3.明日へのセルメント!! ―最終話(後)―

 

 えー。

 たった50えんだけー?

 まっいいや。

 いつものおこづかいとくらべたら、おおいもんね。

 なにをかうか、まようなー。

 まえからきになっていた、ふーせんガムってやつがいいとおもう。

 はじめてだから、ふーせんできるかどうかわからないけど。


 よし、かってきた!

 ふーせんだし、ひろいこーえんでやろうっと。


 って、これぜんぜんできないじゃん。

 ちょーむかつく。


『ねー。おしえてあげるー』


 だれ?

 チビのくせに、きゅーにはなしかけてくるへんなやつ。


『わたしもガムくちにいれてるんだ。こーやるの』


 わーすごい。

 ほんとうにふーせんになった。

 なめてたけど、こいつやるじゃない。

 おしえてもらおうっと。


『べろをだして、くるくるってするの』


 こうかな……むずかしい。

 でも、できそう。


『……!』


 あ、できた、ちっちゃいけど。


『うまいうまい! あとはね、いきをね、ゆっくりふーって』


 ふむふむ。


『……っ!!』


 わーできた!


『すごい! おおきい! わたしよりもおおきいよ!』


 そりゃー50えんもしたおっきなガムだからね。

 まあ、ちびがおしえてくれたっていうのもあるけど。

 パーン――!

 わっ! やぶけてかおについた……。

 はずかしい……バカにされる……。


『わっすごーい! はながぜーんぶガムだー! わたしもやってみよっと!』


 あれ、バカにされなかった。

 パーン――!


『あはっは! わたしもガムのはな~』


 それどころか、まねしてるし。

 へんなかお。へんなやつ。

 おもしろくてわらっちゃう。あはは。


『あははは――』


 あはははっ。


『ミント。わたしミントっていうなまえなの』


 ミントちゃん。

 ふぅーん。



 ちょ。

 君が、ミントだったの……?

 幼かったけれど、あの日の事は今でもしっかりと記憶している。

 だからこそ言える。あの日が今見たような過去だったらどんなに良かっただろうかって。

 そう。あの日、ミントゲーツに出会っていたなんてことは、絶対にありえない。

 何故なら――


『この大規模爆破での日本人の犠牲者は、次の通りです――』


 あの日は、父が亡くなったという連絡があった日で。

 近所の大人は大騒ぎ、母は大忙し。

 私は一人おとなしく自宅のリビングで、味のないガムをひたすら噛み続けながら、テレビのニュース映像を眺めていたんだから。

 ピッ――

 父の名前が上がるたびに、チャンネルを変えて。

 変えて、変えて、変えて――

 それでも父の死は、くつがえらなかった。

 そして、私は熱を持った溜息が何度も洩れ出るを誤魔化すために、何度も口の中でガムの膜を作っては破って作っては破って、それを繰り返していたんだ。

 そんなことをしていたら、口元に自然と風船ができていた。

 あの風船は私にとっての最悪の象徴で。

 あの時、風船の中に吐き出した反吐みたいな嗚咽感は、忘れもしない。

 だから、断言できる。

 ミントゲーツに風船ガムを教わったことなんて無いって。


 でも……。

 だったら、これは何?

 単なる夢?

 それとも、私の中の深層心理?


 というか私は今どこにいるのよ――




   ※    ※    ※    




 長い長い意識で出来たトンネルを、いくつもいくつも抜けたその先――

「月がきれい……」

 浅瀬の上で仰向けになって倒れているわたしたちを出迎えてくれたのは、一面の星空と大きなお月様でした。

 水平線に沈みかけている月。

 そこからは透明な水の線が、細々と降り注いでいました。

「これが、セルメント・デイ……」

 右手にはクマ太郎。

 そして、左手にはクロエさんの手がしっかりと握られています。

 大丈夫。

 2人とも意識を失っているだけで、ちゃんと息はあるし、無事なはずです。

「クマ……」

 か細い声。

「クマ太郎……気が付いた……?」

「クマ……」

「わ、わたしは全然……うんん。本当はね、ちょっと疲れちゃったかな」

「クマ」

「うん。でもね……いろいろあったけど選ばれなかった世界って、辛いことばっかりじゃなかったよ」

「……中にはね、こうすればよかったとか、こっちの方が楽しかったっていうものもあったの」

「……クマ」

「まあ、どっちにしろ、いつもちょっと後悔するんだけどさ、でも……」

「どんな時でもわたしには、この写真があるから全然平気だったんだ。って、あぁ……」

 胸ポケットから写真を取り出すと、あんなにも大事にしていた傷一つ無いエナメル質の表面が水でびしょびしょになっていてました。

「え……」

 それは、ゆっくりと丸くしなっていくと、手のひらの中でぼろぼろと崩れていきました。

「どうしよう……わたし……」

 大切にしていた宝物が、一瞬にしてただの紙くずになってしまいました。

「これがないと、わたし……」

「ク、クマ……」


 もうダメだ。


「あ……」

 目を閉じかけた、その時。

 何かがわたしの右手を強く握りました。

「ミント……」

 クロエさんの声。

 よかった。

 いつもの元気はないようですが、意識を取り戻したようでした。

「……クロエさん……大丈夫ですか?」

「ちょ、うん。なんとか大丈夫みたい。それよりミント、あれを……」

「……あれって?」

 クロエさんが繋いだわたしの手と一緒に、水平線の向こうを指し示しました。

 そこには月の光をわずかに受けて、シルエットを露わにした――

 マスコッ島ランドが、ぼうっとそびえていました。

 それは、まさに。

「クマ太郎の写真と同じ……」

 たった今崩れ去ってしまった、あの景色そのものでした。

「これ……」

「ちょ、そっか。これが……こりゃ完敗だな」

「クマ……」

 なーんだ。

「これだったんだ。ずるいよ……写真を撮った場所はこっち側で……だ、だから……」

「クマ」

「そっか……」

 そうだったんだ。

 わたしは、とんだ勘違いをしていました。

 あの写真はマスコッ島を単純に撮影したものではなくて。

 地獄リンボから贈ってくれたエールだったなんて。

 それが、あの写真に詰まった計り知れないほどの想いだったんだ。

「クマ太郎。クロエさん」

「クマ?」

「どうした、改まって」

「……わたし、とってもとっても辛かったけど、やっと分かったよ」

「うん」

「クマ」

 この世界とマスコッ島と、本土をも結ぶ大きな大きな架け橋。

 とってもとっても単純なこと。

 過ごした日々、そして過ごせなかった日々。

 例え、どんなことがあったとしても、なかったとしても。

 全部が繋がって、今のわたし自身になっているのであり――


「悲しみは、明日への希望に満ちたセルメントなんだって」


クマ太郎はまさにそれを、この場所から見えるこの景色にのせてわたしに伝えてくていたのですね。


だからわたしは、あんなにもあの写真に大きな勇気をもらえていたのですね。


「だから誓うよ。この瞬間を一生忘れない」

 

 両手の温かさを胸に。



 E N D

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