第八話:屍解鬼の腕
同年に蝦夷地の開拓、とあるから天明四年のことだ。
式王子綱長井の墓地で屍解鬼を斬り伏せて退散せしめた、という話。
今は廃れたものの一つに土葬がある。
明治の文士、芥川龍之介が活写した羅生門の光景は、大飢饉に喘いだ天明の時代に於いて、もっぱら衆生には鼻先の出来事である。
義歯やかつら用の毛髪狙いの墓荒らしは挙げるまでもない。
折しも蘭方医の杉田玄白・前野良沢らの手による
とはいえ、羅生門に縁なく犬のように棄てられた亡骸をむさぼられるのではなく、念仏を唱え、ねんごろに弔われた土饅頭を荒らされたとあっては民心が乱れる。
塀囲いをし、火を焚き、墓守を昼夜置いた。
なのに。気付けば土饅頭が荒らされている。
鬼魅が悪い。
とりわけ奇妙なのは、墓場荒らしの正体が掴めないことだ。
墓地に怪しげな出入りはない。
有志を募り墓を検めることとなった。
ついぞ埋葬したばかりの墓土を掘り返す。
死装束が冒涜するかにはだけられていた。
それどころか、立て棺の中で膝を抱えて眠っているはずの仏が奇麗に肉をしゃぶられてくずおれているではないか。
無惨に裂かれた布地から覗く骨がやけに白い。
外側に肋骨がひしゃげ、腹腔がからっぽである。損壊はなはだしく、肉はあらかた削がれており、四肢の骨が皮膚の支えを失い力なく垂れ下がっている。もはや五体の体をなしていない。
まばらに生え残った髪の隙間から割れた頭蓋がぱっかりと露わになっている。頭皮を剥いでそっくり脳味噌を啜りでもしたのかまったくのがらんどう。目玉は二つともくりぬかれ舌も根元から捥がれていた。片耳と鼻にはこそげたような齧りあとが残り、僅かばかりに生前の面影が残ることが逆に哀れを誘う。木桶中に仏だった染みがこびりつきその上に発光する粘菌が我が物顔で勢力を伸ばしていた。
なにより衆生が怒り狂ったのは、七本塔婆(注)の土饅頭だったからだ。
閻魔大王に所業を問われる前に身柄が攫われるとなれば、埋葬された死者達の懊悩はいかばかりであるや?
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を唱えて土饅頭を更にあらためる。
木桶の底が抜けている。
抜けているばかりか、大地にも穴が穿たれている。
人ひとりが容易に出入りできる穴だ。
だが、人間の盗人のしわざではなかろう。
何かが棲み潜み、仏を冒涜し、穢し、喰らっているのだ。穴の中で。
夜通し見張ることにした。
衆生達が息を潜めて待ち構える。
夜半、穴から伺う貌があった。
それ逃すまいっ、とおのおの
ぬめぬめとした
おももちは畜生面である。人ではない。
腰を折り、前かがみに飛び跳ねるように二足歩行で逃れまわっていたが、居合わせた侍某に斬り伏せられ、這う這うの体で穴に飛び込み逃げおおせたという。
すんでのところを、と衆生は悔しがった。
さて、
御囃子宮の社殿にはまことしやかに「屍解鬼の腕」と伝わりし怪しげなる
一見したところ、霊長目の腕に見えるが、劣化した護謨に似た形状も併せ持ち、いい伝えの容姿に遵えば屍解鬼は存在している物証となるかもしれない。
レントゲン撮影は行われておらず、宗教上、体細胞の採集が許可されない為、遺伝子解析法によるゲノムデータベースへの照合、また放射性炭素年代測定、いわゆるC14法、さらには検索表による生物分類学上の同定に至っていない。既存の分類体系に収まらないと判断された場合、新しい分類群の設立が予想されるが、一切の科学的検証はない。
【筆者補足】
米国、マサチューセッツ州のアーカムにあるミスカトニック大学での研究資料として「食屍鬼」と「夢想國」についての言及があるが、民俗学的見地からの関連性も未だ見出されていない。
(注)
七本塔婆
葬儀ののち、法要として初七日から四十九日までの7日ごと、7回の法要ごとに立てられる、7本の塔婆のこと。
仏教では、死後49日の間に、生前の所業を閻魔大王に裁かれ、四十九日に、判決が言い渡されるとされる。
故人の魂はこの間、あの世とこの世を彷徨っているとされ、卒塔婆を立てることで生きているものが善行をもち、それを亡くなったものへの善行とする。四十九日目に来世への行き先が決められる。なればこそ、墓荒らしが忌避されたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます