4.ここが!? そしてリンボへ!? 前編


「ここが、リンボ――」

 うっすらと朝日が昇り始めた頃。

「着いた……」

 わたしたちは、ついに到着しました。

 マスコットタブレットを使い、デンデンさんとピエロさんの友情タッグを発動。

 光の道しるべで目的地が定まってから、歩き続けること数時間。

 その間、信じられないことにクロエさんは一切不満を口にしませんでした。

 休憩はあれからたったの一度だけ。

 そうやって、必死になって歩き続けた成果がついに目の前に現れたのです。

「ここ、だよね?」

 それにしても、たどり着いた場所は、わたしが想像していたよりもずっとにぎやかで……。

 かわいらしい街並みが広がっている繁華街でした。

 ピンク色のレンガが敷きつめられた一直線に伸びる大通り。

 緩やかな上り坂を、さまざまなマスコットさんがちょこまかと行ったりきたりしています。

 道の左右には、カラフルなおもちゃのブロックを積み重ねたような家が建ち並び、円や四角や星形の窓という窓から、マスコットさんが小さな目を大きく見開いてこっちを見つめています。

 どうやらわたしたちは、平和に楽しく暮らす彼らを驚かせてしまっているよそ者のようでした。

「ちょろーっと人間に慣れてないみたいね」

「そうみたいですね」

 でもそんなことは気にしません。

 とにかくわたしは、リンボがこんなに愉快そうな場所だということが嬉しくて。

「よかった。やっぱり地獄みたいな場所じゃなかったんだ」

 思わず喜びを口にしていました。

「……ちょ、何言ってんのよ」

 そんなわたしとは対照的に、クロエさんは冷静なトーンでそう言いました。

「あれ、見てみなさい」

「え?」

 彼女が指さした先には、いくつかの赤いアドバルーンがぷかぷかと浮かんでいて、真ん中のバルーンには文字の書かれた旗が垂れ下がっていました。

 "ようこそ! マスコットの都、マスコットラビルへ!!"

「マスコットラビル? リンボの別名ですかね?」

「ちょ……まあいいわ。思ったより早く正解を教えてくれるみたいだし」

「え?」

 どういうことでしょうか。

 フワワーン――

「って、なにこれ」

 せっかくクロエさんの言葉の意味を考えていたのに、ジャマが入りました。

 思わず息を止めたくなってしまうくらい鼻の奥をツーンと刺激する甘い臭いが、急に背後から漂ってきたのです。

 スイーツな香りは嫌いではありませんが、これはさすがに気が滅入ってしまうほどの異様な臭いです。

「くさい……って、うわ!」

「ちょ。ミントゲーツ気づくの遅すぎ」

 振り返ると、巨大なうずまき柄の棒付きキャンディーが、ババーンとそびえ立っていました。

 これが臭いの正体ですか。

「派手にお出迎えねー。さ、乗るわよ」

「乗るってこのキャンディーに?」

「ちょ、これ気球だから」

「……そんなばかな」

 そう言われてみると、キャンディーに見えた丸い物体はシマシマ柄の大きな風船でした。

 風船には、人が数人乗り込める茶色いカゴがぶら下がっています。

 つまり、紛うことなき正真正銘の気球……。

 信じられません。

「どうぞカミサマお乗りください。お城へご案内いたします」

「……カミサマ?」

 気球のカゴの縁に、毛並みがサラサラな犬のマスコットさんが一匹。わたしたちに手を差し伸べて立っていました。

「ちょ、これはどうも。ミントゲーツ、行くわよ」

「は、はい」

 何が起こっているのか、イマイチ把握できないまま――

 クロエさんとわたしはその手を取らずに、気球に乗り込みました。



      ※    ※    ※



 穏やかな風に吹かれてゆらゆらと。

 ボッ――

 気球の中に炎が送られるたび、あの強烈な臭いが鼻の奥を襲います。

「へー。ちょろーっと匂いの強いアロマキャンドルみたいね」

「ちょろっとではないですけど、アロマキャンドルだと考えたらいい香りに思えてきたような……」

「や、やせ我慢は鼻つまんでる手を離してから言ったら?」

「クロエさんこそ。その口呼吸、エサを欲しがってる池の鯉みたいですよ?」

「ちょ……魚じゃないわよ……ほらーって、うぇ……」

「簡単にひっかかりまし…………う……げほげほ」



      ※    ※    ※



「到着でございます」

「助かった!!」

「ちょー脱出!!」

 無事着陸したわたしたち。

 それはそれは鼻がもげそうになる異臭から、全力ダッシュでおさらばし――

「どうぞ、こちらへ」

 外装がギラギラと輝いている、お城の中に案内されたのでした。

 もう変な臭いはしませんが、今度は見た目が胡散臭いというか……。

 あ、これ座布団もらえますかね。

 ……って、そうじゃなくて。

「あの、ここ明らかに怪しいですけど大丈夫ですかね?」

「クサいよりはマシ。行くわよ」

「はい……」

 クロエさんは迷うことなく、気球から逃げるようにその中へ。

 わたしもそれに続きます。

「うわー」

 真っ赤なじゅうたんが敷かれた広々としたロビーを抜け、らせん状になった金色のエスカレーターに導かれるまま、最上階へ。

 目がまともに開けられていないくらい明るくて、ひときわ豪華けんらんな大広間に案内されたわたしたちを待っていたのは――

「王様。こちらでございます」

 "王様"と呼ばれるカバさんみたいな大きなマスコットさんでした。

 なるほど、そういうことでしたか。

 この街のことは、街の主に聞くのが一番早いですもんね。

「ようこそいらっしゃった。マスコットラビルへ。一度にお二方もカミサマがいらっしゃるとは、実に光栄だ」

 そういえばここのマスコットさんたち、しきりに言っていますが、カミサマってもしかしてわたしたちのことでしょうか。

「あの……わたしたちは普通の人間で、カミサマではないんですけど」

「いいえ、人間様こそが我らマスコットのカミサマなのです」

「ちょ……」

「なんと……」

 どうやら、そういうことで合っているみたいです。

 今までいろんなマスコットさんと会ってきた中で、カミサマなんて呼ばれたのは初めてですが。

「歓迎致します。そのしるしに早急に宴を催したいのですが、なにぶん急なものですから、明日まで待ってはもらえませんかの」

「ちょ、別にそれはどうでもいいんだけどさ……」

「そうです。そんなことよりわたしたちクマ太郎っていうマスコットを探しに来たんです。知りませんか?」

 そう。

 わたしたちは宴なんかよりも、早くクマ太郎に会いたいのです。

「はて、クマ太郎……すぐに調べさせましょう。どんなマスコットでしょうか?」

「見た目はこれくらいの小さい白い熊で。クマーって喋るんです。わたしの友達で……」

「なんと、カミサマと親しいということは、そやつに会ったことがあるということですか?」

「はい。マスコットランドで」

「で、では、そやつはマスコットランドにいるのでは?」

「それが、リンボに帰っちゃったみたいで……」

「は、はい……今なんと?」

「あのーそれで、ここがそのリンボですよね?」

「……カ、カミサマ。恐縮ですが――」

「なんでしょう?」

「ここは決してリンボのような場所では御座いません」

 ん?

 王様の声色が、突然怖くなったような……。

 もしかしてわたし、叱られてます?

「……え?」

「ちょ、やっぱりか……」

 クロエさん?

 やっぱりって?

 どういうことですか?

「カ、カミサマは長旅で大変疲れていらっしゃる。お部屋に連れて行って差し上げるんだ」

「あの……わたし確かに疲れてますけど、でも――」

「今日はこれまで。お話はまた改めて致しましょう。どうかぐっすりお休みください」


      ※    ※    ※



 案内された個室は、わたしの部屋の4倍はある広い広い部屋でした。

 ただ、広さのわりに置かれている家具は小さなシングルベット一つだけ。

 あとは壁一面に大きな窓があるのみのすごくシンプルな印象でした。

「ちょー」

 犬のマスコットさんが運んできてくれた食事を食べ終わると、クロエさんはベットの上であぐらをかいて、大きくため息をつきました。

「リンボじゃなかったかー。友情タッグのセルメントも、完璧じゃなかったのねー」

 友情タッグのセルメントもパンのミミと同じように、遠く離れたこの世界では上手く機能しなかったということ。

 つまり、ここはリンボではなかった。

 そういう事なんですね。

「やっぱりそんなもんかー」

 そのことにクロエさんは勘付いていたようでしたが、あらためてここがリンボじゃないと知ったショックは、どうやら大きかったようです。

「ちょー最悪」

 かなりうなだれています。

 かたや、そんなこと予想すらしていなかったわたしの方はというと……。

「そうですねー」

 驚きはしましたが、不思議と不満はあまり感じていません。

「マスコットさんのいる場所に来れただけでも、大きな進歩ですよ」

 と、今は前向きに考えるしかないと思うからです。

「そーかもしれないけど。よりにもよってこんな平和ボケしてる街に来ちゃったのよ?」

 クロエさんはわたしとは反対に、すごくイライラしている様子。

「平和に越したことはないじゃないですか」

「ボケてんのが問題なのよ。カミサマであらせられる私たちに、こーんな何もないだだっ広い部屋に案内して、ちっさいベット1つで寝ろってのよ?」

「仕方ないですよ、きっと一気に2人なんて前例がないんです」

「……うーわ硬った! なにこれ本当にベッド? これならあの浅瀬で横になった方がマシよ!」

「服が濡れないですし、いいじゃないですか」

「ちょ、それに何このシーツ。まるで手拭いを継ぎ接ぎしただけって馬鹿なの!?」

「マスコットさんは小さいんだからしょうがないですよ……つくろってくれただけ、ありがたく思いましょう?」

「……ちょ」

「……」

「あーもー! なによ、あっさり受け入れてんじゃないわよミントゲーツ!」

 そこまであっさりしているつもりはないのですが……。

 というか、クロエさんがいつもより感情的になっているので、なんとかプラス思考にしてあげようと思っただけなのですが、逆効果だったようです。

「王様さんが言うように疲れてるんですよ、今日はもう寝たほうがいいです」

「いーや、私は寝ないわよ。くっそがー。飯だって期待してたのに、パッサパサのパンと甘ったるい砂糖なめてるみたいなスープとか、これならパンのミミのが100倍うまかったわよ……!」

「そんなに怒らないで下さい」

「ちょ。だって、だってよ! あんなに考えて苦労してやっとたどり着いたのに、カミサマーとかギョーギョーしくごますりされて、甘ったるい汚臭のする気球に乗せられてさ」

「……」

「で? 偉そうなやつが出てきたと思ったら、"リンボ"って言葉を聞いた途端に血相変えて、『おい。連れて行けー』とか何なの? 挙句の果てに、部屋は無駄に広いくせにベットはちっさいのが1つだけだわ、硬いわ、もーさんざん!!」

「……」

「これが怒らずにいられるかっての!!」

 ふくれっ面で、ベットに両手をたたきつけるクロエさん。

 長い旅路を共にしましたが、ここまで爆発する姿は初めて見ました。

 クロエさんもこんなにいろいろ考えていたなんて、ちょっと意外でした。

 正直なところ、この事態を真剣に捉えているのは、わたしだけだと思っていましたから。

「……なんだか、ありがとうございます」

ああ。

「ちょ……はい? なんでこのタイミングで礼を言われるわけ?」

なんででしょう。

「多分わたしが疲れていて言えなかったこと、全部言ってくれましたからじゃないでしょうかね」

「ちょ、全部? これが全部なわけないでしょ」

「……そう、かもしれませんけど」

 何かが。

 ここがリンボなのか、そうじゃないかということ以前に。

 どうしようもないくらい大きな何かが食い違っている。

 それは確かなんです。

 そして、今。

 クロエさんのおかげで、わたしはそれを自覚できたようです。

「……」

「……」

「とにかく、今日はもう寝ましょう?」

「はいはいはい、そうしますよー」

「……」

「……」

「……あー! ちょー寝れん!! ムシャクシャするわもー」

「それなら、いっそもっと楽しいこととか考えてみたらどうですか?」

 だとしたら、まずは思い切って休憩をすることが一番。

 心を落ち着かせて、冷静になるのです。

「……楽しーことねー」

「……」

「あ」

「見つかりましたか?」

「あれだわ、ミントゲーツが"ここがリンボですよね?"って言った時の王様の顔見た?」

「いえ……」

 何を言い出すかと思えば、またさっきの話ですか。

「はあ!? 見てないの?」

「あの状況で顔なんて見れるわけないじゃないですか」

「そっかー。あれ、今思うと傑作だったわよー」

 傑作? すごく怖い顔をしているところしか想像できないのですが……。

「どんな顔だったんですか?」

「そりゃもう、ワクワクしながらお年玉開けたら50円しか入ってなかったーって時のガキの顔そのもの!!」

「え? なんですかその例え――ぷっ」

 あれ、わたし……。

 なぜだか思わず、吹き出してしまいました。

 見当違いの答えだったからでしょうか。

 クロエさんの例えが変テコだったからでしょうか。

 どちらにせよ、わたしの心の中で重くつっかえていたものが1つ。

 ふっと軽くなったような、そんな気持になったのは確かでして。

「ふ、ふふっ……」

 ちょっとした笑いのツボというやつにハマっていました。

 わたしとしたことが、休憩にしてはちょっと緩みすぎです。

 でも――

「ちょ、なに笑ってんのよ!」

「ふふっ、なんというか。まるで昔そんなことがあったみたいだなーと」

「ちょ……!」

 一度緩んでしまったものを元に戻すのは難しくて。

「図星ですか?」

 意味もなく、どうでもいいはずの本土の人間に――

「ちょーあーもう! 調子狂うわねー。あったわよ、あったあった」

「やっぱりですか」

「いつだったかなー幼稚園に入るか入らないかって頃だけど、ちょー覚えてる」

「少し聞きたいです」

 どうでもいい質問をしている自分がいました。

「どうって事無いわよ。新年迎えて、お年玉もらって、今日はお菓子パーティーだーって思ってたら……」

「……たら?」

「結局いつもどおり。ガム1個しか買えなかった。それだけ。ひどい話でしょ」

 ……って、そのまんまじゃないですか。そんな馬鹿正直に話すことなんてないのに。

「おねだりとかしなかったんですか?」

「しないわよ。ビンボー一家の辛いところね。まあ、代わりにガムで自分の顔くらいの風船ふくらませてドヤ顔してやったけど」

「……なんだか、可愛いですね」

「ちょ……はぁ?! ア、アホ言ってんじゃないわよ!」

「子供の頃のクロエさんがですよ?」

「ちょ、ちょちょ!! わかってるわよ! んなこと!!」

「……」

「……」

 少しの沈黙。

「……ちょまあ、こんくらい張り合いあった方がミントゲーツって感じするわ」

「そうですかね」

 思えばこんな他愛もない話をしたのは、いつぶりだったでしょうか。

 というか、こんなこと今までありましたっけ……。

 なかったかもしれません。

 すごく自然に気持ちが和らいで、ちょっとだけクロエさんを知れたような。

 そんな錯覚を嬉しく思っている自分がいて――

 なんでしょうか、これ。この気持ち。

「そーよ。それにまだ勝負ついたわけじゃないから。油断してないから。ちょっとどころか全然これっぽっちも」

 その言葉はあまりにも不意打ちでした。

「それって……」

 リンボは酷いところだということが、ほとんど確定してしまった今。

 落ち込んでいるわたしを、励ましてくれているってことになりますよ?

 あなたは、わたしと対立している立場の人なんですよ?

「プロは最後まで気を抜かないってことよ」

 って……。

「……ああ。そう、ですよね」

 わたしは何を期待していたのでしょうか。

 危うく油断しかけていたのは、わたしの方じゃないですか。

 だいたいクロエさんは監査役で。

 本土の人間で。

 わたしの天敵だというのに。

 ああ、わたしってば本当に疲れてるみたいです。

「はぁーあ。なんか、ちょーすっきりしたから、寝るわ。おやすみ!!」

「……はい。おやすみなさい」

 寝ましょう。

 今日のところはもう。

 心ゆくまで、ぐっすりと――

「……」

「……」

「……ちょ、なーにベラベラ話しちゃってんだか私」

「……なにを考えてるんでしょうか、わたし」



※   ※   ※



 翌日。

 王様主催で行われた宴は、それはそれは楽しくないものでした。

 お食事は見た目こそ華やかでしたが、量がメインで大味なものばかり。

 おまけにせっかく逃げられたと思っていたあの匂いも漂っていて、何もかもが甘ったるく感じてしまうったらありゃしません。

 さらに会場の中心に大きなステージが造られているものの、なぜか一切催し物はなく、マスコットさんたちがヘンテコな音楽に合わせて自由気ままに踊るだけというありさま。

 まあ、これだけならまだ不思議な異国の舞踏会のようで良かったのですが……。

 2時間ほど経ったある時、お酒に酔っぱらった王様が気まぐれな指示を飛ばし始め――

 無理やり舞台に上げられたマスコットさんたちが、代わる代わるその場しのぎの一発ネタを披露するという始末。

 いわゆる"無茶振り"というやつが始まっていました。

「ちょー胸糞悪い。部屋戻るわ」

「待ってください。王様の機嫌が良いうちにリンボのことを聞き出してみます」

「むりむり。だって昨日あれだけ態度がガラッと変わったのよ? アイツにリンボは禁句よ」

「そうかもしれませんけど……反応があったってことは絶対知ってるってことですよ」

「まあ他にも知ってるマスコットはいるっしょ」

「そう思って、さっきからどれだけのマスコットさんに聞いたと思ってるんですか」

「軽く100は超えてるわね」

「その全員が口を揃えて『恐れ多くて語れない』って言ってるんですよ」

「ちょ、わかってるわよ。こうなるともう王様くらいじゃないと真相を語る権利がなさそうってことくらい」

「なら、どうして」

「アイツは無理。話さないどころかまた機嫌を悪くするわよ」

「そうですか。なら、真正面からぶつかるのみです」

「ちょ、なにするつもり?」

「……わたし、あの舞台に立ちます」

「ちょ!? ミントゲーツ、アンタ本気で言ってる?」

「はい」

「だってアンタ、何か持ちネタでもあるの?」

「ないです」

「ダンスとか歌の経験は?」

「ゼロです」

「だったら……」

「でもリンボに行くためには、やるしかないじゃないですか」

「なにを!」

「とにかく、行きます」

「ちょ……! 待ちなさいよ!」

「……」

 舞台へと続く階段。震える足先。

 たしかに無茶かもしれません。

 けれど、今はそれしか方法がないのです。



      ※    ※    ※



 クロエさんが言うとおり、わたしが舞台で見せられるようなものは何もありません。

 ミミさんのようにお料理が得意なわけでもなければ、デンデンさんみたいに物知りで直ぐに誰とでも仲良くなれるわけでもなく、ピエロさんみたいに光り輝くショーができるわけでもない。

 そして、お母さんやクロエさんみたいに、その道のプロとしてお仕事をしているわけでもありません。

「すみません! 音楽を止めていただけますか」

 それでも。

「今日は、このような素晴らしい宴を開いてくださって、ありがとうございます」

「……」

 それでも……。

「そんなみなさんへのお礼に、わたしもここで一つ何か披露したいと思います……と思ったのですが、あいにくわたしはそのようなものを持ちあわせていません」

 そんな、何も持っていないわたしにも、できること。

 成功する可能性は低いですが、それが一つだけあると思うのです。

 と、言いますか舞台の上だからといって、別に一芸にこだわる必要はないのではと信じたいのです。

 だって、わたしの目的はクマ太郎に会いに行くことなのですから。

 そのための方法を聞き出すことなのですから。

 これが、伝わるかどうかは、分かりません。

 けれど少しでも可能性があるなら、とにかくこの舞台という絶好の場所を使って挑戦してみるしかないのです。

「ですので、そのかわりにちょっとした昔話を一つしようと思います」

 そう。

 今のわたしにできること。

 クロエさんが昨日の夜、たぶん無意識に教えてくれたこと。

 それは、ストレートに。馬鹿正直にお話をするということ。

 クマ太郎に会いたいというその気持ちを、王様とここにいる全てのマスコットさんに分かってもらうというただ一つの方法。

 「さて……」

 物語を始めましょう。

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