第11話 戦乙女


『お前たち! 私に構う暇があったら、前に出ろ! しっかり戦えっ!』


 薄暗い体育館に凛々しく響く声。

 体育館の中の席には満員には届かないが半分以上の席が埋まっている。

 二百以上用意した席の半分以上が埋まっている時点で今日行われた公演の中で一番の集客になってはいるのだが、舞台に立つ生徒たちにとってそんな事実はどうでも良かった。

 なんせ公演の初め二百の席は満席で立ち見の人も大勢いる中、舞台が始まったのだから。

 そんな状況で始まった本日最も注目度の高い演目、それが辻綾菜のクラスの演劇だった。

 一人、また一人と体育館から出ていく生徒たちに辻綾菜のクラスの人たちは心を痛めながら舞台は続く。

 しかし、綾菜は心を痛めることは無かった。

 そんなことに気を配っている余裕が無かったのだ。


『何っ!? 私を守るのがお前の仕事だと!? 恥ずかしいことを言うんじゃあない! 私の方がお前よりも数倍、いや何十倍と強いのだぞ! このダメ兵士が!』


 壇上に上がる鎧をまとった紅葉色の戦乙女は叫ぶ。

 彼女の叫びは客席の人の肌を物理的に震わせるほど迫力があった。

(今の台詞、大丈夫かな。この後の展開に支障は……たぶんでない。当たり障り無い言葉は選んでるつもりだし)

 戦乙女同様、綾菜の心中も穏やかでは無かった。

 主役の欠落。

 台本を見ながら、主役を誰かにやらせることはできたかもしれないが綾菜は決してその方法をとることを良しとしなかった。

 故にとった方法は今の状況が物語っている。

 ヒロインである綾菜が主役もヒロインもこなすダブルロール。

 それが今の状況だ。

(思ったより厳しいな……展開に問題が出ないように即興で台詞を考えるのは! 主役の台詞を復唱するのは大丈夫。台詞は全役分覚えたもん。でも、それ以外の所でボロが出始めているかもしれない。それに……)

 それに辻綾菜は分かっていた。

 この方法では、絶対に成功しないということを。

 どれだけ面白い展開を作り直しても、どれだけ綺麗な振る舞いで、どれだけ人の心に響く演技をしても、どれだけ今やっている演技の違和感を隠し通したとしても、それは結果につながる過程でしかないのだ。

 この舞台を一人でラストに持っていくことは出来ない。

 一人では恋愛などできないのだから。


 その後も綾菜は知恵熱でも出すのではないかと思うぐらい頭を回転させ、演劇をそつなく展開させていく。

 主役の欠落と言う最悪の事態に陥りながらも、何も事情を知らないお客から見れば普通に楽しめる演劇で違和感はほとんどなく、単純に『辻綾菜の演劇』と言う色が濃く出たものとなっていた。

 ただ、元の台本を知っているクラスの人たちから見れば一目瞭然。

 話の流れが変わることは無いが、シリアスな面白さを持った作品が、辻綾菜によってギャグパートを含んだコメディ的面白さを持った作品に生まれ変わる。

 舞台裏で待機する彼らはそのことを分かっていて、それでいて認めていた。

 少なくとも主役不在で舞台中止になるより良い、というのが彼らの総意であった。

 初め涙ながらに舞台が失敗してしまうと状況を悲観していた者たちも、今では笑顔を浮かべ参加者でありながら客席同様舞台を楽しんでいる。

 体育館の中の誰もが、一抹の不安も抱えることは無かった。

 唯一人、今まさに部隊の中央でスポットライトを浴びている戦乙女以外には。

 ついに舞台はラストシーン。

 兵士の告白シーンへと向かう。

(やっぱりこのシーンは無理だよ……後で脚本担当に怒られるだろうけど、どうにか面白おかしく。尻切れトンボで終わらせて、ナレーションで何とかするしかないのかな!?)

 一瞬綾菜は顔を歪ませる。

 言葉を選びながら即興で舞台を作り上げるのは精神をすり減らし、流石の綾菜と言っても限界が近かった。

 限界を周りに悟られないように、表情を整えこれまで通りの戦乙女の顔で言う。


『心はあなたを求めているのに、その思いに私は気付いているのに! どうして! ああ、どうして! 一歩踏み出すことが出来ないのだろうか!』


 哀愁を感じさせる語りは客席を魅了し、感情移入を余儀なくさせるほどだった。

 言葉ではなく、感覚に語り掛ける何かが彼女の声には宿っていた。

 会場から一つの雑音も消えた。

 一筋の月光が戦乙女を照らす。


『私は一軍を率いる戦乙女。欲しいものは全て手に入れてきた。だが、本当に欲しいものは未だ手に入らない。勇気が欲しい。ただ一言、思いを告げる勇気が!』


 力強い叫びが会場を震わす。

 今まで何度も聞いている舞台裏のものまで鳥肌が立っていた。

(ここまでか。勇気を町市場に買いに行くことにして……お話は終わりだ。幸い、古くから受け継がれる何もかもネタにできる魔法のBGMを音響係が持ってる。白けた空気で終わるのだけは避けられるだろう。)

 一度強く目をつぶる。

 そして覚悟を決めて、口を開く。


『そういえば』

『勇気が欲しいのですか!!』


 静まり返った体育館の入り口の方から声が響く。

 突然のことに客席が少しざわついた。

 会場は暗くて綾菜の立つ壇上からは先程の声の主が視認できない。

 しかし、綾菜はそれが誰の声で、何をしに来て、この後どうなってしまうのか全て分かっていた。

 思わず、凛々しくも儚い戦乙女の頬が緩む。


「遅い…………遅いよ」


 綾菜は涙を振り払う。


『遅いぞ!! この、ダメ兵士がああああ!!!!!!!』


  *


 気付くと僕は走り出していた。

 澄や兎莉、それに昌平にも悪いけど、先輩を助けるのは僕にしかできない。

 それが分かっているから後には引けなかった。

 教室の前で並ぶ、僕たちのお饅頭を食べようと足を運んでくれた人たちを尻目に廊下を駆ける。

 先生とか風紀委員に見られたら間違いなくアウトだ。

 しかし、今はそんなこと気にしている余裕が無かった。

 階段付近に備え付けられているトイレに駆け込む。

 中に入ったとたんに僕は女装のために付けていたウィッグを投げ捨てる。

 手洗い場で顔を洗い、メイクを粗方落とすと僕はすぐにトイレを後にする。

 所要時間は一分も満たない。

 水で濡れたままの顔を走りながら袖で服と僕は階段を駆け下りる。

 二階に降りると『温泉研究部』のお店の教室の前に数人の客が並んでいるのが見えた。

 この人数だったら『温泉部』の方が繁盛して……


「えっ?」


 僕はそこまで考えて階段を踏み外していることに気付く。

 くそっ、考え事しながらは危険だろ!

 まして、今は慣れない仲居服だぞ!

 今から体勢を立て直すのは……っ!

 僕は転ぶことを確信し、受け身を取るべく頭を手で抱え階段を転げ落ちる。

 ゴキッ!

 嫌な音が鳴ったのが自分でも分かった。

 腫れてはいないが右腕が異常に痛い。

 内側から込み上げる痛みが僕を襲う。

 腕がジンジンジンジンと熱を帯びる。

 骨折しているかもしれない。

 だけど、骨折は病院で治療すれば何とか取り返しがつく。

 先輩の演劇は失敗したらもう取り返しがつかないのだ。

 骨折なんかで足を止めるつもりなんて無かった。

 階段を落ちた時の音で、何が起こったのかと心配になったのか人が集まってきたが、僕はそんなこと気にせず走り出した。

 一歩踏み出したところで、左足に若干痛みを感じる。

 階段から落ちた時に挫いたんだとは思うがこちらはそこまで痛くない。

 一階まで降りると僕は空いていた窓から裏庭に出る。

 普段はこんなことしないけど、直線距離で考えたらこの道が一番体育館に近い。

 日陰の草花には、依然として朝露がついていて僕の足首を濡らした。

 ひんやりとして足の痛みが和らいだように感じる。

 真っ直ぐ前だけ見て走り続け、ついに体育館に到着した。

 古くて錆付いた重々しいドアに手を掛ける。

 中から声が聞こえた。

 何十、何百と聞いたあの声が聞こえる。


『私は一軍を率いる戦乙女。欲しいものは全て手に入れてきた。だが、本当に欲しいものは未だ手に入らない。勇気が欲しい。ただ一言、思いを告げる勇気が!』


 次の台詞が何だったか、何度も練習した日々と共に浮かんできた。


『そういえば』

『勇気が欲しいのですか!!』


 只々、力の限り叫んだ。

 僕の叫びに、先程まで静まり返っていた客席がざわつく。

 当たり前だ。

 会場の誰も後ろから声がかかるなんて想定してない。

 兎に角。

 本当にギリギリ、最終局面にだけ現れる巨大ロボよろしく、僕は間に合った。

 客席の人たちが皆僕の方を見ている。

 舞台に乱入するような形になったことを今頃自覚し、緊張が足を竦ませた。

 大きく深呼吸する。

 会場の空気を肌で感じ、今まで綾菜先輩が一人で作り上げてきたこの世界観に身を溶かす。

 自然と僕の意識は薄くなり、兵士としての自覚が込み上げてきた。

 それに伴い全身の痛みが引いて行く。

 これは所謂トランス状態という奴なのだろうか。

 理由は分からないけど、痛みが引くのは都合が良かった。


『遅いぞ!! この、ダメ兵士がああああ!!!!!!!』


 戦乙女の叫びが僕の思考を断ち切る。

 空気すら震わす彼女の言葉を全身に浴びて、演技と分かっていても思わず委縮してしまう。

 これが綾菜先輩の本気の演技か。

 迫力は練習の比では無かった。


『…………まあ良い。早くこちらに来い』

『はい! 今すぐに!』


 戦乙女に呼ばれるまま、僕は観客を二分する真ん中の道を渡る。

 前まで行くと綾菜先輩は手を差し伸べ、僕は左手でその手を握る。

 今は痛くないと言っても右手は使わない方が良いだろう。

 暗い会場の中、ライトが照らす壇上の上に立つ。

 壇上の上に上がってみて、意外なことに、緊張というものはあまりなかった。

 息が上がる程全力で走りここまで来たため緊張を感じる余地が無いと言ってしまえば確かにそうだけど、それ以上に観客の顔が暗くて良く見えないというのが大きいかもしれない。

 水族館の水槽と同じ原理だ。

 僕の世界には、木や城などの劇の小道具、眩しいライト、それに綾菜先輩……いや、戦乙女だけしかいない。


『よく来てくれた、兵士よ。ところでその恰好は何だ? 随分と不抜けた格好をしているようだが』

『あっ、そう言えば。これは浴衣…………のようなものです、戦乙女』


 自分の今の服装を見て慌てる。

 実際は仲居服なのだが、そこのところは良いだろう。

 仲居服と言って説明求められても困るだけだ。


『ほう、知っておるぞ。温泉に入った際に着ると言われるあれだな。温泉、温泉……そうだ!確か、風の噂で聞いたのだが西館の三階で『温泉部』なる者たちが美味しいお菓子を出しているらしいな!』

『…………良くご存じで。流石です、戦乙女』


 会場から笑い声が聞こえる。

 さらっと『温泉部』の宣伝したけど良いのか!?

 全く、フォローする方の身にもなって欲しいものだ。

 だけど、突然舞台に入り込んだ僕の場違い感を薄めるためにも必要なことだったのかもしれない。

 事実、会場のざわめきは静まっていた。

 抜け目ないな、綾菜先輩は。

 舞台に現れた突然の来訪者を一瞬で舞台の役者に引き上げた。

 綾菜先輩はコホンと咳ばらいをし、腰に備えるサーベルを掲げる。

 サーベルの指す先には黄色く光る月が輝いていた。


『兎に角………だ。ちょうどいいときに来た。今宵は月が綺麗だ。この月ならば我が告白も成就するであろう』


 何かに祈るように腕を胸に当てる。

 その姿はさながら信仰深い修道女に匹敵する。

 目があったらドキッとしてしまいそうな、純粋で愛おしい乙女の表情を一瞬見せた。


『兵士よ。私は君を愛している』


 戦乙女は叫ぶこと無く、そう告げる。

 その声は決して大きなものでは無かったが深々とした会場に良く響いた。

 ワンテンポ遅れて、会場が沸く。

 拍手が飛び交い、指笛がやかましく鳴る。

 今日最後の演目が無事に完結……えっ?

 完結じゃない。

 と言うか、今の綾菜先輩の台詞は台本に無かったはずだ。

 台本にはないが、どうしても僕は今の綾菜先輩の台詞を知っている。

 スポットライトが先輩を照らしている。

 ふと脳裏に浮かぶは、いつの日かの放課後の時計台。

 目の前の光景と重なった。

 そうだ。

 あの時もそうだった。


 綾菜先輩が自分の運動神経を見せつけるかのように綺麗な後方宙返りを決め僕から距離をとりスポットライトの真下に向かった。

 空に浮かぶ月を眺めて、先輩の雰囲気は変わった。


『おお、ちょうどいいときに来たな。今宵は月が綺麗だ。この月ならば我が告白も成就するであろう。兵士よ。私は君を愛している。』


 演技中の凛々しい雰囲気を纏いながら言い放つ。


 …………と、この後僕はシナリオを勝手に変えないように釘を刺した訳だけど、本番でまさか実行してしまうとは。

 本人はなんだか満足げで、してやったと言うような顔をしていた。

 僕は会場の盛り上がりに乗じて綾菜先輩に話しかける。


「ちょっと、先輩! 何勝手に終わらせてるんですか。僕は台詞覚えてるんですから、そのままの台本で良かったじゃないですか!」

「何言ってるんだね、颯たんは。主役の欠損を私がカバーしてここまで持ってきたんだから、これはもう戦乙女の舞台でありながら、辻綾菜の舞台でもあるのだよ? ラストをどう飾ろうとも問題はないではないか」

「戦乙女みたいな口調で言われても、ダメなものはダメです」

「えー、そんなオーボーな!」

「いや、横暴なのは先輩ですよ!?」

「グダグダ言ってても、状況は変わらないよ! リアルを受け入れるんだー! ほら、颯たん! 気を引き締めて! 舞台はまだ続いてるんだからね~!」


 えっ?と言う僕の疑問の声は会場の声の前に霧散する。

 見ると、先輩は既に戦乙女の面目で僕の前に立ちはだかっていた。

 パンパンと軽く手を鳴らす。

 ざわつく会場に良く響いた。

 手拍子一つで会場の意識を総ざらいにする。

 戦乙女の巨大な存在感がそこにはあった。


『それでどうなんだ、兵士よ?』

『どう、とはどういうことでしょう?』

『とぼけるでない。我は思いを告げたぞ! 貴様はどうなんだと聞いているのだ!』

『それは……』


 戦乙女は戸惑う僕を捲し立てる。

 台本にこんなシーンは存在しない。

 しかしどうだろう。

 何とか、もとの台本に戻すことはできないだろうか?

 綾菜先輩にやられっぱなしと言うのは癪だと思う。

 僕は変わってしまった台本をもとに戻して綾菜先輩への仕返しとしようと決意した。


『戦乙女よ。あなたはどうお考えか?』

『質問を質問で返すんじゃあない』

『何故……どうして私は今ここにいるとお思いですか?』


 一瞬、戦乙女の表情が綾菜先輩のそれになり頬を膨らませた。

 先輩も僕の意図に気付いたんだろう。

 すぐさま戦乙女になる先輩の目は先程よりも熱く燃えているように思えた。

 怒ってはいない。

 寧ろ楽しんでるんだと思う。

 それは楽しいだろう。

 何故なら、僕も楽しいのだから。

 心臓は早鐘を打ち、緊張で足が竦んで毛が逆立つ。

 大勢のお客に囲まれるこんな状況を僕はなかなかどうしてワクワクしていた。


『何故か。それは、たまたまであろう。貴様がここに来たのは偶然だ』

『いいえ違います。私がここにいるのにはきちんと理由があるのです、戦乙女よ』

『そんなはずがない。偶然であることなど、貴様の格好が物語っている』


 格好?

 僕は今一度自分の格好を見直す。


『浴衣を着ているであろう?それは温泉に入った後に着るものだ』

『…………っ!』

『貴様は温泉に入り宿舎に戻る途中、偶々、偶然我を見つけ来たのであろう?』


 しまった。

 会場のみんなが見ているし、僕がこの物語の中で浴衣を着ているというというのは事実として扱われて当然だ。

 ここに来て、この格好が仇になるとは!

 僕は心の中で毒づいた。

 先輩は僕のそんな気持ちを知る由もなくづけづけと続ける。


『……と言うわけだ。大人しく私のことを好きって言え~!』

『ちょっと、待ってください! キャラがぶれています、戦乙女!』

『キャラとか言うんじゃあない!』

『戦乙女よ、貴方は一つ大きな間違いをしておられます。浴衣は…………温泉に入った後だけに着るものではないのです!』

『何ぃ!?』


 戦乙女はわざとらしく驚愕の声を上げる。

 浴衣と言えば、夏祭りと思いつく人も多いと思う。

 寧ろ、浴衣を温泉後に着る人が少ないんじゃないだろうか。

 失われつつある美しき日本文化。

 と言うか、僕は『温泉部』に入って活動してるわけだけど今まで浴衣を着たことが無かった。澄たち女性陣は着ているのだが。僕も今度着てよう。


『確かに……言われてみれば、浴衣を着ているからと言って温泉に入ってきたと考えるのは些か早計であった』

『分かっていただけましたか』

『では、貴様が今浴衣を着ているのには理由があるということだろう?それを聞かないことには我は納得できない!』

『……っ!』


 まるで子供の喧嘩だが、そう言われてしまってはこちらも言い返すしかない。

 理由、理由……理由か。

 普段そこまで使い慣れない頭を使ってそれらしい理由を考える。


『鎧が壊れてしまって着るものがこれしかなかったのです』

『そんなはずはない。貴様はついさっきまで戦場で鎧を着ていた。壊れたり、かけたところなど一つも無かったぞ』


 戦乙女は得意げにそう返す。

 僕は苦々しく唇を噛む。

 綾菜先輩はさっき、これは戦乙女であり辻綾菜の舞台だと言っていた。

 それは本当のことだったのだと実感する。

 先輩はこの話のシナリオを一字一句もらさずに記憶している。

 対して僕は一通り台本を読みはしたが、綾菜先輩との読み合わせで読んだ兵士の出てくる場面しか詳しくは知らない。

 こういう話し合いは圧倒的に知識の差がものを言う。

 僕と先輩の間には知識で大きく差をつけられていたというわけ……いや、ちょっと待て。

 そもそも僕はこんなシーンを知らない。

 シナリオで戦場に行くシーンはあったが、告白のラストシーンと同じ日かどうかは分からないような書き方だった。

 それなのに、綾菜先輩はあたかも兵士が先程まで戦場に居たかのように語った。

 これはつまり、もうこの舞台のシナリオは僕が知っているものと違うのか?

 ゆっくりと視線を先輩に移す。

 こちらの思考を読んでなのかは知らないが、ニタリと不敵な笑みを浮かべていた。

 どうやら、この演劇は文字通り彼女が作り上げた舞台になっていると見て間違いないだろう。

 これは弱ったな。

 僕が今知っている情報は先程まで兵士は戦場に居たという事実……

 何か違う良い手は無いかと考え、考え、考えて僕は一つ閃いた。

 閃くなんて大層な物じゃない。ただの人真似だ。


『失礼、戦乙女。少々記憶が混濁していた』

『なるほど』

『これを見てください、戦乙女よ!』


 僕はそう言って、仲居服の右の袖をめくる。

 出てきた赤く腫れた腕を戦乙女に見せつけた。

 途端に戦乙女は顔面蒼白になる。

 空論同士のこの弁戦、現実で証拠を見せてしまえば、それはもう事実として採用されなければならない。

 先輩が先程やったのと同じことだ。


『私は戦の途中に怪我をしました。医務室で治療を受けたのですが、その時に右腕を圧迫しない衣服を探していたところこの浴衣があったということです。ご理解いただけましたか、戦乙女?』

『くっ…………! 納得したよ。我の負けだ』


 今度は立場が逆転し、先輩が苦虫を噛んだような表情でそう告げる。

 こうして僕は何とか先輩との小競り合いに勝利した。

 劇を正しい流れに戻せてよかったと思う。

 やれやれと言った表情で戦乙女は口を開く。


『では潔く貴様の問いに答えるとしよう。確か、何故貴様がここにいるのかと言う問いであったな?』

『その通りであります、戦乙女』

『…………そうだな。もしや貴様は何か連絡を伝えに来たのか?』

『いえ、違います』


 きっぱりと告げる。

 僕の一言を聞き、心なしか舞台裏の人たちが安堵の息を洩らしているように感じた。


『なら、何故だ? 主の様子がおかしかったから心配して来てくれたのか?』


 三十分超の文化祭最後の舞台。

 僕はその最後を胸を張り、心して飾る。


『いえ、違います。僕は決して貴方が困ったり、何か悲哀に満ちた様子だったからここに来たのではありません。貴方の姿が見え、貴方の声が聞こえ、貴方の匂いがした。私がここにいるのは唯それだけが理由なのです』

『ああ、貴様も同じであったか。恋とは温かい……このようなものであったのだな』


 戦乙女は小さく呟く。

 それと同時にスピーカーから終わりを告げるオルゴールの音色が流れる。

 星が瞬くような調べだった。

 放送室を見ると、裏方に回っていた音響の人が親指を立ててウィンクしていた。

 僕は突然舞台に割り込みしてしまったわけだけど、先輩方は怒っていないようで一安心だ。


『かくして、初恋を成就させた戦乙女は…………』

『ところで!!!』


 エンディングのナレーションの声を遮り、綾菜先輩が叫ぶ。

 突然の先輩の台詞はハウリングし、会場内に耳をつんざく高音をまき散らしながら響いた。

 オルゴールが鳴りやみ、拍手をしかけた生徒もその手を止める。

 突然の叫びに僕の心臓も止まるかと思った。

 再び放送室を見ると、先輩方は額に青筋を浮かべつつ、満面の笑みを浮かべていた。

 間違いなく怒っている。

 一方、舞台袖に居た先輩たちは皆それぞれ違った反応だった。

 怒っている者、呆れている者。

 否定的な感情を抱く人が大半の様に思われたが、それはほんの数秒の事。

 直ぐに皆は綾菜先輩に対し期待を込めた眼差しを送った。

 先輩たちは僕よりも一年、それ以上に綾菜先輩と学園生活を共にしてきた。

 きっと僕以上に綾菜先輩のことを理解していて、僕が知っているようなことは先輩方も知っているだろう。

 辻綾菜と言う僕らの生徒会長のことを。

 強がりで、負けず嫌いで、努力家で、明るくて、頑固で、自分の言ったことは絶対に曲げなくて、勝手に物事を決めて、勝手に周りを巻き込んで、それでいて周りの者を決して後悔させない。

 今回もきっとそうだ。

 僕も胸の鼓動が大きくなり、鳴りやまない。


『兵士は我のことを好きだと言うが、どのようなところが好きなのだ? ん? 答えてみろ!!!!』


 戦乙女は無理難題を突き付ける。

 やっぱり僕は綾菜先輩に勝てなかった。

 胸の鼓動は最高潮。

 破裂しそうだ。


  *


『兵士は我のことを好きだと言うが、どのようなところが好きなのだ? ん? 答えてみろ!!!!』


 凛々しい声が良く響いた。

 満面のしたり顔で高らかに宣言する戦乙女。

 一方の兵士は顔色が良くなく、小突けば倒れてしまいそうだ。

 暫し黙りを決め込んだ兵士に痺れを切らし、戦乙女は口を開く。


『我は答えられるぞ! そうだな……いつも私を守ってくれるところ!!』

『…………』

『何を黙っているんだ!? 先程の様に流暢に、ペラペラと話せばいい! ただそのまま……思ったことを口にするだけでいい』

『思ったことを……』


 俯いた兵士は、その一言で顔を上げる。


『答えはその中で見つかる!』


 戦乙女はその目で兵士を据えながらも、自らに言い聞かせるようにそう言った。

 彼女は王国の一軍を率いる戦乙女――先導者だ。

 戦乙女の言葉は兵士の目指す先の目印を提示する。

 兵士の虚ろな眼差しで目印を探した。


『…………誰よりも強いところ!!』

『なあに、それなら私は、その無精髭が好きだ!!』


 一歩。


『凛々しい立ち姿が好きだ!!』

『剣を構える姿が好きだ!!』

『お褒めの言葉ありがたい。透き通る声が好きだ!!』


 また一歩。

 兵士は戦乙女の目指す場所へと足を共にする。

 霧がかかったようにぼやけていた視界は段々と霧払いされていく。

 目的地は未だに兵士には分かっていない。

 ただ、目の前の戦乙女について行く。

 無心でついて行く。

 兵士の顔は自然と笑っていた。


『少し頼りないところが好きだ! その真摯な態度が好きだ! 私の言葉に耳を傾けてくれるところが好きだ!!!!』

『居るだけで戦に勝てる安心感が好きだ! 男勝りなところが好きだ! それでいて心は乙女なところが好きだ!!』


 それからも二人の言い合いは続く。

 スポットライトは向かい合う二人だけを映していた。

 照らされる眩い空間だけが彼らの世界だ。

 ただひたすらに互いの好きなところを口にする。

 もう三分たった。

 兵士の意識は段々と無くなっていき、浮かんでは消えていく言葉を消える前に口にする。

 戦乙女も同様だ。

 考えるよりも先に口が動き、それはもう演技と言うにはかけ離れたものだった。

 薄れゆく意識の中で二人の意識は混ざり合う。

 最後の力を振り絞り互いに咆えるように、己の内を解き放つ。

 演劇は今度こそ本当に終局を迎える。


「いつも私を褒めてくれるところが好きだ!! あの時からずっと大好きだ!!!」

「信念を曲げないところが好きだ!! 貴方は貴方だから大好きだ!!」


 次の一言。

 戦乙女が何を言うのか、兵士には自然と分かっていた。

 視界は開け、夜空に光る一番星を見つける様に容易い。

 考えるまでもなく、ましては考えていては見つからなかった。

 戦乙女が顔を上げ、口角を上げ笑う。


『我は貴様を……!!!!』

『私は貴方を……!!!!』

「『愛しているっ!!!!』」


 瞬間、パチパチと銃声の様に拍手が響く。

 スポットライトが弱まり、世界は黒く塗りつぶされる。

 それより先に颯太の視界は暗転し、倒れる彼を綾菜が抱き留める。

 綾菜の叫び声は拍手の音に掻き消された。

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