微睡【完】

小鳥遊うた

微睡





 どういう定めかなんの運命の悪戯か、あたしは生まれてからずっと狭い檻の中で飼われてる。



 少しばかり人より敏感な耳は微かな物音すら持て余すことなく拾って、あたしの意識を無理矢理引っ張り上げる。目覚めのいい目がパッチリ開くとそこは昨日と変わらず明日とも変わらないだろう地獄の果てだ。


 裸のまま檻に放りこまれてるあたしみたいなのが他にどれだけいるのかはわからない。

 わからないけど夜になると毎晩誰かの泣き声がひっきりなしに聞こえてくる。


 泣いたってしょうがないのに。

 泣いたってここからは抜け出せないのに。



―――……あたしの一日は決まってる。


 緑の布を纏った人間が檻の前にやってきて、貧相なご飯を檻に投げ入れる。

そんなもの死んでも食べるかって思いはするけど、それを食べないと生きていけないから仕方なく食べるしかない。味気のない食事、変わり映えのしないメニュー。


 それが終わって暫くすると、お客様のお出ましだ。

お客様はじろじろと不躾に檻の中を眺めてはその表情に笑みを宿す。丸裸のあたしたちを見てただ笑うのだ。


 このロリコン野郎ども、なんて悪態をもう幾度心の中で吐いたのかわからない。そんなショーみたいな時間は永遠にも感じられるくらいに長い。


 勿論あたしたちが自由に檻から出る事なんて許される訳も無く、ずっと閉じ込められたままの檻の中に逃げ場所なんてどこにもなかった。

中には込み上げる尿意を我慢できなくて失禁する子だっている。そんな姿すら無遠慮に人前に晒された。


―――……ここは地獄だ。


 失禁するまだ幼い子を見た変態どもは時には恍惚とした表情さえ浮かべながら、目を逸らしてやることすらせず、じっと眺めてはあたしたちを辱める。それだけならまだしも気に入った子を見つけると世話係に檻から出させて、触るのだ。


 大きな手が幼い子の身体を這うよに撫で回す姿はこの世のものとは思えない程におぞましい。


 だけどそうやって客に気に入られることがこの地獄から抜け出す唯一の手段だ。この地獄から抜け出したところで待ち受けるのもまた地獄でしかないのだけども。



―――……その日は唐突にやってくる。


 いつもとなんら変わり映えのしないある日、あたしの檻の前で男の人が足を止めた。

 透き通るような白い肌のきれいな男の人。だけどこんなところに来るくらいだからこの人だって変態だってことに変わりは無い。


 それでもどうせ変態共に飼い慣らされる人生なら見てくれの悪い変態よりは良い変態の方がいいに決まってる。

だから抱き上げられても背中をなぞられても、それどころか頬ずりをされてもあたしは悪態一つつかずに大人しくされるがままになってやった。そんな従順な男の人は札束を世話係に渡してあたしを買った。

世話係は札束を受け取るとそれは嬉しそうににんまりと笑う。

 

 吐き気がした。


 札束と引き換えに買われたあたしの首にはその日のうちに首輪が嵌められた。


 どこにも逃がさないとでも言うように。

 どこにも逃げられないとでも諭すように。


 地獄から逃れた先、待ち受けていたのはやっぱり地獄だ。


 綺麗な顔をしたおとこの人は首輪を嵌めたあたしを見下ろすと、ゾッとするほどに綺麗に微笑んだ。

 その綺麗な笑みに怯えるあたしになんて気付きもしないまま優しい手で撫でると、頬に顔を寄せ口づける。咄嗟に顔を背ければそれすらも男を煽るだけなのか、男は怒るでも手を上げるでもなく嬉しそうに微笑を浮かべた。


 そうして男は言う。


「トイレの練習しようね?……おいたしたら、お仕置きだよ?」

―――……なんで、あたしばっかり、こんな目に…、


 男の手があたしを撫でまわす。

 男の唇があたしに何度も口づけを落とす。


 男はあたしの頭を時に優しく撫で、

 男はあたしの頭を時に激しくぶった。


 痛くて声を上げると、蹴り飛ばされることもあった。

 気づけば撫でられるよりもずっとぶたれる回数のが多くなっていった。


 最後にご飯を食べたのが何時だかもう思い出せない。

 最後にお風呂に入れて貰えたのは思い出すのも難しいくらいに昔の話な気がする。

 変わらないのは首に嵌められた首輪だけだ。


 その首輪も遂には外された。

 いつしか段ボールだらけになった部屋の中で、男はあたしのことも段ボールに入れる。

 あたしを入れた段ボールを持ち上げる前、久しぶりに頭を撫でられた。嬉しいとも悲しいとも思わない。


 それはあたしが男を見た最後になった。




 どういう定めかなんの運命の悪戯か―――……、


 段ボールから出された先、嗅いだことのない匂いが充満してる部屋の中、あたしは小さな台の上に繋がれていた。

 そんなあたしの頭を撫でる手の先を視線で追う。


 この人が新しいあたしの飼い主なのかって、顔を伺い見るけど大きな布に覆われてる口元と鼻の所為で顔はよくわからなかった。顔はよくわからなかったけど、何故かその人があたしを見つめる視線は酷く悲しげだった。


 それがなんでかはわからない。


「ごめんな。」


 それがなんでかわかる日なんて永遠に来ない。


 新しいご主人様はまるであたしを慈しむかのように優しく身体を撫でながら、もう片方の手に何かを握って近づいて来る。それを気色悪いとはなんでか思わなかった。


「次は幸せになれよ。」


 あまりにも悲しげにそう言うから、そんな顔しないでって言おうとした声は、



「ワン…ッ、」


 身体を刺すチクッとした痛みに途切れて消える。

 その声を最後に白く揺らめく微睡の中に落ちたあたしの敏感な耳は、それ以降一度も何の音を拾うことも無かった。



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