第10話 部長の危機


 準備室を出ると、丁度昌平が客引きから帰ってきたところだった。

 走って戻ってきたのか、ハンドタオルで額を拭っていた。

 僕に気付いて、一瞬昌平は固まる。

 仕方ないか。温泉部じゃない誰かが突然温泉部の従業員として働いてるんだからな。

 僕は軽く昌平に手を振り、お客の注文を取りに行く。

 すたすたと仲居服を踏まないように注意しながら歩き、テーブルに向かう。

 テーブルは、学校の机をくっ付け上から風呂敷を掛けた簡易なものだけど、甘味処っぽい雰囲気は出せていた。

 お客を見ると恐らく三年生の野球部らしき先輩たちが四人座っていた。

 何故野球部なのかと言うと、丸刈りだからだ。偏見じゃないか。

 野球部が丸刈りになるのってチームに強制されてやっているのかな?

 そんなことは置いておいて、女装接客初っ端から三年生に当たってしまうとは僕はつくづく運が無いなと思う。

 しかし、くよくよ悩んでいても仕方がない。

 澄に言われた通り、小声で声をかける。


「…………ご注文は?」

「ほうじ茶とクリーム大福を四人分頼む」


 ピッチャー(推定)の丸刈り先輩が淡白な物言いで注文を言う。

 僕はコクリと頷いて、準備室へと向かった。

 何とか最初の接客が終わったな。

 案外終わってみればあっけない物だった。

 全然変な風にみられてなかったと思うし、僕の女装は完璧なんだと思う。

 心の中で軽くガッツポーズをする。

 ……って、何で僕は喜んでるんだ!?

 これじゃあ、本当に女装趣味の人みたいだ。

 違う、断固違うぞ。

 ぶんぶんと首を振り、思考を断ち切る。

 茶色の箱の中から『あさま荘』の焼き印の押されていないお饅頭を取り出してお盆に乗せる。

 作り置きしていたほうじ茶も小さな湯呑に注ぎ準備完了だ。

 再び準備室の暖簾をくぐり、表に出る。


「……ご注文の品です」


 か弱い声を作って、品を渡す。

 一応、顔を下げて暗い感じの女の子を装い、声と見た目のギャップを出来るだけなくすように努めた。

 お饅頭を届けて僕がテーブルから去ろうとしたとき、野球部席のキャッチャー(推定)から声がかかる。


「君……一年生? 楓ちゃん……ね。あんまり見ない顔だけど、温泉部じゃないよね?」


 っ!?

 まさか、疑われてる?

 僕の完璧な女装が……!?

 取り敢えず、一年生であると信じてくれた方が都合が良いので話を合わせる。

 僕はゆっくりと頷いた。


「へえ、そうなんだ。温泉部の手伝いなんて大変だね」


 やれやれとさながら欧米人の様に天を仰ぐ。

 疑われているかと思ったけど、ただ、ねぎらっているだけようだ。

 僕は胸を撫で下ろした。


「そうだ、この後休憩あるでしょ? ちょっと一緒に文化祭回らない?」


 丸刈りのピッチャーが席を立ち机に手を置き言う。

 何やら様子がおかしい……ように思えた。


「まだ学校に慣れてないだろうし、俺が案内してあげるよ」

「おいwww」

「抜け駆けかwww」

「ちがうwww」


 レフトとファースト(共に推定)も加わり何やら盛り上がり始める。

 もしかして……


「一緒に回った方が絶対楽しいよ!」


 僕、今……


「そうだ! 後で落ち合うためにメアド教えてもらっても良い?」


 ナンパされてる……!?

 ナンパされるのは初めてなんだけど、女装して心が乙女になりつつある僕の心臓がバクバクと…………するわけなかった。

 悪い意味でバクバクはしているかもしれないけど。

 これが……恋?みたいな感じにときめいたりはしていない。

 若干鳥肌が立っているのが自分でも分かる。

 仲居服は長袖で肌が出ることが無いから見えてないのが救いだった。

 いや、こんなんで救いとか思っちゃダメだろ。

 僕は心の中で突っ込み、本当の救いを求めるべく今現在接客していなくて、教室の隅で待機している澄に視線を送る。

 澄はすぐにこちらの意図に気付き、口パクで何かを伝えてきた。


『女の私より先にナンパなんて許しません』


 ちょっと、何で嫉妬してるの!?

 澄ナンパされたかったの!? 助けてよ!

 明らかに顔が笑っているので、面白がっているのは間違いなかった。

 澄はダメだ。

 正直頼りたくはないが、最後の手段で昌平に視線を送る。

 丁度、注文を取り終わったところだった昌平はすぐに僕に気付いて、準備室による前に僕の方へと歩み寄る。


「どうしましたか? お客様?」


 四人の先輩に物怖じせずに問う。

 昌平がそう言うと先輩たちは少し不機嫌そうな顔をした。

 昌平が結構ビビりなのは知っているが、澄のお婆ちゃんに鍛えられた昌平はもう野球部の先輩ごときではビビらない身体に改造されていた。

 先輩たちが各々


「いや、ちょっと楓ちゃんに用があってね」

「嘘つけwww」

「ナンパだろwww」

「ちがうwww」


 と言い訳を口にする。

 って、やっぱりナンパだったのかよ。

 先輩たちは四人でがやがやと話し始めてしまい、話に割り込みづらい雰囲気だ。

 しかし、今日の昌平は違かった。

 一歩前に出て、僕の肩を抱き……


「すいません、先輩方。楓は俺の彼女なんで」


 決め顔でそう言った。

 肩を抱かれた僕は鳥肌が最高潮にまで達し、仲居服と擦れて痛いぐらいだった。

 昌平の一言に四人は一瞬固まり、途端に笑い始めた。


「いや~温泉部員の彼女さんだったか! ごめんごめん、だから温泉部の手伝いをってことね」


 良く分からないけど、一人で納得してくれたキャッチャーに僕は頷くことで同意した。

 話がとんでもないことになってるけど、あまり喋ると男ってばれて今後の学校生活に響くし弁解はしない。

 何とか事態が収束し、僕と昌平はその場を離れた。

 ホッと胸を撫で下ろす。

 それから暫く注文が入らなそうだったので、隣にいる昌平にお礼を言おうと口を開く。


「ありがと、昌平……」

「礼はいらないぜ。それよりさっきはごめんな。いきなり彼女だなんて言っちまって」


 僕の言葉を遮り、昌平はそう言う。

 予想以上に速い返しに僕は少し驚く。

 まるで、僕が礼を言うのを待っていたかのような速さだ。


「俺は、まあ……そのなんだ。あの言葉通りでも良かったんだけどな」


 ん????

 何を言ってるんだ昌平は?

 僕の脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされ、軽いめまいがした。

 忘れてたけど、昌平は僕こと『楓』が『颯太』であることを知らない。

 まさか昌平まで僕のことをナンパしようとしてる!?

 僕は甘かった。

 前門の野球部に気を取られ、後門のお猿さんに気付かなかったのだ。


「昌平、勘ちが……」

「おっと、お客様が俺を呼んでいる。ちょっと行ってくるぜ」


 またも遮り、気障な台詞を捨てて店員を呼ぶ客の方へと歩いて行った。

 去っていく後ろ姿を見ていると、何やら後ろ手に合図を送っている。

 手を握って開いてを五回繰り返す。

 いや、キモイだろ。

 ア・イ・シ・テ・ルのサインをしてるんだと思うんだけど、それにしても気持ちが悪かった。

 僕は先程の鳥肌をはるかに超える鳥肌が全身を襲い、身震いした。

 限界を超えた鳥肌がそこにはあった。

 どうやら、前途多難な雰囲気を感じ取りつつも僕は覚悟を決めて一般開示の文化祭に挑んだ。


  *


 西館。

 透き通るような白銀を揺らし、少女と言うには若すぎる幼い娘が階段をピョコピョコと上がっていく。

 純白に桃色の線が入った和服という服装も相まって、幼女はまさに雪兎だ。

 兎では無い。寧ろ逆。

 いや、本当のことなど分からない。

 幼女――九重姫乃は行き交う人をその白銀の髪で魅了し振り向かせながら、あてもなく校内を散策していた。

 姫乃は階段を上り、二階に着くと何やら賑わっているのに気づいた。

 賑わいの発信源は教室であり、そこからはお腹が空いていなくても思わずお腹がなってしまうほどに食欲をそそる香ばしい匂いを発している。

 事実、九重姫乃の腹はなっていた。

 幼女は一息で決心し、目の前の賑わうお店の列に並ぶ。

 姫乃が並んだ後にも、人はどんどん彼女の後ろに増えて行った。

 人が増えるにつれて、姫乃は自信に対する視線が増えていっていることに気付く。

 すれ違う人がほぼ間違いなく振り向いてしまうような、ただならぬ雰囲気を持つ彼女だ。

 この状況は仕方ないだろう。

 そして、今列に並ぶ人が増え始めている原因が彼女自身にあるということを彼女は気付いていない。


「なんだか視線を感じる気がするのじゃ……! もしかして、童人気者!? わはは!」


 小さく愛くるしい手で口を押えながら小さく呟く。

 列に並ぶのは退屈ではあるが、楽しいことを考えることで気がまぎれる。

 思考をプラスの方向に持っていくことが重要なことであると、幼女は誰に教わったことでもなく知っていた。

 姫乃が列に並んでしばらく経過する。

 目の前にいた男子生徒が教室の中に入り、姫乃が先頭に立つ。


「楽しみじゃの~! 列に並ぶのは退屈じゃったが、それも食べ物を美味しくするための調味料だと今なら言えるのじゃ」


 再びプラス思考で考える。

 幼女は呟いて間もなく、お店の中から声がかかる。


「次のご主人様~! どうぞなのです~!」

「ついに来たのじゃ! 童の番! 童の時代が!」


 ついに幼女は興奮を抑えきれず、声のボリュームを気にせずに、叫んだ。

 和服の袖に手を入れる。

 幼女はしっかりと袖の中に少しひんやりとした硬貨が入っているのを確認する。


「大事に使わせてもらうぞよ」


 誰に聞かれるわけでもなく、小さく呟き店に入る。

 中に入ると同時に白黒フリルの二人の店員にもてなされる。


「「いらっしゃいませ! ご主人様。『温泉研究部』にようこそ!」


 時刻は正午を回る。

 この瞬間『温泉研究部』は文化祭でピークの賑わいを見せたことを誰も知らない。


            *


 文化祭の一般開示が始まり、早三時間半。

 午前中に大きな問題が出なかったためご機嫌な生徒会長が校舎の外で売っていたフランクフルトを食べながら、待ち合わせの場所に向かっていた。

 場所は体育館裏。

 綾菜たちのクラスの演劇は十四時からを予定している。

 公演時間は大体三十分強。四十分には届かないと言ったところだ。

 文化祭の終わりの会が十五時から始まる都合もあり、綾菜たちの演劇が最終項目となっていた。

 最後の演目を勝ち取ったのは生徒会長権限などではなく、単純に学年とクラスによる。

 不正は無かった。

 辻綾菜は不正を基本的に良しとしない。

 不正をすると多方面から苦情が来る。

 苦情が来るというのは皆が楽しめていない証拠だ。

 それは綾菜も困る。

 綾菜が不正を認めるのは、その行為が不正であると定めるそもそものルールがおかしいと感じるとき、また、その不正によって困る人が自分以外にいないときだ。

『温泉部』の件もそう。

 綾菜が『温泉部』を人数が足りないまま存続させていたのは不正ではあるが、実は『温泉部』は学校から部費を貰うことなく活動していた。山本颯太たちが部費だと思っていたものは綾菜のお小遣い、お年玉をやりくりしたものだった。

 この事を知っているのは綾菜と少数で部活を作りたいと生徒会に申請をしてきたごく一部の生徒だけ。誰からも文句を言われることは無かった。

 綾菜が体育館裏に到着した時には既にクラスの人たちは集まっていた。


「おお~! 皆早いね! 会長嬉しい~!」


 一瞬で場に溶け混む。

 生徒の方も綾菜を待っていたわけで口々に、やっと来た、だとか遅いと言う。

 文句をはははと笑い飛ばし、綾菜は皆の前に立つ。


「皆、遅れてごめんね~! それじゃあ早速だけど、最後の合わせをしようか! えいえい、おー!!」


 綾菜が握り拳を天高く上げて、叫んだ。

 会長のノリに若干戸惑いながらも、数人のクラスのお調子者が体育館裏を賑わせた。

 本番最後の打合せ。

 成功へと続く階段を一段踏み出す音が綾菜には聞こえたような気がした。


 ………………打合せが始まって二十分が経過した。

 完全に通しで演技の確認をしている訳ではないため、最終チェックは順調に進みお話は最後のシーン。

 綾菜の演じる戦乙女に一般兵士が愛を伝えるシーンに入っていた。

 今までの練習通りの仕草、表現で綾菜は戦乙女を演じる。

 台詞はとうの昔に覚えた。


『私は一軍を率いる戦乙女。欲しいものは全て手に入れてきた。だが、本当に欲しいものは未だ手に入らない。勇気が欲しい。ただ一言、思いを告げる勇気が!』


 綾菜の言葉を受け、後ろで待機していた兵士役の生徒が前に出る。


『勇気が欲しいのですか?』

『そうだ、勇気が欲しい……!? お、お前何時からそこに!?』


 綾菜はそう言って兵士の方に振り向く。

 何十回と繰り返してきた練習だが、何故か今回は今までと何かが違うような気がした。

 違和感がある。

 他の生徒たちは気付いていないようだったが、綾菜だけは何かに気付いていた。


『最初からです』

『……っ! コ、コホン! ところで、お前はどうしてここに来たのだ? 何か連絡を伝えに来たのか?』


 綾菜は自分の演技に集中しながらも、目で皮膚で、感覚全てを使ってその違和感を探す。

 焦りは決して表に出さなかった。


『いえ、違います』

『なら、何故だ? 主の様子がおかしかったから心配して来てくれたのか?』


(違う、様子がおかしいのは……)

 綾菜はついに違和感の正体をつかむ。

 しかし、気付いた時にはもう遅かった。


『いえ、違います。私は決して貴方が困ったり、何か悲哀に満ちた…………』


 そこまで言った兵士はガクンと意識を飛ばし日陰で湿った地面へと倒れこむ。

 周りで待機していたクラスの人たちが一斉に彼のもとに向かう。

 名前を呼ぶが、全く反応が無かった。

 綾菜は只々、茫然と立ち尽くす。

(どうしてこうなった。どうして? なんで、なんで、なんで!? 原因は? 原因は……たぶん私だ)

 最後の一段にまで上がった階段を踏み外す。

 この事態は綾菜を持ってしても冷静に判断が下せるものでは無かった。


  *


 お店は未だに客足が絶えない。

 時刻はもう十四時を回っていた。

 文化祭の一般開示をしてからというもの、お客の層が生徒からお爺さんお婆さんに徐々にシフトしていくのが目に見えて分かったのは少し面白さを感じたな。

 そう言えば、客層が変わったこともあり、クリーム饅頭よりも普通の饅頭が売れるようになった。

 澄はこれを見越していたらしく、兎莉には普通の饅頭を多く作ってもらっていたようだ。

 流石は澄、流石は『あさま荘』の娘。

 最適な采配で見事にお店を回していた。

 僕も従業員の一人としてお店を回していたわけなんだけど……兎莉が戻ってきた今も女装を続けていた。

 僕としては一刻も早く、この女装を終わりにしたいんだけど、どうやらお客からの受けが良いらしく澄から懇願されてなあなあと続けてしまっている。

 僕の女装姿を見て、兎莉はびっくりするかなとか思っていたけど、全くびっくりすることなく「……颯太君の女装見れて…………ちょっと嬉しいかも」と意外な反応をされてしまった。

 実は昌平には未だ、僕が女装しているということをばらさずにいる。

 僕こと『楓』が昌平に口説かれているところを見た澄は面白がって、隠し通しましょうなんて言うのだ。

 実際僕も、最後昌平にネタばらししたときに面白いことになりそうだなと思い、続けることにした。

 問題なのはちょくちょく昌平が視線を送ってきて気持ち悪いということぐらいだろうか。

 だが、それも途中で慣れてきた。

 人間慣れってあるよね。

 共に窓際で待機していた兎莉に声を、勿論他の誰にも聞こえない程の大きさで声をかける。


「兎莉。先輩の劇って何時からだっけ?」

「…………颯太君忘れちゃったの? 十四時から……だよ。もう始まってる」

「やっぱり。なんだか来てくれるお客さん、テイクアウトが減ってお茶も飲みたいって言う人が多くなってきたからさ」


 先程まで結構お饅頭をテイクアウトで買っていくお客さんが多かったんだけど、多分それは演劇をやっている体育館で食べるためにここに寄ってくる人がいたからなんだと思う。

 確か、綾菜先輩の劇が文化祭最後の演目だったはずなのでそれに合わせて食糧調達と言ったところだろう。

 最初『温泉部』の饅頭はテイクアウトを想定してなかったんだけど、そう言った希望を出す客が多かったので後から澄が了解を出した。

 結果、客の回りが良くなり午前中よりも明らかに売れる速度が上がった。


「颯太くん、たぶん……あってると思う…………よ? …………名探偵さんだね」

「名探偵だなんて、恥ずかしいこと言わないでくれ」


 記憶が薄いが、兎莉に勉強を教わったことがある。

 何の教科を教わったのかとかその教わった内容が合っていたのか、それを聞いて兎莉がどんな表情だったのか全くの不明だが、教えてもらったことがあった。

 こんなに覚えてないし、多分小学生の頃なんじゃないかと思う。

 唯一、その時「兎莉は先生みたいだな」と言ったことだけは覚えていた。

 もしかしたらこう言われた時の兎莉も、今の僕と一緒の気持ちだったかもしれないな。

 別に嫌な気持ちじゃないんだけど、恥ずかしい。

 幸せな恥ずかしさだ。


「…………それにしてもお仕事が無くなってきちゃったね」


 兎莉が一人でポツリとつぶやく。

 僕は頷いて肯定する。

 さっきまではテイクアウトのお客が沢山いて、注文を取っては饅頭を運び注文を取っては饅頭を運びと、働きアリと言う表現がぴったりなぐらいせわしなく教室の中を駆け回っていた。

 だけど、今はお店でゆったりとお茶を飲む人ばかりで接客はほとんど澄一人で事足りてしまっている。

 人手が足りていることもあって、昌平はまた客引きパンダへと再就職を決めてしまったところだ。

 本当は僕たちが接客に行っても良いんだけど、澄が出来るだけ自分で接客したいというもんだから、僕たちは本当に待機しているだけの様になってしまったということだ。

『温泉部』対『温泉研究部』と言う体を取ってはいるが、澄の中ではやっぱり『あさま荘』対『秋風』という構図が拭えないんだと思う。

 それでもたまに仕事が回ってくることもあるので、待機しておくというのは重要なことだ。

 ふと教室の前のドア、お店の入り口の方を見ると新しいお客が見えた。

 澄は他のお客さんの席で話をしているようなので、出て行こうとする兎莉を引き留めて僕がお客の案内をしに行く。


「いらっしゃいませ。お客様は……二名ですね。すぐにご案内いたします」


 僕は今日一日何回言ったか分からないほど言った定型文を繰り返す。

 意外なことにこれだけ喋っても、僕の女装がばれないことが分かった。

 僕って、男らしさが足りてないのかな……

 少し自信を無くしてしまう。

 案内をして、注文を取り終わると次のお客が教室の前に待機していた。

 客の流れが若干ゆっくりになったはなったんだけど、未だにお客は来るってことだろう。

 僕は兎莉に目配せして、案内を頼む。

 意図に気付いてくれたようで、すぐに兎莉はすたすたと接客に向かった。

 準備室に入る。

 僕が準備室でお饅頭を準備していると、澄も中に入ってきた。


「颯太さん。少々大変なことになっています」

「ん? どうかしたのか?」

「何故だかは分かりませんが、急にお客様が大量に……」


 本当かと思い、僕は準備の手を止めると準備室の暖簾の隙間から軽く教室の入り口を覗く。

 …………本当だった。

 十四時前ほどにあったピークの混雑とまではいかないが、それに近い行列が出来ていた。

 どうしてこうなったのかは分からないが、大変なことになったということは分かる。


「この量だったら、昌平も戻した方が良いかもしれないな。僕の方で連絡入れてみるよ」

「ありがとうございます。そうしてください、あんな人でも一応仕事は……あまりしないですけども…………居た方が……」

「澄、無理しなくていいぞ……」


 何とか昌平のことを擁護しようと思ったが駄目だったようだ。

 僕も擁護できない。

 ポケットを探り、携帯電話を取り出す。

 黄緑色の二つ折りの携帯電話だ。

 ガラパゴスケータイと言うんだっけ。

 今では、このタイプの携帯が減っていると聞くが僕は未だにガラパゴスケータイだった。

 電話帳から、昌平の電話番号を選んで電話を掛ける。

 着信音が響く。

 プルルル……プルルル……

 長い着信音が続くが昌平は一向に電話に出ない。

 ダメかと思い、一度メールにしようと電話を耳から話したところであることに気付く。

 準備室、というか元の教室にある棚の上に置いてあった昌平の鞄から音がなっている。

 まさかと思い、恐る恐る鞄を開けてみると、やはりそのまさかだった。

 昌平は携帯電話を忘れて客引きに言っている。

 メールを送ろうとも無駄なようだ。

 額に汗をかいてるのが自分でも分かる。

 まあ、焦っていても仕方ない。

 まずは状況を澄に伝えよう。

 僕は暖簾をくぐり、表に出ている澄に事情を伝えた。

 それを聞いた澄は驚きと呆れを含んだ表情で呆れて、つまり心底呆れていた。

 絶賛株価下降中だ。

 仕方がないけど、昌平の分は三人で頑張って回すしかないだろう。

 教室入り口に一番近いお客が手を挙げている。

 昌平のことは忘れて早速注文を取りに行こう。

 もう慣れたものだが、仲居服の裾を踏まないように慎重に歩く。

 通り過ぎた席の制服を着た客の会話が小耳に入ってきた。


「三年生の発表、主役の人が倒れたんだって」

「知ってる知ってる。会長のとこのだよね。舞台が見れなくて残念な人も多いだろうね」


 思わず、足が止まった。

 頭の裏から背中にかけてが湿り始めているのが分かる。

 ゾクリと嫌な寒気に襲われ、視点が定まらなくなる。

 主役が倒れた?

 綾菜先輩が?

 倒れるのか、あの人が?

 思考が巡る。

 僕が我慢が出来ずに、手を上げる客のテーブルに向かうことなく二人会話を楽しむ生徒たちに尋ねる。


「……お客様、その話詳しく聞いてもよろしいですか?」


 突然店員に話しかけられて困惑する二人。

 少し怖がっているような気もした。

 もしかしたら、僕自身動揺していて態度にそれが出ているのかもしれない。

 それ程までに焦っている。

 焦っていることを自覚している。

 びっくりした、と二人で顔を見合わせるとすぐに話を聞かせてくれた。


「えっとー会長のクラスの演劇でさ、会長はヒロインだったみたいなんだけど主役の鈴木……だよね?」

「そう鈴木」

「鈴木が倒れて、出れなくなってるみたいなんだよね」


 名前のことはどうでも良かった。

 兎に角、綾菜先輩が無事だったようで安心した。

 安心……安心?

 安心ってなんだ?

 確かに先輩が無事なのは安心だ。

 でも何か引っかかる。

 主役が倒れたのは問題じゃないのか?


「……舞台が見れなくて、残念と言ってましたが公演は中止になったのですか?」

「違う違う、なんだか会長が一人で芝居してるんだって。主役の台詞覚えてる人いなかったから」


 一人芝居。

 台詞を覚えている人がいない?

 いや、僕は一人だけ台詞を覚えている人を知っている。

 その人が今その場に駆けつけられないのも知っている。

 行ってしまっては困る人がいるのを知っている。

 行かなければ困る人がいるのも……知っている。

 こうなれば、あとは好みの問題だ。

 僕の足は既に歩み始めていた。

 後ろから声が聞こえる。


「颯太さん……っ!」

「ごめん、澄。僕行かなくちゃ。『温泉部』が勝てるって信じてるから!」


 教室を出たとたん走り出す。

 裾を手で持ち引っかからないように走る。

 僕の目的は最初から一貫して、僕たちの『温泉部』を守ること。

 温泉部には綾菜先輩だって入っている。

 僕は僕にしかできない方法で温泉部を守るべく体育館に向かった。

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