2. ただいま! お母様!
※ ※ ※
『ねえ、くまたろー』
『クマー?』
『わたしね、おおきくなったらおかーさまみたいな、おーなーになるんだ』
『クマー!』
『それでね、せかいじゅーのみんなをしあわせはっぴーにするんだよ』
『クマ!』
『さんせーしてくれるの?』
『クマッ』
『そっか、ありがとー』
『クマクマッ』
『んー? なーにこれ? もじだけのごほんなんてつまらないよ?』
『クーマ!』
『そっかー。たくさんおべんきょうしないと、おーなーになれないっておかーさまいってた』
『クマッ!』
『うん。きめた。わたしやっぱり、ホンドのがっこーにいくよ』
『クマ?』
『ホンドのがっこーはね。おべんきょーするところなの。もじもたーくさんよめるようになるの』
『クマー』
『いっぱいおべんきょーしてくるよ。くまたろーは、ちゃーんといーこでまってね』
『クマ!』
『いーこ、いーこ。くまたろー、だーいすき!』
『クマクマ~』
※ ※ ※
「こちらでございます」
「ありがとー」
パレードみたいな大行列を作って、華やかに着飾ったマスコットさんたちに囲まれながら案内されたのは、わたしの実家である島で一番大きなお城の正面玄関――
「……?」
ではなくて、そのお城の白壁をぐるっと伝って行った、玄関とは正反対の位置にある鉄扉の前でした。
「ここ?」
童話に出てくるコビトやホビットが出入りしていそうな、小さな扉。
「はい。オーナー様が仰っていたので間違いないですぞ」
「私も『ここで鍵を使うように伝えて』とオーナー様に伺いましたわ」
鍵ですか。それはきっと、わたしが首にかけているこのペンダントについた鍵のことでしょう。
「そ、そっか……。ねえ、入る前に一つだけ聞いていい?」
「なんなりと、どうぞ」
「クマ太郎はどこにいるの? 見当たらないけど……」
クマ太郎というのは、昔わたしが一番お世話になっていたマスコットさんです。
わたしはそのクマ太郎に会いたくて会いたくて仕方ないのですが……。
「ちょっとわからないですぞ。きっとオーナー様に会えば分かるかもしれないですぞ」
どうやら、まだ出てきてはくれないみたいです。
「そっか。ならよかったー」
でも、どうしてでしょう。
クマ太郎だって、一番にわたしに会いたいはずなのに。
「うーん」
ひょっとしてこれは……。
『クマクマーッ!』
『え!? クマ太郎? もうびっくりさせないでよー』
『クマァ!!』
なーんて、サプライイズがこの後すぐ……?
「わあ……」
あのクマ太郎が、わたしを驚かせようとしているだなんて、考えただけで嬉しい気持ちになります。
もうあれから9年も経っているわけですし、あのクマ太郎がそんなことを計画できるようになっていても、何もおかしくないってことですね。
「どうかしましたか? ミント様」
「うんん。なんでもない」
「そうですか。それでは、私達はこれで失礼しますわ」
「さらば! ですぞ!」
「ありがとうー。じゃあまたね」
マスコットさんたち一行がいなくなってしまうと、さっきまでの賑やかさはどこへやら、わたしはまたひとりぼっちになってしまいました。
一人はもう慣れっこですから、寂しくないですけどね。
さて。
「これ、本当にあってるのかな……?」
昔、お母様から貰った鍵付きのペンダント。
おそるおそる、鉄扉の鍵穴に差し込んでみます。
カチャッ――
「開いた」
鍵は思っていたよりも簡単に回りました。
「失礼します……」
そろーっと中に入ってみましょう――
「クマ太郎!?」
気づいた途端、思わず勢いよく扉を全開にしてしまいました。
というのも、あのクマ太郎がピンク色のソファーにちょこんと座っていたからです。
「わー久しぶり、クマ太郎! このドッキリは予想外だよ!」
いえ、予想はしていたのですが、予想通りになることが予想外だったといいますか……。
「……っ」
とにかく、急いで駆け寄って、抱きしめます。
「……あれ? おかしいな」
しかし、肝心のクマ太郎はピクリともしません。
「どうしたの? クマ太郎」
「……」
「って、ぬいぐるみ!?」
それもそのはず。クマ太郎だと思ったのは、クマ太郎そっくりの白クマのぬいぐるみだったのです。
「なに、これ……」
「……」
「どうして……?」
「ミ、ン、ト」
驚いているわたしに追い打ちをかけるように、ぬいぐるみが何やらぎこちない口調で言葉を発しました。
「ぬいぐるみがしゃべった!?」
そして、次の瞬間。
「……っ!」
それはピカーッときらめいて、光はどんどん大きくなっていき――
ぬいぐるみ全体がプラネタリウムの映写機のようになって、ドーム状の丸い天井にどこか前にも見たことがあるような情景を映しだしました。
※ ※ ※
『ない、ない……』
鮮明に映し出されているのは、今日わたしが入っていくはずだった、このお城の……玄関。
で、間違いなさそうです。
『ない、ない……』
映像と同時に聞こえてくるのは知らない人の声。
『ない……』
ひどく落ち込んでいるようで、わたしの心を不安にします。
『ない……!!』
大きな叫び声。
その声を合図に、映像が切り替わりました。
「013009、013010、013011、013013、013014、013015……?」
壁に書かれた冷たい数字の並び。
わたしは思わずそれを声に出して読み上げていました。
『ない、ない……』
何がないのでしょう。
その答えはもしかしてこの数字の中に?
『ない、ない、ない……』
6つある数字を照らしあわせてみます。
上3桁はすべて0130。下2桁だけが違っています。
つまり、これは連続する数が並んでいるのです。
と、いうことは……。
「12が。013012だけが抜けている」
『ない……』
この声はそのことに悲しんでいるのです。
わたしにはわかります。
そのことがはっきりと。
だって、わたしも……。
※ ※ ※
「お母様!?」
気がつくとわたしは、とっても懐かしい温もりに包まれていました。
「おかえりなさい」
「お母様……」
「ミント、本当にミントなのね?」
「……はい、お久しぶりです」
しばらくの間、わたしはボーっとしていたようです。
天井を見ると、あのぼんやりとした明るみはすっかり消えていました。不吉じみた声も聞こえません。
そして、抱きついたぬいぐるみは、いつの間にかお母様に変わっていました。
「本当に、本当にミントなのね?」
「も、もう……わたしじゃなかったらここまで来られてないよ。船に乗る前なんて、何回も検査されて大変だったんだから」
確かめるように少しだけ、お母様の揉み上げを指でなぞると、まっすぐな長い繊維がさらさらと通り抜けました。
真夏のケヤキの木みたいに涼しげな緑色の髪。そして、爽やかなせっけんの香り。間違いなく、本物のお母様です。
「身長、また伸びたんじゃない?」
学校の朝礼や集会で整列すると、決まって両脇に腕で三角形を作っていたわたしでしたが、それでも昔に比べたら大きくなったみたいです。
まだまだお母様の顎に、わたしの額がつく程度ですけれど。
「って、聞いてないでしょー」
「ふふ、聞いているわ。寂しい思いをさせちゃって、ごめんなさいね」
話を聞き流しているように見せかけて、実はちゃんと聞いてくれている所。
なんというか、9年経ってもお母様はお母様のままでした。
「別に寂しくはなかったよー」
「そう」
「……うん」
なのに、なぜでしょう。
お母様の胸の中はすごく暖かくて安心するのに。
これ以上ないくらい嬉しくてたまらないのに。
何かが瞳から溢れ出そうです。
「……」
「ミント……?」
まずい、それだけは我慢しないといけません。
もう泣かないって決めたんですから。
「それに、マスコットさん達がここまで案内してくれたから。島に着いてからはお祭りみたいだったよ」
「……あら、そうだったの。みんな今日明日お休みにしてあげたら、ミントを驚かすって意気込んでいたけど、ビッグイベントになっていたなんて、驚きね」
「うん……。すごく、楽しかった」
だめだ……。こぼれないように耐えるのがやっと。
明るい話題のはずなのに、どうしたのでしょう、わたしったら。
高校入試の時にしか、泣いたことなんてなかったのに。
「ねぇ」
袖で目じりを拭うと、しずくと一緒に心の底にひっかかっていたものが、浮かび上がってきたことに気付きました。
「なあに?」
でも、だめ。
きっとこれは質問してはいけないこと。
「……ク、クマ太郎は?」
そう分かってはいたけれど、やっぱり訊かずにはいられませんでした。
だってクマ太郎は、生まれて初めて出来た友達なのですから。
「ごめんなさいね。こうでもしないとミントは恥ずかしがり屋さんだから、抱きついてくれないかと思って」
「そうじゃなくて!」
ほらまた、話を逸らした。
こればっかりはお母様の悪い癖。
「……」
理由があるから話をごまかそうとしているのは分かっています。
でも。
それでもわたしはちゃんとした事実を知りたいのです。
「クマ太郎は、どうしたの?」
「ええ、そうね。わかっているわ」
「……」
少し黙った後、お母様は口を開きました。
「クマ太郎とはね。もう、会えないの」
え……?
「今、なんて?」
……なんて、言いましたか?
「もうクマ太郎には会えないって言ったのよ」
「……なんで。なんで!? どうして!? ……あ」
しっかりと正面から向き合ってくれたお母様を、思わず両手で突き除けてしまいました。
最悪の予感が脳裏をかすめたからです。
「も、もしかして……し、死んじゃ……?」
そう、それが最悪の予感。
だってあの時以来、クマ太郎とは音信不通だから……。
「いいえ、違うわ。生きてはいると思う」
「生きている……よかった」
正直、そう訊いてホッとしました。
わたしったら、何を大げさなことを考えていたのでしょう。
けれど、またすぐに疑問は湧き出てきます。
「なら、どうして?」
どうして、会えないんですか?
「落ち着いて、ミント。まず、あなたは何故この島に戻ってきたのかしら」
「……」
「……」
「それは、この島のオーナーになるため……です」
「そう。それは本気よね?」
「はい」
「ホントのホントに?」
「もちろんです」
「だったら、話さなくちゃね……」
真剣な眼差しのお母様。
お母様の決心に、わたしも応えるため、その瞳をじっと見つめ返します。
「……」
「クマ太郎はね」
じっと。
「……」
「ここ、マスコッ島ランドの試験で不合格になったから、元の世界へ帰ってもらったの」
「え……」
よく分かりません。
夢と希望に満ちあふれているはずのこの島で、お母様は可笑しな語句を使いました。
"試験"?
それは、まるで本土の人たちが使っている本土社会的な言い回しで。
"不合格"?
そしてわたしは、その無慈悲で残酷な現実とやらが大嫌いで。
だからこの島に戻ってきたというのに、またそんな言葉を聞かなくてはいけないのですか。
事実は、ある意味で最悪の予感を上回るものでした。
「お母様……じゃあ、天井に映っていた映像って……」
「あれはクマ太郎が残していったものよ。あなたのために」
「……」
「それを知ってもまだ、島のオーナーになりたいって言えるかしら」
「…………」
ああ、そういうことなのですね。
全部、しっくりきました。
マスコットたちがクマ太郎のことを話してくれなかったわけ。
クマ太郎があの映像をわたしに見せてくれたわけ。
お母様が魔法を使ってまでして、クマ太郎みたいなぬいぐるみになりすましていたわけ。
それは、ここでの生活は楽しいことばかりではなくて、辛いことがたくさん待っているということ。
オーナーになるということは、悲しみを跳ね除け受け入れる強い覚悟が必要だということ。
そういうことなのです。
「でも……」
それでも……。
「わたし……」
わたしは――
「わたし、頑張ります」
本当に頑張れるでしょうか。
「頑張ってオーナーになります」
いいえ、頑張るしかないんです。
「そう。それでこそ、私の娘よ」
お母様と初めて交わす固い握手。
その手のひらは、想像していたよりもずっと力強いものでした。
「それとね……クマ太郎を利用する形になって、ごめんなさい。でもこれはクマ太郎自身が望んだことでもあるの」
「……」
いくらお母様とはいえ、謝られても正直なところ、ふに落ちません。
それでも、今のわたしにできることは、ひとつ。
包み隠さず真実を話してくれたお母様を信じることだけ。
きっと、それだけなのです。
「……ん」
だからわたしは、無言でうなずきました。
「さーて。船旅、疲れたでしょう。今日はゆっくり休んで、明日から本格的に研修開始よ」
「はい」
こうして、この島のオーナーになるための修行が、本当の本当に始まりました。
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