第5話 クロ

「今お茶を入れるからその辺に座っておるとよい」


 咲夜に言われた通り、桔梗は机の前に座ることにした。

 そこは咲夜にとっては寝室なのだが、一般的な和室の居間と変わらないような作りになっており、簡易な台所まで完備されていた。

 お茶を桔梗の前に置いた咲夜は待ち遠しかったのか、お茶菓子を出そうと準備していたにもかかわらず、それを出し忘れてしまっていた。


「それで、ここに来るまで何があったか聞かせてもらえるか?」

「いろいろあったからな。何から話せばいいか……」

「時間はあるんじゃ。ゆっくりでよいぞ」


 咲夜としては桔梗の話が聞ければそれだけでよかったのだ。

 母親らしく子供のことを気にかけることで、彼女は自分の母親になったかのような気分になっていた。

 何よりも自分の理想としている母に近づけることが咲夜の夢であった。

 

「そうだよね……実はね母さん!」


 桔梗としては咲夜に聞きたいことや言いたいことが山ほどあったのだが、どうしても一つだけ謝りたいことがあった。


「俺はやっぱり界軍には入れないよ」

「どうしてじゃ?」

「他にやらなきゃいけないことがあるんだ」

「あの子の父親探しじゃろ」

「なっ!? なんだ……知ってたのか……」

「わらわを誰じゃと思っておる。おぬしの母さんじゃぞ。そのぐらいお見通しじゃ」

「そっか……そうだよね」

「そういうことじゃ」


 顔を見合わせた二人の顔からは思わず笑みがこぼれた。

 

「やっぱり母さんは母さんなんだね」

「そうじゃよ。これからもずっとな」


 その時、桔梗は部屋の奥で何かが動くのを捉えた。


「どうした?」

「いや……あれ……」


 そう言って桔梗が指を指した方向では、黒い影が動いていた


「おお、そう言えば紹介しておらんかったな。この子はクロじゃ」


 桔梗にはクロという名前に心当たりがあった。

 初めて咲夜と会ったときに、アリスが咲夜は黒い猫を飼っていると言っていたことを思い出したのだった。


「確かに猫だけど……豹じゃん!」

「アリスにとっては猫みたいなもんなんじゃろうな」

「噛まない? 噛まないよね!?」

「大丈夫じゃ。こやつは大人しいからのぅ。無闇矢鱈むやみやたらと噛んだりせんぞ」

「なら……いいんだけど」


 クロは咲夜のもとに歩み寄ると咲夜の後ろで寝転がった。

 咲夜はクロを背もたれのようにしてもたれかかり、ちょうど手の位置に来る頭を撫でていた。


「いつもこうやって背もたれにするのが日課でな」

「おぬしもやってみるか?」

「……遠慮しとく」


 いくら咲夜に大人しいと聞かされても、そう簡単に恐怖は拭えなかったのだ。


「それで父親探しはうまくいっておるのか?」

「それが全くといっていいほど手掛かりがないんだよね。どうしよう……」

「だったら界軍に入隊すればよかろう。その方がいろんな情報が入ってくるから、おぬしにとってもよいじゃろ?」

「確かにそうか……」

「まあ、あまり無理はするなよ。それで、あの力は使っておらんじゃろうな?」

「人間界につくまでに、何度か魔獣レイドと遭遇したからそのときに使っちゃったけど……」

「そうか……仕方ないとは言え、母としては悲しいことじゃ」

「心配しなくても、ここならそんなに使うことはないと思うから」

「そうじゃな。何かあったら母さんを頼るんじゃよ」

「うん」

「明日からは忙しくなるからのぅ。今日はもう寝るとしよう。着替えてくるから少し待っておれ」


 咲夜は立ち上がると、部屋を後にした。

 部屋に残された桔梗はクロを見つめていた。

 するとクロは桔梗の元へとゆっくりと歩み寄った。

 クロは桔梗を警戒しているというよりは、興味津々といった具合であった。


「ちょっと、噛まないでよ」


 桔梗はクロが自分の周りをうろつくことに恐怖を覚えた。

 咲夜がクロは大人しいと断言していたが、桔梗にとってはそれでも怖かったのだ。

 桔梗のにおいを確認したクロは、覆いかぶさるようにして桔梗を押し倒した。


「ごめんなさい。ごめんなさい。お願いだから許して!」


 クロは何事もなかったかのように桔梗の上で寝転がっていた。


「随分仲良くなったようじゃな。二人して何をじゃれあっておるんじゃ?」


 十二単じゅうにひとえから薄い着物に着替えた咲夜には、桔梗とクロが打ち解けているように思えた。


「いやいや、見てないで助けてよ!」

「大丈夫じゃよ。この子は骸豹むくろひょうと言って、自分の子供を体の下に隠して外敵から守る習性があってな。おぬしを守ってくれようとしておるんじゃろう」

「何だ……クロはそういうつもりだったのか」

「ちなみにクロはメスじゃから、自分が桔梗のお姉さんだと言いたいんじゃろうな」

「姉……か」


 桔梗がクロの顔を見つめていると、クロは桔梗の顔に擦り寄った。

 クロが何を考えているのかが分からなかったため、桔梗は恐怖を感じていたのだが、それが自分に向けられた好意だと分かると自然と恐怖は消えていた。


「お前が俺のお姉ちゃんか……じゃあケモ姉だな」


 納得したのか、桔梗が自分を受け入れてくれたからなのか、クロは桔梗の頬に顔をすり寄せた。


「そろそろ寝るぞ。二人とも」


 咲夜の声を聞いたクロは起き上がると、咲夜の元へと駆け寄った。

 桔梗も立ち上がると、咲夜のもとへ歩き始めた。


「急なことで布団が一枚しかないんでな。今日は一緒に寝るとしようか」

「う、うん」


 電気を消した二人は一枚の布団の中で体を寄せ合った。

 

「もう少しこっちに寄らんと、布団からはみ出してしまうぞ」

「そうだけど……」

「何じゃ? 緊張しておるのか?」


 恥ずかしさに耐えかねた桔梗は、からかい気味に囁く咲夜の反対を向いた。

 すると月明かりが部屋を照らしているのに気付いた。

 

「この世界でも、月は変わらず光ってるんだよね」

「元の世界に帰りたいのか?」

「そうじゃなくて、この世界は元いた世界のパラレルワールドなんじゃないかと思って」

「そうかもしれんな」

「もしかしたら――」


 桔梗には窓から差し込む鮮やかな光が、なんだか寂しく思えた。

 それで咲夜のほうを振り返ると、咲夜は桔梗を抱き寄せた。


「こんな風に子供と一緒に寝るのもいいもんじゃな」

「ちょっと、母さん……胸が……」

「何じゃ。母さん相手なら問題なかろぅ。今日ぐらいはこうさせてくれんか?」

「そうだけど……」


 そうは言いながらも、桔梗の心は咲夜の胸元から伝わる温もりや香りによって和らいだ。

 あまりの居心地の良さに、桔梗はすぐに眠りについてしまった。


「なんじゃ、もう寝てしまったのか。しょうがないのぅ」


 咲夜は桔梗の頭を撫でながら顔を見つめていた。


「今度こそ守り抜いて見せるからのぅ」


 亡くした母を思い出した咲夜は、寂しさを紛らわせるようにさらに桔梗を強く抱きしめた。

 そして咲夜もそのまま眠りへとついたのだった。

 


 

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