一の三

 開ければまたもや倒れてきたほうきたちにもうとうとう抑えきれなくなり、騒ぎが起こる。鏑矢になったのは、開けた子の驚きと怯えに満ちた叫びだった。性別関係なく、誰もが冷静さを失ってパニックに陥る。

「出る、やっぱりここ出るんだよっ!」

 あまりの騒ぎに近くにいた生徒たちも集まってくる。そしてヒステリックにクラスの子が事情を話す。けれど言葉が飛び飛びで、すぐに理解してもらえなかった。それにありえないことだからだ。

「おばけを怒らせたんだ!」

 その隙に泉は自分が持ってきたほうきをすべて回収し、堂々と鶴一の元に戻ってきた。勝ち誇ったようにピースサインをし、けたけたと大声で笑った。

「あいつが一番よくほうきで遊んでおったからのう、上手くいったわ。これでこれからはもうちょっと大切に扱ってくれるじゃろうて」

「わざわざ見に来てるんですか?」

「そんなかったるいことをするはずなかろう。わしは学校じゃぞ? いわゆる監視カメラのようにその気になればどこでも見れるのじゃ」

 そういう単語をも知っているとは、泉は世の中に置いて行かれないようにしているようだ。学校の外に出られないからなおさらそうしているのかもしれない。

「それじゃ、テントからいたずらもすれば……」

「くう、痛い所を突くな。それはできんのじゃ。物を運んだりするのはこの身体を使わねばならん。千里眼と同じようにやれればどんなに楽か……」

 たいそうに千里眼と呼んでいるけれど、学校限定なのだから千里もあるはずがない。せいぜい見積もっても0.1里眼くらい。わかりやすさを優先していても、イメージとのずれに鶴一はばれないように心の底でくすりとする。

「まあ、変なことが敷地内で起これば、わかるしその場に行けるのじゃから、対応はできるのだ」

 一年四組の話を聞き、別のクラスの子がロッカーを開けた。するとそこは最初の通りになっていた。さらに外に出しておいたほうきもきれいさっぱり消えているので、がっかりされることになった。

 クラスの子たちが本当であることを訴えても、その現象を捉えられなかったのだから信じてもらえなかった。聞かされた別クラスの子たちもうわさを知っていたから、わくわくした気分を折られてしまって少々腹を立てていた。

 特にあの子、第一発見者の男の子が地団駄を踏んで悔しがっていた。けんかに発展してもおかしくなかったけれど、そうしてしまうともっとひどい目に会わされると考えたのか、ぐうっと歯を食いしばりながら元のクラスに帰っていく子たちを睨むだけだった。

「ううむ、騒ぎを大きくし過ぎたの。こりゃしばらくはやれんのう、しくじった」

 ぱっと消えればしばらくしてぱっと現れる。泉は持っていたほうきをすべて元の場所に戻していた。ついてくるように鶴一へ手招きし、スキップで屋上へと帰った。鶴一はきょろきょろと周りをちゃんと確かめてから、遅れて入った。

「こういう具合で長年仕掛けておるのじゃ」

 テントから少し離れ、金網のそばの校庭を見下ろせる場所に古い長ベンチがあった。折り畳める、学校行事に使うものだ。彼女はセーラー服でスカートなのに、それを気にしないように股を開き気味に座った。ぽんぽんと隣の席を叩かれたので、そこに鶴一は腰を落とす。

 校庭では運動部が活動を始めていた。野球にソフトテニスの様子が見えた。泉中は特に校外に知られているような部はない。

泉は練習の様子を眺めていた。あまり活躍できていないことに憤りを感じたりはせず、むしろ微笑んで見守っていた。たまに「気をつけるんじゃぞー」と透った声を出す。

「大きなケガなどがないことが一番。上手くなることも大切じゃろうが、無理な練習でケガをしてきた子を何人も見てきておる。それで好きなことを諦めることになったり、これからの人生に影響が出たりするのは悲しい」

 実際に何度も見てきた光景なのだろう。昔は彼女も勝利至上主義だったのかもしれないけれど、考え方が変わっていったのだ。練習を見守る視線はとても優しく、母校と呼ぶにふさわしい。

「ツルはどこかの部を考えておるのか?」

「鶴一です。部活はやらないですよ、たぶん」

「そりゃまたどうして?」

「面倒だし、興味を引くものがないです」

 ぽりぽりと頭をかき、彼女は唸った。

「うーん、不思議じゃのう」

 なにか説教が始まる気がして、鶴一は身構えた。けれどその読みは外れた。

「お前のような子がわしを見られるのは、これまでになかったことなのじゃ。全員好奇心旺盛で、見えないものを信じておった。信心深いと言えば聞こえは良いが、変わっておる者ばかりで」

 これまで出会ってきた人たちを思い出している。どういう風に付き合っていたのだろうか。彼女は変わり者と表現したけれど、悪く言ってはいなかった。数少ないであろう友人たちに思いをはせている。

 だからこそ比べて鶴一がこれまでと違った存在であることに疑問を抱いている。

「いわゆる、見えないものが見えたという経験は?」

 幽霊であるとか、妖怪であるとか、そういうこの世のものではないもののことだ。彼女自身も自分がそういう存在であるとわかっているようだ。ただ小さいカテゴリーとして同じにはして欲しくないと目で訴えている。

「ないです、見たくもないです」

「そんなに拒まんでも。怖いのか?」

「そんなことないです」

 間髪入れずに否定したこと、教室や保健室での彼の怯えかたから彼女は「ほほう」と呟きあごをさすった。彼女の中ではもう答えが決まっていた。あまりばかにされたくないので、色々と言葉を加えていく鶴一だったが、どれもこれも効果はなかった。

「よくわかった。がゆえに、やはりこれまでの者とは違うのう。長く生きていると、傾向が変わることもあるものか。ここの敷地も変わるように」

 きいんと金属バットの軽快な音がした。泉は耳を傾け、音色を楽しんでいた。どうやら野球が一番の好みらしい。視線の先も野球部の練習風景が一番多かった。テントの中のテレビやノートPCでも観戦しているのかもしれない。

 鶴一は野球に興味はなく、どちらがどのリーグに所属しているかなど、かなりあやふやなところがある。基本的なルールくらいなら、遊びでやったことがあるからわかるけれども。

「あ、そうじゃ。茶でも飲むか?」

 立ち上がって彼女は勧めてくる。茶葉も学校のどこかから手に入れたものだ。カップ麺は空腹とそれを突く香りに負けてしまって食べてしまったけれど、できればあまり口にしたくなかった。

 喉が渇いていなければ。

「あ、はい。手伝いますよ」

「友人にやらせるわけにはいかん。しかし一度抵抗がなくなればたやすいのう、ひひひ」

 彼女が座らせたままにしたので、そのまま待つことに。そう間もなく泉は湯呑みを持ってきて、中に緑茶が注がれていた。鶴一は少し息を吹きかけて飲んだけれど、泉は何度も吹きかけ続けていた。猫舌のようだ。

「緑茶で良かったかの? このくらいの年代になってくるとコーヒーとかが良かったかの?」

 とんでもない話だった。鶴一は砂糖を入れたとしてもコーヒーが嫌いだった。コーヒー牛乳ですらだめだ。やはり苦さ、そして香りも不快に感じられた。出されてどうしても飲まなければならないときは、凄まじく甘くすればなんとか飲めた。

「美味しいです、緑茶で」

 コーヒーが飲めないとなるとからかわれるような気がして、彼はそれだけにとどめた。

「良かった。わしはコーヒーがどうも飲めなくての。テントにも常備しておらんのじゃ。取りに行くにしても、今の時間は先生も多いからのう、いきなり消えるのはさすがに」

 彼と同じだった。コーヒーは年齢と共に飲めるという話があるけれど、彼女はそんなことがなく苦手だった。

「実は、オレも飲めないです」

「おおなんじゃ、そうなのか。もう苦くて苦くてのう、それになんか臭くないか? 焦げたような、身体に悪そうな臭いを発していて嫌じゃ」

「そうです、そうなんですよ。とても飲めたもんじゃないですよ」

 初めてお互い意気投合した瞬間だった。鶴一はこんなことで彼女を限りなく人に近い存在であると認識をし、安心した。もっと簡単に言えば、これまでの友達と変わらない感情を抱けるようになった。

「ブラックとか飲んでるやつもおるが、あれは絶対にやせ我慢しとる。大人であると見せかけているだけじゃ」

「そうですそうです。そんなやつ知ってますけど、味なんかわかってませんて。はったりをかましたいだけなんですよ。一歩先に行っているとか思わせたいだけで」

「実に良い感性をしておる。ん、もしかしてツルは関西の出身なのか?」

 彼のところどころあるここの言葉とは変わったイントネーションや言葉遣いから、彼女は訊いた。少し照れながら彼は答えた。

「小さい頃に住んでいて、たまに出ちゃうんですよ」

「ほうそうか。生で聞くのは初めてじゃ。ここで住み始めたのはいつくらいだ?」

「小学校の二年でした」

「そうすると五年前か。一、二、三、四、五……か。なかなか最初は慣れんかったじゃろ?」

 見知らぬ土地に見知らぬ人たち。不安でどうしようもなかった感覚が蘇る。小学校へ行くまでの道を覚えるのに時間が掛かり、クラスに溶け込もうと彼なりに頑張った。

 それでもよそ者ということで、鶴一に冷たい当たりをしてくる子もいた。

 いじめられているとまでは行かなかったけれど、それでも彼は悲しくて嫌な思いをした。修正できない訛りへ怒りをぶつけたこともあった。元の住み慣れた土地へと戻りたいと願うこともあった(両親には言っていない。どうしようもないと知っていた)。

 でも、新しい出会いがあった。忘れられない出会い。

「こらっ。なにやってんの」

 その日も近所の子たちにからかわれていると、一人の年上の女の子が割って入って助けてくれたのだ。女の子だけれど小学生ではなかったから、からかっていた子たちにとって大人と同じように見えた。だからあっさりと退散した。

 その印象は鶴一も抱いた。遥か遠い存在のように感じられた。

 そこから彼と彼女は知り合いになった。名前もちゃんと覚えている。こま。彼女はこまといった。幼いながらに鶴一はこまをとても美人と思いどきりとし、その名前も可愛らしくて似合っていると褒めていた。心の中で。

 彼女は友達もいたようだけれど、たまに鶴一を心配してか、わざわざ話をしに来てくれた。近くの公園が場所になっていた。鶴一は自分から自分の話やこまのことを訊かなかったので、いつも彼女の質問に答えたり、彼女自身の話を聞いたりするだけになった。

 それでも回数を重ねる度、鶴一も心を許して積極的に話をするようになった。

「オレ、帰りたい……」

「えっ。ああ、そうだよね。あたしみたいな年上と話すの疲れるだろうし」

 ぽりぽりと苦笑しながら頬をかいていた。

「ちゃうよ。こまちゃんと喋るの好き。帰りたいのは、前住んでたとこ」

 自分の早とちりに恥ずかしさも加わり、彼女は鶴一と目を合わせられなくなった。そうして、

「やっぱり、住み慣れた所のほうがいいもんね。あたしもいきなり別の所で住むことになったら帰りたいって思うだろうなあ」

「言葉変わらへんし、みんな笑うし」

 ようやく落ち着いた彼女は、うつむいた彼に言う。

「あたし、その言葉好きだけどなあ。この辺りじゃすぐにツルくんだってわかるし、それに今はみんなにそう言われてても、いつか憧れる子が出てくるかも」

「絶対ないよ。今だってからかうためにまねしてるの、わかるもん。あとツルはやめて」

 彼女はぽりぽりと頭をかき、経験の中の例を一つ挙げた。

「ああ、ごめんごめん。まあ、小さい頃ってねえ、とにかく違うものをからかいたくなるの。あたしの知ってる中だとねえ、恋、だね。誰々ちゃんや誰々くんが好きってやつ」

「こまちゃん、好きな人いるの?」

 すこし強めに言えば、手を軽く振って笑いながら否定した。夕日に照らされたその表情にうそはどこにもないように思われた。

「そんなばかな。子供みたいなやつらばっかだし」

 目の前の子も間違いなく子供であることに気づき、慌てて彼女は頭を撫でた。抵抗の意志を見せるため、鶴一は頬を膨らませた。けれど乗せられた手を振り払うことはしなかった。彼女の手の感覚はとても心地よかった。

「話は戻してね。そういう誰々が好きとかってね、ちょうどツルくんくらいの男の子とかが恰好の的にしちゃうの。からかいの。『あいつは誰々が好きだー』とか言っちゃってね、騒ぐの。でね、そういう子があたしの周りにもいて今、中学校も同じなんだけど、どうなってると思う?」

 首を横に振り、続きを促す。彼女はもうすでにおかしさに耐えられないようで、ぷぷっと息を漏らしていた。

「それがねえ、カノジョ作ろうと必死なの。恋は素敵なものだとか言っちゃってね、サカリ……じゃなくて、恋に生きてるんだって。あんなに恋を笑っていた子がだよ? もうそれがおかしくっておかしくって。それに、きっと笑っていたことなんて忘れちゃってる」

 もうたまらなくなってお腹を抱えだす。鶴一もつられてしまい、くすくすと笑った。彼女自身、からかわれたことがあるのかもしれない。だからこそここまで笑い声を爆発させられる。

「そういう感じ。いつかツルくんの言葉を素敵だと思うようになるって。もしくは気にしなくなる。そういうもんだから、あたしはそこまで気にしなくていいと思うなあ。またからかわれても、お姉ちゃんが話を聞くから。これまでみたいに」

 それからもその言葉の通り、彼と彼女は言葉を交わし続けた。なにかあれば鶴一は彼女にも報告するようになった。学校での出来事、テストの点数、家でのこと。色んなことを話し、いつも彼女はにこやかに聞いてくれた。

 一年にわたる付き合いだったけれど、それは彼女が高校生になってしばらくし、終わった。ある日突然彼女は公園に来なくなった。そうして現在まで再会したことはない。

 最初はとても寂しさを感じ、彼女に対して怒りを覚えたこともあったけれど、仕方がないこととして考えるようになった。こまにも、こまの生活がある。高校生になって忙しくなってしまったのだろう。もしかすれば恋人ができたのかもしれない。

 泉と話していて、久しぶりに思い出した名前だった。

「なんやかんやで適応力あるんです、オレ」

「それはそうかもしれんな。なんだかんだでわしのことを認めよったし」

「あんなことされたらそうせざるを得ないじゃないですか」

「そのためにしたからの」

 もう鶴一の湯呑みの中の茶の残りは少なくなっていた。まだ湯気が十分に出ているのに、舌をやけどした感覚はなかった。隣の泉はいまだに息をふうふうさせ、熱さと戦っていた。

「まったく、熱いの」

「自分で淹れたんじゃないですか」

「それでも熱いものは熱いのじゃ」

 春の屋上は肌寒い。陽が暖かく照らしてくれていても、たまに吹く風が一瞬だけ温もりを飛ばす。学ランを着ていても、痩せているからか鶴一はなおさらに感じた。茶を飲み干す。胃から熱が全身に伝わっていくようだった。

「そういえば、泉さん。泉って本名じゃないとか言ってませんでした?」

「ほう、わしのことを訊いてくるとは。それなりに親しく思ってくれているようじゃの」

 コーヒー談義のおかげだ。悲しいことに、嫌いなものが同じであるほうが親しみは増す。

「そうじゃ、言った通り。泉は最初の友人がつけてくれたものじゃ。創立して間もない頃じゃったかの。だからもっと幼い子じゃった」

 生きていたとしても九十歳を超えている、かなりの老齢だ。いくら近頃の日本の平均寿命が延びたからといって、そう易々と超えられる年齢ではない。そう考えれば泉は人間視点で長生きで、年齢を感じさせない元気さだ。大きなずれがあるのは当然だけれど、鶴一は改めてすごい存在と会話していると思った。

「本名がないんですか?」

「あるぞ。ただ簡単には教えられん名なのじゃ。いわゆる諱(いみな)じゃの」

「い、いみな?」

「知らんのも無理はないの。そういうのはもうあまりないから。簡単に言うと、あまり口に出してはならん名前のことじゃ。そうじゃのう、坂本龍馬くらい知っておるか? ちょっと前に大河ドラマやっておったじゃろう。福山雅治で」

 それくらいならば鶴一も知っている。授業でも出てくる有名人だ。詳しくどういう事をしたのかという点で言えば、あまり知らないけれど。

「龍馬というのは仮名(けみょう)、通称で本当の名ではない。諱は直柔(なおなり)、これが本当の名じゃ。そういうものがわしにもあるのだ。本当の名、真名(まな)は力を持っておる。わしのは特に」

 冷ました茶を一口すする。それでもまだ少し熱かったらしい。舌を出して風に当てながら続きを言う。そんなのだから、微妙に聞きづらい舌足らずのような言葉になる。

「わしがここの敷地から出られんというのは言ったかの?」

 覚えがある。頷いて返す。

「あれはの、真名を誰にも知られないようここに隠し留めておるからなのじゃ。しかし誰にも知られておらぬからゆえ、かなりの力を行使することができる。爆弾を打ち返したり、地震でも壊滅的な被害を受けなかったり、生徒が暴れなかったりと、泉中が荒まなかったのはこれのおかげと言える。妙に荒れている学校があろう? あれはそこにいたわしと同じ存在が真名をないがしろにしたからじゃ。外に出たいがために」

 身勝手な行動に彼女は憤りを隠さなかった。生まれた土地に恩を返すことなく、自由に動きたいがために名を捨てたのだ。これが彼女には許せなかった。百年近く守り続けてきた誇りがある。

 それを聞き、鶴一はいたずらくらいは許されても良いとちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思った。彼女は泉中のためにずっと頑張り続けてきている。趣味は悪いけれど、息抜きとしているならば簡単に止められないと。

「そういうわけでツルにも教えてやれんのじゃ。すまんの、わしは鶴一という名を知ってしまっているが、お返しはできん」

 大切なものであることはよくわかった。それに知らなくても問題はない。だから鶴一は探ろうという気持ちが湧かなかった。元々適当な会話のために出したものでもある。彼にとって言ってしまえばどうでも良いことだ。彼女は泉、それで良い。

「あ、まさかオレのことを鶴一って呼ばないのも……」

 泉の表情がふっと感心するように和らげたけれど、

「それは単に呼びやすいからじゃ」

 ずるりとベンチから鶴一の身体が滑り落ちた。すると彼女が拍手をしながら、

「おお、素晴らしい反応じゃ。さすが関西の血」

「関西は関係ないですっ。もうやっぱりツルから変えてくださいよ」

 ぐっと小さな拳を彼女は握り、強く言い切った。

「絶対に変えん!」

「オレは変えて欲しいって言ってるんですよ」

「嫌じゃ、絶対に嫌じゃ。もうわしの口はツルと呼ぶようにできてしまったのじゃー!」

 喚き散らす様は幼さを感じさせる。もしかすれば長く生きているけれど、人とずれがあるがために精神年齢もまだまだ幼いのかもしれない。神様のようなものだろうから、その命も信じられないくらい長いはず。すると生まれて百年近くというのはたいしたことがない。

「もう百年くらい生きてるんでしょ! それくらい聞き分けてくださいよ!」

「関係ないのじゃ! そもそも女子に年齢のことを言うものではなかろう!」

「学校に性別とかあるんですか!?」

 彼女が立ち上がってスカートひらりと一回転する。すらりとしたきれいな脚に胸もある。どこからどう見ても女の子だ。それも誰もが可愛らしいと思えるくらいに。しかし鶴一は彼女を知ってしまっているから、喋らなければと断りを入れたい。

「あるに決まっておろう。母校と言うではないか!」

「そんな理由なんですか!?」

「そんな理由と言われても、生まれた時からこうなのじゃから仕方がなかろう!」

「ええー、なんか適当なんですねそこ。じゃあ、さっき言っていた別の学校の泉さんみたいな存在も全員女なんですか?」

 こほんと咳払いし、

「そうであろう」

 妙に濁した感じであるのは、彼女がここから出られないからだ。

「実際に学校にまだいるものは見たことないが、外に出た者たちは全員女じゃったぞ」

「来たりするんですか?」

「うむ。あやつら、断りもなく入ってきよる。かなり力を失くしているとはいえ、わしと同じ存在であるからの。まったく、菓子折りくらいは持ってだな……」

 うんざりするようにため息を吐いていた。生徒や職員が知らないだけで、外から不審者がよく入ってきているということだ。見えない不審者が堂々と門をくぐってくる。

「もしかして、悪さをしたりするんですか?」

「滅多におらんよ。ただ、相手が面倒なだけじゃ。あやつら、外の世界に出てしまったためか知らんが、俗にまみれておる」

 唾しているけれど、それは泉も同じなのではと思う鶴一。テントの中にある文明の利器に囲まれた生活が証拠だ。それにいたずらを仕掛けたり、色んなものを拝借したり、子供のように喚いたり。それを指摘すると大変面倒なことになることがわかりきっているから、彼は流すことにした。

「まあ、次来ることがあったら助けてくれ。わし一人では辛いのじゃ」

 信じられない発言だった。彼女にすらそう言われてしまうとは、かなり無茶苦茶な存在らしい。鶴一は想像するけれど、彼女を超えてしまうという点で、すごく恐ろしくなってすぐに止めた。呼ばれたとしてもできるだけ会わない方法を今から考えるべきだとした。

「い、嫌です」

「なんでじゃあー。そんなこと言わんでくれえー」

「泉さんにそうも言わせる人の相手なんてできませんて!」

「怨霊でも悪霊でもないぞ、食べられたりもせんぞ。それにみなきれいな女子じゃぞ。ほら、男子中学生じゃし、興味あるであろう。向こうだってそういう趣味のやつだっておるだろうし」

 全員きれいな女の人。鶴一はそこにぴくりと反応してしまったけれど、そのあとに続いた言葉が良くなかった。なにをされるかわかったものではない。煩悩をぶんぶんと彼方へ飛ばす。

「学校が生徒に不純異性交遊勧めてどうするんですか!」

「お願いじゃあー助けてくれえー。約束じゃ、今ここでやつらが来たときに来てくれると約束してくれえー」

 これまでの事を思い出してしまって、彼女はひどく情けない顔をしていた。それにうっすら涙を浮かべている。ここで彼は学校も涙することができるのだと、状況にそぐわず感心した。

「学校は学校同士でなんとかしてくださいっ」

「そんなご無体なー」

 いつの間にか立場が逆転してしまっている。まさか神様のような存在から下位の者の言葉遣いをされるとは思ってもみなかったので、心の底でちょっとした優越感に浸る。そして浮かぶ企み。

「じゃあ、そんなに言うなら……」

「ほ、本当か?」

「泉さん、友達ですしね。友達が困っているときは助けてあげなさいって、ありますし」

「実に良い心がけじゃ。そうじゃ、わしとツルは友達じゃ。わしもお前が困ったときは気合を入れて頑張るぞ」

 雲の隙間から差す輝きを見つけたような瞳で、鶴一の手を握ろうとしている。彼より年上の顔立ちなのに、その時はとても小さい子のようだった。注がれる眼差しはとても澄んでいて混じり気がない。

 鶴一も彼女の手を、

「でも嫌です」

 握ることはせずにぱっと手を遠ざけた。そして彼女を真似てけたけたと笑ってみせた。

 頭の片隅にもなかった展開に、彼女は間抜け面をしばらく続けた。ぽかんと口を開け、まばたきもせず、視線がどこにも合っていない。それがよりおかしくて、鶴一は気持ちを抑えられなかった。

「いたずらです! ははははっ、いやあこれ、こういうの一回やってみたかったんですよー! 上げて落とすって言うやつですかね! ははははっ!」

 段々と飲み込めてきて、泉が身体を震わせた。事の重大さに気づかない鶴一はまだ大声で笑い続けていて、それはもう久しぶりに腹が痛くなるくらいだった。

いたずら常習犯にいたずらで返す。流すと心の中で決めていたものの、あの机の件をこれで少しはやり返せたと万歳する。あと諸々も。彼は年相応のやんちゃさを持っていた。

好奇心に薄いところがあるけれど、いたって普通の(泉が見えてるけれど)男の子なのだ。

「ふっ、ふふ……」

 完全に俯いて長めの前髪で表情を隠す。そして不気味な声を漏らす。異様な雰囲気に能天気していた鶴一も気づき、ぴたりとようやく馬鹿笑いを止めた。

「よくも謀ってくれたのう……」

 ベンチから腰を上げ、少しばかり彼女から距離を取る。一緒に持ってきてしまった湯呑みはささっとベンチの上に戻す。じりじりと靴を地面に擦らせながら泉が近づいてくる。

「じょ、冗談です、いたずらですから。ね、いたずら、泉さんがやってるようにいたずらいたずら……」

 暗雲立ち込める。さっきまであんなに屋上を照らしていた陽が分厚い雲に遮られてしまっていて、それは街中ではなく、泉中の敷地の上だけに現れていた。こんなピンポイントな雲がいきなり現れるわけがない。泉が呼び寄せたのだ。

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