第8話 文化祭前日 その3
「今夜は月が綺麗じゃの~! お月見団子が食べたいのじゃ!」
暗闇に浮かぶ月の光を浴びて、彼女の白銀の髪が輝く。
彼女はまるで平均台の上を歩くかのように、体をゆらゆらと揺らし腕でバランスを取って高校付近の夜道を歩いていた。
まさかこの世のものとは思えない雰囲気は、きっと見る人全てを魅了することだろう。
突然ぺたりと座り込み、足元の土を掬い取る。
「団子は無いが、泥団子はあるのじゃ! って泥団子は食べ物じゃない! わはは!」
何が楽しいのか、幼女は一人盛り上がる。
口調と外見に年齢の差があるように感じるが、行動は間違いなく幼女のそれであり彼女がまだ幼い者であると再確認させる。
「ほえ? この声は何じゃ?」
首を傾げ遠くから聞こえる声に耳を傾ける。
一人のものではない、男が一人に女が一人。
学校の中から聞こえる、男女の声は一体なにをしている声なのか?
察しの良い幼女は答えを知っていた。
「生徒会長の奴め。こんな遅くまで練習熱心じゃの~! とっても上手になっているのじゃ! 毎日聞きに来ている童が言うんだから間違いない!」
毎日の日課となっていた、生徒会長の演技練習の盗み聞き。
今日で終わりになってしまうことは幼女も知っていた。
ペタリと座って砂をいじる手を止めて、立ち上がる。
「それにしても…………」
再び先程の様にゆらゆらと揺れながら月に照らされた道を歩き始める。
不思議なことに彼女の手に着いた砂はいつの間にか――きれいさっぱりなくなっていた。
「今日はお兄様はいないんじゃな~」
*
「ふぅ……やっと終わった」
「……そうだね」
「いよっしゃああああ! 終わったぜ~~!」
「お疲れ様です、皆さん」
調理室に四人の声が響く。
『あさま荘』の徹底した防音構造も相まって、より響いているように感じた。
ちらりと時計を見るともう時間は十一時。
8時頃からお饅頭作りを再開したから、大体三時間は集中して饅頭を作っていたことになる。
そしてその三時間で文化祭で必要とされていた二百もの饅頭はついに完成した。
胸にこみ上げる達成感は抑えようにも抑えきれず、なんだかそわそわした気持ちになってしまっている。
皆それぞれ伸びをしたり欠伸をしたりとリラックスムードな中、澄が口を開く。
「興奮冷めやらぬ中で申し訳ありませんが、明日が本番ですからね。これぐらいで満足してもらっては困ります」
「でも、澄も達成感はあるだろ?」
「そうですが……困ります。私にはあの憎き『秋風』を打ち倒すという使命があるのですから!」
澄は握り拳を作ってそう言った。
「使命って、大袈裟な……まあ、本番が明日なのは僕もちゃんと理解してるよ」
「えっ?」
「昌平さん? その疑問符はどういう意味でしょうね?」
目先の目標達成で本当の目標を忘れないで、山崎くん。
そんな馬鹿なところが昌平の良いところでもある。
昌平は温泉部のマスコット兼、癒し担当なのだ。
やっぱり昌平がマスコットは気持ちが悪いので撤回しておこう。
「兎に角、明日も早いです。早く御風呂に入ってしまいましょう」
「ようやく、温泉部らしくなってきたぜ~!」
「温泉じゃなくって、普通に澄の家の風呂なんじゃないか? 流石に僕たちお客ってわけじゃないんだし」
『あさま荘』は結構高級な温泉旅館だ。
目玉である温泉に、そう易々と入らせてくれるわけ……
「あら? 何をおっしゃっているのですか、颯太さん。ここに来てくださったのですから、勿論『あさま荘』自慢の源泉かけ流しの温泉に入ってもらうに決まってますよ?」
……こういうのをフラグって言うんだっけ。
何かのアニメでやってたから知っている。
「澄! ここの温泉って混浴か? それとも混浴か? もしかして混浴か!?」
「その台詞は覗く相手に対して言うのは間違っていませんか、金髪メガネ?」
「何か、怒ってそうだし謝っちゃお~!」
流れるように額を床に付ける。
昌平も慣れたものだな。
こんなに土下座してたら、昌平の土下座の供給が増えすぎて価値が無くなっていくだろう。
身をもって経済の需要供給の仕組みを体現するなんて、勉強熱心なんだなと解釈しておこう。
「そう言うことですから、颯太さん。そこの金髪のお守りをお願いします。こんな時間ですから他のお客様は居ないと思いますが、馬鹿みたいに騒いだら外まで音が漏れてしまうかもしれません」
「了解」
「覗きとかは……ダメだよ?」
「そんなのしないって。ほら行くぞ、昌平」
僕は土下座する昌平の後ろ襟をつかみ、荷物を置いている所まで引っ張っていった。
お風呂の準備はここに来る前に粗方済ましておいたためすぐに準備完了だ。
バスタオルと着替えを持って、早速温泉に向かった。
*
ガラガラガラ……
更衣室で服を脱いだ僕たちは温泉のある部屋の扉を開ける。
「…………あれ?」
扉の中は外に比べ、湯煙で少し曇っているがはっきりとわかる。
人影。
誰か先客がいるようだ。
気にせず体を洗おうとしたところ、先客から声をかけられた。
「君たちが、婆さんの言ってた澄ちゃんのお友達かい?」
柔和な声が風呂に響く。
「あっ……はい」
「なんだか、微妙な返事だね。まあ、突然声を掛けられたら仕方ないか」
湯煙の曇りにも慣れてきて、視界がはっきりしていく。
声の主の輪郭がはっきりしていく。
骨っぽいゴツゴツとした白髪のお爺さんが露わになる。
「婆さんからちょっと話は聞いてるかもしれないけど、さっきはごめんね」
「何のことですか…………もしかして、澄のお婆ちゃんが言ってた突然来れなくなったお客ってあなたのことなんですか?」
「そうそう。合ってるよ」
ごめんねと小さく詫びを入れながら頬を綻ばせる。
柔和な笑顔から彼の優しそうな人間性がにじみ出ていた。
お婆ちゃんの言ってた毎年来てくれるお客とまさか浴場で会うとは……
絶対来るとお婆ちゃんが言ってたから、来るんだとは思っていたけどまさかね。
それにしても、このお爺さんのことを澄のお婆ちゃんが気に入ってるのはなんだか不思議だ。
お婆ちゃんとは性格真逆ですごく優しそうだし気が合うとは思えないのだが、それでも気に入られてるのは毎年ここに訪れるからだろうか。
「ここの料理はどうだった? 美味しかったでしょう?」
「はい。もう、最高でした」
「めちゃくちゃ旨かったすよ! 死ぬかと思ったわ!」
「それは、褒め言葉なのか?」
「はっはっはっ! そりゃあ良かった。美味しかったって、婆さんに伝えてやるといい。きっと嬉しそうに叩いてくると思うよ」
嬉しそうに叩くってなんだ。
でも、確かに澄のお婆ちゃんならそんなことしてきそうだ。
何となく、笑顔で昌平の頭を叩くお婆ちゃんの顔が浮かんだ。
したい話はあるけど先に体を洗ってきなさい、とお爺さんは言いうので僕たちは言葉通り体を洗おうとシャワーまで行く。
ボタンを押すとシャワーが出るタイプだ。
旅行先ってこういうタイプのシャワー多いよな。
たぶん流しっぱなしにする人の防止のために押すタイプにしないといけないんだと思うけど、使いづらいのはちょっと勘弁してほしい。
そんなことを考えながら、頭、顔、体の順で洗っていった。
僕は生まれてこの方この順番が一般的だと思っていたんだけど、昌平は頭、体、顔の順番だったし僕の中の常識は全然常識じゃないのかもしれない。
二人とも洗い終わったところで、温泉に入る。
「結構熱いね」
「そうか? 俺は熱いの慣れてっから良く分かんねえや」
「熱いの慣れるって、なにか特訓とかしてるのか……」
「アツアツのおでんを食べるとか……?」
「何で疑問形なんだよ。それにそれは特訓じゃない」
日常的に某三人組のお家芸をするって昌平の家はどうなってるんだ。不安で仕方ない。
馬鹿話をしていると、お爺さんが声をかけてきた。
「さて、何か話をしようと思ったけど少しのぼせてきてしまった」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫さ。心配はいらないよ。命を懸けても少年たちとお話しするつもりでここにいるんだから」
「命まで懸けないでください!?」
はっはっはっとお爺さんは笑う。
全く掴みどころがなく、冗談が好きなお爺さんで心臓に悪い。
「君たちは文化祭で『秋風』と勝負するんだっけ」
「そうですよ。その話はお婆ちゃんからですか」
「勿論! 大変だね、君たちも。関係ない旅館同士の争いに巻き込まれちゃって」
「そんなこと無いっすよ! こっちも廃部懸かってるんで!」
昌平の一言にお爺さんは首を傾げる。
どうやら、そこら辺の事情は知らないようだ。
『温泉部』と『温泉研究部』の事。
文化祭の勝負の事。
負けたら廃部になってしまうということ。
僕と昌平は出来るだけわかりやすく、その経緯をお爺さんに話した。
終えたところでお爺さんは例のごとく、はっはっはっと笑い出した。
「それは面白いね! 生徒会長さんいい仕事するよ」
「そうですかね……」
「いや、本当だよ。私はもう十年ぐらいは文化祭に通っているけどね、君たちの高校の生徒会長は毎年面白い人がなるみたいなんだ。神の導きとか運命だとかじゃなくて、唯ここの学生が面白い学園生活を望んでいるからなんじゃないかと私は思ってる」
人差し指を掲げ目をつぶり言う。
「僕は高校入ってから生徒会長が綾菜先輩の時代しか知らないんですけど、毎年綾菜先輩みたいな人が生徒会長になってたんですか」
「そうだよ。まあ、ここは畑とかばっかりで若者には遊ぶところが無いからね。無意識に面白いことを皆望んでるんだろう」
「なるほど……」
「それ凄く納得っすわ!」
確かにお爺さんの言ってることは当たってると思う。
ゲームセンターは勿論のこと、テニスコートとかもない。
学校にはあるのだが、テニス部が使っているためテニスしたい人は学校の部活に入るしかなかったりする。
遊ぶところが無いのは間違いないな。
「案外、今回の件も生徒会長さんが裏で糸引いてるかもしれないよ」
「そうですかね……?」
「…………そうだ! 一つ小話をしよう」
何かひらめいたようでお爺さんは手を叩き楽しそうにそう言った。
叩いた際に飛び散ったお湯を頭に乗せてあった手拭いで拭う。
「君たちも聞いたことがあるかもしれない。この土地の民間伝承だ。偉い僧の話って言ったら分かるかな?」
「すいません……民間伝承よく分からないです」
「俺もだ! ここに住んでんのに案外知らないもんだな!」
「はっはっはっ! 金髪の君は反応が素直だね。手短に話そう」
民間伝承か……
この土地の言い伝えはたぶん小学校の時とかに話は聞いたことあるのかもしれないけど、全く覚えてない。
小学校の頃の記憶は結構曖昧だったりする。
お爺さんは再び顔を手拭いで拭い続ける。
「昔この地に偉い僧がいてね。ある日神からお告げがあったんだ。『私の姿が見たければ頂上まで登ってこい』ってね」
「あっ! 俺思い出したかもしんないっす! 颯太はどうだ!?」
「僕は全然……昌平と僕は小学校違うだろ。もしかして僕の言ってた方の小学校は聞かされてないのかも」
「続けるよ。お告げを聞いた僧は山に登った。そして登った先で僧が見たのは……なんだったっけ、金髪君?」
突然話を振られた昌平は「俺っすか!?」と戸惑いの声をあげながらも、口を開く。
「確か化け物だった気がする」
「正解だ。化け物、しかも九つの頭を持った竜だ」
八岐大蛇のようなものだろうか。
ただ、九つの頭を持っているみたいだし違うな。
「言われた通り山頂に着いた僧は竜を見て、疑った。神がこんな姿ではないと。そのことを口にした瞬間竜は姿を菩薩に変え、僧は目に焼き付けたその姿を木像に彫ったそうだ。その木像は今でも山頂に祀られている」
これでおしまいとお爺さんは掌を見せる。
隣の昌平はそんな話だったと相槌を打っていたが、僕は結局最後までこの言い伝えのことを思い出せなかった。
「この話が事実なのかそうでないのか、教育的意図は何なのかは分からない。だけど、私はこう思うんだ。他人を『疑う』ことは決して悪いことじゃなくって、それによって良い結果になることがあるんじゃないかってね」
「疑う……ですか」
「勿論、人を信用するのは素晴らしいことだと思う。だけど信頼と疑念は表裏一体で、疑うことも同様に素晴らしいことだと思うんだ」
お爺さんが掌を見せて、僕を指す。
「僧は神を疑って真の姿を拝んだ。では君は生徒会長を疑って何を得られるかな?」
それじゃあと小さく告げ、お爺さんは足早に温泉を出て行ってしまった。
ゴツゴツした後ろ姿が湯煙の中に消えて行く。
残され僕はもやもやした気分のまま、しばらく温泉に浸かり昌平と共に温泉を去った。
*
温泉から戻って調理室に戻る。
澄と兎莉はまだ戻っていないようだ。
女の子はお風呂が長いと言うし、もしばらくは昌平と二人きりだろう。
少し不安だ。
「なあ、颯太?」
「何?」
「…………やっぱり女風呂覗きにいかねぇか!?」
訂正、かなり不安だ。
目を血走らせて昌平が言う。
「澄が絶対覗くなって言ってただろ?」
「言っていたな……だが、俺は疑ってる。覗くなってのは澄の本心なのかと!?」
「おい。お爺さんの言葉を悪用するな」
昌平は真面目な顔でなんてこと言ってるんだ。
本当に頭お猿さんってやつだと思う。
髪色も合わさって某ゲームの金獅子の様に思える。
金獅子に失礼なのでやめておこう。
「温泉部の活動の時は覗いたりしないのに、なんで今日に限ってそんなことするんだよ」
「普段、地域の警備ガバガバな外の温泉ばっかりだろ。そんなんじゃあ俺の覗き魂は火がつかねえ! 澄の家みたく覗きづらい方が燃えるってもんだ!」
「めっちゃひねくれてるな!?」
「それに…………女の子の家で女の子覗くのとか興奮しないか?」
「……………………」
突然自分の性癖を喋り出す昌平にかけてやれる言葉が無かった。
友人として取るべき行動は『出来るだけ関わらない』だろう。
一度、大目玉をくらうのが昌平のためだ。
「昌平、僕は着替えの片づけとかしておくよ」
「……なるほど。了解! 俺は行ってくるぜ!」
逝ってくるの間違いじゃないかな。
腕を振り昌平は一目散に温泉へと向かった。
僕が去っていく昌平を遠目で見つめていると、澄と兎莉が浴衣姿で温泉から戻ってきた。
……………………?
戻ってきた?
まだ乾ききっていない髪をタオルで拭きながら兎莉が口を開いた。
「…………颯太くん、お風呂早いね」
「兎莉さん、一般的には男性の方がお風呂が短いみたいですよ。……とは言いましたが、昌平さんがいませんね。昌平さんはまだお風呂ですか?」
「それがな……」
昌平がいないことに気付いた澄に、昌平がお風呂を覗きに行ったことを伝えた。
覗きに行ったけど澄たちがもういないと分かったらすぐに帰ってくるだろう。
そのことを聞いた澄は大きなため息をつく。
「全くあの金髪お猿さんは成長しませんね。ここは一つ大目玉をくらって反省してもらいましょう」
「あはは……昌平君を止めに行かなくてもいいの、澄ちゃん?」
何だか二人の会話の内容が良く分からなかった。
暫くすると、昌平が浴場から帰ってきた。
覗く相手がいなかった割には時間が長すぎる。
不思議に思った僕は昌平にそのことを聞いてみると「ノゾキコワイ、ノゾキコワイ」と片言の日本語で話し始めた。
流石に意味が分からなかったので、澄たちにも聞いてみたところ、どうやら澄たちと入れ違いで温泉にお婆ちゃんが入っていったようだ。
なるほど、多分昌平の奴お婆ちゃんの風呂を覗いて怒られたんだろうな……
昌平にとって災難だったかもしれないが、いい教訓になっただろう。
魂の抜けた昌平は放っておいて、澄が話を始める。
「せっかくのお泊りなのですから、何かして遊びたいところですが明日は文化祭です。寝室の準備はできていますから寝室に行きましょう」
「いつの間に準備したんだ……」
「ここに来た最初からですよ。皆さんが泊まるのは分かってましたから」
流石『あさま荘』の娘だといったところだろう。
実は、鞄の中にトランプを忍ばせていたのだがこいつの出番はまた今度になるだろう。
勿論だが、寝室は男女別らしく僕は生きた死骸(矛盾)と化した昌平を引っ張って澄の後をついて行く。
寝室は隣部屋らしい。
左が僕と昌平が寝る部屋で、右が澄と兎莉が寝る部屋だ。
二つの部屋の丁度中央の廊下に立つ。
澄が腕を僕たちの前に出してきた。
昌平はその行動の意味を直ぐに察すると、澄の手に自分の手を重ねる。
僕と兎莉も同じように手を乗せると、最後に澄が一番下の手を僕らの一番上に持ってきて言う。
「明日は、皆さん頑張りましょう。一ヶ月の成果を出しきって打倒『秋風』です!」
「温泉部の廃止もかかってるしな、頑張るよ!」
「…………私も頑張る」
「スミチャンヒドイ……ノゾキコワイ」
「……なんだか締まりませんが、ここで解散です。颯太さんおやすみなさい」
明日はついに本番。
僕も気合いを入れつつ、明日のためにすぐに眠りについた。
あさま荘の布団はとてもふかふかで自宅の様に寝やすいのだ。
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