04

 そいつは。

 ぬいぐるみみたいなその生物は。


「……イヴ?」

「おうよ」


 俺でも知ってるその名を名乗り、ニヤリと笑った。

 イヴ。アダムとイヴの、あのイヴ?


「神が創った最初の人類……ってやつか? ていうかお前それで人間なのか?」

「こんな姿の人間がいるわけねぇだろボケ。居て欲しいんなら自分で想像して創り出せ」

「そっちが言い出したんじゃないか!」


 まったく口の悪い奴だな。


「あーもう、それで結局お前は何なんだよ」

「より正確に言うと、アタシはイヴ・システムの一人だ。おい、アダムとイヴのことは知ってんだろ? 聖書ぐらい読んだことあんのか? ストーリーはどこまで知ってる?」

「ストーリーって、聖書なんか読んだことないんだけど……あ、でも何かちょっと知ってるような。エデン追放、とかそんなんだっけ」

「まあそうだ。神は自分に似せてアダムを創り、アダムの一部からイヴを創った。二人を果樹溢れる楽園エデンに住まわせたが、そこにある知恵の実だけは食べてはいけないと言ってあった」

「ああ、思い出した。ヘビにそそのかされてイヴが食べたんだっけ」

「そしてイヴは知恵を得て、アダムにも実を食べさせた。禁を破ったせいで二人はエデンを追い出され、以降人類は苦労の連続を強いられるようになった」


 そういやそんな感じだった。禁断のリンゴとかだっけ。


「禁じるぐらいなら植えとくなって話だよな。性格のクソ悪りぃ奴」

「で、そのイヴが何でぬいぐるみに?」

「ぬいぐるみじゃねえってんだろ。エデンを出た後、そのうちアダムもイヴも死んだわけだが、最初の人類ってことで死後に神が手元に呼び戻した。その後、イヴは特に優秀だったから神のアシスタント的な役目を帯びたのさ」

「禁を破った奴をアシスタントにするか普通……」

「確かにしないな。だから神もイヴ自身そのものじゃなく、魂をコピーして使うことにしたんだよ。それなら必要なときにいくらでも増やせる。人間じゃなくてこんな姿の生物にしたのも便利だからだな、きっと」

「イヴじゃなくても部下の天使がいるんじゃねえのか?」


 神といえば天使だろ。

 わざわざコピーして変なマスコットキャラみたいな形状の奴をたくさん創らなくたっていいような気もするが。


「天使だと完璧すぎて面白みがないんだろ。神も適当だからな、イヴの魂はちょうどいい具合なのさ」

「だからってこんな性格の奴をコピーしまくるか?」

「どういう意味だテメー。イヴ・システムは個体ごとに性格の差が出るようになってんだよ。オリジナルのイヴは根暗で無口なクソ女だ」

「じゃあお前はハズレ個体だな……いってえ!?」


 冗談で言ったのに殴られた。神になってもダメージ喰らうのかよ俺、どこが全知全能だ……勘弁してくれ。


「おーし次は蹴りな」

「わかった、わかったって。えーと、とにかくお前みたいな奴があちこちの宇宙にいっぱい居るんだな」

「地球近くの銀河にはな。他の銀河はまた別だ。地球には人間。だが遠い別の星にはまた違った知的生命体がいるんだよ」

「……宇宙人?」

「地球人だって宇宙人だろ。チープなタコ型火星人が見たけりゃ自分で創れ」


 何だかややこしくなってきたな……まあいいや。


「それで、あの神の野郎がまた一人分コピーしてお前を創ったのか。んで俺のスマホに忍ばせておいた、と」

「そういうことだ。不本意だがテメーのおてちゅだいをさせられるわけだな。クソ鬱陶しい」


 鬱陶しいのはお前だ、と言いかけたが我慢して呑み込む。


「んで? アタシを呼び出したってことは一応何かに困ってるってことだよな?」

「困ってるっつーか、まあ」

「じゃあクソ面倒くせえけど相談に乗ってやるよ。お姉さんに言ってみろ」


 なぜこんなぷちキャラに上から目線で言われなくてはならんのだ。

 これじゃサポート役どころか厄介な先輩みたいな立ち位置だと思うのだが。

 おいコラ神の野郎、お前が置いてったコイツは絶対ハズレ個体だぞ。どうしてくれる。


「テメー、こんなチビが役に立つのかとか思ってんだろ」

「あ、いや」

「よーしブン殴るわ。……とやってやりてーところだが、まあその通りだ」

「は?」

「アタシにはテメーと違って何の能力もない。テメーより多少知識はあるがそれだけだ。しゃべるだけで、他のことは何もできねーよ」


 いや、俺を殴れたような気がするが。


「助けが必要なけりゃそれでいい。スマホに戻ってやるよ。アタシもクソ鬱陶しい真似せずに済むしな」

「…………」

「創れ。好きに、自由にな。テメーがすることはたったそれだけだ。サポートなんてどこにも必要ない。だがたったそれだけのことが出来ねえんだろ? なぜならテメーは人間だからな」

「どういう意味だよ?」

「知的水準の高い生命体には、大抵において倫理観が芽生えるもんだ。心理的ブレーキっつーか、誰も見てないから何してもいいのに躊躇しちまうのはそれが原因なのさ。テメーもそうだろ」

「……俺が困ってる原因が何なのかはまだ言ってないだろ?」

「いーや、それしかないね」


 イヴは首を横に振る。


「悲観したり取り乱したりしている様子がないからホームシックじゃあない。もっとこうしたいああしたい、というプラス思考の助言を求めている感じでもない。他の問題……腹減ったとか暇だとかあれが欲しいこれが欲しいってのは全て、自分の想像力チカラで解決できる。なら、あとは何だ? 全知全能の神なのに悩むのはなぜだ? 残る理由はたった一つしかねえだろうが。こんなことをやっていいのか、という自分の行動そのものへの疑問だ」

「…………」

「違うっつーなら別にいいけどよ。大体どっちでもいいんだ、自分で解決しても、無駄と知りつつアタシにクソなアドバイスを訊いてみても、な。それぐらいはテメーで決めろや」


 イヴは。

 最初、粗暴でいい加減なぬいぐるみだと思っていたこの生物は。

 バカじゃあなかった。

 俺の状況を簡単に推測してみせ、その上で自分のスタンスは変えないまま決断を俺に委ねている。


「…………」


 ウザい。

 ぬいぐるみ系生物のくせにマジでウゼーけど。

 上から目線の乱暴者だとこの短時間でわかったぐらいだけど。

 それでも、今の俺には――


「人を、創ったら」

「あん?」

「人を創った後……もし必要なくなって消したとしたら、それって殺人じゃないのかな」

「定義の話なら答えはNOだな。感情論ならテメー次第」

「…………」

「テメーの倫理観は人間って種族の知的水準からすればごく一般的だ。単に頭ン中で人をぶっ殺すぐらいは出来るだろ? だがそれが目の前に現実化すると途端に怖くなって萎縮しちまう」

「そりゃそうだろ、ただ考えるのと実際に見るのとじゃ全然違う」

「それが違わねーのがこの空間なんだよ。テメーが望んだらその通りになる空間なんだからよ」

「……さっき知り合いを創ったんだ。でもロボみたいになって上手くいかなかったから消した。もっと完璧に創りたいと思ったけど、それが出来ちまったらもう消すことなんか不可能になるかもしれない」

「へえ」

「何でも出来るってのはあくまで前提だ。元の世界でも、やろうと思えばたぶんある程度のことは何でもやれたはずなんだ。高校辞めてみたり、道を歩いてる美人を100人ナンパしたり、テレビ局に突撃して芸能人を一目だけでも見たり、東京タワーから飛び降りたり……それこそ人を殺したりだって」


 そんなことやれない、やりたくもない、やりたいけどできない。

 色々な理由があるにせよ、ただしなかっただけ。


「イヴが言った通り、倫理観が人にブレーキをかけさせる。この宇宙でも同じだ。何でも思い通りになるのに……何も出来ねえよ、俺」

「それが情けねーのか?」

「まあ、そうかも。そんなこと相談したって、意味ないかもしれないけど」


 俺の心の問題なんだから、他人がどうこう出来るような話じゃない。

 そう思った……のだが。


「意味ない、ね。んなこたぁないさ」

「え?」


 イヴはまたニヤリと笑って、言った。


「アタシはイヴ。禁忌だった知恵の実を食った、そもそも知恵を得る前から禁忌を破りやがった、倫理観のないクソ女のコピー品」

「自分で言うなよ……だから?」

「ぶっ壊してえんならアタシがやってやるよ。テメーの倫理観を、粉々にな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る