11話 運命の歯車

Chapter11 "Wheel of Fortune"



 カツ、カツ、カツ、


 松明たいまつの揺れるあかりりを頼りに、アーサーとメイは真っ暗な下水道を壁沿いに歩いていた。

 初春とはいえ、夜中の冷たい煉瓦の上では、体の芯まで凍えそうに感じた。

 さらに、汚物臭おぶつしゅう腐臭ふしゅうの混じった酸味さんみがかった強烈な臭いは、肌に縫い込まれていくようだった。


「大丈夫? 慣れてる僕でもこの臭いは…」

 …

「やっと処理場から下水畑への運搬が安定してきたんだ。これで街の衛生環境えいせいかんきょうもきっと良くなる。」

 …

 メイは何も答えず、アーサーの後をただついて歩く。

 子供の頃の2人の姿が重なって見えた。


「ここ、滑るから気をつけて。この先を曲がれば、未来への…」

(なっ!?)

 闇の先に獣の眼のような光が見え、身構えるメイ。


「メイ?どうしたの?」

 「おっそい! この臭すぎヤガる場所で俺様は…げほっ、げほっ!」

 アーサーが問いかけるのと同時に、闇の先から低い声が響いてきた。


(おっ、おおかみ?)

「げほっ…げほっ、クソっ」

 むせ込んでいる近衛服このえふく姿の大男は、まるで人狼フェンリルだった。


(へえ~ぇ)

 アーサーは、メイの驚いた顔を始めて見た気がした。


「レモンをひたして、ちゃんと鼻に当ててたの?」

 「お前を信じた俺が間抜けだったよ。鼻がモゲて気が狂いそうになりヤガッた…」

 アーサーは古い友人と話すように、普通に人狼に話しかけていた。


「あっ、そうそう、彼は守人。東洋の剥製術はくせいじゅつなんだって! 凄いよね? 万博に出るためにジパン?とかいう国から来たんだって!」

「ケッ」

 守人は小馬鹿にしたように鼻で笑う。

「さ~て、この階段を登れば、未来のお出ましだ! それと…警備が厳重だから、皆さん、お静かにね。」

 ギィーッ

 

 未来へのマンホールが口を開いた。


 鉄格子を取り除き、3人はガラスで覆われた「|La Galerie des machines《機械館》」と書かれた巨大な建物の中に忍び込んでいく。

 暗がりに浮かび上がる、巨大な歯車や鉄のアーチ、機械の群れ。

 メイは圧倒されていた。


「さぁ、こっち、こっち」

 しばらく歩いた後、アーサーに誘われて3人は大きな鉄のカゴの中に入って行く。

 すると、

 ウィーン、 ガチャン、ガタン

 大きな音を立てながらエレベータが登り出す。


(こんな大きな音、見つかる…)

 メイが警戒して周囲を見渡したその時、ガラスの天井しに月に照らされた幻想的なエッフェル塔の姿が飛び込んできた。

「ねっ、美しいだろ? これ、見せたかったんだ。」






      △ ▼ ▽ ▲ △


 捨て子だった。

 普仏ふふつ戦争(1870)の最中さなか、飛行船の開発をしていた技師アンリに偶然見つけられ、修道院に預けられた。

 なぜか感情を表現できない赤ん坊は自然と周りからうとまれ、少女に成長した頃には修道院にやってくる病人の世話を押し付けられていた。

 その修道院の世話係の家、アーサーはそこの息子だった。


 機械好きのアーサーに誘われ、少年と少女はアンリのところにしょっちゅう忍び込んでは様々なことを教わった。

 年老いて病気がちになっていたアンリは 2人をこよなく可愛がった。

 少女はアンリのために医学の勉強にいそしんだ。


 飛行船の完成を見ること無くアンリが亡くなると、アーサーは当時建設が進んでいた下水整備の見習い技師として、少女は貧困区スラムの看護師・世話係としてそれぞれの道を歩むこととなった。


      △ ▼ ▽ ▲ △






 美しい景色がメイに忘却ぼうきゃくの記憶を呼び戻させていたからか、小さな歯車の音が聞こえるまでメイはその灰色の存在に気が付かなかった。

(う、うさぎ?)


 カチッ、カチッ、カチッ


 時計の歯車のような音が大きくなっていく。

「よし、接続完了。」

 目をらしてその灰色の姿をとらえようとした瞬間、紋章もんしょうのような光が現れ、メイは白い光に包まれた。

 体が宙に浮くような、不思議な心地よい感覚。


「あなたがメイね? ミコよ、宜しく。」

 灰兎が居たところに、美しい黒髪をなびかせた少女が立っていた。

 傷んだ服と額の大きな傷が、彼女は歴戦の戦士であることを物語っている。


 その先には、見たことのない東洋の巨大な木門きもんが現れ、いざなうように扉が開いてゆく。

 メイは自然とその不思議な光景に引き込まれて行った。


(そういえば、アーサーは?)

 あたりを見回すが彼の姿はない。

 妙にくつろいだ姿勢で寝転んでいる人狼、守人が後ろにいた。

「何者?」

 「手が離せないから説明は後でね。そうね、あなたの仲間だから。」

(仲間?)

 それは、はじめて自分に向けられた言葉だった。

 「神の地、アガルタに向かっていヤガる。信じられるか?月さ。」


(ここは…空?)

 どのくらいの時が過ぎただろうか?

 メイは不思議な体験に魅了みりょうされている自分自身のことを奇妙に感じ始めていた。


 雲に浮かぶ巨大で荘厳そうごんな門が現れる。


「ヘブンズ・ゲート…?」


 ふと、メイの口から言葉が出てきた。


「人類はここには来られない。そうね、やっぱりあなたは…」

 コォーン

 美しい鐘の音色ねいろとともに門が開く。

 その先には、黄金に輝く広い丘陵きゅうりょうと、空に繋がる澄みきった小川、はじめて見る青白い精霊せいれいのような鳥たち、そして…


「あなたは神后シンコウではありませんね。」

(!?)

 優しく厳かで美しい音色が体中を春風のように通り抜ける。

 全てが清められたかのようだった。


(神?)

 直感で、そう感じてしまう輝く存在が、そこにあった。

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