第餐襲二話:孔穴洞の探究

 ぺったぺったと、稜線の頂点を尖るように押さえるように尾根をそびえたたせた、円錐といっても幼いもみじみたいな手で作られた盛り砂はいびつな形。それを崩さぬようにそうっと手で山の下を掘っていくんだ。

 爪が砂利を噛み黒ずんでいく。次第に奥まる洞はしっとり湿っておりひんやりと冷たい。そうしてできた道は覗き込んでみると向こう側が見える。

 稚気なトンネル。だが、穴といって差支えがない。

 穴。

 穴とはなんだろう。

 認識したのは、覚えちゃあいないが、原初たる母親の胎孔をくぐりぬけた時が最初の記憶だろうか。昏い中から明かり差す方へ。鼓動や体内の蠕動運動のごろごろしたさざめき以外が聞こえる世界へと続く穴。

 盲が開き、モノクロームが極彩色に移相する。

 穴を掘る、とは奇怪おかしな言いようとは思わんかね?

 穴とは何かを掘った後に生じる結果だ。蒙を啓く。道のことわりだ。

 結果を掘ることなぞできようはずがない。そんな不条理さに惹かれたのやもしれん。だからこそ今がある。お嬢ちゃんとも知り合えたわけだ。

 砂場での穴掘りに飽いたわたしは、次に彫刻刀を手にした。周りの子らが思い思いに木板から不器用になんぞを削り出している横でわたしはひたすら穴を穿っていくのに夢中だった。穴の向こうに何があるのか、木板に穿たれた穴から覗き見たとてしょぼしょぼと目に入るのは削りカスで向こう側の景色でしかなかったがわたしは満足した。ささくれだった世界がつかのま垣間見えたのさ。とはいえ、とはいえだ、お嬢ちゃんに見せてもらった漣玻璃レンのガラスとは比べ物にならんよ。よもや玻璃の向こうに別の世界が見えるとは。一方通行とは残念よな。ああ、まだ見ぬ夢の圀。


 めりめりめり。ごりごりごりごり。何の音かね。


 十三の歳にもなると徒歩から自転車、市バスへと行動範囲がとてつもない知見をわたしに与えてくれた。

 秘密を共有できる奥貫に出会ったのもその頃だ。御囃子宮の社殿で「屍解鬼の腕」と伝わりし木乃伊ミイラを二人して目撃したときは心躍ったものよ。奉納にまつわる縁起を読み、かつて、護謨ゴムのごとき皮膚をして二足歩行で飛び跳ねる得体のしれん畜生面の生物が「穴」の中にいたのだと!

 もちろん行かぬ道理がない。ふむ、そのことを訊ねているわけじゃないのかね。霧生ヶ谷市から式王子港市へと、いまだ土葬の残る綱長井へと。伯父が農作業に使っていた身長ほどのショベルをふろしきで覆ってバスに二人で運び込んで。

 黄昏が、ほどなく夜の緞帳に吊るし変わる直前には土饅頭の前に二人。

 幽霊より人の方が怖かろうに。奥貫は急にぶるって怖気づきやがったもんでに立たせたよ。墓荒らしだと、羅生門の銀歯をもぐばばあじゃあるまいし。いかんな、君と同じく学究の徒と呼んでくれたまえ。

 ざくりざくり。ざくりざくり。

 墓場の土はしっかりと押し固められていてぎゅうぎゅうに密だ。

 闇に紛れたわたしはそれでも実直にくたびれも知れずに掘っていった。

 土饅頭にこれというアタリをつけたわけじゃない。綱長井の、屍解鬼の腕が出た、それだけで。背徳めいた快感を覚えやしないかい。一掘りするたびにわたしは実に愉快だった。愉快極まりなかったが、ショベルの先端が三メートルにも達するとだんだん愉悦は落胆に変わっていった。破砕して朽ち腐った木桶の欠片に、ぼろぼろになった。その周りにのような地を這う虫がうようよとしていたが、そんなものは単に人がうずめられ朽ちた結果でしかない。せめて屍臭の名残でも嗅げれば、あるいはその骨になにかが齧りついた歯形でもあろうなら理の違う世界をみれたかもしれんがな。

 もしも木桶の底が抜けていたなら……ボストンの幻想画家リチャード・アプトン・ピックマンの絵、「食事をする食屍鬼」を見たことはあるかね。ああ、君は「教え」のほうが好きなのか。ドクトルらしい。確かにあれも佳い絵だった。だものだから、わたしは落胆してそっくり埋め戻した。その後時間の許す限り土饅頭を暴いていったが屍解鬼の穴は見つからなんだ。ああ、わが愛すべき食屍鬼。夢の圀の住人!


 ごりごりごりごり。


 先ほどはとろりと美味い酒にあずかり恐悦至極。

 蜂蜜酒ミードを飲むのは久しぶりで、シュヴァルツシルト滞在中に飲んだのを思い出すよ。それでなくとも君の楽しそうな顔を見ているとついついおしゃべりになってしまうな。現実がぼやけて過去が鮮明になっていくぞ。手がお留守になってはいまいか。

 ふむ。奥貫か。

 奥貫理有。学究肌というより、昏い知識に耽美を感じる我が朋輩。色素の薄い柔毛を撫でつけながら図書館の洋書棚からケイレムクラブ刊行のコーセラ・イロオジョンの同人作品『Tne Humidity』を引っ張り出してきて読むような読書蟲さ。

 わたしは手持無沙汰になると粉砂糖たっぷりのドーナツを餌に奥貫を呼び出し、膝枕に横たわらせた。膝に頭を預けるや横たわり目を瞑る。

 鼻腔をくすぐるのは奥貫の口元から漂う粉砂糖の甘い香り。私の手には耳かき。そうだ、彼女の耳孔にそうっと竹の柄のヘラを差し入れ掘り進める。丁寧に耳を掃除していく。鼓膜の先に触れるか触れないか、外耳道をそろそろと侵し汚れをこそげ取る。粘性の耳垢が採れるのはわたしの所為でもあった。あまりにも耳掃除をするものだからきっと外耳道を傷つけてしまったのだろうな。膿のような垢。そして少しでも指の動きをあやまれば、あるいは彼女が頭を動かそうものならヘラはやすやすと鼓膜を突き破り内耳に到達し蝸牛を、さらには脳すら破壊していただろう。そう、死を覗き見れるのだ。死に至る孔だ。彼女が身じろぎするのをわたしが一回でも期待していなかったといえば噓になる。昏い悦楽の愉悦がわたしに這い入り込む……わたしの生まれが十五世紀のトランシルヴァニアであればヴラド・ツェペシュ……串刺し公との良き朋輩になれていたかもしれん。で、結局のところ彼女は死なずに、年頃になったわたしに花孔を差し出してくれた。淡い陰りに覆われた裂けめはぬるんで蹂躙者を受け入れてはくれたが、その孔は原初の洞穴への回帰とはいかなかった。おや、うっかりしていた、すまんすまん。釣鐘と陽根が君にはぶらさがっておらんじゃないか。ドクトル、君にも経験できんことがあるとは。大いに愉快。おや、手の動きが早くなっているね。何をしているのかわたしからは見えないけどね。首が動かせんぞ。どうしたことだ。

 どうにも愉快だ。先ほどの、舌先に感じたかすかなフレーバー。あれはなんだったんだのかね。身体がだるいが頭脳は冴えわたってきている。ふむ……。

 地球現象学と宗教民俗学を修めた後、わたしはゲンマ・インクァノックに入社し、奥貫を秘書として各地を飛び回った。

 各地。ピレネー山脈のジプシー立坑はもとよりシュヴァルツシルトの地底洞窟やハイチの浜辺にて呪術師ガンガンの魔宴中に突如できた洞穴。色々見聞きした。ロンドンでは地下鉄工事の点検の際、経年劣化ではない穴から発見されるチソニアと呼ばれる頭足類めいた環形動物の革をなめしたものが洋綴じの表紙として広く用いられるのだよ。例えばコルリ・アルテュマ夫人の「辛喰教典儀」もこれに類するだろう。

 この世ならざるものにかけては貪婪に執着する会社が諸牛頭しょごすの穴に目をつけるのは必然だった。六十の声もちかく、「穴」に対してわたしなりに何かしらの成果がほしかった。真霧間科学研究所の働き掛けもあって、諸牛頭の穴を活用していた防空壕跡地に掘削調査が降りたのを機に、決然たる意志をもって断固と立坑作業をおこなった。地下何百メートルという坑道を垂直に掘り下げてわたしを含めて十数人で作業する。弊社の設立者トラオム・クライハートは世界各地で同様な穴を見つけては同じように掘削をしているという。その場に己が立ち会えないのが残念なほど、聞けばモンゴリアンデスワームにも出くわしたことがあるといい、またあるところでは先の見えない金色の斑が入った大理石のが埋もれていたとも聞く。なんとなれば補陀落山の麓、諸牛頭の穴だ。愛坐当主あざとうすのおひざ元なればとひたすらボーリング作業に従事した。そうして時折、奥貫のあぶった干物を齧り味噌汁をすすり、米飯をかきこもうと立坑から地上に出ると太陽の虚像が瞼に焼きつく。

 なあ、ドクトル、

 青天をおおう霧に紛れて上下左右に見えたいくつものあれは本当に太陽だったのかな。立坑に潜る小柄な職人たちがうろほらさまと言っていたのはなんだったのだ。ついには聞かなんだ。なんとなれば、そうだ、見つけたのだ。うろほらさまがなんだ、わたしは、かつてのわたしが飢える程に希求したものに。

 穴とは何かを掘った後に生じる結果だ。

 どれくらい掘ったのか、見つけたのは名状しがたいうねる極彩色の滞留。地中に極彩色のごときものがあること自体がおかしかったが、用意してもらった窮屈な防護服に身を包んだわたしは手作業で極彩色の穴を穿っていった。ショベルで突くとショベルが跳ね返る手ごたえもなくずぶずぶと。

 ああ、ドクトル。彼だ。いや彼か彼女かわたしが知りようもない。

 補陀落山に生えるみごう茸のホダ木に似た何かが昆虫類か甲殻類の肢のごとき器官でショベルの先をしっかりと挟み込んでいた。頭部と思われる位置には赤黒く屹立した陰茎の先のような大脳のような器官から幾本も触角が生えている。いや触角かどうかは分からん。背中から昆虫類の鞘翅のようで蝙蝠の羽のようにも見える一対の、びらびらしたものが生えている。ショベルを挟んでいないもう片方の鋏には銀色に輝く見たこともない機械……突起物が握られておりそこから……ぬう、思い出せん。


 バイオセーフティーレベルBSL-4実験室、陰陽圧アイソレータ内部。


 覚えていないのね、藍洞さん。モニターで見ていました。

 奔流が走ったかと思うとあなたの胸を貫いたの。そして一つ孔が穿たれた。

 おめでとう。あなたの大好きな孔。

 莫迦ね奥貫さんは死んだわ。

 あなたが前方に突き飛ばし、たたらを踏んでいたところをシャド=リッ、あなたを撃ってしまったの名前ね、翻訳の精度がどの程度かはともかく、次元穿孔銃によって奥貫里有さんは首から下が奇麗に転移させられていたわ。とっさに移相した場所は彼、彼女かな、にも特定できないと言われた。

 生きたまま奥貫さんの頭部は転がっていた。訳が分からないわよね、気づけば首から上だけになっていて手足の自由が利かないだなんて。首から下が別次元で生きているが頭だけは今次元にあるという状態はどうなの?

 まるっきり概念が覆るわ。

 死とは、生とは。次元洞が閉じても肉体の繋がりはあるのか。

 うう、マッドの血が騒ぐ。

 ああ、シャド=リッ、コールドスリープしていたところに突然ショベルで打突されたものだから感情に任せて射撃してしまったそう。ファーストコンタクトは最悪。まあ正当防衛といわれればね。見て、赤い饅頭に生えている触角だか触肢だかが垂れ下がっているでしょう。うなだれているのよ。多分。

 そして藍洞さん、あなたは物理的に光線射出時の際にはじけ飛んだ瓦礫で胸部に物理的な穴がぽっかり空いてしまった。奥貫さんはともかく、あなたはところを人工心肺やらリャオタンもどきの溶液培養槽で保っている。

 わたしの、それこそ、ドクトルマッドの血が生かしているわけ。キリコさんとあわあわ静止するいつもの声がいないのは少し残念。くく。くひ。

 でね、クランベリー・ニードルを動かしているのも疲れてきたわ。ごりごりと聞かせていたのはあなたの意識を途切れさせないため。ほおら蓋が取れましたよお。頭蓋骨鉗子はもう用済み。いつでもあなたのから脳を吸引できます!

 見える?

 この鳥猪屠の集落から持ち出した円錐状の法螺貝のようなもの。

 あの種族シャド=リッは生体の脳を防護収納するために普段から用いているそう。ここに、あなたの脳と奥貫さんの頭からすでに回収した脳を収容して生かしてあげたい。そう彼、彼女は言ってる。人道的見地!

 ああ、なんて素晴らしい。街角の穴理論が証明されるうえに次元潜航まで実践データが取れるだなんて。

 さて、藍洞航多さん。

 あなたの許可があれば後はすっぽりと脳膜を剥いだあと、脳を吸引しちゃって潜航機に大切に収めます。どうせ首から下は遅かれ早かれ壊死するもの。

 カエサルの物はカエサルに。

 もちろん、拒否権はあります。まぁ無いに等しい選択肢だけど。培養槽から出たとたんに死亡するか、脳だけとなって奥貫さんとシャド=リッと共に

 あなたは見てみたくないのかしら。

 夢見しまでに希求する、穴の向こう側を。

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