第四章

1.やっと!! リンボで再会!!

「クマーーっ!」

「クマ太郎? 本当にクマ太郎なの?」

 思わず聞き返してしまうほど、世界は霞んでいて――

「クマクマー!」

 クマ太郎は、がりがりにやせ細っていました。

「クマー!」

 黄土色の急斜面。

 わたしはその寝心地の悪い砂のベッドに数センチほど沈み込むようにして、眠っていたようでした。

「クマクマー!」

「待ってクマ太郎!」

 体中に付いた砂を手で払って立ち上がり、砂の丘を登っていきます。

 砂は掴んでもすぐ指の隙間からこぼれていく細かいものばかり。

 足元がすくわれて、なかなか前へ進みません。

「やっと追いついた……」

 丘の頂上。

 息を止めて、辺り一面をぐるっと見渡します。

 砂漠がずっと続いていて、その先に広がる空は鉛色で。

 モノクロの冷え切った世界がそこには広がっていました。

「ここが……リンボ」

「クマー」

 そうだよ。と、クマ太郎。

「……」

 返す言葉が出てきません。

 こんなにも干上がってしまった大地。

 砂以外、何もないこの場所がリンボだなんて……。

 これじゃまるで、本当に――

 地獄みたいじゃないですか。

「クマクマッ」

 こっちにおいでと手招きをしながら、クマ太郎は平気な顔で坂を降りていきます。

 その背中は、わたしの知っている真っ白い子クマではありませんでした。

 例えるならそう。

 土色を毛根まで染み込ませた、野生の子熊そのものでした。

 


   ※   ※   ※


 

「ここがクマ太郎のお家?」

「クマー!」

 丘を下りきると、今まで死角になっていて見えなかった小さな洞穴が現れました。

 どうやらクマ太郎はこの中で暮らしているようです。

「お邪魔します……」

「クマー!」

 穴は思っていたよりも広く、床から天井まで真っ平らに頑丈そうな土が塗り固められていて、社会科見学で見た古墳の中を連想させました。

 ここが、マスコットの墓場だとはうまいことを言ったものです。

「……」

 クマ太郎に連れられるまま、奥へ奥へと進んでいきます。

 一本道かと思いきや、まるで迷路のように小さな横穴がいくつも枝分かれしていました。

 わたしのような人間が入れる大きさの穴のではありませんが、深さはずっと奥まで続いていそうです。

 クマ太郎の話によると、ここにはアリの巣のようにいくつも小部屋が無数に広がっていて、たくさんのマスコットさんが暮らしているということでした。

 確かに歩いて行くうちに、いろいろなマスコットさんとすれ違い、目があいました。

 彼らは小さな穴からひょっこりと顔を出し、わたしに気付くと、やせこけた顔をシワくちゃしてにっこりと微笑み、会釈をしてくれました。

 どうしてこんな泥まみれの穴蔵でそんな顔ができるのか、にわかには信じられませんでした。

 けれどそれは、決して社交辞令のようなまがい物ではなく、とても確かな、暖かく優しい歓迎でした。



   ※   ※   ※



「クマクマクー!」

「ここがクマ太郎の部屋……」

 到着したのは、畳2枚分くらいのささやかなプライベートスペースでした。

「ちょ、待ちくたびれたわよ」

「クロエさん!? その怪我どうしたんですか!?」

 びっくりです。

 あのクロエさんが、腕を包帯でぐるぐる巻きにしているなんて。

「ちょ、まずそこなのね。これはアンタとクマ野郎のセルメントで飛ばされたとき、着地でちょろっとひねっただけよ」

「クマクマクマー!」

「え? 着地するときわたしをかばって怪我をした?」

「ちょ、誤解よ! たまたまそう見えなくもないカッコーで落ちただけ」

「そうですか……」

「……ってかミントゲーツはホントにクマ野郎が言ってること分かるのね」

「クマクマー!」

「クマ野郎じゃなくてクマ太郎だー。だそうです」

「はいはい、ごめんなさいね、気を付けるわ」

「クマー」

「わかればよろしい。だそうです」

「そ」



  ※   ※   ※



 茶色いごはんに、煮干しのような小さな焼き魚が数匹。

 それと、もやしのようなふにゃふにゃな野菜を盛って塩を振っただけの質素なサラダが一皿。

 わたしとクロエさんは、クマ太郎が持ってきてくれた食事をもくもくと平らげました。

「にしても狭いわねー」

「そうですねー」

「ねえ、ミントゲーツ」

「はい」

「アンタがこの部屋に来たとき、真っ先に突っ込むべきはさ。私がどうしてアンタよりも先にこの部屋にいたのかって事よね」

「え? そんなの、怪我人だからクマ太郎がいち早く連れてきてくれただけですよね?」

「ちょ……まぁその通りみたいなんだけど、普通は私なんかよりフレンドのミントゲーツを優先するでしょ。アンタだって気を失ってたわけだし」

「クマ太郎は頭がいいですから。先を急ぐべきなのはクロエさんだと考えた、それだけだと思います」

「それだけって言われてもねー」

「そうですよ。ふふん。どうですか? これがクマ太郎の優しさです」

「そーね。あんだけ泣いてた小娘がすっかり元気になったところからしても、クマ太郎って凄いヤツだわ」

「あれは忘れてください。早急に」

「ちょ。まあ私としてもその方が好都合だから、そうしてあげますかー」

「……」

「……」


「で、どうしよっか。勝負」

 勝負。

 そうです。そういえばそんなこともしていました。

 リンボが酷い場所かどうかという勝負ですね。

 でも、この場合の勝敗って……

「そうですね。これって審査員の好みによって勝敗が分かれると思います」

「そねー。砂しかないわ、洞穴だわ、部屋は狭いわ、ベットはないわ、飯はちゃっちーわ」

「はい」

「でもね、こっからはあくまで個人としての意見だけど――」

「なんでしょう」

「私、ここでなら飽きずに一年くらい生活できる気がするのよね。条件はすこぶる悪いけど、居心地は悪くないっていうかさ。飯もシンプルだけど味はそこそこうまかったし」

「……」

「ってことで、今回はわたしの負け。てか、途中棄権による負けで」

「それは……」

「だって、こんな審査員のさじ加減で決まる勝負やってらんないし」

「……」

「クマクマ」

「あれ、クマ太郎? 聞いてたの?」

「クマー?」

「あーうん。勝負っていうのはね。リンボがどんなところなのかっていう勝負をわたしとクロエさんでしていて――」

「クマクマ」

「え? そうじゃなくて?」

「クーマ」

「もっとリンボのことをもっと知ってもらってから、決めてほしいってそう言いたいの?」

「クマ!」

「ほー。いいわ。そういうことなら棄権は取りやめ。受けて立とうじゃないの」

「クマー!」

 そう言うとクマ太郎は自らのセルメントを発動させました。

 クマ太郎の小さな体にすっと吸い込まれていくわたしたち。

 たちまち目の前は真っ暗になってしまいましたが、次第に点々と星のような光が見え始めて、やがていつか見たプラネタリウムのようになりました。

 そして瞬く星々の中で、写真のスライドショーが始まりました。



   ※    ※   ※



 砂の世界。

 何重にも連なる小高い丘。

 吹き上がる砂嵐。

 そこで暮らすマスコットさんたちの生活の一コマ一コマ。

 それは、砂まみれになりながらも生き生きといとなむ小さな勇姿でした。

 彼らの頭上には、いつも大きな月が浮かんでいます。

 銀色に光り輝くまんまるお月様。

 ただでさえ大きなそれは、日を重ねるごとに欠けていくのではなく、満月のままどんどんこちらに近づき大きくなっていきます。

 じわりじわりと、やがて空をすべて覆い隠してしまうのではないかとさえ思えてしまうほどに。

 砂の山が連なった大地は、月が迫りくるにつれてその圧力で押しつぶされるように、山並みを低く低く整えていきました。

 数か月が経ち、砂の山地が砂漠の平地へと姿を変えたとき、月は空の半分を覆い隠すまでに迫っていました。

 このままだと、月が地面に落ちてきてしまう。

 その時でした。

 月が上空で真っ二つに裂けたのです。

 現れた黒いヒビの中からは、実に透き通った水がにじみ出し、かんぼつした大地に向かってスルスルっと一筋の滝の糸が垂れ下がりました。

 長い時間をかけて大量の水がこぼれ出たことによって、水を含んだわたがしぼんでいくように月は巨大化を止め、日に日に小さくなっていきました。

 流れ出た水によって干からびた砂漠の地はどんどん潤っていき――

 3日足らずで延々と続く浅瀬を作り上げました。

 それはまさに、つい数日前までわたしたちが長々と歩いたあの水面そのものでした。

 リンボのマスコットたちは、一斉にそこへ集まり、踊り歌い喜び合いました。

 口を大きく開けて水を飲みながら、水浴びを楽しむもの。

 大きな容器を持ち出して水を汲み、大切に洞穴の奥へ保管するもの。

 衣類をじゃぶじゃぶ洗濯するもの。

 みずみずしい大地を耕し、作物を育てるもの。

 そこで気絶しているマスコットさんに手を差し伸べ、介護している様子も収められていました。



   ※   ※   ※



「クマクマクマー」

「これこそが、年に一回の"セルメント・デイ"の様子……?」

「誓いの日……セルメント・デイ――」


 そのとき。

「クマ!!」

 ゴゴ――

 ゴゴゴゴ――

「ちょ!」

「うわ!」

 突然、それはやってきました。

 急に世界がひっくり返ったかと思うと、わたしたちは勢いよくプラネタリウムの外に投げ出されていました。

「クマクマクマーー!」

「え? 『日が早すぎて、洪水が起こった』……って、どういうこと?」

「ちょ……これ、早く洞窟から出た方が良さそうね」

「クマクマ!」

「もう遅い? って……み、水が――」


―――

――

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