第13話 孤独なラティア
桔梗が監視に来ていない間、ラティアは時間が経つのをただ待っているだけであった。
彼女はエーテルが使えないように手錠がはめられたままであるため、満足に身動きがとれない。
そんな彼女は静寂な部屋で、一人孤独と戦っていた。
「1、2、3、4、5……やめよう」
唯一部屋に響く、見えない時計の秒針を数えて時間の経過を測ろうとしていたが、自分自身を空しくさせるだけだと悟った彼女は別のことを考えることにした。
布団に横たわり目を瞑ると、最初に頭に浮かんだのは桔梗であった。
――どうしてあんな奴を……
気を悪くしたラティアは考えることすら放棄し、眠りにつくことにした。
牢屋を開けようとしたり、手錠を外そうと試みたが、当然の如くうまくいかなった彼女にはそれ以外に選択の余地がなかったのだ。
尋問する気のない桔梗を逆に利用して、こちらはゆっくりと休ませてもらおうというつもりで彼女は、働き詰めだった体を休めようとしていた。
しかし、それすらも些細なことで阻まれるのであった。
部屋を照らす街灯は気にならなかったものの、静か過ぎる周りが落ち着かなかったのだ。
小鳥のさえずりや、虫の声、風の音が少し響く程度の静けさならほどよい眠りにつけただろう。
しかし今彼女の耳に入ってくる音は、今の彼女が一番知りたい時間を告げる時計の音であった。
普段気にしない時間のことも、分からないとなると気になって仕方がないのだろう。
――今何時なのだろうか。あれから何時間経ったのだろうか。
そのことだけが彼女の頭の中を回り続けていた。
今までラブラのために尽力を注いでいる彼女にとって、することがないということがどれほど苦痛なことか知らなかったのだ。
普段であればあっという間に過ぎていく12時間。
ところが今は、桔梗が食事を持ってくる午前7時から午後7時までの12時間が、彼女にとっては地獄のような長さに感じていた。
その後も眠れないまま、時間と葛藤していたラティアは気がついた。
いつもならこのくらいの時間で12時間ぐらい経っているはず。
いつもと感覚がずれていると考えても、さすがにもう12時間近い時間に違いない。
不本意ではあるが、あいつが来てくれれば暇つぶしになるだろう。
そんな彼女の願いとは裏腹に、残酷にも時刻は午後1時を指したところであった。
それを知らない彼女は扉の方を見つめながら、桔梗が来るのをまだか、まだかと待ち焦がれていた。
もう来るだろう。
今から10秒後に扉が開いて、またくだらない話を聞かされるのだろう。
そんなことを考えながら待ち続けていたが、当然のことながら桔梗が来るにはまだ早い時間である。
いくら待っても、願っても、一向に来る気配がない様子から彼女は考えを改めていた。
桔梗に何か問題が発生してこられないのかもしれない。
そもそも彼の言っていたこと自体が嘘だったのかもしれない。
そんなことを考え始めていた。
頭には過ぎっても、まだ12時間経っていないということは必死で心の奥に押し込めていたのだった。
これ以上はさすがに耐えられないという限界のところで、彼女の耳に扉の開く音が響いた。
「さすがは俺。時間ぴったりだ」
それは彼女にとって、朗報でもあり、悲報でもあった。
ようやく桔梗が来てくれたという思いもあったが、何もしないで待つ12時間がどれほど長いかの方が彼女にとっては衝撃だった。
それでもようやく無の地獄から解き放たれたという安心感が彼女の心の支えになっていたに違いない。
それを知らない桔梗は眠そうにあくびをしながら、彼女に持ってきた食事を差し出した。
「昼間寝たのにまだ眠たいや」
パンに手を伸ばしていたラティアは、その言葉を聞いて一瞬手が止まった。
眠りたくても寝付けなかった彼女にとっては、聞き捨てならない一言だったのだ。
「あなたのような人間の給料に、税金が使われていると思うと民衆がかわいそうでなりませんね」
「ん? ああ、いんだよ俺は。口座がないと払えないとかで今はただ働きだからな。ボランティアと考えれば十分な成果出してるし、文句は言われないでしょうよ」
ラティアは自分から質問していたが、その後の桔梗の話もほとんど聞かず食事を進めていたのだった。
食事を終えてしばらくすると、彼女は疲労感に襲われた。
彼女にとっては興味のない桔梗の話が子守唄のようになっていたのか、食事をしたからなのか、彼女自身も分かっていないが、先ほどまで眠りにつけなかったのが嘘であるかのようにすぐに眠りへとついていったのだった。
ラティアが目を覚ますと桔梗の姿はそこにはなかった。
眠っていたせいで今まで以上に時間間隔が分からなくなってはいたが、不思議と孤独感は薄れていたのだ。
当然のことながら心身ともに万全の状態にまで戻っていた。
そのせいか、今回は桔梗が来るまでの時間を難なく過ごせていたのだった。
桔梗が部屋を訪れると、ラティアはいつもと違い自分から話かけるのだった。
「いつもそうやって暇そうにしていますが、
「ん~そろそろ言ってもいいかな。うん、そうしようか」
一人で納得し始めた桔梗にラティアは疑問を浮かべるだけであった。
「実は俺もラブラのメンバーなんだよね」
「ふん。そんな分かり易い嘘に誰が騙されると言うのですか?」
「まあ正確に言えば、ラブラに関係しているって感じかな」
「証拠でもあるんですか?」
ラティアは桔梗の言っていることが嘘だという前提でそう発言していた。
「証拠ねぇ。何がいいかな……例えば、フルムーン計画とか?」
「――なっ!」
ラティアは驚きを隠せなかった。
それもそのはず、ラブラでも最高機密のことで、彼女自身それを聞かされたのは極最近のことであったのだ。
「どうしてそれを……まさか内容まで知っているのですか?」
「そうだな。簡単に言えば神の復活……だろ?」
桔梗の言っていることが真実であったため、ラティアは呆然とするしかなかった。
「だから安心してくれ。俺は君の敵じゃない。とは言っても適当なアジトの情報でも教えてもらわない限り、君をここから出すわけにはいかないんだ。それは分かってくれ」
――やはり彼は信用できない。
彼女はそう感じていた。
その日以降も彼女が桔梗にラブラの情報を漏らすことはなかったのだった。
桔梗もそんな彼女から無理やり聞きだそうとはしなかった。
平行線を辿ったままに思えた二人ではあったが、ラティアにはある変化が訪れていた。
桔梗がいない間の時間が日に日に長くなっていくように感じ始めていたのだ。
ゆっくり、しかし確実に精神的に追い詰められるのを彼女も感じていた。
壁の溝の数を数えてみたり、鉄格子のにおいを一本一本嗅ぎ比べたりと、精神的にはいつ壊れてもおかしくない状態まで陥っていた。
そんなある日。
ラティアが扉の開く音のほうを向くと、そこには桔梗ではなく知らない女性が食事を持って立っていた。
「今日は彼ではないのですね」
そんなラティアの呼びかけに反応する様子もなく、その女性は無言のまま彼女が食事を終えるのを待っていた。
「何か用事があって来られないとかですか?」
「……」
「それとも、これからはあなたが担当なのですか?」
「……」
何を話しても返答すらしてくれないその女性の監視委員が、ラティアにとっては薄気味悪かった。
ラティアが食事を終えると、彼女を避けるかのようにその女性は部屋を出て行ってしまった。
今までと違い何の暇つぶしも出来ないまま一人の時間を迎えることは、今の彼女の精神にとって今まで以上に重くのしかかっていた。
――また12時間……
時間も彼女を苦しめていたが、それと同じくあの女性の態度もラティアには気に食わなかった。
まるでいないもののように扱われるのが許せなかったのだ。
それでも彼女は耐え続けた。
それは次こそは桔梗が来てくれるという希望が残されているからであった。
だからこそ、もういつ壊れてもおかしくないような精神状態で耐え抜くことが出来たのだろう。
待ち望んでいた12時間がようやく過ぎ、扉が開いた。
「ようやく来て――っ!」
ラティアの前に現れたのは、またしても前回の監視委員の女性であった。
――嘘……またこの女……
耐え切れなかったラティアは女性に疑問をぶつけるのだった。
「彼は来ないのですか?」
「……」
「何か言ってみたらどうですか?」
「……」
何も話そうとしないその女性がラティアには憎くて仕方なかった。
「何か言えよ!! ……言ってください……」
ラティアの悲痛の叫びにも、その女性は顔色一つ変えることはなかった。
食事に手をつけようとしないラティアを見た監視員の女性は、さっさと部屋を出て行ったのだった。
「もう……嫌だ……」
彼女の心はとうとう折れてしまったのだ。
ラティアは膝を抱え込んだままその場に倒れこんでしまった。
そして彼女は幼き日のことを思い出していたのだ。
幼きころのラティアは、裕福ではないが親子三人で幸せな日々を歩んでいた。
そんなある日、とある
魔獣自体は界軍の手によって撃退されたのだが、傷を負った光を操る魔獣は鏡の世界へと逃げ込んでいた。
その逃げた先がラティアの家の鏡であったのだ。
しかし傷の深かったその魔獣は自らの死を悟る。
自らを死へ追いやった人間への憎悪から、最後の力を呪いへ費やした。
その対象となったのが目の前にいたラティアであった。
一人で留守番をしていた彼女の元に帰った母親は驚愕した。
ラティアがいなくなっていたのである。
もちろん消えたわけではなく、その場にいるのだが姿が見えないのだ。
このときの呪いは強く、どんな手段を用いても彼女を視認することは出来なかったのである。
それを知らないラティアはどうして母親が自分を捜しているのか理解できていなかった。
「ラティア! どこにいるの!? 返事しなさい!」
「ママ。ここにいるよ」
誰もいないはずのところから聞こえる声にその母親は恐怖した。
「どうしたの? ママ」
そう言ってラティアが母親に触れた瞬間、母親は飛び上がるように悲鳴をあげた。
「ママ?」
「来ないで!!」
その時の恐怖に引きつった母親の顔が、ラティアの心を傷つけた。
これ以上傷つけたくない、傷つきたくないという思いから、声を押し殺して必死で涙を堪えていたのだ。
それでも頬をつたる涙が、幼い体に現実であることを突きつけていた。
その後両親はその家を出て行ったきり、二度と帰っては来なかった。
一人残されたラティアは、両親を探すように外へ出ることにしていた。
もしかしたら帰ってくるかもしれない。
もしかしたら誰かが自分を見つけてくれるかもしれない。
そう思ってのことであった。
しかし、どんなに声を荒げても、どんなに泣き喚いても、彼女を見てくれる人はいなかった。
声のする方を振り向くだけで、誰もいないその事実に恐怖し、誰もがその場を離れていった。
「ママ……パパ……」
何度泣いたか分からないほど目の周りは真っ赤になっていた。
「誰か私を見つけてよ……だって……私はここにいるんだよ――」
その時、豪快に扉を開ける音が部屋中に響き渡った。
「どうして今更こんな夢を――忘れたはずなのに」
いつの間にか眠ってしまったラティアの前には、桔梗の姿があった。
「いやぁ、悪い悪い。昨日は蛇が出たって一日中大騒ぎしててさ。こっちに来れなかったんだよね」
何も知らない桔梗はいつもと変わらない様子で彼女の元を訪れていた。
「何だ? 寂しくて泣いてたのか?」
「そんなわけないでしょう」
「でも目元が赤いぞ」
はっとしたラティアは、すぐに顔を拭った。
彼女は気付かないうちに夢だけでなく、現実でも泣いていたのだ。
「実は君にもう一つ謝らなくてはならないことがあるんだ。これから任務でしばらくここを離れることになった」
「いつ戻ってくるのですか?」
ラティアはあくまでも冷静さを保っているように振舞っていた。
「さあ。早くても1週間。長ければ……二ヶ月とか?」
「二ヶ月……」
――長すぎる
無視をしてくる監視委員との一日分でさえ耐え切れなかった彼女には、2ヶ月はおろか、1週間でさえ耐えることは不可能であった。
しかし、自分を大切にしてくれているラブラのメンバーを裏切るわけにもいかなかったのだ。
どうしていいか、分からなくなった彼女の脳裏にある言葉が過ぎった。
『自分に正直になれ』
それは親のように接してくれたゴンザレスの言葉であった。
――私の気持ちは……
「やべぇ。そろそろ行かないとまたカレンさんに怒鳴られる。悪いけど、今日は急いでるから俺はこれで――」
「待ってください!」
それは大人になってからは押し殺していた、彼女の心からの叫びであった。
「アジトの場所はお教えします。必要なことがあれば知っている範囲で全て教えます。ですから、お願いです。私を……一人にしないで――」
「約束しよう。一人にはしないよ」
それは彼女が10年以上待ち望んだ一言であった。
そんなラティアに桔梗はそっと手を差し出した。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
彼女は満面の笑みでそう答えた。
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