第三章

1. やってきた!? マスコット界!?


「ついに……やってきたんだ」

 頭のてっぺんから足の先まで、ゼリーに体をひたしているような、ピタッとしたひんやり感。

 目の前に広がる空は、芽を出したばかりの双葉みたいな、つややかなエメラルド色。

 そんな世界に挟まれて――

 わたしは両手両足を大の字に広げて、仰向けになって気絶していました。

「あれ……わたし、地下へ行ったはずなのに、どうやってここにやってきたんだっけ……」



      ※    ※    ※



 真っ先に思い出せるのは、地下室が映画に出てくる宇宙船の中みたいなメカニックな内装だったこと。

 そして、監査役の3人のこと。

 監査役さんたちは、顔を仮面で隠している一風変わった人たちでした。

 ちょっと不気味ではありましたが、筋肉マッチョマンさんではなく、ましてや竹刀を肩に担いでにらみつけてくるような、怖い人たちではありませんでした。

『ちょ。はいはーい、とっとと始めるわよ』

『そうね。よろしくね。ミントちゃん』

『……』

『よろしくお願いします』

 3人のうち1人目は、ぶっきらぼうで常にわたしを疑っている様子のザ・監査さんでした。

 一方で、2人目は寧ろわたしの味方だと言って、驚くほど優しくしてくれましたし、3人目に至っては、その対照的な2人の監査役さんを見張っていることが役目らしく、わたしにはまるで興味がない様子でした。

 そして何より、3人とも体のシルエットがすらっとしている大人の女性で、わたしが予想していた"監査役"のイメージとはかけ離れていました。

『では、はじめますね』

 そんな3人に見つめられながら、親切そうな監査役さんによる島についての講義が始まりました。

 内容は、専門用語ばかりで難しかったので、正直なところほとんど思い出せません。

 ただ、その中でもしっかりと覚えているものがあります。

 この島の地下にある"ゲート"のお話です。

『ゲートというのはね――』

 ゲートとは、この世界とマスコット界を繋いでいる魔法の門のこと。

 ひとつ。

 マスコットはそこを通り、この島と異世界であるマスコット界を行き来している。

 ふたつ。

 ゲートがある場所は、島の更に奥深くのB13階である。

 みっつ。

 ゲートは年に一度だけ、オーナーであるお母様しか開けることが出来ない。

 これが主な解説でした。

『それならリンボに向かうマスコットも、そのゲートを通るんですか?』

 と、わたしが質問すると……。

『リンボはマスコット界の中にある地名だから、もちろんそうなるわ』

 と親切そうな監査役さんが答えました。

『ちょ、たらたら話すより実際にゲート見せたほうが早いんじゃないの?』

 説明が一通り終わった時、わたしを見張るぶっきらぼうな監査役さんが、いやみったらしく言いました。

『それもそうね』

 彼女の一声で、監査役さん達とわたしの4人はエレベーターに乗って、ゲートがあるB13階に向かうことになりました。



      ※    ※    ※



 B13階でエレベーターを降りて、数分ほど真っ暗な通路を歩いていくと、ゲートのある部屋に突き当たりました。

 そこには、今まで居たB7階とは比べられないくらい異質な空気感が漂っていました。

 まず目に入ってきたのは、床のそこかしこに等間隔で突き刺さっている蛍光灯のような、ぼうっと光を放つ長い棒でした。

 わたしたちはその隙間を縫うように歩いて行きました。

 まるで格子柄の白い着物をわたし自身がシミとなって汚しているような、そんな申し訳ない気分になりましたが、不安になって後ろを振り返ってもわたしが通った跡は少しも残っていませんでした。

 途中、棒を人差し指で直接さわってみると、金属のような無機質で冷たいものでできているのが分かりました。

 なんだかさわり心地が良かったので、つんつんと色々な棒をつついていると……。

 『こら!』

 と、後ろからぶっきらぼうな監査役さんに怒られてしまいました。

 わたしは棒を触るのを止めて、天井に目をやりました。

 一見なんでもない真っ暗な天井でしたが、目をこらしてみると波のようにうねった細やかな模様が浮かび上がってきました。

 しかも、そのウネウネは天井から壁を伝って、なんと床までびっしりと敷きつめられているのでした。

 それが分かった途端、すっーと部屋全体がわたしを包み込んでいるような不思議な感覚になりました。


『これがゲートよ』

 ゲートはその部屋の一番奥にそびえ立っていました。

 ずっしりとした存在感。

 天井まで続く縦長の長方形。

 真っ白い雪崩を魔法の力で押し固めたような絶壁でした。

 歩み寄り表面に手のひらを当てると、張り付くような冷たさがキュッと吸い付いてきました。

 わたしは、反射的に手を離して後ずさりました。

『……っ!』

 気を取り直して、ジャンプをしても、ドアノブらしきくぼみには届きそうにありませんでした。

『はぁ……』

 思わずため息。

 これでは、扉の中には到底入れっこありません。

 それでも、そう分かっていても諦めることはできず、見つめれば見つめるほど、わたしはゲートのことしか考えられなくなっていました。

 そっと目を閉じて心を落ち着かせます。

 するとどうでしょう。

 ほんの数秒で、ごちゃごちゃしたこの部屋の何もかもが、この場から消えてなくなっていくような、五ツ星のセルメントを持ったマスコットさんにも負けないくらい強い力を手に入れたような、強い自信に包まれていきました。


『さて、これで今日の説明は終わりね』

 ひと段落し、監査役さんたちとエレベーターに戻りかけたその時。

『……やってみたい』

 わたしは、閉じた目をさらにぎゅっとつぶり、一目散にゲートに向かって走り出していました。

『ちょ、何……!?』

 監査役さんたちの動揺なんて、いざしらず。

『うんん、やらなくちゃ……!』

 扉の中心を両手で精いっぱい押し始めました。

『……っっ!!』

 そこに抑えきれない気持ちをぶつけるようにして。

『……なに、して、る?』

 今思えば、これは三人目の監査役さんの声で。

 その時わたしは初めて彼女の声を耳にしていました。

『……』

 彼女の疑問はもっともで、しばらくは何も起こりませんでした。

『ちょ、だよねー。ほっとけほっとけー。小娘じゃ、ビクともしないって』

 と、ぶっきらぼうな監査役さんが遠くのほうで言い、笑いました。

『……』

 いくら押しても、ゲートは固く閉ざされたままでした。

 額から汗が垂れ、腕はしびれてきました。

 それでもわたしは指先からつま先まで、力を込め続けました。

『…………』

 今までずっと説明をしてくれていた親切な監査役さんは、何故だかずっと無言でした。

 どうしてでしょう。

 もしかしたら、どうなるか分かっていたからかもしれません。

 そして――

『ちょ、これって、開いてきてんの……?』

 どのぐらいの時間が経ったかは、わかりません。

 けれどあるとき、ゲートを押す腕に微かな手応えが感じられたのです。

 そこからは本当に記憶が曖昧です。

 あらわになっていくゲートの隙間からは、目を開けていられないくらい眩しい光が溢れ出してきました。

 目を閉じて、もがいていると、後ろから誰かに肩を掴まれ、引っ張られたような気もしました。

 それでもわたしは必死になってその手を振り払い、ひたすらゲートを押し、もっとちゃんと開くように、せめてわたしが入れるくらいの隙間ができるように念じ続けました。

『開け。開け、開け――』

 やがて吹き荒れる向かい風の中、わたしはゲートの中へと足を踏み入れ――



※    ※    ※



「それで、気づいたらここにいた……?」

「……みたいね、ほんと最悪」

 つぶやくと、すぐ隣りで誰かがそれに応えました。

「……だれ、ですか?」

 振り向かずに、空を見上げたまま問いかけます。

 それくらい目の前に広がる空はキレイでした。

 そうか、わたしは――

 とうとう、マスコット界にやってきたんですね。

「ちょ。私よ」

 ああ。

「"ちょ"で分かりました。ぶっきらぼうな方の監査役さんですね……」

「ちょ。って、あーもう! こんな状況で突っ込むのもどうかと思うけど、2つ言わせて」

「はい。どうぞ」

「まず、口癖は自覚してるけど、それだけで特定されると不愉快。てか……そんなに気になる?」

「はい」

「まあ、直す気は更々ないけど」

「……」

「もう一つ。地下室で名前、名乗ってるんだから、そういう覚え方はやめて」

「はい……」

 あれ? 名前、教えてもらいましたっけ。

「それと――」

「あの、もう2つ終わりましたけど……」

「ちょ、たった今増えたのよ!」

「はぁ……」

「私は、好きでぶっきらぼうにしてるんじゃなくて、単に業務命令に則ってるだけよ」

「ぶっきらぼうでいるように本土から言われてるんですか?」

「ちょ、あーもう!! 違うってば!」

「違うんですか?」

「ちょ、違うけど、もうそういう事でいい……」

 腰を上げてその場に正座し(わたしにとってこれが一番落ち着く座り方なんです)あたりを見渡すと、周りはずっと浅瀬が続いていて、その先は霧で真っ白に沈んでいました。

 見上げれば空はくっきりとした快晴なのに、ちょっと先を見れば白くぼやけているなんて不思議です。

 はるか上空からここをみたら、白砂糖をまぶしたドーナッツみたいに見えるのでしょうか。台風の目みたいな感じですね。

 まあ、それはともかく。

「ちょ……もうなにこれ、なんなのよ全く」

 そんな世界の中。

 わたしの真横に、呆れ顔のクロエさんがドカッとあぐらをかいて座っていました。

 ……って、そうです。

 そういえば、この人はクロエさんという名前でした。

 そして彼女は監査役さんのトレードマークともいえる"仮面"をしていませんでした。

 あらわになった顔は、わたしより少しだけお姉さんといった感じの、どこか見覚えのある――

「あ……」

 思い出しました。

 この人、あの日ホールでマスコットショーを見た後に、突然現れた黒髪の女の人じゃないですか。

「ちょ、なに見てんのよ」

 顔をしかめるクロエさん。

「あの日は、どうして仮面をつけないでわたしの前に現れたんですか?」

 ひるまないように持ちこたえて、率直に質問をぶつけます。

「あーあれね。あんだけ離れてれば、声も顔も特定できないって思ったのよ」

 自分でもびっくりするくらいストレートな問いでしたが、クロエさんはやっぱりかという顔をして淡々と答えました。

「なるほど」

「まあ、駄目だったみたいだけどね。これじゃー監査役失格よ。アンタ、いつから気づいてた?」

「えっと……さっきです」

「ちょ……口癖で見破ったくせに、地下室のときは気付かなかったんだ」

「仮面をしていた印象が強過ぎて、ショーの時と同じ人だなんて考えもしなかったです」

「つぐづく計算違いねー。ま、こうなっちゃったからには、もうどうでもいいけど」

 たしかに、マスコット界にやってきてしまった今となっては、どうでもいいことなのかもしれません。

 でも、ここで再会したということは、これも何かの縁なのでしょうか。

「あと一つだけ、いいですか?」

 そう思うと、彼女に訊きたいことが頭に浮かんできました。

「なによ」

「あの日は、どうしてわたしにあんなことを言ったんですか?」

 どちらかといえば本当に知りたいのはこっちの方。

『アンタが思っている以上に、この島は残酷で現実的ってことよ』

 あの日マスコットショーの余韻に浸っていたわたしの気持ちを台無しにするようなことを、彼女はなぜ言ったのか。

 それが気になるのです。

「そうね、きっとそのうちわかるんじゃない」

「そう、ですか……」

「そりゃ、マスコッ島の本当がここにあるはずだからねー」

 マスコット島の本当。

 つまり、ここマスコット界にはマスコッ島の真実があるということ。

 どうやらクロエさんとわたしの目的は、似通っているようです。

「なるほど。それならわたし、クロエさんと勝負がしたいです」

「勝負?」

「わたしはこれから、この世界でクマ太郎っていうマスコットさんを探します」

「あー、ふーん。それで?」

「クマ太郎は、リンボっていうマスコットの墓場と言われているひどい場所に居るみたいなんですが――」

「はいはい。よーするに、その場所がウワサ通りの地獄だったら、私の勝利」

「それが嘘っぱちなただのウワサに過ぎなかったら、わたしの勝ち」

「ってことね。いいわよー」

 即答ですか……。

「……話が早くて助かります。決まりですね」

 分かっています。ほとんど、わたしに勝ち目なんてないんです。

 島のマスコットさんたちは、みんな揃って顔を青くしてリンボを恐れていましたから、わたしだって薄々感づいてはいるのです。

 けれど、信じたいのです。願いたいのです。

 わたしの親友である、クマ太郎の無事と――

 幸せを。

「にしてもさ、アンタ」

「はい?」

「なんか雰囲気変わったね?」

「そうですか?」

「猫かぶってたってわけか」

「どうなんでしょう。でも」

「でも?」

「今まで生きてきた中で一番、真剣になっているのは間違いないです」



       ※    ※    ※



「うーん。黒い髪だからクロエさん……一応、覚えました」

「ちょ、そりゃどうも。まあ本土の人間なんてだいたい髪黒いけどさ」

「そうですけど、レイナさんは茶髪で、ユラさんは金髪でしたから」

 監査の三人の中で、親切そうに説明をしてくれた人がレイナさん。

 無口な人がユラさんであっているはずです。

 ついさっき、思い出したことですけど。

「まあ、あの3人で考えりゃそうなるか」

「はい」

「そういやあんたも髪、緑色だからミント。覚えやすくていいわね」

「あーはい。言われてみれば」

「ちょ、何あんた、考えたことなかったの?」

「はい」

「まあ私も髪が黒いからクロエだなんて考えたことなかったし、そういうもんなのかね」

「……」

「いいわ。お互いの名前も覚えたことだし、私はこれからミントゲーツって呼ぶから。アンタ……じゃなくてミントゲーツも好きに呼んだらいいよ」

 ミントゲーツって、まさかのフルネームですか。

 じゃあ、わたしは……。

「うーん……クロエさんで」

「ちょ。無難なチョイスだけど、"さん"はちょろーっと慣れないわねー」

「じゃあ、クロエ……ちょ……クロエちょん」

「ちょ、却下よ」

「クロちょ」

「ちょ! ちょから離れろ!! ……もういいわよさん付けで」

 顔を真っ赤にして怒るクロちょ。

 じゃなくてクロエさん。

 なんでしょうか。

 口調はぶっきらぼうですが、思っていたよりも悪い人ではなさそうです。

「なによ」

「……いえ」

 まあ、しょせん本土の人間ですから、一切信用はしませんが。

 しませんよ。

 しませんとも。

 そういえば……。

「レイナさんと、ユラさんは?」

「私だけが巻き込まれたみたいだから、今頃あっちでオーナーに叱られて大変なんじゃない?」

 残り二人の監査役さんは、お説教中ということですか。

 お母様って、怒るとものすごく怖いんですよね……。

「なんだか、ごめんなさい」

「ちょ、まあ私も誤算だったし。監視職務を全うすることを考えればこれが正解だし」

「そうですか……」

 ……って、さらっと言いましたけど、これって今も監視が続いているってことですよね。

 やはり恐るべし本土仕込みの監査役さん。

 気を許したら最後、どんな仕打ちが待っているのやら。

 油断はできないようです。

「そんなことより、今はどうやって一年間ここで生き延びるかを考えなさいよー」

「一年……?」

「ゲートは年一回しか開けないって制約があるの。それを覆すのはおそらくオーナーでも無理」

「え?」

「ちょ。レイナの話、聞いてなかったの?」

「そういえば、そんなこと言っていた気も……」

「……んで、その一回をミントゲーツがさっき使っちゃったってわけ」

「あぁ……」

 わたしはなんてことをしてしまったんでしょう。

 今の今までのうのうと『わーい空と水がキレイ!』とか『マスコット界にやってきたヤッホー!』だとか考えていたなんて。

 いくら絶景でも、こんな何もない所で一年間も生き延びれるわけがありません。

 グゥ――

「ちょ」

「あははー」

「まずは食糧探しってとこねぇ」

 だって、この夢の中みたいな世界でも、ちゃんとお腹と背中がくっつきそうになっているんですから。

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