一の七

「事件?」

「うん、事件。だって幽霊とか妖怪とか、そういうオカルト的なことなんてあるわけないし。方法はわからないけど、まあ人が起こしてるなら事件って言うべきかと思ったわけで」

 下手に好奇心を刺激してしまうと、須藤のようなことにもなりかねない。鶴一はなるべくそういう刺激がないよう、丸く言葉を並べた。

「なに言っているの?」

「え?」

 椅子をひざの裏で押し、ずずっと鈍い引きずり音を出させてゆっくり立ち上がった。彼女の背は低いけれど、座っている鶴一は見上げる形になる。

「こんなの、人ができるわけないじゃない……」

「あの、神崎さん?」

 くっと強い眼差しで鶴一を捉え、

「人にできるわけない!」

 顔を近づけ、これまでとうって変わって重く粘っこい話し方に変わった。声も低くなっている。

 予想外の豹変に鶴一は背筋をぴんとさせ、瞬きの回数を増やした。

「泉ふざけなんだよ? 何十年もずっと続いてきた、泉ふざけなんだよ? それなのに恩島くんは人がやってるとか思うの?」

 その考えは正解、大正解だ。犯人は人ではなく、学校である泉。けれどその存在を彼女にばらすわけにはいかない。なにも言われてはいないけれど、秘密にしておくべきだと決めていた。

 こうなれば彼はまた苦し紛れに須藤のときと同じことを言った。須藤が発展させた説も混ぜて。

「ひ、人って言っても、あれだ、不思議な力を使える人たちだ」

「不思議な力ぁ?」

 少しがら悪く語尾を上げると、近づけていた顔を離し、着席した。

「ま、魔法使いみたいな……そういう人たちが実はこっそり長年泉中に代々いて、それで起こしてるんだ。そういうわけだから、人であることに違いはない。普通とは違うけど」

 地雷というものはどこに仕掛けられているかわからないから地雷なのだ。大人しそうな彼女が今現在、こうもはっきりと気が強い態度を示すとは思ってもみなかった。

 神崎きくはこういう面を持っている女の子だった。

「なかなか面白いね」

 にっこりと笑顔を見せた。先ほどまでの雰囲気は消え、元に戻っていた。それでも鶴一の緊張が解けることはない。ぴんとした姿勢が崩せない。

「は、はは、それはどうも……」

「じゃあ、その魔法使いさんが、泉中を動かしてるって思ってるの?」

「校長が言ってた、あの、ここは妙に運が良いって、そういうことかなって」

「なるほど、恩島くんて意外とそいうこと考えたりするんだね」

 ここまで考え出したのは須藤だ。鶴一はそういう反論をしたかったけれども、言えば話がこじれる。盗用を詫びながらも、助けてくれた彼に感謝する。

「神崎さんは、どう考えてるの?」

 ここで話を止めておけばよかったのに、ついつい質問返しをしてしまった。

 その質問に彼女は怪しく微笑み、返してきた。

「それは今のこと? それとも泉ふざけについてのこと?」

 魔法使い説に関する感想は、聞けば聞くほどに恥ずかしくなる。もっと上手く誤魔化せる方法はなかったものかと、遅い後悔をした。そうしてさらに遅れること、自らが話を展開してしまったことに気づく。

「泉ふざけについて」

「魔法使いじゃないけど、それに近い考えかな」

「近い?」

「不思議な存在を呼び出して、それにやらせているの」

 鶴一にはその考えが、どうしても本心のように思えなかった。揺さぶるためにあえて言っているような気がしてならなかった。彼女は笑顔を崩さない。真剣さもどこか感じられない。

「それ、魔法使いって言うんじゃないの?」

「魔法じゃないよ、召喚術」

 彼女にとっては違うものなのだろう。ほんの少しだけ語気を強めた。

「魔法使いは魔法を使って泉ふざけをしているんでしょ? その魔法使い本人が。でも召喚術は人でないものを召喚して、泉ふざけをしているの。召喚術しか使えない。ね、違う」

 結局は人が関わっているのだから、根っこはまったく同じものだとしか鶴一は思えなかった。彼女は思春期特有の空想力をこじらせている。

「ま、まるで知ってる人がいるよう……」

 そこまで言ってしまって、しまったと口をつぐんでしまう。こんな会話など、鶴一はすぐにでも止めたかった。彼女が闖入者と関わっている可能性、あの時の想像が戻ってくる。

「ふふふ」

 彼女はなにも言わなかった。それがより鶴一の心を揺さぶり、恐怖を味わわせた。

泉はふざけて神崎の胸の話をしたけれども、実は途中で話をするべきではないと変えていたとしたら。

 あの最初に見せた険しい表情が本物だとすれば。

 泉は、その人とは違う感覚で彼女がふと漂わせたにおいを嗅ぎ取ったのかもしれない。それくらいできてもおかしくない。

 しかし鶴一を巻き込みたくないと考え、咄嗟にあのようないたずらをした。

 そういうもしかしてがどんどんと湧き上がり、気持ちの悪い汗を流させた。

「や、止めよう。この話は」

 これ以上続けても気分が悪くなるだけだ。また保健室でベッドを借りることになりかねない。

「ふふ、どうして?」

 けれど彼女は逃がしてくれなかった。柔らかく幼い顔立ちが妙に恐ろしく見えた。無邪気さこそが一番恐ろしいことだってある。

「どうしてって……嫌な雰囲気の話、だからだよ」

「そう? わたしは別に、そうは思わないけどなあ」

「きゃ、キャラ変わってるよ……神崎さんてそんなキャラだっけ?」

 正気に戻ってもらおうと指摘する。

そう言われると彼女は頬杖を突き、大人びた、まるで年下をからかうかのような表情を見せた。ギャップから鶴一は色んな意味でどきりとしてしまう。

「そうだね、じゃあこれでおしまいにしようか」

 休憩ではなかったらしい。彼女は机に出されていた教科書やノートをすべてかばんへしまい、立ち上がった。

「か、帰るの?」

「うん。今日の分は終わったから」

「まだこんなに雨降っているのに?」

「大きい傘も持ってきているし、家、近いから」

 やはり彼の目の前にある彼女の胸は、泉が驚くくらいに大きいものを秘めているようには見えなかった。クラスメートの女の子たちと変わらない。それは体操服でも確かそうであったと、鶴一は考える。

「な、なに見てるの……恩島くん?」

「え? あっ、ああ、ぼうっとしちゃって……ははは」

 飛ばされた視線というものは意外にも気づくものだ。彼女は少し頬を赤く染め、胸を腕で隠して後ずさった。その雰囲気は鶴一の知る、普段通りの彼女となんら変わりなかった。

 ではどちらが本当の神崎きくなのであろうか。

 できれば普段見せているものが本当であってほしいと、鶴一は願う。

「じゃあ、また明日……」

「うん。それじゃあね」

 彼女は教室から去っていった。胸を見ていたことをうわさされるかもしれないと気づいたのは、そのあとだった。

「あっ、あの……」

 そのことについてどうしようと悩みかけた鶴一の前に、また神崎が現れた。ちょこんと教室の引き戸のはしから顔を伸ばして。

いきなりの再登場に鶴一は心臓が飛び出そうなくらいに驚き、がたりと椅子を鳴らしてしまった。

「今日の話、誰にも言わないでね。それに……これ以上知らない方が恩島くんにとってすごくいいと思う」

「それは、忠告? 警告?」

 彼女は答えなかった。意図を読ませないような瞳で鶴一を捉えて離さない。

 沈黙の時間が流れた。復習をしていた時とは違う、重く苦しい空気を伴いながら。

 前の神崎、後ろの嵐。鶴一はどう動いても自分にとって良い方向に向かえないと、胸を苦しくした。それぞれに力をくわえられ、圧縮されていく気分を味わう。

 彼は泉がもし正直に言ってくれさえすれば、こんな状況には陥らなかったと内心愚痴る。すれば気をつけて、彼女から距離を取って、こんな風に一緒に復習などしなかった。

 友達にひどいことを言っているけれど、彼はそのことに気づいていない。気づけるほどの余裕がない。けれど泉に対する愚痴や不満だけがもっと増えていった。泉を責める。

 彼はそれほどまでに追いつめられていた。茨野の時とは比べ物にならないくらいに。得体のしれないものの方が、わからない分、より恐ろしく思えられた。

 近くで雷が落ちた。教室に飛び込んできたフラッシュと、ほんの少し遅れてやってきた轟音が鶴一を襲った。彼はたまらず、悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちてしまった。

「大丈夫?」

 彼女が心配し、落ちて尻もちをついてしまった鶴一に寄ってくる。それは彼には妙にゆっくりに思えた。これからのことを考えているかのように。

 補助のために伸ばされた彼女の手を、鶴一は取れなかった。取ってしまえばひどい目に会わされてしまうと直感していた。定まりづらいピントで、彼女の白く小さくて細い指を見る。

「恩島くん、大丈夫?」

「い、言わない……」

「え?」

「誰にも……言わないよ、神崎さんのこと、誰にも言わないから……」

 一刻も早く目の前から消えて欲しかった。クラスメートだから明日もまた会うというのに、鶴一はとにかく何度も同じ言葉を繰り返した。それが追い返せる唯一の呪文だと信じた。

 彼女は何度も掛けられる言葉を無視しているかのように、鶴一の手を取った。

「うわっ」

 引っ張られると、ゆっくり鶴一は立ち上る。思っていたよりも体重を掛けたけれど、神崎はよろめくことはなかった。

 くすくすとからかうように神崎が笑った。

「ふふ、女の子みたいな声」

 普段ならば恥ずかしさを覚えるところだけれど、そういう感情は湧き上がってこなかった。彼女に取られた手を握ったり開いたりし、そこですごい量の汗がにじんでいることがわかった。

「わかった。恩島くんなら……」

 微笑みが真剣な表情になり、

「信じてるから」

 ざらりと擦れた低い声で言った。

 早く追い払うため、繰り返して鶴一は頷く。その仕草のおかげか、彼女はまた教室から去る。鶴一は本当に去ってくれたか、教室から廊下を覗く。彼女の姿はなく、確かにそれから再び現れることはなかった。

 あまりに気味が悪く、そして一人でいたくはなかった。すぐにでも家に帰り、部屋で布団をかぶっていたかった。けれど嵐はいまだ弱まらず、そしてまだどこかで神崎が待ち伏せをしているかという妄想に囚われて動けない。

「大丈夫大丈夫、そんなわけあるか。召喚術とか、そんなの全部神崎さんの妄想やぞ」

 口に出すことはとても力になってくれる。頭の中の容量がいっぱいになりそうなとき、ダムの緊急放流のように思ったことや考えたことを口に出していけば、少しは落ち着いていく。

「そうだ、泉さんだってそんな召喚術がどうとか言ってなかった。百年も生きてるんやぞ、絶対に知ってる。なのになにも言わなかった。そうそう、神崎さんは闖入者となんら関係ない」

 水位がどんどんと落ちていく。

「でも、それじゃなんでわざわざ教室なんかで復習したんだ。絶対図書室の方がいいだろ」

 掃除中での出来事を思い出す。彼女が鶴一の視線に気づき、「なにかした?」と尋ねてきたことを。

「オレが、神崎さんを疑ってるって思われて、それで釘を刺すために……いやいや、そんな、だってなにもなければそんなことする必要ないんだってっ!」

「そうだね」

 神崎の声がし、鶴一はその方向へと首を向ける。でも誰もいない。教室には彼しか残っていないのだから。

 水位はまた上がっていて、それは緊急放流を上回っていた。彼女の幻を想像してしまうくらいに。

「わたしたちの存在に勘付くなんて、恩島くん、やっちゃったね。ご褒美に、今はまだ泉ふざけくらいしかできないこの子だけど、成長したら最初の被害者にしてあげるね」

 幻だとわかっているのに、勝手に話が進んでいく。

 もうたまらなくなってしまって、鶴一は慌てて荷物をかばんにしまって教室から飛び出した。机も直さずに、そして廊下を走って学校から逃げ出そうとする。嵐に撃たれたとしても、それで死んでしまう確率は遥かに低い。

 家に戻って一眠りすれば、きっと嫌な考えはすべて吹き飛ぶ。鶴一は今日一日で多くの出来事に遭遇してしまって、頭が疲れてしまっているからだと信じる。

 階段の段数を一つ飛ばしながら下りていく。一年の教室がある四階から、急いで一階へ向かって。

 その途中、三階から二階へ下る途中の踊り場で鶴一はとある人を見、脚を止めた。須藤だ。二階の廊下から現れ、かばんを持って今まさに下校しようとしていた。

 一人で帰るよりかは二人の方が安心する。そう思い、鶴一は急いで彼の元へと駆け寄ろうとする。

 須藤は彼に気づかず、そのまま一階への階段を下りようとしていた。やはり声を掛けなければならないかと、鶴一は呼びかけようとした。

「須ど――」

 その時だった。須藤がいきなり体勢を崩し、階段から転げ落ちてしまったのは。

身体はひどい音とともに鶴一の視界から消えた。

 一瞬なにが起きたのかわからず、鶴一はゆっくりと階段を下り、二階のフロアからその下の踊り場を見る。

蛍光灯は点いていなくて薄暗い。はっきりと見えない。しかし踊り場の上の方にある小さな窓から稲光が入れば、鶴一の目にひどい光景が写った。

そこには頭から血を流していた須藤が横たわっていて、微かなうめき声をあげていた。

「須藤……」

 鶴一は力なく一段一段下り、彼のすぐそばへとたどり着いた。そして座り込み、ぽんぽんと軽く身体を叩いた。

「おい、おいって、なにやってんだ、おい。階段から落ちただけだろ、おい、まったく、驚かせたかったのか? 授業中にこんなこと調べてんじゃないぞ、なあっ」

 叩いてみても声を掛けても、彼は意識を取り戻さなかった。もっと強い刺激を与えなければならないと思い、鶴一は彼の肩を持ち、ゆすろうとして。

「やめろ! 動かすな!」

 階段から落ちた音は大きく、嵐の音を裂いて響いていた。異常事態を察した男性の先生が息を荒げながら駆けつけ、今まさに揺さぶろうとした鶴一に制止をかける。

 言われたとおりに鶴一は彼の肩から手を離し、呆然としながら先生の姿を見た。

 先生は慌てて踊り場へと足を踏み入れ、なるべく須藤を動かさないようにして様子を確かめた。そして持っていた携帯端末を取り出し、救急車を呼んだ。

「もしもし、救急車をお願いします。生徒が階段から落ちてしまって、頭から血を流して意識がなく――」

 鶴一はようやく須藤が階段から落ち、大きなケガをしてしまったことを理解した。どろりと垂れてくる血が床へと落ち、染みを作っていく。それを眺めてながら、鶴一は彼が体勢を崩した時のことを思い出す。

 彼は慌てた様子もなく、変なステップを踏んでいたわけでもなく、これまで数えきれないほど行ってきた動作をした。それなのになにかに躓いてしまったかのように体勢を崩し、受け身も取れずに落ちていった。

 視線だけを動かし、鶴一は階段の一番上の段を見た。

 そこに影があった。

 その影に目が釘付けになる。影は輪郭なく、けれどそこに存在していた。まるで笑っているかのように震えている。鶴一がぱくぱくと口を鯉のようにしていると、影はすうっと消えた。そのあと凍てつく風が鶴一の身体を通り過ぎたようになり、全身に鳥肌を立たせた。

「いいか、俺は職員室に戻ってこのことを報告しにいく。君はここで待っていてくれ、すぐに戻る」

 こくりと頷けば、先生はどたどたと階段を上り、校則を無視して廊下を走っていった。周りには鶴一と意識を取り戻さない須藤だけになった。先生に影のことを伝えらなかった。

 踊り場まで届いている嵐の雨風の音が、あの影の鳴き声であるかのように鶴一に思わせる。

須藤は誤ったわけではなく、予想外の出来事によって体勢を崩したのだ。あの影こそが、闖入者であり、そしてそれがエスカレートしてしまった結果が、結果こそが須藤の転落の原因。

「ツル!」

 泉が姿を現した。今回も読めず、一歩先を越されてしまっていた。鶴一のそばに寄り、血を流してしまっている須藤を見た。さあっと彼女の顔は血の気が引いて白くなっている。

「わしの真似だけでは、済まんかったか……」

 その彼女の言葉が、いけなかった。今の鶴一には楽観視していたように聞こえてしまった。ふつふつとまた沸き始める。

「ツル、なにか見なかったか?」

「影、影がそこにいましたよ」

「影……見たのじゃな、闖入者を」

「ええそうですよ!」

 心の底から負の感情が噴火し、それが彼女への鋭い眼光となって現れる。泉は彼のその睨みに押されてわずかに震えた。

「泉さんが……あんたがもっとしっかりやってれば、こんな事にはならんかった!」

 ひどく声を荒げ、彼女を罵倒した。泉は彼の怒りをひしひと感じ、おろおろとして落ち着きをなくす。

「わ、わしは一刻も早く対処するため……」

「散歩ついでに軽く見回ったり、授業中に人にちょっかい掛けたり、どこが!」

「違う、泉は本当に……」

「学校なんでしょ!? 生徒を守っているんだろ!? なのになんで須藤が校内の階段でこんなケガするんですか!」

 周りからすれば一人で叫んでいる異常者に見られるかもしれない。それでも今の鶴一には関係なかった。仲の良い友人が目の前で大ケガをし、流れてくる血を見ていれば、喉を壊すほどに叫びたかった。

 泉はぐっと唇を噛み、彼の言葉をかみしめていた。

「なんとか言ってくださいよ! 偉そうに学校そのものとか言っておきながら、そもそも、闖入者の侵入を許す時点で壁が弱っちいんやないんですか!?」

 恐怖と怒りが混ざりに混ざり合って凝り固まり、鶴一は判断できぬまま一方的に罵り続けた。決壊寸前の緊急放流、彼が彼自身の心を守るため、無意識のうちに行われた行動。下流がひどい洪水になろうとも、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 彼はまだ十二歳だ。


 実際、泉は鶴一に言われている通りに甘く考えてはいなかった。この事態も想定していた。だからこそすぐにでも追い出さなければならないと、消耗を無視して千里眼を休むことなく使っていた。

 彼女の眼の下にうっすらと作られているくまは、眠っていないことの証だ。久しぶりにできたと彼女は自嘲していた。千里眼は眠れば見ることができない。

 そこまでしても、闖入者の隠れ方、逃げ方は上手く、時間が掛かってしまっていた。彼女は徐々に焦りを大きくしていた。けれどそれを鶴一に見せるわけにはいかないから、いつものように振る舞っていた。

 それを主張しても良かった。でも泉はそうはしなかった。

 結果的に自分の力不足が招いた結果だ。鶴一の友人がこのように大ケガをしてしまったのは、自分自身のせいだと悔やみ、責めているからだ。もっと彼の言う通りに、やれることがあったのかもしれないと思う性格を、彼女は持っていた。

「ごめん、ごめんなさい……」

 普段の古臭い口調が解けてしまう。

「謝るひまがあるなら、とっとと捕まえるなり追い出すなり……っ! ちょっとしおらしくしたからって、オレが……っ!」

 とうとう鶴一は大きめの目いっぱいに涙をため、そしてこぼし始めた。頬を伝い、顎から床に落ち、小さな水たまりを作った。嗚咽が始まる。これ以上のひどい鳴き方を我慢するように、泉を睨み続ける。

 泉も彼の大粒の涙を見、心が引き裂かれる気持ちになった。けれどつられて泣くようなことはなかった。彼の遥か年上として、ここで崩れてしまうわけにはいかなかった。

 気を引き締め、彼女はぐっと言葉を絞り出す。

「ツル、今はこの子の手当じゃ。頭から血を流しておる、止血じゃ。布かなにかで抑えるのじゃ」

 彼に彼女の言葉は届いていなかった。動かない。

 泉は彼の肩を持ち、強く握ってはっきりと声を掛けた。

「ツルっ! わしのことは恨んでくれてもよい。が、今やれることをしろ。今手当をできるのは、お前しかおらんのじゃぞ!」

 確実に聞こえているはず。けれどやはり動かないので、彼女は軽く彼の頬を一つ叩いた。痛みと衝撃に、ようやく彼の表情が睨んだものから崩れた。

「聞こえておるな? お前の友人じゃ」

 こくりと頷く。

「ハンカチなどは持っておるか?」

 首を横に振る。普段持ってきていないらしい。用を足したあとは制服で拭いたり、自然乾燥に任せていたりするようだ。

「ならばちょっと待っておれ」

 ふっと保健室に飛ぶ。中には養護教諭はおらず、がらんとしていた。どうやら話を聞き、飛び出していったらしい。泉はガーゼがしまってある場所を知っていて、迷うことなく多めに手に取り、鶴一の待つ踊り場へと戻った。

「これで押さえてやれ。血を流していてよいことはない」

「わからないよ、せ、泉さんがやれば……」

「なにを言っておる。わしが触れられんことを知っておるじゃろう」

 ある手段を使えば泉もできた。けれど今は気をしっかりさせるためにも、友達である鶴一がやるべきだと考えていた。

「こんなに血が出てて、抑えたくらいでどうにも……場所もわからないよ!」

「そうか、まずは陥没がないかを確かめねばならんかったはず。ツル、布越しで確認じゃ」

 鶴一はガーゼを持つと、恐る恐る須藤の頭に触れた。ゆっくりと動かし、陥没がないことを確認すると、彼女に頷いた。

「よし、ならば止血じゃ。手のひらで強めに押さえろ。今ので血が多く付いた所があるじゃろ、その辺りでよい。布は多く持ってきておる、新しいのに変えてやるのじゃ」

 言われた通りに、彼は押さえ始めた。すると痛みがあったのか、須藤はわずかに唸った。

 驚いて手を離そうとしてしまう鶴一。そんな彼の手の上に泉も手を置いて手伝う形になる。

「よし、いい子じゃ。大丈夫、落ち着け、ツルの発見が早かった。大丈夫」

 校内で誰も死なせたくはない。そういう気持ちがぽろりと漏れ、自分自身をも励ました。

 そうしているとすぐに先生が帰ってきて、一緒に養護教諭もいた。

養護教諭は必死の形相で押さえている鶴一に感心しながらも、辺りに落ちていた大量のガーゼに疑問を抱いているようだった。しかしすぐにそんな今どうでもよいことを忘れ、鶴一に言葉を掛ける。

「そのまま救急車が来るまで押さえられる?」

「大丈夫です」

「無理はしなくていいからね。ナイス判断よ、物知りね」

「そんなこと、ないです……」

 泉はもう手伝い無用と判断して手を離し、近くで見守り続けた。鶴一はまだ興奮を残していたものの、しっかり意思を持って友達の手当をしている。須藤のうめき声は大きくなり、それは意識の戻りを予感させるものだった。

 学校に救急車がやって来たことを泉が察知すれば、すぐに救急隊員たちが踊り場へと現れた。鶴一はちゃんと周りが見えていて、隊員が須藤のそばに寄ったときには手を離した。

手慣れた手つきで頭に止血用の包帯を巻き、首にネックカラーを着け、担架に乗せてベルトで身体を固定した。去り際に隊員は鶴一に感謝の言葉を述べ、消えていった。

 まだ彼が大丈夫であると決まったわけではないけれど、鶴一は大きく息を吐いた。

「よくやった。これで安心じゃ」

 泉は鶴一に労いの言葉を掛けると、

「任せておけ。わしがすぐに見つけて仕置きをする」

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