚を覚え、背筋が凍る。
「し、知ってる?」
「ん?」
嫌な感覚を振り払おうと、神崎に泉から学んだうんちくを一つ。
「あの男の急所への痛さって、出産の何百倍も痛いらしいよ」
「そ、そんなに?」
「でも瞬間的なのに比べて、出産が長いから、結局は同じくらいらしいって結論なんだって」
神崎は目を大きく開け、素直に「へえ」と声を漏らした。しかしそれから眉を曲げ、
「そういうくだらないことに興味あるんだね」
と冷たい評価を与えられて、鶴一はなにも言い返さずに心の中で彼女に唾を吐いた。つまり、「お前に言われたくないわ」というところだった。
泉が鶴一の前に現れないところを見るに、まだ決着はついていないようだ。逃がしてしまったにせよ、追い出せたにせよ、なにかあれば彼女は報告しにくるはず。
思案のうちに、いつの間にか落としてしまっていた視線をぱっと上に上げると、そこには泉がいた。身長差のせいで、彼の正しい視線の位置が彼女のデコルテくらいになっている。胸を見ているみたいで恥ずかしくなり、咄嗟に視線を逸らす。
「すまん、逃がしてもうた。あやつ、相当にここを学んできておる」
頭を下げ、とても申し訳なさそうにしている。彼女に救ってもらったのだから、鶴一は強く当たることなんてできなかった。労うことが一番だと思った。彼女の必死さはもうよくわかっていた。うっすら目の下にくまがあることにも気づいていた。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくる」
「さっきすればよかったのに」
「そんなわけいくか。ちょっと待ってて」
「うん、ここで待ってるから」
もちろん用を足しになどは行かない。泉に対して小さく、神崎に見えないように手招きする。少し小走りで教室棟へと入る。そうして一応念のために男子トイレの個室の中に入る。泉はなんの抵抗もなくついてきた。
「気にしないでください。いやしかし驚きました。まさかあんなに強いなんて」
「そ、それはもちろん学校じゃからの。これくらいはできて当然じゃ。でなければ百年守れんかった」
まさかの反応に戸惑いながらも、ちょっと照れくさそうだった。ぽりぽりと頭をかき、遠慮しがちな笑みを見せた。やはり彼女の目の下にはくまがあり、瞳もいつもよりくすんでいた。
「泉さん、もしかすればなんですけど、闖入者の住処がわかったかもしれないです」
「なにっ? そんなまさか」
「神崎、あの娘がオカルト脳を回転させて言ったんです。裏門向こうの廃校舎かもって」
「裏門向こうの廃校舎……廃校舎? ああー!」
完全に失念していたと手を叩く泉。そうしてがしっと鶴一の肩を掴み、ぐらぐらと揺さぶった。
「そうじゃそうじゃ、そこがあった。なるほど、そこならば確かにまったく探しておらんかった。なるほどなるほど、そうじゃそうじゃ、それならば見つけられんのも当然のことじゃ。くぅーっ、よう思い出させてくれた!」
頭が揺さぶられ、鶴一は頭がぼうっとしてしまう。その様子に気づき、謝りながら彼女は止めた。
「もう結構前になるからのう、忘れておったわ」
「学校なのに、敷地にあるもの忘れるんですか」
「う、うむ……面目ない……」
しゃがみ込み、ずうんとわかりやすく落ち込む彼女。ここで後悔していても事態は解決しないので、手を伸ばして声を掛けようとする鶴一。
しかし急に彼女は立ち上がり、ちょっと近づいていた彼のあごを頭で打った。するとお互いに苦悶の声を上げた。
「痛っ!」
「ぎゃっ!」
鶴一は震えながらあごを手で押さえ、泉は頭を押さえる。
「な、なんで急に立ち上がるんですか!」
「す、すまん……おー痛かった……大丈夫かツル?」
頭の痛みを我慢しつつも、彼女は彼を心配して彼の頭を撫でた。彼女の手の感覚は気持ちよく、まるでこまを思い出させるようだと鶴一は感じた。きっとそんな力はないはずだけれど、痛みも引いていく気がした。
「おーよしよし、すまんの。痛いの痛いの飛んでいけー、じゃ」
「そんなのが効くような歳じゃないですよ」
「その割には満足そうな顔をしておるぞ、ひひひ」
いつもの通りである泉に、鶴一は甘えを抱いた。このままあのことがなかったことになるかもしれないという、甘え。実際に、彼女はまったく気にしていないように見え、やはりいちいち気にしていると学校はできないと思ったのだった。
でも、そんなのはよくない。すぐに彼はよこしまな考えを消した。そして決心し、
「あの、泉さん……オレ……っ」
言いかけたところで泉はもっと優しく頭を撫でた。
「オレっ、あんな、ひどいこと言って……学校の泉さんが必死にならないはず、ないのに……っ」
「良いのじゃ。わしもふざけておったりしたからの、言われて当然だったのじゃ」
鶴一の視界がにじんでいく。目の前の彼女の姿が揺らめく。恰好悪いと思って我慢してみるも、抑えは利かずにどんどんと涙が溜まっていく。そしてもう留まれなくなり、ぼろぼろと頬を伝って落ちていく。
「ごめん、なさい、ごめんなさい……」
「ちゃんとごめんなさいの言える良い子じゃ、ツルは」
抱き寄せられ、鶴一は泉の胸で泣いた。大きく声を上げることはせず、ただむせび泣いた。涙で彼女の服を濡らしてしまうことになるけれど、そういう余計なことを考えさせないように彼女は頭を撫で続ける。
「これが泉のごめんだ。気が済むまで、ずっと」
鶴一には見えないことをしっかりと確認してから、泉も一粒の涙を流した。そしてすぐにばれてしまわないように拭う。鶴一はまだ泣き止みそうもない。
泉は母校という単語を体現しているようだった。
「長かったね」
ようやく気が済み、待っていた神崎に声を掛ける。
「ごめんごめん」
「ん? なんだか目が腫れてない? ちょっと赤いような」
顔を洗ってきていたものの、そういうものが落ちることはなかった。彼女に気づいてほしくないことに気づかれ、適当に誤魔化す。
「あ、ああ、実は目にゴミが」
「大丈夫? あんまりちくちくするならあとで病院がいいかも」
「ありがとう。なにもないし、大丈夫」
神崎はわかっていてないけれど、鶴一のそばには泉がついてきていた。廃校舎へ一緒に行くためだ。まだ胸元の、彼の涙で濡れた跡は乾いていない。
時は少し前に戻り、男子トイレの個室の、鶴一が泣き止んだ頃。
「え、今からあの娘と一緒に廃校舎を見に行くとな?」
「ええ」
「かぁーっ、すんごい行動力じゃのう。さっき闖入者を見たばかりだというのに。ある意味強いのう」
「それで止めようとしたんですけど、押し切られて」
「うむ。やはり脱ぐとすごいだけある」
「関係ないでしょ……てかそれ、本当なんですか? 適当言ってるだけじゃ」
ぐっと力を込めた拳を彼に見せる。
「適当ではないぞ。わしはしかと見た。なんなら下着を見せてやろうか?」
堂々とした下着泥棒宣言に、慌てて止めさせようとする鶴一。すると彼女は冗談というように笑いだし、けれどからかうために、
「本当は見てみたいくせにのー」
と言った。
確かに見たくはないと断言できないけれど、世間的にも良くないことなので、その気持ちを抑え、かろうじて、
「よくないことはよくないです」
と絞り出すだけだった。
「ま、話は変わるのじゃが」
唐突に変わる。表情は凄く真剣なものになっていた。けれど泉はこうでもふざけてくるときがあるので、鶴一は気が抜けない。
「あの特殊教室で闖入者はなにかしておったか?」
ちゃんとした質問だった。
「おまじないです。おまじないを唱えてました」
「おまじない?」
「オレと神崎さんを見てたなら、聞いているはずです。あの、えっと、と、と、到着側線運動? とかなんとか」
「う、うん? もしかして等速直線運動のことか?」
「ああ、それですそれです。あの教室に誰かの理科の教科書があって、あるページを開きながら唱えると効果があるそうで。それを闖入者もやっていて」
「うむ、ちょっと見てこよう。すぐ戻る、待っておれ」
ふっと彼女はあの教室へと飛んで行った。そうしてしばらくすると、戻ってきて、手にはあの理科の教科書が握られていた。これで合っているかどうか見せ、鶴一は肯定する。
それからぺらぺらと中身を確認していく。
「神崎さん、おかしなこと言ってたんですよ。おまじないを前から知っていたような気がするとか」
「闖入者が?」
「そうです。それに闖入者のいたずらが少し古いもので、確か七年くらい前のやつで、だから外から来たものじゃないんじゃないかって。ずっとここで寝てたとか」
「ほう、それでもしかすれば廃校舎にいるかもしれんと考えたんじゃな。なるほど、やつの逃げ隠れの上手さがそういうことだとすれば合点がいくの。しかしわしのいたずらの違いを研究しておる者がおるんじゃのう」
おまじないに使ったドッグイヤーのページにまでたどり着く。そしてそこに記されている内容を睨んでいる。
「そこです。そこを開いておまじないを唱えると、効果があるのだとか」
「なんのじゃ?」
「そ、そりゃあ……いたずらに巻き込まれないとかじゃないんですか」
「いたずらならツルと同じクラスじゃし、巻き込まれておるのにのう、ひひひ。増える机にの」
軽口を言っていたけれど、彼女の表情は一瞬陰っていた。彼女はなにかを察してしまったらしい。それもあまり良くないものを。そうして呟く、
「等速直線運動、記録タイマー、東は五十、西は六十、0.1秒、五か六、電気、波がある。か」
そうして教科書を閉じ、背面の名前欄を見る。あのかすれてしまって判別のつかない字を指でなぞっている。泉は眉間を指でつまみ、そのまま消えた。どうやら教科書を戻しに行ったらしいけれど、間を作るようでもあった。
「すまん、ツル。頼まれてくれるか。わしはひどい策を考えておる」
「どういうのですか?」
「餌じゃ。二人を闖入者の餌にする。廃校舎に入って、おびき出しておくれ」
「なんだそんなのですか。任せてくださいよ。どちらにせよオレは神崎さんのせいで行かなきゃならないんです。いざとなったらさっきみたいに出てきてくれるんでしょう?」
「もちろんじゃ。次こそは逃がさん」
そういうわけで泉もついていくことになったのだった。彼女はふあっと一つおおあくびをした。緊張感がないわけではない。あくまで自然体を貫こうとしている。瞳には鋭い覚悟のようなものを光らせていた。
「ツル、気負うでないぞ。仕留めるのはわしの仕事じゃ」
神崎と裏門を出る。すると彼女の言う通り、横断歩道を渡った所に古い塀と門が見え、「立ち入り禁止」の札があった。そしてその奥にかなり老朽化の進んだ廃校舎がある。人を近づけたくない雰囲気が、ここからでも感じられた。
「よいしょっと」
神崎は周りに人がいないことを確かめ、スカートであることを忘れたように門を上った。そしてあっという間に向こう側へと足を踏み入れる。カバンを持っていたのに、とても軽やかだった。今度は鶴一の番だと、手招きする。
泉は敷地から出られない。だからふっと飛んで、あっという間に廃校舎の敷地へと入っていた。そうして神崎の隣で真似して手招きした。
「よっ、と」
鶴一だってこういうのに縁がないわけではなかった。近所の公園の近くの廃工場の敷地に幼い頃、有刺鉄線も越えて入ったことがある。それに比べれば塀の高さも低くて楽に越せた。それでもあの頃に比べて少し身体が重くなったような気がして、ちょっとは成長しているのだとポジティブに捉えられて、少し嬉しくなる。
「侵入成功。見回りに来る人なんていないから、もう大丈夫」
「た、楽しんでるね……」
「そ、そんなことないよ。わたしは学校のために行動してるんだから」
わかりやすいうそを吐く。鶴一はこめかみを指で押さえているけれど、泉はけたけたと笑っていた。失礼なくらいに。
「じゃあ、早速中に入ってみよう」
一人で提案し、一人でずんずんと玄関に向かって進んでいく。闖入者がいるのならば、すでにここは敵地。油断してはならない。鶴一は辺りを警戒しつつ歩く。泉が一番後ろにつけ、ついていく。
目の前にある廃校舎は異様な雰囲気を醸し出していた。木造ではなく、鉄筋コンクリートで作られている。けれど今使われている建物と比べてあちこちにひびが入り、元々の色がわからなくなるほどにくすんでいた。
「昔はこっちが本校舎じゃった。でも今の本校舎ができ、生徒の数も減ったから使われることがなくなったのだ。離れにされておるのは、今の敷地は広い校庭をということでな。あとで出来たものなのだ。が、いつの間にかそうではなくなったの」
玄関の戸は外されていて、各部屋の窓は割れていたり、すりガラスのようになっていたりしていた。建物は地上三階建て。デザインも今のセンスではないように感じられた。もしかすればと、鶴一は泉を見た。
「察したようじゃの。そう。わしが空襲の時、爆弾を打ち返して守ったのがここなのじゃ。校庭は別に建物もなかったし、なによりこの中にみんな避難しておったからの。最近までよくもってくれた。縁起の良い建物ということで、補修もちゃんとしてくれておったから」
途端にとても歴史の重みを感じる鶴一。長年彼女と付き添ってきた建物なのだ。人格があったならば、苦難を共にした良い友だっただろう。でも今はその役目を終え、こうしてひっそりと崩れ落ちるのを待っている。
「まったく、そんな建物を忘れるなんて」
「その通りじゃな。罰当たりだ」
敷地の中は雑草が無造作に生い茂っている。神崎の背の高さにまで近づいているものもあり、どれだけ放置されているかの具合がわかる。茂みの中に隠れられそうな所もある。でも不思議に廃校舎へ向かう一本道を阻むものはなかった。
「ん?」
玄関まですぐそこまでと迫った時、泉が鈍い声を漏らした。鶴一がその声に気を取られていると、神崎の背中にぶつかってしまって歩みを止める。
「おい」
両側の茂みから制服を着た男の子たちが三人現れた。神崎は彼らに気づき、脚を止めたのだった。
男の子たちは見知らぬ顔だらけで、つまり上級生だった。二年生であるか三年生であるかすぐにわからなかったけれど、名札の色から両方が混ざっているとわかった。そしてその表情には敵意が浮かんでいた。
もしかしてたむろの場所で、そこに無断で足を踏み入れたから怒っているのか。鶴一は上級生という印象だけで脚がすくむ。いや、それだけでなく彼らは鶴一よりも身体が大きくて強そうだった。やはり大人に近い存在であると感じる。
玄関前でその先を阻むように仁王立ちする三人。その三人の後ろから、また一人の男の子が現れた。それは鶴一も神崎もよく知っている顔だった。茨野だ。
鶴一はそういうことかと理解した。
「おい、恩島ってのはどっちだ?」
「恩島は男です、三渓(さんけ)さん」
「じゃあその後ろのやつか」
指名に応えるように、鶴一は神崎の前に立った。必死で押さえているけれど、少しでも気を抜けばもう膝がひどく震える。でもそれを悟らせるともっと悪い方向へと進むことがわかっていた。
「こやつら、またくだらんことを考えおって……」
泉が唾吐く。実体があれば今すぐにでも殴りかかるほどの剣幕だ。影にはあまり恐れを抱かなかった神崎だけれど、彼らには怯えていた。おまじないが効かない相手だからかもしれない。とにかく嫌な予感に震えていた。
「オレが、なんです?」
「おう、お前が恩島か。こいつがお世話になったらしいな」
こいつというのはもちろん茨野のことだ。彼が自業自得のことを鶴一に責任転嫁し、助けをこの三人に求めたのだ。
「なんのことですか」
「なんのことですかぁ? 俺は聞いたぞ。お前、自分のクラスでふざけたことやったんだろ」
「ふざけたこと?」
「うわさを真似て、驚かせたんだろうが」
解決したと思っていたことが、こんな所でこうして蘇る。茨野の執念深さは鶴一の想像以上だった。あんな風に小さくなってしまったものだから、大丈夫だと思っていた。
仕返しをするならば、今現在、彼に対して嫌な仕打ちをしている相手にするべきだ。でも原因を生んだのは鶴一だと凝り固まり、標的を変えるつもりはない。脆くも鋭い刃物は、ただ気持ちを晴らすことしか考えない。
「そのことに関しては、オレは関係ないってクラスで決まりました」
「うそだ。そんな決定、俺は知らない」
確かにはっきりとそういうことがあったわけではない。でも暗黙の了解というものだ。鶴一はあの机の犯人ではないとなっている。茨野は上級生を味方につけて余計なことを言った。
「恩島くんは、犯人じゃないよ」
反論したのは神崎だった。いまだに怯えながらも、まっすぐに言葉をぶつける。ぎゅっと鶴一の制服の背中のところを握っていた。そこから彼女が勇気を振り絞ってくれたのだとわかり、鶴一は気持ちを強く持つ。
「神崎……お前には聞いてないぞ」
口調と声色からして、どうやら同じ小学校出身であるらしい。
「待ち伏せなんか……お前」
彼女への噛みつくような言葉と、卑怯な手に鶴一は怒りをにじませる。三人の上級生を前にしても、彼は感情を優先させるようになっていった。
「たまたまお前たちの話を聞いたんだ。廃校舎に行くってな。ここなら人目につかないし、やっと来たと思った」
「学級委員長だぞ」
「関係あるか」
「ここまで狡(こす)いこと……」
「こすい?」
「ずるいってことだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます