一の九
「じゃあ、泉ふざけとか、おまじないとかは?」
「これは聞いたことあるもん」
ということらしい。だから召喚術だけが彼女だけの考え。彼女なりの泉ふざけの原因だった。つまりあの影は召喚術によって召喚されたものではなく、泉の言う通りの闖入者だったということだ。
大体、そういう術があるならば、泉はすぐにでもその可能性を当たっているだろう。まったく話にも出てこなかったということは、そういうことだ。そんなものはない。もちろん魔法使いというものもない。
「じゃあ、一体どうやって探せばいいんだ……」
「な、なにを?」
ようやく涙が落ち着き始めた彼女が尋ねる。鶴一は罪滅ぼしに、彼女に話すことにした。
「闖入者だよ」
「ち、ちん?」
「外から入ってきた悪いやつ。そいつが須藤のケガした現場にいたんだ。影みたいになってて、はっきり見えないけど」
そこまで聞き、きょとんとして彼女は首を傾げた。
「も、妄想?」
「うっ、妄想じゃないって証明はできないけど……」
これ以上話せば、影に関係者と見なされていたずらを仕掛けられるかもしれない。だから詳しい続きを言えなくなる。ここで鶴一はだから須藤が狙われたのかと思いつく。
「そうじゃな、確かに妄想ではないが、これ以上はやめておいたほうがよかろう」
声色と口調ですぐに誰であるかわかる。発せられた方向は神崎の後ろ、複数の机が置かれている場所で、その一つに泉が仁王立ちで立っていた。低い姿勢になっている鶴一にスカートの中身が見られそうになっているけれど、あまり気にしていない。でも鶴一は思わず向けかけていた視線を逸らし、立ち上がった。
一瞬別の方向を見たことに神崎も気づき、同じ方向を見た。けれど彼女には泉が見えないらしく、すぐに気のせいだと思って視線を元に戻した。
「ほう、オカルト好きであるが、見えんもんじゃのう。ま、こういう子は多いがな」
神崎の前で話すことはできない。しかし泉は気にせず勝手に舌を動かし続ける。
「なんだかその子に対して嫌な当て方をしておったから、ちょっと見ておったのじゃ。もっとひどくなるようなら止めようかとも思ってな。大丈夫、この子はうそを吐いておらんよ。召喚術など聞いたことがない。もしあれば、わしが使って手伝わせたいくらいじゃ」
泉が机から降り、神崎に近づいて顔を覗き込む。そうして眉をひそめた。
「おうおうここまで目を腫らしてしまって。可哀想に。でもツルを驚かせたのが悪かったのう、タイミングも最悪じゃ。ツルは怒ると怖いからの」
現在通算二回の経験者が語る。学校を怖がらせることができる存在は、きっとなかなか存在するものではない。でも鶴一は怒った自分はそんなに怖いものなのだろうかと腕を組んで考えた。
「さて、わしは闖入者捜索に戻るとするか。ツルもいつなにが起こるかわからん、気をつけて……泣かしたのじゃから、その子と一緒に校舎を出るのじゃぞ」
ふっと姿が消えた。そして彼女に謝るタイミングを掴めないまま。
「その、ち、ちん、にゅうしゃ? 探すの、わたしにも手伝わさせて」
突然の彼女の提案に、両手のひらを前に出して抑える。
「いやいや、危ないよ。巻き込まれて、須藤みたいにケガをするかもしれない」
「大丈夫だよ、だっておまじないもしたし、それに……悪いことしちゃったから、恩島くんにも、須藤くんにも。知り過ぎたからひどい目に会ったなんて、わたし適当言っちゃって……」
おまじないなど効くはずがない。そうとしか思えない鶴一は、やはりなるべく関係者を減らしたいと考える。けれど神崎はとても揺るぎない瞳をしていて、その強さはあの演技していた時に近いものがあった。
「やめたほうがいいよ、本当に、いるんだから。須藤は運がよかっただけで、もっとひどいことになるかも」
「それなら、なおさら一人じゃ危ないよ」
「でも……」
相手が相手であるから、一人でも二人でも変わらないように思えた。だからもっとはっきりと彼女を離そうとしてみるも、逆に手を取られて熱いまなざしをぶつけられてしまう。
「わたし、絶対に役に立つから。恩島くんが調べられないこと、調べられるから」
ふるふると首を振るだけでしか抵抗できなくなった。もちろんそんな程度で彼女に点いた炎を消すことなどできない。ぐいぐいと迫られ、握られている手に少し痛みが出始める。
「……危ないと思ったら、すぐやめてくれる?」
「うん、うん」
「それなら、手伝ってもらおうかな……」
「単独行動はしないと誓うよ……小指に誓うもん」
神崎は手を離し、自分の左手の小指に一瞬口づけた。そしてその小指の腹を鶴一に見せる。
「なにそれ?」
「そういう証明」
かの有名な名画の真似事だけれど、観たことがないから鶴一にはさっぱりだった。でも、彼女なりの誓いの儀式であることはわかったから、もうそれ以上なにも言わないことにした。名前を失った教室で、図らずも仲間を増やすことになった。
鶴一は埃まみれになったズボンを叩く。予想以上に汚れてしまっていて、叩けば叩くほどに汚れが広がって黒い学ランを白くした。水に濡らしてやらなければ取れないだろう。このまま家に帰れば怒られてしまう。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか。復習、どうする?」
「まだあるから、図書室に戻るよ」
「わかった。じゃあオレも復習やるよ」
「いいの?」
「ちょうどわからないところあったから、はは」
あったにはあったけれど、自分でもなんとかなるくらいだった。泉にも言われた通り、彼女を一人だけにするのは危ないと思ったからだ。須藤のときと同じようになってしまうかもしれないと想像するだけで、息苦しくなった。
ほんの少しだけ開けてある戸から出ようとする。神崎が先に通ろうとする。あの行きの光景が蘇って、鶴一はなるべく彼女を見ないように努めた。すると、
「やっぱり恩島くんから行って」
彼女も覚えていて、鶴一に代わってもらうことにした。
鶴一はちょっとほっとしたような、残念なような気持ちで戸の少しの隙間に身体を通し始める。ずずっとやはり制服がこすれる。
「これ、開け方どこで教わったの?」
「お姉ちゃんから教わったの。小学生の頃」
「よく覚えてたね」
「実際にここに来て、やったことあったから。お姉ちゃん、すごく自由な人だったから色々連れ回されちゃって」
「そっか」
顔を教室の中へ向けながら鶴一はじりじりと廊下へと身体を持っていく。あと少しで通り抜けられる。でも、ぞわっと全身に鳥肌が立って、それは神崎もなってしまって、二人で一緒の方向を見てしまった。
机に置かれていた、あのおまじないに使った理科の教科書が風もないのにぺらりとめくられていた。完全に閉じられていたはずなのに、表紙もめくられ、それからぱらぱらと音を立てて何枚も、何十枚もめくられていく。
その光景に釘づけになってしまって、戸に挟まったまま鶴一は動かず、それは神崎も同じだった。
ぺらぺらがばたばたという音に変わり、そうしてばっとあるページで止まった。ドッグイヤーのあるページだ。
鶴一はなにであるか直感的に理解していた。理解していたからこそ、すぐに須藤の仇である影の姿が見えた。今回はその形を人型にとっていて、理科の教科書を眺めているようだった。
「あっ、あれ……」
かなり微かな声で神崎が鶴一に同意を求めてくる。彼女にも見えていた。
「オレが見た、影だ……」
二人の存在に気づいていないのかわからない。ただ影はじいっとそのページを読んでいるようだった。まったく次へとめくろうとしない。
やはり感じ取ることができないのか、泉は現れない。今頃は見当違いの所をうろうろとしているはずだ。千里眼の範囲を広げてここを見つけられるかどうか、その確率は低いように思えた。
影は鶴一より少し大きい背の高さで、太くもなければ細くもなかった。須藤のときとは違い、ある程度の輪郭を作っていた。日に日に力を増しているということなのだろうか。
神崎は気づかれないように足音を殺し、戸に挟まったままの鶴一に寄った。初めて見る非日常な存在に身体を震わせていた。
影から音がした。それは教科書からのものではなく、影そのものの。ぼつりぼつりと呟いている。
「と、とうちょ、く、ちょくせ、ん、うん、どう……」
鶴一はその発音を元に、「等速直線運動」であることがわかり、そうしておまじないと唱えているのだと気づいた。そのことを神崎にも言おうとして、
「あれ、おまじない、だよね?」
彼女も気づいていた。
「影って、喋るの?」
「声を聞いたのは、初めて」
影の声は性別が判断できないくらい、ざらざらと粗い研磨紙に掛けられているような響きだった。まだ一度も二人のほうへ顔を向けない。
「きろ、く、た、いま、あー?」
目の前にあの追い求めていた仇が現れたというのに、鶴一はどうすることもできなかった。でもそのままではいけないと思い、なんとか音を立てないようゆっくりと挟まっていた戸から抜けていく。もちろん教室側にだ。
がたっと戸が鳴ってしまった。
さらに鶴一が「ひいっ」と声を漏らしたので、神崎がぐうっと彼を睨む。起こしてしまったことに鶴一は冷や汗をかき、恐る恐る影の様子を確かめる。もしもがあれば自分の責任になると、もうたまらなくなった。
案の定だった。影は声を止め、二人の方向へ向いた。顔のパーツなどはない。だからこそより不気味で恐ろしく感じられた。深い深い、吸い込まれると二度と出られないくらいに濃い影。
鶴一は不恰好ながらも戸から抜け、咄嗟に神崎の前に立った。できるだけ責任を果たそうと思った。
「お、お前はっ、なんだ?」
そんな質問に影は答えず、のっそりと近づいてくる。その動きのせいでもっと背筋に冷たい刺激が走っていく。
須藤にやったものは、殺意を持っていたのか、そうでないのか。背中から伝わる神崎の恐怖が自分の中で増幅され、もうどうにも良いようには考えられなくなっていた。影は人型から自在に姿を変えられて、熊にでもなれるはず。
とても大きな熊になり、鋭い爪と強靭な顎で鶴一と神崎などあっという間に、してしまう。まるで影にとっては遊びのように、してしまう。それほどまでに追いつめられている。
もうすぐそばまでやってきた。影が熊になることはなかったけれど、それでも圧倒的な恐怖が二人を襲っている。腕、らしきものが二人に向かって伸び始めた。触れられてしまえばおしまいだと思って鶴一は、後ずさりし、背中で神崎を押してしまう。
「く、くそっ!」
カバンの中から本を取出し、一冊投げつける。けれど影の身体を通り抜けてしまって、物理的な干渉を受け付けなかった。これではお手上げだ。鶴一はさらに神崎を背中で押した。
「逃げる!」
「えっ」
「今はどうにもできない!」
理解し、彼女は力を込めて引き戸を大きく開けた。出っ張っていた鍵が片方の戸をひきずり、ひどく耳障りな音を立てた。ちらりと鶴一が後ろを覗くと、神崎はすでに廊下へ出ていて、あとは彼を残すのみだ。
急いで開けてもらった隙間へ飛び込もうとしたけれど、影の手が人のレベルを超えて伸び、一気に彼を狙った。人生の終わりを意識してしまい、足がもつれて転んでしまう。避けることなど到底できそうもない距離に近づかれた。
とうとう耐えられなくなって、目を閉じる。神崎の叫びが響く。
須藤の仇を取れなかったことを悔やみ、そしてこうも恐ろしい存在に戦いを挑んだ自分の身の程の知らなさを痛感させられる。もしやるならば、一思いにと願ってやまない。
結局泉にも謝れなかった。こまとも再開できなかった。人生の終わりに向けて頭が壊れそうになるくらい働き、これまでのことを振り返らせる。
しかしいくら時間が経とうとも、彼に終わりの時は来なかった。自分が生きているという確証を得ないままに目をうっすらと開き、影の方向を見る。するとそこに、
「泉さんっ!」
泉の背中があった。長い黒髪、セーラーカラー、スカートを揺らしながら立っていた。そして少しだけ後ろに鶴一に顔を向け、落ち着かせるための微笑みを見せた。
「遅れてすまんの、もう大丈夫じゃ」
彼女が影の伸びていた手を掴んでいた。そして影が力を込めたのか、その余波が風となって教室の中を駆け抜けて埃まみれにした。制服が汚れようとも汚い空気が身体に入っていようとも、泉は握った手を離さなかった。ぐっと筋がくっきり見えていく。
「闖入者、お前がなにを考えておるかは知らんが……悲しい存在だとしても、ツルとツルの友人を驚かせ傷つけたことをこの拳で折檻せねばならんっ!」
きらきらと泉の身体が発光する。まるで彼女の周りに星空が現れたかのように煌めき輝く。隠していた力に鶴一は目を奪われ、逃げることを忘れてしまっていた。
「恩島くんっ!」
神崎が彼の腕を取った。彼女には泉の姿が見えておらず、ただ影を中心に強風が起こり、脚を止めているようにしか感じられていない。逃げるならば今のほかにない。
「ひ、がしは……ご、じゅう。にしは、ろく、じゅ……う」
「ん?」
泉が拳に力を込めている最中に、影はおまじないの続きを唱えた。それがなにを意味しているのか知っているかのように、まだ続ける。
「れい、てん、いちびょう……ごかろ、く……で、んき……」
「まやかしをっ!」
泉の星を纏った拳がさく裂した。影の顔らしきところを完全に捉え、派手に吹き飛ばした。彼女の力だろう、影は物理干渉を受けるようにされてしまって、教室の窓を突き破って外に飛んでいった。粉々になったガラスたちとひしゃげた窓枠が証拠に残る。
向こうは校庭だ。
「むっ、やり過ぎたかの!」
彼女は急いで影を窓から追いかけていった。空中浮遊ではなく、それは常識離れした跳躍だった。やはり彼女は長い間学校を守ってきただけある存在だ。鶴一は星の残光に心をときめかせた。
「か、影が飛んでいっちゃった……」
風も収まった教室で、ぺたりと神崎も腰を落として自分自身へ説明するように呟いた。
「風が起こって、次の瞬間に飛んでいっちゃった……窓を破って……」
「泉さん……」
思わず漏らしてしまっていた彼女の名前に、神崎はすぐに疑問を感じてしまう。
「なに、『せんさん』て?」
その質問で口に出してしまったことに気づき、彼は慌てて誤魔化そうとする。
「え?」
「だから『せんさん』てなに?」
「そんなこと言った?」
「言ったよ! 影がぴたりと止まった時と今の二回!」
「い、いやあ、わからんねえ。もう怖くてたまらなくて、なにを言ったのか……」
「ふーん」
すべてを信じてくれていないようだけれど、ひとまず彼女は質問しなくなった。須藤より彼女に泉の存在を知られてしまう方がもっと問題があった。夢中になりすぎて真名まで探り当ててしまうかもしれない。
「とっ、とにかく逃げよう。今の騒ぎで人が集まる。オレたちのせいにされちゃうかもしれない」
「それはまずいことになっちゃうね……札付きのワル認定されちゃうかも」
「三年間、肩身が狭くなるな……」
「そうだね……」
そういうわけで彼女の提案の元、まずはこの階層にある女子トイレの個室へと身を隠すことになった。
「ちょ、ちょっと、なんでこんなとこっ?」
「こういう所なんて誰も探りに来ないから、やり過ごすならここ」
個室で神崎と二人きりになる。それも女子トイレ。和式便所を間に挟んで立っている。
異様な物音に気づき、人が集まってくる。その足音や声が個室の中にまで届いてくる。嵐が過ぎ去ったかのような教室内に誰もが驚くことだろう。今ではもうかなり過去のものになっている、テンプレートのような校内暴力のような現場だ。夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったような。
「とにかく助かってよかった」
「あ、うん。あれだよ、きっとおまじないが効いたんだ」
「そっか、そうだ。やったもんね、わたしたち」
おだてておけばさっきのこともすぐに忘れてくれるだろうと考えていた。見事に乗ってくれて、彼女は自分のおかげだと胸を張っていた。そしてやはり鶴一はついつい彼女の胸の真相を気にしてしまうのだった。
「あの影、おまじない唱えてたよね?」
幸いにも彼女には気づかれなかった。彼女は影がやっていたことに対する疑問を口にした。
「うん。多分、あのページを開いてたんだ」
ちゃんと確かめられてはいないけれど、きっとそうであると鶴一は思っていた。神崎も同感だと頷く。
「わたしたちのおまじない、見てたのかな? それで興味を持ってやってみようって思って」
「そういうところなのかも」
「でも自分で言ってなんだけど、なんだかそういう感じじゃないようにも思えた」
「じゃない?」
「その、前からおまじないを知っていたような、そんな気がした。懐かしくなって久しぶりに唱えに来た、そんな気が」
影の心情を理解できるわけがないと、鶴一は内心呆れてしまう。やはり彼女は自分と根本的に違う頭の持ち主なのだと思ってしまう。オカルト好きの思考回路はわからないとも。
「そんなばかな。影なんだよ? 目も口もなにもなくて、まあ人型かなってくらいの影なんだよ?」
「そうだけど、でも唱えていた感じがそういう風だったから」
「気のせいじゃないの?」
「そうかなあ……そうなのかなあ……」
泉は今も影を追いかけているのだろうか、そして追い出すことに成功したのだろうか。吹き飛んでいった方向は校庭で、なるべく被害を出さないようにしているはず。もっと上手くやりようがあっただろうけれど、思わず感情を優先させたところが彼女らしい。
「その、ち、ちん……」
「闖入者」
「そう、それ。それって外から入ってきたって言っていたけど、本当にそうなのかな?」
腕を組んで神崎は自分の考えを言う。
「元々ここに住んでいたのかも。なにかの拍子で起きちゃっただけで」
「どうしてそう思うの? また気?」
「だってあれが泉ふざけを起こしているなら、この学校に詳しいってことだよ」
「真似をしてるだけじゃないの」
「わたしが調べたところによると、いつものパターンとちょっとずれた泉ふざけが最近起こっているから、それがたぶんあの影のしわざ。『いらない席』は予告の席がなかった。誰でも置けるような時間に置いておく席がなかった。『ほうきユニオンズ』は複数回に分けて増えるのに、一回だけで終わってた。でもこれ、わたしの記憶が間違いじゃなければ、少し前の方法と同じなの」
「少し前の方法?」
「そう。泉ふざけも年々変わっていっているの。あの影がやっているのは、その少し前の方法なの」
同じことを繰り返していても芸がないと思い、泉なりに色々と改良していっているのだろう。より驚かせる方法を考え続けている。その結果、今のバージョンに仕上がっている。
もしかすればちょっと変えることで、人の存在を臭わせているのかもしれない。人でないものがそういう工夫をするとあまり考えないから。本当に怨霊が住む学校という扱いになって困るのは泉自身だ。
鶴一は影の真似が下手なだけだと思っていた。けれどこの彼女の言っていることが本当ならば、確かに外部からのものというより、内部、古くからのものというように考えられた。
「それ、本当?」
「たぶん間違いないよ。お姉ちゃんが言ってた泉ふざけはこうだったもん。予告席なしの、一回だけ増えるほうき。うん、絶対そうだよ。前のやつだよ」
彼女は自分のカバンから一冊の古いノートを取出し、ぺらぺらとめくった。紙に書かれていた字も時間を感じさせる。しばらくめくり続けていると、あるページのある欄を指差しながら鶴一に見せてきた。そこには七年ほど前の西暦と今彼女の言った古い泉さわぎが記されていた。
「ね、その通りだった」
「本当だ。これはそのお姉さんの?」
「うん。えっと……」
指を折って数えていき、
「中学一年の頃だと思う。幼稚園の年長さんだから、この年。わたし六歳で、お姉ちゃんが十三歳」
「かなり離れてるんだね」
「まあね」
そんな幼い頃からそういう話を聞かされていれば、こうも育ってしまうだろう。鶴一は彼女の姉はもっとぶっ飛んでいるか、その頃のことを思い出しては悶えているかのどちらかと考える。
今年二十歳になる年だ、大人の仲間入りをすることになる。
そこで鶴一はこまのことを思い出す。彼女も確か今年で二十歳になるはずだと。着ていた制服も泉中のものだったから、間違いなく神崎の姉と同級生だ。そのつてがあれば、こまと再開することだってできるかもしれない。
美人であるのだ、振袖だってとても似合っていて周りとは違う雰囲気を醸し出せるはず。鶴一は想像し、そして実際に見たくなった。けれど恥ずかしいので、神崎にそのことは言えない。それに名前も「こま」としか知らないから、探し当てられるかわからない。
「あ、そうだ。連絡先。なにかわかったら連絡するから」
「いやあ、オレ携帯とか持ってないから、だから家の電話でいい?」
「うん、もちろん」
彼女は古いノートの隅に自分の番号を書き、そこを破って鶴一に渡した。鶴一は悪いと思って自分のノートでも同じことをしようとしたけれど、彼女がこのノートで良いと渡してきたので、そこへ記入した。
「これ、『0』と『6』、『4』と『9』がわかりづらいけど」
「えっ、そう?」
「そう」
鶴一の数字は妙な癖があり、怪しい所を一つ一つ説明することになった。テストなどでも先生から同じ指摘を受けたことがあり、いよいよちゃんと直すべきなのかもしれないと鶴一は思う。でもこれまで何度も同じことを思ってきているので、今回も直すことはないだろう。
「わかった」
怪しい所を彼女は書き加えて強調して直した。これで掛け間違いは起こらないだろうというくらいに、ぐりぐりと。あんまりにもそうするので、内心、鶴一はため息を吐く。
「話を戻すけどね。わたし、あの影が普段どこにいるかなんとなくの予想があるよ」
「えっ」
またもや進展のあることを言うもんだから、鶴一はただ驚きを隠せない。数日掛かっていた壁を、彼女は数十分で越えていく。情報というものはとても大切なのだと痛感する。鶴一は彼女のことを見直す。ただのオカルト好きから少しだけ位を上げた。
「七年くらい前の泉中には、今では使われていない建物があったの」
「ほうほう」
「あそこ。学校の裏門から横断報道で渡った所。古い塀で囲まれている所、あるでしょ」
「え? そんなのあった?」
「あるよ。まったく、全然興味ないんだね」
「いやあ、だって裏門なんて使わないし、別に学校の歴史とかに興味ないし……」
裏門はこの特殊教室棟の裏にある。そのさらに奥なのだから、正門のある教室棟の屋上からは建物が邪魔してまったく見えないようになっている。いつも校庭しか見ていないということもあるけれど、泉からもそういう話は聞かされていなかった。使われていない古い校舎、それも門の向こう側などと。
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