#3 ……え?

「――どうしてあなた、さっきの演習中に手を抜いていたの?」


 その質問は、僕が予想だにしていないものだった。

 唐突すぎて、一瞬答えるのが遅れてしまった。この程度の揺さぶりで、動揺するなんて。僕もまだまだだな。


「その様子だと、どうやら本当のようね」


「別にそんなことはないよ。全力だったさ」


「あなたを責めようというわけではないわ。全力であれ手抜きであれ、佐伯くんが負けたのは事実。でも、あなたの体捌き、見せてもらったけれど……本気どころか、赤子の手を捻る、とでも言えばいいのかしら」


――そこまで見抜いていたのか。

 ただのそこそこできる奴で終わっていてくれれば良かったものを。でも、まだここで全部をバラすわけにはいかない。 

 レクイエムズさんには悪いけど、適当にはぐらかしておこう。


「そう見えたってだけじゃないかな? 僕はほら、体術には少し自信あるし」


「本当かしら――、ッ!」


 言いながら、危険を察知した僕は反射的にガードの構えを作る。

 次の瞬間、空気が破裂する凄まじい音とともに右腕に若干の痛み。どうやら、彼女が僕の脇腹をめがけて蹴りを繰り出していたらしい。

 凄まじい速度だ。


「……どういうつもり?」


「確かめたかっただけよ、逢坂くん。あなたの資質を」


――私にはあなたが必要なのかもしれないわ。

 そう、彼女は小さな声でぼやいた。


【#3 ……え?】


 レクイエムズさんが自主練として行いたいのだという格闘技を僕は受け流し、払い、そして時折さばきつつカウンターを行いながら避け続ける。

 冗談でなく、殺しに来ている。

 僕はといえば、まぁ本気を出さなければ勝てないというわけでもなく、そこそこに相手をしていた。


「――シッ!」


「っと」


 とはいえ、日本の自衛隊でやるような格闘技――通称殺人格闘術とも言われるものだ――を平気で一学生に繰り出してくる彼女に、僕もタジタジである。

 しかも魔力で膂力が大幅に上がっているため、一回でも投げられて受身をとり損ねれば背骨は簡単に逝ってしまうことは間違いないと見ていいまである。マジで殺す気かよっ。

 赤黒いレクイエムズさんの魔力は変わらず安定しており、先ほどやった佐伯くんとは段違いのレベルで均衡を保っている。さすがは学園の三番手サードといったところ、か。


「さすがね。やはり、あなたはどう考えても私より強いと思うのだけれど」


「いやいや、そんなことはないとも――っ」


「……もらったわ!」


 体勢を崩した瞬間に胸元を掴まれ、投げられそうになる――まるで柔道のようである――が、その辺は佐伯くんとの演習でも見せたように、まさに僕の十八番だ。

 位置を入れ替えるようにしながら、逆に当て身投げで返す。

 相手の力を利用しての体術はそこそこに僕も得意とするところだ。


「くっ」


「まだまだっ」


 腕を押さえ、締め上げる――が、魔力の放出によって強引に振り払われる。

 おいおい、まだまだ授業中だってのに。これは相当ガチできているな。とはいえ、この程度の魔力であれば、僕は余裕を持って迎え撃つことができる。

 のだが、ここで本気を出すといろいろとまずいので、ここはあえて魔力の放出を直に受けておく。演技にならない程度に、自然に。

 僕が体に纏っていた黒い魔力は彼女のそれによってかき消され、少しだけその衝撃で後ずさる。


「っ……」


「直前に体を捻りながら半歩下がって、致命傷を躱す……一体どこの教えなのかしらね」


「さぁ、どうだろう」


 言いながら、僕ももう一度魔力をまとってレクイエムズさんへ肉薄する。

 まだまだ本気を出すわけでもないけど、怪我をしない程度には抵抗しておかないといけない。

 よし、と息をつき直し、僕が激しさを増す追撃に対応しようとしたところで、彼女の攻撃の手が止まる。


「――いいわ。さっきも言ったけど、私はあなたを責めるつもりはない。強い者が勝ち、弱い者が負ける。それだけだもの。私、あなたのこと、気に入ったわ」


 そう言って、レクイエムズさんは不敵に笑った――ような、気がした。


 それから少しして、演習が終わったらしく、南雲先生が声を張り上げる。

「演習、終わり! 七コマ目はルクスを用いての実戦となる。各自ルクスを携帯したまま、実習室B-Ⅰ《ワン》へ向かえ!」

 

 かくて演習は終わったようで、南雲先生から指示が飛ぶ。

 皆は動きを止め、各々のルクスを持って移動を始めたようだ。……僕はどうすればいいのだろう。

 とりあえずレクイエムズさんに聞けば――と思ったが、彼女は既に姿を消していた。移動、早っ。

 おろおろと僕が途方に暮れていたところ、誰かが僕の肩を乱暴に抱いてくる。


「よっ! まだ校内もよくわかってねーんだろ? 案内してやっから一緒にいこーぜ、世良!」


「……佐伯くん」


 肩を組んで、にへらっと、あるいはくしゃっと笑っている。

 見ると彼の他にもあと一人男子がいるようだ。

 ていうかいきなり名前呼びって、またフランクだなあ。

 

「何だよその他人行儀はよー。龍雅でいいっつの」


「……ありがとう、佐伯く、いや、龍雅」

 

 僕がそう呼ぶと、にっこりと彼は笑った。演習前に南雲先生に当てられた時にも見せた、花が咲くような笑みを。


「おいおい龍雅、その辺にしとけって。困ってんだろ」


「んー? そうかぁ?」


「そーだろーよ。……っと悪いな、逢坂。俺は七崎ななさき貴哉たかや。龍雅の保護者だ。俺も呼び捨てで構わねえ」


「俺は園児じゃねえよ!?」


「おー」


 さっぱりした黒髪を横に流しているハンサムな男子だ。龍雅の親友なのだろうか。整った顔立ちに、切れ長の瞳がクールな印象を与えてくる。


「うん。よろしく、貴哉」


「あぁ、よろしく頼むぜ」


 言って、貴哉が右手を差し出してくる。僕もそれに応えてがっちりと握手を交わした。

 明るい龍雅と、クールな貴哉。

 あぁ、これは良いコンビだな。と一目でわかる。全てを言葉を出さずとも、お互いがお互いのことをきちんと理解しているんだぁ、と感じる。


「……さて、いろいろ話したいこともあるが、まずは次の授業がある教室まで急ごうか」


「おー、そうだな。そういや世良、ルクスはねえんだよな?」


 貴哉に言われ、僕と龍雅も歩き出す。

 【ルクス】。

 魔法使いである僕らが、体内あるいは大気中に存在する魔力を攻撃的なものへと変える武器。

 ここの生徒ならばそれぞれ自分に合ったものを入学時に支給されているということだが、僕は生憎と持ってきていない。非常時に備えて国立第一魔法学園ここの寮の自室には置いてあるものの、おそらく使うことはないだろう。


「うん」


「まぁ、その辺りは南雲先生がわかってくれてるだろうから。次の時間には用意されてんだろ」


「そうなの? ルクスの準備ってもっと時間がかかるものじゃ……」

 

 僕が質問すると、龍雅がニヤリと笑った。


「おうともよ。南雲先生の裁けっぷりは半端ないぜ?」


「まぁ、あの若さで実技とかの教練担当だもんな。すごいと想う」


「……?」


 話がわからず、僕がポカーンとしていたところ、貴哉がふっと笑いながら説明してくれる。


「あぁ、転校生だしわかんねーか。いやなに、俺らのクラス担任の南雲先生はな、あの若さで戦闘とか実技関連の全ての総括をしているんだ」


「すごいことなの?」


「おう。普通、他の学園じゃあ魔法自衛隊の退役自衛官とかが指導に当たってんだよ。結構ヨレヨレのな。でもうちは違う。南雲先生も元自衛官らしいんだけどよ、その中でも叩き上げのエリートだっつー話。黙ってりゃ今頃小隊の隊長くらいはやれてただろうに、何を思ったかこんな学園に来て教師をやっているんだと」


「そうなんだ。女性自衛官って、それもすごいね」


「だろ。しかも美人だしなっ」


 貴哉の横で龍雅が一人うんうんと頷いている。何の話だか。まぁ、美人であること自体は認めるけど。


「お前はそれしか頭にねーのかよ、っと、逢坂。ついたぞ。ここがルクスを用いての演習を行う時に使われる部屋、演習室B-Ⅰ《ワン》だ。ちなみに、Bってのはバトルのことだからな。調査室ならS、ルクスの開発研究室ならL、みたいに頭文字が部屋の識別に使われてんだ」


 貴哉が丁寧に説明してくれる。

 なるほど、それじゃあ頭文字でだいたいの部屋の用途がわかるわけだ。


「なるほど……」


 見ると、そこにもまた先ほどの体育館ほどの大きさの空間が広がっていた。最初に来た時も思ったけど、どんだけ広いんだよ、ここの敷地……。


「っと、早く整列しねえとな」


 僕ら以外のクラスメイトは皆整列し終えて、残すは僕らのみとなっていた。急いで列の中に混じり、待機する。

 周りを見回してみると、皆各々の好みでカスタマイズしたのであろうルクスを持っていた。その中に、僕が愛用する刀のルクスは見当たらない。扱いが難しく、ルクスが人を選ぶということで、刀のルクスを使える人間はかなり少ないという話を聞いたことがあるが……まさか特進クラスでもいないとは。

 そんなことをぼんやり考えていると、南雲先生がやってきた。右手には長い袋に包まれた何かを持っている。あれは僕のルクスだろうか。


「うむ、整列してるな。さて、いつもなら軽くならしをしたあとに実習に入ることだが……今日は特別に、逢坂、前に出ろ。これがお前のルクスだ」


「はい?」


 先生直々のご指名のようだった。

 先生のところまで歩き、ルクスが入っているであろう長い袋を手渡してもらう。取り出してみると、鞘に収められた日本刀が一振りあった。鞘は取られる心配もないと思うのでその辺にぽいっと置いておく。

 早速抜き放ってみると、空気を切り裂く音とともに刀身が鈍く黒い光を放つ。僕の魔力に適合しようとしているらしい。

 そして、すぐにその光は消える。

 適合完了ということか。


「ふむ。適合も早いな。……では、レクイエムズ。相手をしてやれ」


「……え?」


 僕が思わず問い返し、


「は?」


 レクイエムズさんが素で返事をし、


「ん?」


 クラスの皆が小首をかしげる。


「――えええええええぇぇぇぇぇえええ!?」


 まさかの学園三番手サード、ここでお出ましである。


「やかましい。今度はまたタッグマッチがあるだろうが。……逢坂、恥ずかしい話なのだがね。このクラスにはレクイエムズに釣り合う奴がいない。つまり、持て余している。だが、ここでお前がレクイエムズのパートナーになれれば、我が学園にとっても有益なものになる」


「でも。僕なんかで……」


「ふむ。どうやら乗り気ではないようだな」


 そんなの当たり前である。

 龍雅には勝つことができた。そして、ルクスがある今なら、おそらくレクイエムズさんとも良い勝負ができるであろうことは想像に難くない。だが、転校初日からそんなことをやらかしていては、今後ますますの面倒事になりかねない。

 先生には申し訳ないが、ここは何としてもお断りしよう。


「レクイエムズ。君はどうだね」


「……私は構いません」


 さらっと言ってのけていた。何なら彼女は鎌のルクスに既に魔力を通しているまである。

 おいこらぁ。

 君が拒否しないと話にならないだろぉが。


「はぁ……わかりました。やりますよ」


「その言葉を待っていたよ。それでは、始めようか。先ほどの佐伯との演習のように、全て機械に従ってくれ」


「了解です……」


「はい」


 レクイエムズさんはあくまでも淡々としている。そういえば、さっきの体術実技の時間に、妙なことを言っていた。「私にはあなたが必要なのかもしれない」。これはそういうことなのだろうか。


「お、おいおい世良。何かやべーことになっちまったみたいだけど、死ぬなよ」


 龍雅が非常に心配そうな表情を浮かべながら忠告してくる。

 彼の後ろでは貴哉がうんうんと激しく頷いている。


「えっ殺されるの僕」


「アリア=レクイエムズは容赦を知らねえ。お前かお嬢様か、どっちかが倒れるまでお前を攻撃し続けるぞ」


 衝撃の事実、演習直前に発覚である。

 何それ、実質レクイエムズさんを気絶させるなり何なりしないと僕は落ち着けないってことじゃないか。


「穏やかじゃないね……」


「俺はこのクラスの二番だが、一番を決めるときのテストでマジで殺されかけたから。あいつの魔法はマジでやべえ。基礎基本も尋常じゃねえけど、あの鎌から出るあいつの固有の魔法、あれはマジで人を殺せる」


 レクイエムズ氏。穏やかに僕を下駄箱まで案内してくれて、その上職員室にまで連れて行ってくれて、さらには更衣室の場所まで教えてくれた。そんな優しい君もいるんだろうに。お願いだから生きた状態で帰してください。

 という僕の必死の祈りも通じず、レクイエムズさんはいつでもいけるとばかりに刃をこちらに向けてきた。


「……こんな形であなたとやるとは思っていなかったけど、これも運命ね。手加減はしないわ」


「よ、よろしくお願いしますぅ……」


『ソレデハ演習ヲ始メマス。両者、構エテクダサイ』


 機械のアナウンスに急かされながら、刀を自身の正中線に構える。

 緩めに構えるのは、僕が本来の刀さばきで戦う時だけ。どうやら基礎基本に沿ってやらないと日本の学校ではうるさく言われるようなので、そうしておく。

 レクイエムズさんはやや引き気味に構えている。大振りなものを使うがゆえの構えか。


『三、二――』


 ぴりぴりと、周囲の空気が冷えていくのを実感する。

 ちらりとバリアの外を伺うと、心配そうな表情を浮かべる者や期待の表情を浮かべる者、新参者の僕がこうしていることに不満を持っているのだろう、等々悲喜交々といったところ。


『一――』


 足に、力を込める。


『始メ!』


 僕とレクイエムズさんの視線が重なる。あとに残るは音のみで、体は既に前へと出ている。ほぼ同時に魔力を纏って、

 そして次の瞬間には、互の刃がぶつかる――

 今、戦いの火ぶたが切って落とされる。

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