第2章 しねしねショパン 

 私の家の冷蔵庫には、姉と私の七五三の写真が貼ってある。姉の杏奈が七歳、私が一つ下だから六歳なのに、姉と同じように晴れ着を着せてもらっている。並んでいる二人の背は、多少彼女の方が高い。私は、クラスのなかで割と背の順が後ろの方だったけど、この時はまだ彼女よりも低かった。そういう自然な光景が写った、最後の記念写真ではないかと思う。

 いつからそこに貼られていたのかは分からないけど、あれ、と見つけた時のことは妙に鮮明に覚えている。私が中学三年の頃だと思う。夜中に歯を磨きに一階の台所に降りて、それが貼ってあるのを見つけたのだ。台所の照明に照らされて、菜の花のような明るい黄色の着物を着て、千歳飴の袋を持って澄ましている彼女の姿が、ふいに鮮やかに見えた。

(こんな懐かしい写真、どっから出したんだろ)

 一体誰が出して来たのか、誰がこんなところに貼りつけたのか。それは今、「誰がこの頃を懐かしんでいるんだろう」という問題でもあった。パパは単身赴任でずっと福岡にいる。そしてパパの記憶にある杏奈が、ちょうど七歳ぐらいの姿である可能性はある。でもたまにしか戻らないし、この家の物を動かすとも思えない。また父方、母方の祖父母も一緒に暮らしてはいない。

 杏奈自身? ふとそう思った。彼女はまるでお人形のように整った顔立ちの、言わゆる美少女だ。ずっと家族と離れているパパに対して、ママは入学式や卒業式、その他行事ごとに、家族の記念写真を撮って送ることを忘れなかった。その度に、杏奈はカメラマンの人には「モデルさんですか」と言われたものだ。彼女自身、自分の顔が可愛いことには自覚的であり、よく手鏡に写して表情を作ったり、写りがいい写真は携帯に入れて持ち歩いたり取り出しては眺めたりしていた。

(杏奈が七五三の写真、今さら貼ったのかな)

 そう思って写真に触れた時、無理だなとすぐ思った。歯を磨いて立っている私が、自分の目線より高い位置に見るそれを、杏奈が自分で貼れるわけがなかった。私は口のなかの泡をそこでぺっと出して、

(ママが、寂しくなったんだな)

 と直感的に思い、結論した。その後も確かめられず、七五三の写真は二つのマグネットで留められたまま、空き家のカレンダーみたいに誰にも剥がされずにそこにある。


 杏奈は小さい時から勝ち気で、何かとぼんやりしがちな私と違い、何でも自分で決められる女の子だった。幼稚園の時から服装にも拘りがあり、着ていく服や髪型が気に入らないとママと喧嘩していた。

 私は彼女たちが喧嘩している間に、何でも与えられた物を着て、髪も梳かさずに朝のアニメを見ていた。私の髪がずっと短いのも「杏奈の髪を注文通りに結うのに時間がかかるから」とママが言っていたけど、実際にそういう理由だったんじゃないかと思う。杏奈は生まれた時から「なりたい女の子」のイメージを自分で持ち、ママだって何だって当たり前のように動員していた。

 そして妹である私には暴君だった。ママに自分の服を整えさせ、髪を注文通りに結ばせ、喧嘩しつつも召使のように扱っていた彼女は、一つ下の私など多分犬とか猫程度にしか考えていなかった。家来のように呼ばれたし、荷物もよく持たされた。自分に都合よく、時には何の意味すらなく嘘を吐かれるのも日常茶飯事で、「ママに言いつけたら許さないから」とも幼稚園の頃からさんざん言われた。

 私はよく反発したけれど、幼稚園の同じクラスの子たちは男の子も女の子も、この整った顔の杏奈に命令されると、母親に命令されたみたいに恐れてよく従っていた。私の記憶にある最も古い杏奈は既に、彼女のいる世界で鞭を持つ小さな女王様だった。

 いつも君臨してきた杏奈が、一度戦ってみて完敗した相手が自然、ていうか彼女自身の身体だった。

 杏奈が幼稚園の年長さん、私が年中さんの頃に、その事件は起こった。ある時、私は杏奈が熱を出して寝ている枕元にいた。杏奈は元々病弱で、風邪を引くのもしょっちゅうだった。その度に彼女は「もうしぬ」と不治の病のように言い、私は「しなないで」と言って泣いた。

 それを言っていた私たちは、互いに本気だったわけではなかった。ただ、死という概念を持ち出し、遊びのなかで触れること自体は日常的な光景だった。何しろ朝のアニメで敵が死ぬ。蝶々は強く握ったら死ぬ。蟻の巣穴を大掃除してあげようと、ホースで水を注いだらみんな死んでしまった。そんなこと、別にことさらに特別でもなく起こったことだ。私たちにとって「しぬ」とは、遊びのなかでふと来る突き当りで、単に「じゃあ次そっちが鬼ね」と入れ替わる前のハイタッチみたいなものだった。

 だから、杏奈は本当に死ぬと思っていたわけではなく、カードゲームで強い札を出した時のように、遊びのなかで私を震え上がらせたかっただけだろう。私も怖がりながら、それは遊びのなかで負ける程度の遊戯的な恐れだった。

 でも、この時は杏奈の脅し方は、いつもと様子が違っていた。

「ねえ知ってる、薫子」と彼女は言った。「しゃっくりって百回やると死ぬんだって」

「嘘だあ」

「本当だよ、ひっく。幼稚園でさやかちゃんが言ってたもん。ひっく。しゃっくりって百回やると死ぬんだって、ひっく」

 私は怯えながら、杏奈に命じられて彼女のしゃっくりを数えた。どんどん数が大きくなり百に近づくにつれて怯えの募る私の顔を、杏奈は熱のある顔で嬉し気に眺めていた。

「四十三、よんじゅうし……」

 私は途中で、別のことに気がついた。このまま数えていくと、そのうち百を超えてしまう。しかしもし百を超えたら――私は「自分がそれ以上大きい数を知らなくて数えられない」ということを、杏奈の命より先に考えてしまった。

「六十八、六十九、」

 私は怯えつつ、助けを求めて、目を閉じてしゃっくりをしている杏奈を見た。後から聞いた話では、杏奈は、私の声の様子が五十を過ぎた辺りからおかしいのに気づいていたらしかった。そして彼女はそれを、私が彼女が死んでしまうことを怖がっていると信じていた。

 実際には、私は百より先の数が来るのが恐ろしく、いっそのこと杏奈が百回で息絶え、何も言わなくなれば「杏奈に命じられたことを出来ずに叱られずに済む」と安堵したかもしれなかった。私はまるで木登りをしている時のように、自分が降りられない枝に到達するのが怖く、また降りられないことを杏奈に「のろま、弱虫」と言って叱られるのが怖かった。

「きゅうじゅうきゅう、……」

 百、と言った後、私は沈黙した。その次の数は何というのか、私は教わったことがなく、分からなかった。

 笑いを堪えつつ、布団のなかで目を閉じていた杏奈は、私が絶句しているのを感じ、自分が死んだと思って怯えていると思い込んだらしかった。杏奈はしばらく息を殺して数秒後、わっと勢いをつけて跳ね起きた。

「うっそでしたー、死んでないよー、ひっく」

 私は杏奈の、禁じられた百一度目のしゃっくりを聴いて悲鳴を上げた。私の混乱ぶりを見て、やりすぎたと思ったらしい彼女は、告げ口を恐れて私を宥めようとした。私は杏奈に向かって「しんじゃったかと思った」とでも言えばいいものを、混乱と恐れの余りに耳を塞いで彼女を睨みながら、

「百の次って、何て数えたらいいのか分からないから、もうしゃっくりしないで」

 と咄嗟に言ってしまった。

 杏奈は私が、自分の死よりも、単純に己の知らない世界の縁を怖がるのを見て、どんな反抗よりも生意気だと感じて腹を立てたらしかった。

 そして、私を漠然とした未知の世界、百より大きな数字という幻から奪い返すため、絶対に自分から目を離せないように――自分自身の命を本当に縮めてしまった。

 実際には、杏奈はその後も生きている。見た目はお人形さんのまま、全然、何も変わらずに。

 熱が引いた後で、起きられるようになった彼女に、私が「もう治ったの」と尋ねたら、杏奈はやけに芝居がかった声で首を横に振った。

「治らないよ、もうずっと、一生」

「なんで」

 杏奈はいつもの通り落ち着いて、私を弄ぶような台詞を言った。

「薫子のせいだよ、薫子が百数えたりしたから。しゃっくり百回したら死ぬって言ったでしょ。それでお姉ちゃん、もう人間ではなくなってしまったの。死なないけれど、今こうしてここにいるのは、天使になった私なの。ほら、お姉ちゃんの手、冷たいでしょ、触ってごらん」

 私はいつもより少し冷たく感じる、姉の手を握って泣いてしまった。その微かな体温の低さは私の過失らしかった。実際にはそれは、いつもと変わらない冷たさであったのだけれど。

 天使になったという杏奈は、見た目には特に何も変わらないように見えた。私は内心、またお姉ちゃんが私を騙しているんじゃないかとも思ったけれど、自分自身の過失を暴かれるのが怖くて疑いすら口に出来ずにいた。

 一方の杏奈は、私をそんな嘘でねじ伏せたことなど忘れたようにけろりとして生活していた。彼女はまた私どころではなかったのだ。翌年の春には小学校に上がるというので、ママたちは楽しそうに杏奈の寸法を計り、ランドセルを見に行ったり、洋服を買いに出かけたりするのに多忙になった。杏奈はママやおばちゃんが彼女の寸法を計った後、投げ捨ててしまうメジャーを、新体操のリボンのように身体に巻きつけたりしてよく遊んでいた。

 杏奈の寸法が、数か月経っても全然変わらないことに気がついたのはママだった。

 それから、生活のなかで物音がし始めた。幼稚園のお迎えが急に親戚のおばちゃんになったり、パパと二人で夕飯を食べたりした。ふいに、杏奈とママ抜きで生活する時間が増えた。

 私は何が起こっているのかは分からなかった。ただ、家族でないおばちゃんや、あまり家に戻らないパパが、私にこの雰囲気が影響することを恐れているらしいことは感じられて、私はむやみに明るく振る舞ったりした。

 最も当事者らしく見えるママには、子供心に何も訊けなかった。「何が起こっているの?」などと訊いても、何の解決にもならないということは、五歳でも何となく分かった。

 もし誰かに質問して、本当に答えてもらえるとしたら、私は「これから何が起こるの?」と尋ねたい。でも、大概の辛いことは、百数える準備も出来ないうちに、他人のしゃっくりほどに仕方なく起こり、困惑しているうちに事態が完成してしまうように私には思える。

 ある時、ママは杏奈のランドセルを抱えたまま、寝室の奥で蹲っていた。私が入ると、ママは一瞬、杏奈かと思って緊張したらしい表情をして、私だと分かると何かがほどけるような笑みを浮かべた。

「薫子、こっちおいで」

 私は何だか、杏奈への裏切りになるような気がしながらママの腕にきつく抱かれた。

「これね、アジャスターって言うの。ここんとこの目盛りを動かすとね、ここの肩のところが緩くなる」

 ランドセルの縫い目や金具を見せながら、ママはまだ必要のないはずの私の腕を摑んで、幼稚園のスモックに着替えさせる時のようにちょっと無理やりに負わせた。

「ちょっとまだ大きいね。でもあんたはすぐ大きくなるわよ。お姉ちゃんの次に、一年生さんになったらピッタリするかな? それにもっと大きくなっても、ここのベルト調整してあげるから、六年生までずっと使うんだからね、大切に使わないとだめよ」

 ママはランドセルごと私を抱きしめた。頬や耳が熱く濡れるのを感じて、私はママが涙を流しているんだと理解した。ママは私を何度か抱き直した。いつもと違う事態に対する恐ろしさで硬直している私を持て余したのじゃなく、私の身体がどのようであるかを念入りに探る手つきだったと思う。本当はランドセルを背負って抱かれていなくてはいけないのは杏奈のはずだったが、ママはその時、杏奈という自然を手にするのが怖くて、私を代わりに抱いていた。私が杏奈とは違う自然であることを、多分だけれど強く祈りながら。

 杏奈の寸法は止まったまま、一生変わらないということが判明した。原因は不明だけれど、そういう病気があるのだとママに説明された。全身の骨や肉が変化をするのを止めてしまうらしい。この先もずっと六歳の身長と体重のままだということを、ママは病院で聞かされて、随分かかって呑み込んだ。

 ずっと一年生になるのだ、お姉さんになるのだ、お前は進化するんだと言われてきた杏奈は、急にブレーキを踏まれた、車輪が動かなくなった、誰も自分の寸法を計らなくなった、見えない何かの手によって自分が遮られたということが理解できないらしかった。ママが時折不条理さを感じて不安定になったり、私がママや杏奈の表情を伺ったりするのを、彼女は全く気に入らずにむしろ怒っていた。

 幼稚園児としての杏奈はお人形のように可愛らしい子供で、子役とか子供服のモデルにも間違えられ、自分の姿にけちをつけられたことなどなかったのだ。一生そのままの姿でいること自体は、一生杏奈でいることが辛くないように、別に怖くはなかったのかもしれない。事態を受け入れられないというより、他人が勝手に自分の有り様について嘆く、ということの方を許していないような杏奈だった。

 杏奈はもうすっかり忘れたようだったが、五歳の私は、ママの「杏奈はもう止まってしまった」という言葉を聞いて、自分のした犯罪が暴かれたと感じた。ママが嘆き悲しむのを見て耐えられなくなった私は、ある時夜中にママに向かって打ち明けた。

「薫子が百数えたから」

 だから杏奈は今までの杏奈じゃなく、天使になってしまった。私が数え続けたしゃっくりの呪いで、杏奈の生を打ち止めにしてしまった。だからもう姿が変わらないのだ、天使になってしまったから……という私の説明を、ママは涙のついた顔で柔らかく笑い、頭を撫でて聞き流した。

 私のわけの分からない告白は、実際、ママを動かした。幼い私に荒唐無稽の嘘を考えさせたのは自分だと考えたらしく、明るくなろうとし、事実その通りに態度を変化させた。

 私が泣いた翌朝、朝のニュースで小学生の登校風景が映った時、殆どの小学生はランドセルに沢山泥をつけていたのだけれど、それを見てママが私やパパが驚いて顔を上げるほど、高らかな声で言った。

「ウチはランドセルずっとぴかぴかのまま使えるから、いいわ」

 それはママの血の滲むような創意工夫が表れた一言だった。パパは押し黙ったきり何も言わなかった。私もパパの沈黙の影に隠れた。杏奈が冷たいサラダを他人事のように咀嚼する音だけが響いていた。

 その後、パパは単身赴任で福岡に行ってしまった。一家揃って移ることも出来たけど、こちらの方がいい病院があるからとママが主張して、三人で残ることになった。少し怒りっぽくなったママを補うようにママの親戚のおばちゃんたちがよく来てくれるようになった。

 福岡のパパに送った最初の記念写真が、杏奈の入学式の写真だ。今思うと、ママは独りでこの儀式に辿りついたことを、離脱したパパに示したかったのかもしれない。当時、ママにそういう激情があったことは推測できる。一方、杏奈は写真のなかで満足そうに微笑んでいた。自分の注文通りに編み込みにしてリボンで結んでもらい、お気に入りのワンピースを着て。六歳としては不思議でない格好だし彼女によく似合っていた。そして十年経っても相変わらず似合っている。

 杏奈の小学校入学で、私たちはパパ抜きの三人で新しい生活の上に怖々と滑り出た。ママと杏奈はそれでも勝気だったから、何があろうとも戦って勝ちを勝ち取ろうとしているように私には見えた。小学校に行くのも相変わらず髪を難しく結んでもらい、リボンをつけて幼稚園の頃と変わらず武装をして、きっと杏奈は同じように友達の間に君臨する気でいたのだろう。

 でも、幼稚園と違う環境らしいことがすぐに分かった。彼女は普通の授業は参加できたけれど、体育の時には疲れやすくて配慮してもらう必要があった。参加できる種目が限られていて、独りで見学することも多かった。また他の子供と比べて目立って顔が整っていた。また周りの子がどんどん背が伸びていくなか、その学校の一年生の平均より五センチ低い身長で、今まで通り女王様として振る舞おうとした。

 急に乱暴になった男の子たちが、杏奈に目をつけるまで時間はかからなかった。

 ある日、気づいたら私は幼稚園のスモックを着たまま、ママの車に積み込まれていた。ママの険しい表情から、私は何となく杏奈に危機が訪れたらしいことは察知した。

「びょういん、行くの?」

 私の言葉は運転しているママの耳には入らないようだった。私は目をつぶり、ママがカーブを曲がる度に揺れる車体に、私の意識と判断とを委ねていた。やがて視界が開けた。先へ歩いて行ってしまいそうなママに促されて着いたそこは、杏奈の小学校の前だった。私は何となく、小学校というものも、また病院のように杏奈にとって試練の場所らしいことを予感した。

 私が履き慣れないスリッパをペタペタと響かせて廊下を歩いている間じゅう、ママは忙しく携帯電話で先生らしい人と遣り取りをしていた。私はママに手を引かれつつ、私たち母子が通るのを好奇の目で見る小学生たちが、本当にランドセルを背負っているのを見て異世界に来たと感じた。

 着いたのは女子トイレだった。ママは小さくその辺りの子供に声を掛け、奥の個室のドアを叩きつつ叫んだ。

「杏奈、杏奈、お母さんが来たわよ」

 ママは怒る時、自分のことをなぜか「お母さん」と言うのが癖だった。

「ねえどうしてこんなことしたの、何でやったのかお母さんに教えて」

 なかから杏奈らしい少女の唸る声がした。私は杏奈がママに虐められているように感じて黙っていたが、ママは私を見ると手招いて耳元で囁いた。

「あんたも、お姉ちゃんに言いなさい。『早く出て来て』『なんでこんなことしたの』って。ホラ」

 私は杏奈に同情し、柔らかく握った拳でドアにそっと触れた。

 その時、近くでガラスが割れるような音が響いた。そこにいた人々がみんなそちらを向いた。私はママの手を離れ、ふらふらとトイレを出て音のした方へと歩いた。

 廊下を挟んで隣の教室で、男の子たちが、牛乳瓶のビンを並べてボーリングのようなことをしていた。それらが強くぶつかって割れたらしかった。割れた破片を見て男の子たちは歓声を上げ、ゴム底の上履きで踏みつけたり、勇気を出して誰が触るかで争っていた。私は彼らの楽し気な様子に惹かれて歩み寄った。彼らが転がしたゴムボールが、スモックを着た私の足に当たって跳ねた。男の子たちは新しいピンが現れたことを喜んで、笑い声と歓声を上げた。私は自分が歓迎されていると思い込んで、彼らのいる方へとさらに歩み寄った。

 そこで担任の女の先生が飛び込んでこなければ、私自身、牛乳瓶のように的にされていただろうと思う。彼らは瓶を割ったことと、私にボールをぶつけて遊ぼうとしていたところを見つかって、先生に詰問され、慌てて蜘蛛の子のように逃げ散った。そういう大きいお兄さんや先生との会話に立ち入れない私は、ただ彼らの遊びの残骸をじっと眺めていた。

 底に残ったわずかな牛乳のために曇った牛乳瓶。そのラベルの紺色の文字を切り裂く橙色の西日。また遊びの軌道を湛えて転がっている蛍光色のゴムボール。何かの終わりを告げるチャイムの音。またどこかから隙間風のように教室に浸透してくる、ブラスバンド部のトランペット。そして廊下の向こうから聞こえてくる、殺される寸前の家畜のような、杏奈の泣き叫ぶ声。

 私は、杏奈が行くまで大騒ぎした小学校というところで、杏奈の元にとうとう到達した戦場の色彩を、小さな自分の目で茫然と見つめた。何でも自分の思い通りに手にしてきた杏奈は、今やこんな敗戦の戦場に立って泣いているらしかった。その光景に散らばっている玩具や、破れかぶれの全ての音色が、杏奈の涙が変化したものに見え、杏奈の嗚咽が変形したものに聴こえた。私は言葉を経ずに自分に雪崩込んでくるそれらの風景を見つめて、自分が彼女の敗戦の風景の一部に融けていくのを漠然と見送っていた。

 後日、ママは鼻歌を歌いながら、私を宥めるように「こないだの事」と言った。

「お姉ちゃんね、あれ全部泥棒したわけじゃないのよ」

 皿洗いをするママの側ででんぐり返りをやっていた私は、ドロボウという言葉がいきなり頭上に降って来たのに驚いて箪笥に頭をぶつけた。ママは私の心配もせず、筋肉を動かしているような硬い笑みを浮かべ、お皿を拭く手を休めずに私に言い続けた。

「八本あったうちの、半分はお友達に貰ったものなの。泥棒したのは後の半分だけ」

 ママも色々混乱していたのだと思う。また、私がしばらくその日の光景の色彩に憑りつかれているらしいことを察知して、なるべく私のなかでその光景が堆くならないように均してしまうつもりだったのだろう。

 事の顛末は、実際のところこうだった。杏奈はその前に行われた身体測定で、入学時から全く身長が伸びていないことが分かった。また身長は百十ニ・八センチとクラスで一番低かったことから、クラスの男の子たちにからかわれた。

「お前がチビなのは、牛乳を飲まないからだ」

 そう言われて頭に来た彼女は、給食の牛乳で他の三人分を奪った。また彼女は八センチほど背を伸ばしたかったらしく、小学校一年生にして、後の四本を校門の前のパン屋から盗んできて皆飲んでみせた。

 結果、杏奈は嘔吐し、トイレに立て籠ることになった。男の子たちが囃し立てたことで、彼女の万引きまでがバレることになって、学校からママに連絡が来た。

 ママは、負けず嫌いの杏奈が、からかわれてムキになって、半ば自暴自棄になって起こした事件だと解釈していたらしかった。

 でも私は、杏奈のその行動を無鉄砲だとか、考えなしとか、自暴自棄とは全く思わなかった。確かに杏奈は売られた喧嘩は買うし、目的のためなら手段を選ばない。彼女がとても昂奮していたことは、万引きという禁じられた行為にまで手を出したことでも分かる。でも、決して盲目的になっていたわけではないはずだった。私を驚かせるために木から飛び降りる時も、死んだ振りをする時も、いつだって彼女には強かな計算があった。この時も彼女は熱しながらも冷静に、自分が辿り着こうとする位置に向かって、順番に枝を掴んでいっただけじゃないかと私には思えた。でも大人にどんな言葉で説明したら通じるのか、それが分からなかった。

 その時偶々、お昼のニュースで「鉄道自殺」という言葉が流れた。

「てつどうじさつ、って何」

 ママは私の質問に顔をしかめつつ、

「わざと電車に轢かれて、死ぬこと」

 と言った。私はふうん、と出来るだけ理解の波紋を表情に浮かべないように努めながら、与えられた菓子のようにその珍しい言葉を静かに呑み込んだ。ママは自分が教えたくない概念を私が知ったのを見て「吐き出しなさい」と叱ることがある。

 私はふと頭に出た言葉を、ママも知っている言葉だと信じて口にした。

「杏奈、牛乳自殺しようとしたんだよ、多分」

 その表現を、ママが稲妻のように理解したのが、彼女の頬の辺りを見ていた私にも咄嗟に浸透した。


 それからママは多忙になった。

 一度目は、私が泣いたのを見て鞘に納めたらしい昂奮を、引っ張り出して別の方法で冷却させようと試みた。自分の煩悶に正面から打ち勝とうとし始めたのだ。杏奈が要らないと言って投げ捨てることのない、危険な方法で代替物を手に入れようとすることのない、リボンのついた編み込みのように彼女の気に入る身体に、今一度彼女を編み直してやるために。

 連日、深夜までパソコンの前に座っていることが増えた。パソコンの横にはいつも、ママがネットで調べた情報が印刷された紙が積み上がっていた。私が家に帰ると、私が幼稚園にいる間に来たらしい知らない人の微笑に迎えられることが増えた。ママはそれらの特別な人々に頼った。この頃、杏奈からは何とか言う油の匂いとか、変なお茶の匂いが常にした。

 そのうち、ママと杏奈は遠征をするようになった。ママは伝手を辿って県外の病院にまで行き、あらゆる名医に杏奈を診せた。泊りがけになることも多く、私はよく親戚に預けられた。親戚のおばちゃんが私の家に来てくれることもあった。どうしてか、パパが都合をつけて福岡から来てくれて泊まったこともあった。

 再び動き出した環境のなかで、置き去りにされがちになった私は、それでも不平を言わず、心細さについて口にしなかった。周りの大人はそんな私を「聞き分けのいい子」と形容したが、そのなかには「杏奈は手がかかり過ぎる」という微量の批判が含まれていることを感じ、私は褒められても嬉しがらなかった。

 そもそも私はママや杏奈のために、余計に我慢をしているつもりはなかった。ただ、彼女たちには欲しい物とか、掴み取りたい未来とか、自分が手にして当然だと思う結果が予めあり、私にはなかっただけだ。言葉にしなくとも、私は杏奈が例の牛乳自殺事件の時の風景で、彼女が主体的に泣き叫んでいたのに対し、私はただ景色に浸透され、抉り取られるだけだった経験からその違いを漠然と感じていた。

「薫子ちゃんは、もっと可愛げというものがあった方がいいんだよ」

 自分を把握してしまって泣かない子供になった私は、ママと杏奈がいない家のなかで、黙っていても叱責されるらしいことを知った。

 ママと杏奈の巡礼の旅は二年続いた。私は小学校二年生になって、杏奈は三年生になっていた。私の身長は百二十七・三センチに伸びていたが、杏奈は百十ニ・八センチのままだった。出発する前から、どうやらこれが最後らしいという気配のあった旅行から戻って来た杏奈を、私は十五センチ上から自然に抱きしめた。

 杏奈は、二年続いた旅の終わりに、自分よりも大きな妹を手にすることになった。私はなるべく動揺の漣が出ないように腕に力を込めて、怖々と小さな杏奈を腕に抱えた。思ったよりもさらに小さくて両腕に抱えられて困惑したのを覚えている。帰りの電車で崩れたらしい髪をそのままに杏奈は、猛烈に黙ったまま私の腕の位置が気に入らないらしくそっと袖を引いた。

 それでもママと杏奈は、二年間を棒に振ったわけではないらしかった。結果としては放浪になった旅のどこかで、杏奈には身体の成長の他に、自分自身の成長だと思える種目が必要だし、また彼女の身体は一種目ぐらいならそれに耐えられると助言したらしい人がどこかにいたらしかった。

 公文式と、そろばん教室と、水泳と、お絵かき教室とが私たちの生活に組み込まれた。杏奈はなぜか野球をやりたがったが、激しい運動はダメだとママが言って喧嘩になった。私はママのもらってきたチラシではキッズダンスに興味があったけれど、杏奈が行かれないものは除外すると言ってママに叱られた。

 様々な習い事をするようになって判明したのは、杏奈が種目を選ぶ上では止まったままの身体だけでなく、気性の激しさも考慮しなくてはならないということだった。それまで家族のなかで大事にされて来たお姫様は、教室の他の生徒と喧嘩したり、先生の叱責でも癇癪を起して泣き出したりした。ママは初めこそ叱ったり宥めたりしていたけれど、そのうちに杏奈を深く傷つけることを恐れて簡単に辞めさせるようになった。

 私は杏奈が辞める度に「あんたも来週から別に行かなくていい」と言われたが、公文もお絵かきも、割と何となく継続していた。杏奈のように何かに衝突する、というところに到達していないから。特に執着があったわけでもなく、ただ辞めてやると思うほどの情熱が起こらなかっただけだ。

 そして杏奈のお守り役で沢山の習い事をした私は、杏奈のいない、同年代や上下の子供と比べられる世界で、初めて自分にある側面があるのを知った。杏奈が何の種目でも辞めたのに対し、私は何でも「そこそこ出来る」子供だった。情熱がない代わりに要領がいいのだと思う。何を教えられても引っかかることなく浸透し、初心者向けの振付までは一度で難なく覚えてしまう。

 他方、何の種目でもいわゆる天才的な子はいた。彼女たちも覚えが早かったけど、私はただ要領がいいと言うやつで、決して彼女たちのようではなかった。そのこともすぐに分かった。何しろ彼女たちは杏奈に似ていたから。彼女たちは素質があるだけに先生に最初から期待され、見込まれ、これがあなたなのだと言って女王様の位置をむしろ突きつけられ、本人たちも自分が女王様だと思い、そうでない自分は自分であることが失格だと信じて練習をしていた。種目によっては四、五歳ぐらいからもうそんな感じで、特別な子は女王様の雛として育てられていた。私は失敗で泣いている彼女たちの姿に、よく敵に掴みかかっては負けて泣いている杏奈の姿を重ねた。

 杏奈の後ろをついて歩いた習い事の旅路で、どうやら私自身も私の正体らしいものに突き当たってしまったようだった。他の子供と比べて先天的に情熱がなく、物分かりが良く、初心者向けの振付ならこなすけど、自分で踊ってごらんと言われると出来ない。またどうしても勝ちたいわけではないから、負けて泣くことが出来ない。

 杏奈が素から転げ落ちた女王様の雛だとしたら、私は地面を這いずっている手も足もない蛇だった。私はただの一本の管として何でも丸のみにし、咀嚼もせず、自分を満たしている鋭い消化液に任せて何でも溶かしてしまう。

 あらゆる音楽や計算式をただの栄養にし、排泄物すら残さない私こそ、何かを習わせても無駄であるような気が次第にしてきた。情熱と抵抗を併せ持つ杏奈は何かになることが出来そうだったが、私は、困難を手放すことは出来ても困難を手に入れることが出来なさそうだった。

 一方、ママは焦燥していた。私はともかく、肝心の杏奈に適当な種目が見つからない。

 ある日、ママは大きな買い物をした。私が学校から帰ると、それがクレーンで吊り下げられて、二階の窓からまさに運び込まれるところだった。黒い鏡のように輝くそれは、周囲の家の屋根の反映を淡く映しながら、のっそりと合法的に私たちの部屋のある二階に侵入してきた。

 後で歴史の教科書で「黒船」を見た時に、その時の光景を思い出したものだ。地平線の向こうから強靭な何かがのっそりとやって来るあの気配は、まさに黒船来航だった。

 ピアノが来た初日に、杏奈は鍵盤を開けてキーに触れた。

 敗戦を重ねて来たママは杏奈にも私にも、そのピアノが何であるのか一切説明しなかった。杏奈は何かを強制されるのはゴメンだという態度で知らない振りをし、ママはそれを見て見ぬ振りをし、私は二人の顔を代わる代わる眺めていた。

 そのうち、私は深夜にピアノの音を聴くようになった。ママに何も言わず、杏奈はこっそり布団を抜け出して一つ一つ、盗み食いするみたいにその音色を確かめていた。彼女はこの侵入者を悪くないと思ったらしく、彼女の触れる音は雑草が花をつけるように次第に旋律に育っていった。

 ピアノの音は連日になった。私は布団のなかでママの数々の敗戦の光景を思い出し、そろそろと滑り出たその旋律に聞き耳を立てながら

(ママが勝った)

 と、何にともなく感じた。


 程なくして、杏奈と私が通うことになったピアノ教室では、幼稚園ぐらいから始めている子が多く、三年生の杏奈は初心者クラスでは年長の方だった。そして案の定、初心者クラスにいる幼稚園の子と対等な喧嘩になった。

 杏奈は最初、私の妹と間違えられ、不機嫌そうでいるのを「幼稚園のお友達もたくさんいるから大丈夫」と宥められて早速怒り出した。ママはクラス分けの都合から、杏奈の病気のことを先生には打ち明けたが、他の生徒の前ではあまり言いたがらなかったから、杏奈が喧嘩した相手の親のなかには、杏奈を本当に幼稚園児だと思って優しくしてくれる人もいた。私はいいのかなと思ったけど、ママは平気だった。杏奈も黙っていることが平気で、放浪の旅の間に培ったものなのかこういう時の二人の連携の緊密さに、ただ生活していただけの私は入り込めないのを感じた。

 そして徹底して杏奈を庇うようになり、今度こそ杏奈が投げ出さないようにと慎重に細心の注意を払っているように見えるママが、なぜピアノを選んだのか、私は教室に通ううちに何となく想像がついた。未就学児の子たちにも、既に上手な子がいて足でペダルを踏む曲を弾いている子がいる。でも足が届かないから補助ペダルという道具を使っていた。大人が使うのと同じピアノを使い、未就学児で補助ペダルを使う子は、広い鍵盤の上を兎が跳ね回るように移動して弾いていた。

 他のスポ―ツや何かと違い、未就学児の子が多くて、また彼らの身体に合わせた道具も揃っていて、成長に従って楽器を変えなくてはいけないこともない。年齢や体格の発達でなく、演奏の上手さによって順位が決まる。そして上級のレベルに行こうとする時も、杏奈は当前の道具である補助ペダルを使えばよく、体格のハンデをそれほど気にしなくていい。

 一見して、そのピアノ教室は、杏奈が杏奈のまま成長するのに必要な環境が、こちらの懇願や説明もなしに随分揃っているように見えた。今度こそママと杏奈は、ちゃんと前に進める船に乗ったはずだった。

 ママも肚を決めていたらしく、今度は杏奈が練習を嫌がっても無理にでもピアノの前に座らせた。杏奈は自分より年下の未就学児の子が、自分と変わらない身体で有名な曲を弾くのに驚いたらしく、とうとう「辞める」とは言い出さずにママに従った。

 半年ほどの戦いの後、杏奈はピアノに自主的に向かうようになった。それからは、彼女が見据えている敵を捻じ伏せる時の情熱で、恐ろしいほど熱中して弾いた。

 学校に行っている時間以外、時には学校をさぼってまで、何時間にも渡って弾き続けるから、近所迷惑にもなっていた。時々苦情が来るようになった。うちは一軒家ではあったけど、細い路地の突き当りにあって隣接している家も多かった。

 しかしママは苦情に対して一切の譲歩をしなかった。むしろ杏奈には、どんな短い時間でも惜しんで弾け、と益々ピアノに向かわせるばかりだった。

 ある時ママがふと「治療みたいなものよ」と言った時、私は内心やはりそういうことなのかと思った。かつての塗り薬、変な匂いのするお茶、そんなものは淘汰され――何時間にも渡って続くアマリリスとか猫ふんじゃったに取って代わられた。なるほどママが諦めないはずだと思った。

「この先、何かあった時――あの子には、身体のほかに声を出せるところがあった方がいいのよ」

 ママにしては何だか詩的な、抽象的な言い方に感じた。しかしそれだけに、ママ自身の経験から掘り出した、痛々しい現実味のある言葉に思われた。私は誰より杏奈の動かない身体を見据えて来て、裸にしたり着せたり油を塗ったり擦ったりお茶を注いだりしてきたママが、杏奈の身体の内側で解決できないことがあるのを認めたことを、私にとって悲しい味のする歴史として眺めた。しかしママは多少の絶望の上に、それを覆うだけの希望を構築しようとしていた。

 ママは杏奈に、彼女が捨てないでいいと感じる身体を、今や杏奈自身に構築させようとしているのだった。悲しい時に、胸や喉を震わせて泣く他に、悲しみを発散することの出来る素晴らしい鳴る骨。それを鳴らすには血の滲むような訓練が要るが、ママは杏奈の勝気な性格を上手く利用すればそれが出来るはずと見込んで、あの黒船を買い込んだのだった。

 苦情を無視した後、電話が鳴り続けているのを見ても、ママは時々放置した。

「構うもんですか、こっちは今が正念場なのよ。杏奈が自分一人で心臓を動かせるようになるまで」

 ママはもはや私にだけ伝わる言葉で、決して取らない電話に向かってする返事をしていた。

 後に杏奈のピアノは許されることになった。中学生になると、彼女のピアノは騒音でなく、近所で評判の名物みたいなものになっていた。私は家の近くで、全然知らない人が彼女のピアノを褒めているのを何度も見た。

「あれは今井さんところの杏奈ちゃんが弾いてるんだよ」

 しかし杏奈本人を知っている人は、杏奈の演奏を知っている人よりも稀で、部分的に間違っていることもしばしばだった。

「病気の妹さんが、」

 というパターンでも聴いたことがある。また、その演奏ぶりからもっとずっと大人だと想像している人もいて、大学生ぐらいだと誤解されている時もあった。私は杏奈の上達した演奏が、杏奈の本来の年齢どころか、その先までに到達しているらしいことを凄いと思ったし、勝ち気で何でも掴み取って来た彼女らしい成果だ、と思って感心していた。

 一方の私は、ピアノに限っては杏奈が続けていても、自分は半年ほどで辞めてしまった。杏奈のピアノがそれほど上達したのは、ママが最後の賭けとばかりに躍起になったり、本人が負けず嫌いを発揮して取り組んだということもあったけれど、元々の素質があったんじゃないかと思う。 私には見事にそれがないことを、レッスンのかなり最初の方で先生に見抜かれた。私にはやる気がないわけではなかったけれど、確かに杏奈のような迸る情熱がなく、何の曲でも頬杖をついているような音色になった。かつて親戚には杏奈と違って手がかからない子として褒められたのが、ピアノ教室では杏奈のような情熱と向上心のない生徒として叱責された。

 子供が成長するためには、負けず嫌いの向上心と、強い情熱と、あと涙が要るのだということを、私は他の生徒を見ていても実感した。生来の素質というものさえ、血と涙を振りかけないと育たないらしかった。血を流すことと、涙を流すこと。それは向こう見ずの杏奈が幼稚園の頃からずっとやって来たことだ。私はピアノ教室で、杏奈が成長を留められている哀れな子供に見えたことがない。むしろ杏奈の生来の持ち物が、成長に向いているものだったということをそこで発見した。

 私が自分の素質と情熱のなさにぶつかって離脱した後も、もはやピアノを自分の骨として獲得していた杏奈は、いつの間にか難しい曲を弾くようになっていた。

「子犬のワルツ」は、杏奈が中学一年の時、発表会で弾くことになった曲で、彼女はとても気に入っていた。

 練習している頃、ママはその進歩の遅さをからかった。

「子犬が、トロ過ぎて大犬になったみたい」

「ようやく歩けるようになりましたって感じ」

 習いたての頃は、ママが側でつきっきりで教えたりしていたけれど、この頃になるともはやママが口を出せないようなことをしていた。だから批評しようにもそんな言葉でしか言えないということもあった。

 私とママは、何時間も止まない彼女のピアノを他所に、黙って夕飯を食べることが増えた。プロ野球の中継を眺めていても、私たちは一向にそのルールが分からずに、ただ打ったとか点が入ったとかしか分からない。杏奈の難しくなったピアノもそんな風に、私たちは手の届かない世界の球技として傍観して、やったと思うところで歓声を上げるだけのことしか出来なかった。

「最近ようやくあれよ、ショパンの犬だって感じがしてきた」

 ママがくさす時は、それを本当に自慢に思っている時だ。半年で辞めた私と違い、ずっと杏奈に付き添ってきたママが言うのなら、きっと実感して上達が分かるのだろうと思った。

「まあ何の犬であろうと、自主的に頑張ってくれてるならそれでいいわ」

「ショパンだからだよ、頑張るの」

 と私は味噌汁のお椀を抱えながらつい言った。それは密かな不倫関係を仄めかすような、ちょっとした漣の立つ告白だった。小さい時から杏奈の介助者となり、時に姉の杏奈をおぶったり、抱き抱えたりしながら成長してきた私は、ふとした時にママよりも正確に杏奈の真意が分かってしまう時があった。私はむしろ自分を意図して抑制しなければ、ママと見解が一致しないほどになっていた。

「瀬戸あやみちゃんているじゃん、教室に」

 私はつい自分が漏らした、ショパンだから余計に努力するのだ、という杏奈の真意らしい内容を自分で気にして、彼女の友達を加えることでその告白をぼかそうとした。ママは私が気にしたほど、私の漏洩について気にしていないらしかった。彼女は柴漬けを咀嚼しながら曖昧にうん、と返事した。

「それでそのあやみちゃんがどうしたの」

「杏奈の一個上なんだよ。それで去年、英雄ポロネーズやって凄かったって、だから自分もショパンの曲弾けるようになりたいんだって、一時期杏奈が凄い凄いってずっと言ってた」

「ねえ、あんたお姉ちゃんのこと呼び捨てにするのよしなさいって、いつも言ってるでしょ、」

「うん、まあ、それでお姉ちゃんが、そのあやみお姉さんに憧れてるって話。だから頑張ってるんだよ、自分もあんな風にショパン弾けるようになりたいんだって」

 私は会話のついでに、杏奈が最も努力するのは、誰かに喧嘩で勝とうとした時でも、誰かに期待された時でもなく、彼女自身がなりたいものが目前に見つかった時だ、ということを言いたかったが、それは少しママを傷つける言葉になりそうで、言うのを控えた。

 杏奈が何かに憧れる時の情熱は凄まじかった。彼女は小さな身体にコンプレックスをずっと抱え続けたが、他方、憧れてああなりたいと願う願望を持つことを止めず、一度あやみちゃんのような理想像が見つかると、自分をそれにするために寝食を忘れて努力することが出来た。

 ただ、ママは杏奈が自分を変えようと不断の努力をする姿にどこか、自分に対する非難がましいものを感じるようで、ピアノを彼女の声帯にしてやろうと与えた割に、彼女が一通り弾けるようになってなお猛烈な努力をする時、目を背けようとする傾向があった。

 杏奈とママ、それぞれどちらの傾向も、情熱の要塞に感じて手が出せなかった。私はどちらの領域にも立ち入ることが出来ず、柴漬けを咀嚼しながら、杏奈が必死に大犬を子犬に縮めようとする音色を聴いていた。


「来週発表会じゃん……?」

 と夜、私は布団のなかで杏奈に尋ねた。

 私は幼稚園の頃からずっと、杏奈と同じ部屋に布団を並べて寝ていた。杏奈は中学生になったら自分の部屋が持ちたいと言っていたらしいけど、結局世話をする私と同居の方がいいというママの判断で、私もその方が良かったのでそうしていた。杏奈が寝る時は、私は幼稚園児の子にするように、彼女の身体を抱き抱えてあやしながら寝ていた。

「そうだよ、」

 と杏奈は私に抱えられたまま答えた。

「おおいぬ座になった? ……間違えた、こいぬ座」

「ピアス、」

 杏奈はよくあることだったが、私の言い間違いなど気にせず、自分の言いたいことを端的に突きつけるみたいに言った。そんな私たちの会話の仕方は、杏奈が幼稚園児の頃からまるで変わらなかったし、それで自然だった。

「あと足りないとしたら、たぶんピアスだけだと思う」

「ピアス?」

 私は寝ぼけたまま、何を言っているんだろうこの子はという感じで尋ね返した。杏奈は上体を起こし、暗闇のなかでもはっきりと分かる精巧な、人形のように整った顔のなかで、目を光らせて私を見た。

「昨日ね、発表会がどんな風になるか、自分のなかで想像したの」

 発表会の舞台に上がる自分、皆の前でするお辞儀、ドレスについたスパンコールの輝き、自分の指先が奏でる音……。

 彼女は自分の頭から、つま先までを櫛で梳かすように撫でてみせた後、

「あやみお姉さんと比べて、私に光ってないところがあるとしたら、耳だけだったな」

 と布団の上で、薄い胸を反らして言った。そして枕の上で身体を揺すって、髪を掛けた白い耳たぶを示して見せた。彼女はママに激しい運動を禁じられたけれど、新体操とかをやっても上手く進化したんじゃないかと思う。さんざん向き合わされたせいか、自分の身体の関節や筋肉の仕組みに精通していて、普通しないようなやり方で自分の身体の一部を示して見せるのが上手かった。私はオレンジ色の蛍光灯の下で、彼女の白い小さな花弁のような耳が出たのを、どきりと驚いて見た。


 それから私は彼女に命じられて、彼女が布団の下に隠し持っていたピアッサーで、彼女の耳たぶに穴を開けた。

 ぶつり、と肉を切る手応えがあったし、いくばくかの出血があった。思ったより少ない量だったけれど、シーツにちょっと黒っぽく点が残って、後で洗濯機に入れなくちゃ……と私は思った。

「えらい、薫子」

 その仕事をやり遂げた私に向かい、彼女は犬のように頭を撫でて褒めた。恐らく想像以上に痛かったのだろう。小さな涙の玉がスパンコールの粒のように睫毛に掛かっていた。 

「よくやった、杏奈が痛そうなのを見ていてよく我慢したね」

 ずっとそうだった。何も変わらなかった。結局のところ、彼女は私に小さな女王様として君臨し続け、命令に従わせ、また多少の痛い思いをしながら欲しい物を手に入れる。彼女がよくやった、と言って私に触れた手には、彼女から他に関心を移した私に制裁のように、自分は死んだ、天使になったのだと嘘を吐いた時と変わらない冷たさがあった。

 私はこの痛い目に遭う、割を食う、どこか通り抜けることの下手くそな、決して情熱を失わない手が、私の身体にある洞を埋める大切な肉の欠片であるように感じた。この手には欲しい物がうんとある。空に浮かぶ星も全部欲しいと言うかもしれない。そして掴み取ろうとして、梯子から落ちていつも取りこぼす。そして懲りずに何度でも大空に挑みかかり、何度でも墜落してしまう……。

 私は公文式を習い、お絵かきを習い、音楽を習い、全てにおいて要領がよく、そして先生に「情熱がない」と指摘されてきた。でも、私にはこの小さな手があることを、教室の先生たちは知らず、私だけが知っていた。私が彼女の耳に穴を開け、彼女に不足する光を灯してやらなくてはいけない。

 彼女の手が何かに掴みかかるのを側にいて見つめ続けること、そして悲鳴が起こるほんの少し手前で駆けつけること。時にはママにも内緒にしなくてはいけない、その繰り返しがずっと他人に知られない私の情熱だった。私は充足していなかったわけでなく、充足する過程を杏奈以外の誰にも内緒にしていだけで、他の子と同じように充足して幸福になっていた。少なくとも、自分ではそう思っているし、他人の誰がそうでなかったと言えるだろうか。


 発表会で、杏奈は拍手喝采を浴びた。小学生の部の後で中学生の部が始まり、そこで未就学児のように補助ペダルを使う彼女が出てくるのだけれど、小学生の頃から既に杏奈の小さな身体を駆使した技巧的な演奏は有名だったから、その補助ペダルも今や彼女の代名詞のようになり、天才的な彼女の舞台装置のようになっていた。

 それでもなお、今井杏奈を知らない人はいて、彼女が鍵盤の上を飛ぶように弾くのを見て、時々感嘆の声が聴こえてきた。

「あの子小さいのに、あんなに端から端まで弾いて」

「あんなに小さいのに上手だから、大きい子に混じって出て来るんだね」

 もはや杏奈の背が特に小さいことは、杏奈の才能を飾る神話のようなものになっていた。そして演奏が始まれば、人々は杏奈の身体より、そこから透き通って出てくる音色の夥しさ、火の噴き出るような激しさ、彼女が指先に込める感情の色彩の鮮やかさに目を奪われているのが分かった。

 自信を持って着飾る杏奈にその自覚はなかっただろうけれど、愛らしい杏奈の小さな身体は客席から見て、その後から登場する巨大な響きを隠す、真っ赤な緞帳のように効果的に働いてさえいた。

 彼女が拘って、技術よりも自分に不足している物として挙げたピアスは、客席からはよく見えなかった。でも背が伸びないと分かった後でも、なお杏奈は成長することを諦めず、現に止めず、また大人になろうとしていた。舞台の上で彼女が堂々としているように感じたのは、演奏技術による自信でなく、あのピアスで大人のように武装したことによる自信があったせいじゃないかと思った。杏奈は決して自分の傷を無駄になどしない。

 

 この発表会の後から、杏奈は先生にコンクールへの出場を薦められるようになった。私には「いつもと同じく上手だな」という程度のことしか分からなかったけれど、あるレベルに到達したということだったんだろう。

 ただ最初は、ママが即座に断った。先生は杏奈ちゃんなら出来る、ということをしきりと言っていたけれど、ママは別に杏奈が出来ないと思っているわけではなく、むしろその逆だということが、傍で電話を聞いていて私には分かった。

「うちはそこまでさせません」

 ママはそういう言い方で断っていた。杏奈は自室に籠って号泣していたけれど、私はママがまたも杏奈に本音を打ち明けずに、杏奈を守ろうとしている、と感じた。

 案の定、夕飯の後でママと私だけになった時、私がそのことを言うと、ママは口のなかにあった種を吐き出して頷いた。私は自分が尋ねたにもかかわらず、自分の想像が現実に変わるのを、種が転がる淡い音を聴きながら仕方なしに受け入れた。

 要するにコンクールに出ると、杏奈の評価は「小さな身体で大きなお姉さんに交じって弾く上手な子」ではなくなる。中学生の部にエントリーして、同年代の子と違う体格を曝しつつ戦わなくてはいけなくなる。そこで杏奈の補助ペダルや椅子の高さについて、他人が何も言わないということがあるだろうか。全く同じ条件では舞台に上がれない杏奈が、そこで手にした勝利について他人が何を言うか。今の杏奈を活気づけている勝利というものが、そのために一気に色褪せてしまうのではないか。またそのように注視されながら敗北した時、杏奈がどれぐらい心に傷を負うか。

 ママは娘を、そのような戦場に向かわせるためにピアノを買ったわけではなかった。むしろ、ママはそれを、杏奈が何かに掴みかかっては墜落することを半ば諦め、受け入れかかり、彼女が泣き叫ぶための道具として二階の窓からクレーンで吊り下げて運び込んだはずだった。

 私たちは杏奈に何も言えなかった。ママが自分のそのような本音から離れ、杏奈に身の程知らずだとか、あんたはまだ下手だとか言う言い方で説き伏せるのを、私は内心ママに味方しながらも、杏奈を可哀そうだと思いつつ知らぬ顔で歯を磨いたりしつつ聴いた。

 結局、二年後にママが折れることになった。杏奈はまだ下手くそと言われたことを本気で捉えたらしく、その後猛練習を重ねていた。先生は杏奈の技術を惜しんで諦めなかった。無理に断念させようとすれば、また杏奈が何を仕出かすか分からないと思ったママが、それより危険な結果を恐れてとはいえ「同年代の他人と競う」という恐ろしい水辺に杏奈を押し出す決意をしたのは、大きな決断だったと思う。

 あくまでも勝つ気でいる杏奈、漠然とした不安を抱えて見送る私、送り出したからには必ず勝たなくてはと、杏奈より気負って蒼白になるママ、という小学校入学の時と変わらない体制で、私たちは戦いに向かって進水した。

 いくつかの喧嘩を経た後、杏奈は地元で開催されるコンクールに出場することになった。彼女は当時中学三年で、高校受験もあったけれど、ピアノを弾くことが出来る昼間はずっと練習していたいと夜間部のある高校を選ぼうとしていた。別に選ぼうと思えば音楽科のある高校も選べたのだけれど、初めから眼中にないみたいだった。負けず嫌いで勝負には勝ちたがるけれど、実際のところ彼女にとってピアノは競技の道具というより、彼女自身の自由になる身体の領域だったことがこういう選択にも表れていた気がする。ママが受験雑誌で、深山高校は進学校だけれど、夜間部はそれほど偏差値も高くない、ということを見つけてきて、ミヤマにしなよ、と杏奈に言い、何の抵抗も持たない杏奈は無造作に従った。その後、例の短絡的な情熱で何度か徹夜したりして、一月に試験を受け、二月の発表で無事合格していた。

 杏奈が受験より情熱を傾けていたコンクールは、三月から四月にかけて行われるものだった。地区ブロックに分かれている予選が三月末にあり、代表二名だけが出来る準本戦が四月に入ってすぐある。そして準本戦の各会場から一名だけが出場できる、本戦があるのが四月の末だった。

 だから本戦で戦うのは実際のところ、高校に入ってからだった。改めて杏奈が高校生と戦うのかと思うと、ママも私も一層気が塞ぐ思いがした。合格通知を貰った杏奈が、春になって高校生にならないはずはないというのに。

 そこで弾く課題曲というものも決まっていた。予選で指定されている曲はハイドンかモーツァルトかベートーヴェンしかなく、準本戦では「A群」と「B群」のリストにある課題曲から一曲ずつ選ぶということだったけど、ショパンの曲はA群に「黒鍵」があるだけだった。杏奈はあまり好きでないと言って気乗りしない様子だった。本戦では自由に曲を選択することが出来た。杏奈は例のごとくショパンで、まるで発表会に着るドレスを選ぶように「幻想即興曲にする」と言った。私は彼女が言い出した時点では、その曲を完璧に弾けるようになっていないことを知っていた。他方で、「だから杏奈は選ぶのだ」ということも。

 それから、杏奈はドレスの裾をたくし上げて歩くように、明らかに難渋しながらも難解な幻想即興曲ばかり弾いていた。本戦まで行かないと弾く機会さえないというのに、自信家であり情熱家であり、負けることを考えない賭博者の杏奈は、課題曲に割くべき時間の大半を振り分けたようだった。これは私が見ても無謀だと思ったのだけど、先生も杏奈については賭けて放置して安堵してこぼすことの繰り返しをしていて、今回も最後は杏奈に何も言わなくなっていた。それは私たちが既に何度も見た、杏奈がぎりぎりで勝つ賭けの光景だった。

 ママは杏奈の実力に自信を持っていて、予選はまず通るでしょう、などと言いつつ最後まで見に行かなかった。半分は自信のためで、半分はそうでなかっただろう。杏奈と同年代の子が正装して居並ぶなか、もし杏奈が会場を間違えた幼い子供のように扱われたら? ママは演奏自体より杏奈が登場した舞台で、場違いに見える光景を見ることの方を恐れたのだろう。私はそう想像したけれど、それを黙ることにも慣れていたから、言われるままに予選と準本戦、それから通過して出ることになった本戦も、中学の制服を着て一人で見に行った。

 最終的に杏奈が得た結果について、私には理解する権利もないように思うけれど、起こったこと全ての唯一の目撃者として、知る限りのことを吐き出しておきたい。

 準本戦の「黒鍵」までは良かった。まずママが恐れていた、杏奈を初めて見る人々の反応については、前の女の子が終わった後に補助ペダルが登場した時点で、しばらく会場がざわついた数秒があった。でもすぐにいつもの通り、杏奈が小鳥の羽搏きのように手首を駆使して、恐ろしい広さに見えた鍵盤を征服する過程が始まると、たちまち沈黙が会場を覆った。

 分厚いその静けさは、大きな会場で杏奈が弾く時によくある最初の喝采だった。むしろ今までの発表会より早く静まった気がして、ここに来る人は流石にみんな耳がいいんだな、などと私は思っていた。

 本戦で、それまでと違うことが起こった。何を間違えたのか、ミスタッチがどこであったのか――ろくに練習もせずに辞めた私には上手く説明出来そうにない。なぜか分からないまま、出来事が必然らしい確かな足取りで起こるのを、見送るように眺めているより仕方がなかった。

 前触れはあったのかもしれないけど、始まりは同じだったはずだ。杏奈はいつも背中を少し曲げ、つま先立ちをするように鍵盤に指を立ててから、堰を切ったように弾き始める。小さな手で広い鍵盤を走り回るには、指先から首筋に至るまで独特の筋肉の使い方が要るらしくて、杏奈はそれを長年の猛練習ですっかり体得していた。それはどこの医者も教えてくれない、己の身体の課題に対する対処の仕方で、私は杏奈が有名な曲を弾けることより、こういう己のみの難問に体ごとぶつかり、解消していることの方を誇りに感じた。

 杏奈はいつも通り走り始めた。軽い靴で草を踏むような静けさは、その後の跳躍の準備だと私は聴き慣れて知っている。鍵盤の上にぽつぽつと雨が降り出した。竜巻は確かに起こった。見慣れた光景だったけれど、観客が審査する他人じゃなくて杏奈の情熱が氾濫するのを防ぐ堤にされていく、殺戮の過程が始まるのを私は慣れたものを見る温もりのなかで傍観していた。

 私の首筋にふと冷たい雨が来た。天井から雨漏りでもしたのかと思った。実際は、杏奈の姿勢に集中していた私の全身に、ある違和感が走っただけのことだった。出来事は既に起こり終わっていた。

 鍵盤の上には動きを失った杏奈の指が、脱げた靴のように累々と転がっていた。彼女に置き去られたような観客席では、静けさが帆のように膨らんでいた。

 杏奈は茫然と、鍵盤に転がっている指を拾おうとして身体を屈めていた。私はなぜかそれを「杏奈が指を拾った」光景として記憶してしまっている。杏奈がこれほど易々と失敗するはずがないのと同じぐらい、人間から指が外れることなんかあり得ないはずなのに。

 杏奈が屈むと、ドレスの裾の硬い薔薇の飾りがひしゃげて、淡い衣擦れの音がした。さっきまで杏奈に忠実だったはずの手首、肘、肩がばらばらに、転がった指に繋がろうとひしめき合った。杏奈の頭上から砂金をこぼすように注いでいたスポットライトが、静かな白い耳たぶに付いていたピアスの金具を照らした。

 杏奈の耳が濡れたように光った瞬間、私は杏奈が一つの曲を完璧に弾き終わったかのように感じた。杏奈の動揺を湛えた身体の動きと、途切れた旋律とは、全く受動的でいた私に一つの物語を体感させた。それは理想に手を伸ばし、届かずに墜落した人間の感じる絶望だった。私は自分の感じたその物語に貫かれて動けずにいた。これまで杏奈がノーミスで弾き切った時にも、それほどの衝撃は感じたことがなかった。それは杏奈が絶望を演奏したわけじゃなく、絶望の当事者であった違いだろうと思う。

 終わったことを観客全員が理解した瞬間、杏奈の全身を生暖かい拍手が包んだ。

 その日以来、家でおよそ六年間続いたピアノの音が聞こえなくなった。毎日が静かだった。高校が始まっていても杏奈は部屋から出て来ず、ママと私はそれまで通りにしながらも暗黙のうちに足音を殺しながら生きていた。ピアノのない、杏奈の息遣いの聴こえない日々は本当に棺のなかにいるみたいだった。ずっと杏奈を助けてきたママと私だけの生活では、どうあがいても所詮「杏奈抜きの生活」にしかなりようがないことを私もママも痛感していた。

 先生も周囲も杏奈を慰めた。たった一回の失敗で挫ける必要はないと。みんなの前で失敗したことを気に病んでいるのかもしれないが、こんなことは良くあることなのだと。コンクールで緊張して本来の実力が出せなくて泣いてしまう生徒さんもいるけれど、取り乱さずに生還してきたことだけでもあなたは強いと。また次の機会なんて幾らでもあるのだから挑戦すればいい……。

 杏奈は糸が切れたみたいに黙って、相手の言うがままにさせていた。杏奈の闘争心からして、それらの言葉に応酬するように相手に掴みかかってもおかしくないと私は思ったけど、まるで黙ったままだった。私は側にいて、彼女がどんな言葉を黙っているかがひりひりと分かる気がした。

 杏奈は一回失敗したんじゃない。未来永劫、百回飛んでみたところで乗り越えられない壁に当たって墜落したのだ。知るっていうことは、百回経験することを先取りする一度の体感だと思う。杏奈は制約のある身体で、痛い目に遭いつつ、克服できる問題とそうでない問題とを体感から選別してきた。私もそれを手伝ったから知っている。

 私は客席から杏奈を見つめていて、首筋に冷たいものを感じた。それは、私が世話をするうちに精通してしまった、杏奈の感じた違和感の写しであったと、全てが終わった後なら理解できる。杏奈はいつも通り、勝つつもりでいた。そして頭のなかで理想に描いた、普段飛べる以上の跳躍をその瞬間にしようとして、墜落した。

 彼女がすぐ未来に希望を失ったのは、別に心が弱いからじゃない。この十年変わらず、未来でも変わりようのない姿で、どこで指が届かなくなるか、どこで自分の身体が堰き止められているかを、あの一瞬に体感で知ってしまったのだ。

 みんな、杏奈にまるで未来があるように言うけれど、杏奈がまだ小学校一年生ぐらいの姿に見えるから、未来を全然消費してないように見えるのかもしれない。でも杏奈には、目に見えなくても、ランドセルを傷つけないあの身体で、日々成長する同年代の子と戦ってきた満身創痍の歴史がある。手首を使い、うなだれ、背筋を屈めたり力を抜いたりしながらやり過ごしてきても、小学校一年生程度の体格の跳躍には限界がある。経験を蓄積した杏奈が、頭で思ったように演奏するには、もはやあの身体では、飛び越すことの出来ない溝があるのだ。そこに杏奈は落ちてしまった。

 彼女が這い上がらないことを責める権利は誰にもないし、まるで制約などないかのように次の機会なんて言葉を振りかざすのは、私には暴力にしか感じられなかった。杏奈が沈黙していたから、私は苦悩のなかで彼女に目を開かせるのを恐れて黙っていたけれど。

 私は恐らく杏奈の実感に最も接近していて、また自分が無力であることを知っていた。彼女に何か言おうとする言葉を探して、流し台に置いたコップのなかで水を溢れさせたり、そんなことばかりを繰り返した。

 ショパンなんか死ねばいい、と私は思った。もうとっくに死んでる、とも。でも楽譜が残ってるから、まるで生きているみたいにみんなショパンの話をするし、杏奈もまた弾きこなそうとして憧れる。太陽が出ているから掴もうとする。見なければいいのにと後ろから見ていて思う。でも情熱家は太陽の一部だと自分を誤解しているみたいに、光が差す方角から目を逸らさない。あいつらから希望を剥ぎ取ってしまうことは、家族にも、医者にも不可能だ。どうやらそう作られてるんだと思う。生まれつきの病人というものがあるみたいに、どうやら情熱家はそうなのだ。太陽のような遠い理想めがけて、傍から見れば無謀に飛ぶし墜落して痛い目に遭う。背後で、私が止めようとしていたことも知らずに。

 しねしね、ショパン。私は猫ふんじゃったの節から、そんな歌詞を思いついた。ショパンが死ねばいい、太陽が落ちろよ、杏奈が手を伸ばしたら危ないじゃないか。理想なんていう遠くて曖昧で余計なもの、ただ生活したいだけの私たちの地平には元々不要なんだ。そんなものが登場してこなくとも、私たちだけで杏奈を生活させようと思えば出来るのに。太陽さえ出てこなければ、杏奈が跳躍して墜落して怪我することも起こらないのに――。

 もはや悪魔の手先に見えるピアノに、内心無茶苦茶に悪態を吐きながら、私は杏奈が弾かなくなったピアノの蓋を開けて、時々盗むように弾くようになった。一体何が面白いんだこんなもの、と毎度思った。そして触るうちに、自分が教室に通っていた時のことを少しずつ思い出した。先生はかつて、あまりやる気のなさそうな私に向かってこう言った。

「薫子ちゃんは手が大きいから、一オクターブ楽に届くようになるわ。先生なんか手が小さくて苦労したのよ」

 私は大きいと言われた自分の手を押し当ててみた。杏奈の失敗以来、白い鍵盤は何やら酷薄な歯のように見えた。一オクターブってドからドまでだよな、と思ったけれど、ちょっと手をずらせばドから次のレまで届きそうだった。私の手に押しつぶされてドとレの混じった濁った音が流れ出た。

 私が楽に届くこれが、どうして杏奈に与えられなかったのか。本当に分からなかった。この大きさの手があれば、恐らく杏奈は墜落せずに済んだ。翼は飛ぼうとする人間の背中にあるべきなんじゃないのか。どうして使わない権利、情熱のない人間に必要のない武器、車輪が私に備わっていて、彼女になかったのか――。

「ドと、レと、ファ……」

 私は杏奈を傷つけた、忌々しい鍵盤を順番に押し潰した。頭のなかに、そういう童謡があったのを思い出した。レッスンの最初では生徒の関心を引くために、よく童謡を弾かせてくれたものだった。私は思い出を辿るようにその歌詞を低く口ずさんだ。

「ラとシの音が出ない……とっても大事にしてたのに……、壊れて出ない音がある、どうしよう……どうしよう……」

 ふと腰に鈍い痛みが来た。杏奈が、部屋にあった植物図鑑で私を思い切り殴りつけてきたのだった。ピアノの音を聴いて数日ぶりに部屋から出て来たらしかった。ずっとパジャマを着て寝ていた彼女の身体から、何かねっとりとした匂いが漂った。

「痛いよ……」

 私は振り向かずに呟いた。涙を含んだ猛烈な息遣いが聴こえてきただけで、彼女は何も言わなかった。私がそう言っても、杏奈は私に図鑑の角を押し当てたまましばらく動かずにいた。


 ある日、私が中学から帰ると、ママが台所のテーブルに座って電気も点けずにうなだれていた。私が制服を着たままで冷蔵庫を開けても何も言わなかった。私は起こったことの規模を想像しつつ、黙ってジュースを飲んだ。

「薫子、そこの布巾取って」

 今私の存在に気がついたみたいに、ママが少し顔を上げて言った。

「後でいいから、それで杏奈のピアノ拭いておいて」

「なんで?」

 今までピアノを拭く時は、専用の乾いた布で拭いていた。

「ピアノってなんか、……濡れた布で拭いちゃいけないんじゃないの」

「いいのよ、濡れていれば何でも」

 ママの言い方に、既に出来事が終わった気配が滲んでいるのを、私は自分が失敗した時のように痛々しく聴いた。

「だいぶ時間かけて拭いたのよ。でも壁の方にまで飛んでてね。まだどっかに血が飛び散ってるかもしれないから、もう一度拭いておいて」

 杏奈が、カッターナイフでやった。

 かつて、牛乳を飲まないから背が小さいんだと言われ、牛乳で自殺を図ったような彼女だ。寝食を忘れて十二時間もピアノを弾き続ける彼女だ。思うようにならなかった自分の身体を傷つけることに今更抵抗があるはずがなく、また身体を許しておくはずがなかった。

 彼女は大きく開いても一オクターブに届かない手を広げて、指と指の間の、水かきと呼ばれる部分をカッターで深く切った。手を鮮血で濡らしながら十指全部やった。どこの指が動かなかったという原因も知っていただろうけれど、全ての指が同罪になった。そして開くようになった指を鍵盤に押し当てて、もう一度同じ曲を弾こうとして、途中でママに見つかって止められた。

 もし上手くいかなかったら、一度切った傷口をさらに深く傷つけたかもしれなかった。飛び散った血はピアノの鍵盤を深く濡らし、床や壁にも一部付着していた。私は涙を流しながら丹念に、ママに命じられた通り、ママが拭った血の痕を、洗剤をつけてもう一度拭った。

 杏奈はすぐに病院に連れて行かれた。命に別状はなかったけれど、杏奈の手は数か月の間沈黙を強いられることになった。私が病院で見た時は既に、杏奈の手は包帯に包まれていて見えなかったけれど、蒼白になったママの顔を見て、どれぐらいの壊滅状態であったのかが分かるような気がした。

 杏奈は冷静だった。病院のベッドで抵抗することなく眠っていた。ママの方が泣きながら何かを怒鳴りつけたり、こんなことならやらせなきゃ良かったなどと叫んだりしていた。私は血を見て動揺していたけれど、眠っている杏奈を見て、何だか今までと同じことが起きただけのような気がした。病院の先生もママも、みんな杏奈が自暴自棄になってやったことのように思っている。でも牛乳自殺の時のように、杏奈は命と引き換えてでも自分を成長させようと試みただけだ。ママはその壊滅状態の手でなおショパンを弾こうとしていたことに驚き、杏奈が正気を失ったと思ったみたいだけれど、違うと思った。

 杏奈は常人が諦めて引き返す地点でもなお前向きに、あくまでも正気のまま勝とうとするだけなのだ。杏奈は絶望したわけじゃなく、なお勝とうとしたのだ。目が覚めたらまたどんな淵へ飛び込んでいくか、その方が心配すべきことなんじゃないかと私は思った。

 でも、少なくともピアノからは目を背けさせなければいけないだろう。杏奈は包帯を巻かれた手で、楽器を弾くことはおろか物を持つことさえも禁じられた。完全に回復するまで数か月かかる。また痛みを感じずに物を握れるようになるまでどれぐらいかかるか。

 悲しいことに、私は杏奈からレッスンの話や、同級生がどんな曲を弾いているか、彼女が憧れる年長の少女がどんな練習をしているかを聞いて知っていた。杏奈が数か月の間、全く指を動かさないでいることが、彼女の友達との間にどのような差を作るものか、私は家族のなかでは杏奈の次によく知っていた。そして身体の成長のない杏奈に、時間の経過は何かを手にすることでなく、ただの損失にしかならないということも。

 かつて、彼女の下僕となるために運び込まれた楽器は、今や杏奈の寿命を縮めるかもしれない凶器に変わっていた。もはやピアノまでが「杏奈には危ない物」の一つなのだ。身体が成長しないことを理解して以降、ピアノの上達を生きる糧にしてきた杏奈にとって、死刑宣告でなくて何であろうか。「負けることを甘んじて受け入れ、ただ生活しろ」という命令に、杏奈は従うように出来ているだろうか。出来ていないのだ。だから度々自分の身体との衝突が起こる。お人形のように愛らしいけれど、昂る魂の入れ物にしては窮屈すぎるあの身体……。

 私は眠っている杏奈を抱えたまま、今更彼女を生活のどこに下ろしたらいいのかと途方に暮れた。もうピアノで他人に勝つことが出来ないということ、それを受け入れるにも時間がかかるだろう。またママと巡礼の旅に出るかもしれない。あるいは大人しく医者の言うことを聞き入れるかもしれない。また敵を倒そうとして奮闘出すだろう。でも種目を変えたところで、杏奈が目指すのはあくまで太陽の高みだ。どこかで無謀な跳躍をして墜落をしてしまうことは目に見えている……。

 杏奈が高校の最初の一年間を殆ど通学せずに、家で過ごしている間、私は杏奈の動向にそっと注意し続けた。そして殆ど何もすることなく中学を卒業した。進学も、就職活動もしなかった。私が中学の制服を着て、ママが杏奈にお気に入りのワンピースを着せて写したそれが、福岡のパパに送った最後の記念写真になった。それ以来、私たち姉妹のどちらにも行事みたいなものが訪れないから、写真を撮りようがない。

 私が進学しなかった理由は、親戚や友達から様々に憶測された。いずれもなぜか杏奈に対する批判めいたものだった。半分ぐらいはそうで、半分は違っていると感じた。確かに杏奈によって生活を牽引されていた私は、杏奈という馬車馬の足が折れて立ち止まってしまったような格好だった。

 でも私自身が歩いてどこかに行こうという気も起こらない。今まで私の先にはいつも杏奈がいて、彼女の目標があり、険しい道があった。でも今や、私たちの前にあるのはただの広い野原だ。この攻略のしようのない、幅の広い、余りにも平坦な道を、杏奈はどう歩いたらいいのかと思案していて、私も、彼女の後ろにいて思案したくなったのだ。ただ、今までの決定が全て杏奈を優先していたのに対して、これには少し自分のための事情も入る。

「何になりたいの?」

 と中学三年の進路相談で訊かれた時、私は驚いた。それは制約のある身体でどこかに飛び出そうとしている、杏奈にかけられた呪いだったはずだ。中学三年になると突然、私は私自身がその問いの当事者であるということを思い知らされた。

 不思議なのは、と思う。まず誰にでもそれなりに夢があることだ。みんなそれなりに恵まれ、杏奈ほどの制約があるわけでも、また逆に情熱があるわけでもないのに、私の目にはそれらの狭間でしか生まれようのないものに見えていた、夢とか目標というものを、普通の中学三年生がみんなして持っているということだった。何になりたい、と思うほど、みんな情熱に駆られているものなのか? 私が知る限り、情熱を持てるのは杏奈ぐらいの特別な人間だけだ……。

 そもそも、何になりたいかだって? 私は杏奈が静まってから、初めてただの生活というものに着手した気がした。家族の誰も外出せず、ただ食事しては寝たりして、この平穏な暮らしというものの素晴らしさを感じ出したところだった。ただ漠然と暮らしていること、それほど素晴らしいことはないのに。なぜ何になりたいなんて言い出すのだろう。なぜ挑戦したり戦ったりぶつかったりするんだろう。どうしてただ生息していられる身体をわざわざ、返上しようとするのだろう? それも誰のためでなく、「自分のため」に?

 私は今までこれといって、努力をしたことがなかった。道が出来るほど、閉塞した方角を持ったことがなかった。歩けばどこでもそこそこ通れた。ただ頂に上ろうという情熱も起こらない。どこへ行きたいと思ったこともなかった。ただ杏奈が走り出してしまうから、ママに後をついて行くように言われて従っていただけだ。

 ただ、険しい道を行きたがる杏奈が転んで、私は初めて立ち止まっていいことになった。方角を持たないただの野原を全身で享受する機会に恵まれた。私は、杏奈が走り続けなければ立っていることも出来ないのに対し、ただ垂直に生活に根を下ろし続けていることが、自分の身体に適しているように感じた。何になりたいかと言われれば、私はただ寝転んで生活を享受しているだけの人間になりたい。飛躍のない、挑戦のない、墜落のない日常を維持することが私の希望であり夢だ。

 あんたいい加減どうするの、とママが杏奈には絶対に言わないことを私に言い、私は自分の本心として今のようなことを、拙い言葉でママに打ち明けた。ママは柿の種を潰しながら私の話に半ば同意し、それ以上話すつもりはないという態度で、

「別にこれといってやりたいことがないんなら、働いてうちにお金入れてよ」

 と言った。

 ママが許す条件が分かると、私は益々他の人たちがする努力から遠ざかった。中卒で正社員で採用してくれるようなところは工場などしかなく、それほど働きたくない私は、フリーターになることを決意した。

 もうすぐ人生で勉強する時間も終わり、と思うと、中学の授業もふいに新鮮になった。それまで全然興味もなかった、古文の時間などがすごく面白く感じられた。別に税とかを納めなくていい、生活が楽なはずの、貴族たちがやたらにすぐ絶望するのが面白かった。「世を捨てる」という言葉がすぐに出てくる。失恋したぐらいで人生を捨ててしまうなんてアホだな、と思った。それから「みぐし下ろす」という言葉もよく出てきて気になった。

「みぐしってのは髪のこと。貴人が仏門に入るという意味ですよ」

 いつも授業の後でクリーナーで黒板消しを念入りに掃除するおじいちゃん先生が教えてくれた。

「ふうん、髪はどこやったの」

 私は先生の頭髪の薄いことを眺めつつ笑いを堪えながら尋ねた。先生はそういうユーモアがあったのか、また何かを思い出すような朧な仕草で頭に手をやり、

「切った、っていうことさ」

 その言葉を聴いた時、目の奥に痛みの稲妻が閃いたのを自分で感じた。


 家に帰ってからも、しばらく「みぐしおろす」が頭のなかにちらついた。別にすることもないから、国語の資料集を漫画を読むみたいにつらつらと眺めた。

 それによると、どうやらみぐし下ろすでも違いがあるらしく、丸きり剃って坊主頭にする場合もあれば、女の人の場合は、みんな髪がとても長いものだから、肩ぐらいまでに切っても「みぐしおろす」になるらしかった。

 私は小さい時から、杏奈より髪が長かったことがない。ママが杏奈の髪を注文通りに結うのに時間がかかるから、いつも簡単なショートボブにしていた。肩ぐらいどころか、耳を超すぐらいの長さしかなかった。流石に坊主頭にするのはちょっと躊躇われた。

 でも、私も「みぐしおろす」をやりたかった。杏奈が立ち止まり、何もしない生活に入って、自分から杏奈の抜けた分だけ、自分から薫子を下ろしたかった。そもそも「みぐしおろす」ほどに髪がない私は、どうしたら坊主にしないまでも、自分を下ろせるのだろうか……。

「薫子ちゃん、きっと金髪似合うよ」

 私が机に突っ伏して寝ている時、そう言って来たのが実花ちゃんだった。別に彼女に、出家願望やら剃髪願望やら、まして杏奈のことなどを話した覚えはなかった。ただの偶然というやつだと思う。

「鼻が高いし、なんかちょっとガイジンみたいだから。受験ないんなら、ブリーチしてみてもいいんじゃない、私面接があって茶髪禁止だから、自由に出来るなんて羨ましい」

 その日の放課後、二人してドラッグストアに寄って、私の髪を染める薬品を買った。お風呂場で使ったらツンとする匂いがした。全くのガイジンみたいな金髪じゃないけれど、確かに私の髪からは生命力が抜けた感じがした。

 制服を着て記念写真を撮り、それからも家にいたり、駅前に遊びに出かけたりしていた私に、自宅まで押しかけてきて、自分がバイトをしているスーパーでパートをするように勧めて来たのも彼女だ。ご丁寧に履歴書まで買って持ってきた。

「面接……、って何か、ちゃんとしなくちゃいけないんだっけ」

 と私が面倒くさそうに言うと、彼女は思い切り首を振った。

「髪のことは、私がおばさんたちに言ってあげるから大丈夫」

 彼女は絶対に大丈夫だ、というような自信を持って私にそう言った。

「だからお願い、面接受けるんならそのままで来て。私、金髪になった薫子ちゃんの顔が好きなの、だからあそこで働くんならそのままでいてほしい」

 それまで杏奈に寄り添ってばかりで、同級生と遊ぶということもあまりなかった私には、なぜ彼女がそこまで自分に執着するのか分からなかった。ただ、彼女のその情熱そのものを奇妙には感じなかった。情熱を持つこと自体、他人には価値が分からないものに執着することだから。この子もまた情熱家だったか、と思っただけだ。

 ね、ね、お願いと、私の生活のことだというのに、懇願しながら繰り返す彼女に、私は日差しで透けるぐらいに薄い色になった髪をつまんで、

「じゃあそうする」

 と言った。

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