第4話 思いがけない用件

 子供のように無邪気な笑顔で桔梗を抱きこんでいる咲夜を見たジェシカとカレンは、呆然と立ち尽くしていた。

 二人が我に返ったのは、咲夜が二人に向かって話し始めた時であった。


「紹介が遅れたな。わらわの息子の桔梗じゃ。よろしく頼むぞ」

「はっ、はぁ……」


 あまりのことにジェシカは気の抜けた返事しかできなかった。

 咲夜が気まぐれで何かを突発的に始めることは珍しくはないため、大抵のことでは驚かなくなっていた。

 しかし今回ばかりはさすがのジェシカも想定外の事象であった。


「咲夜様。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんじゃ?」

「咲夜様にお子さんはおられなかったはずですが」

「もちろん血の繋がりはないが、私は本当の息子のように思っておる」


 咲夜のその言葉を聞いた桔梗は少し照れくさかった。

 それでも母親が側にいてくれるありがたみを噛み締めていた。


「桔梗様も先ほどのご無礼をお許しください」

「いやいや、それがジェシカさんの仕事なんですから、そんなの全然気にしてませんよ」

「そう言っていただけると助かります」


 ジェシカは先ほどの自分を恥じていた。

 知らなかったとはいえ、疑わしいという理由だけで咲夜の息子に対して随分な態度であったことが許せなかったのだ。

 何か失礼があったとなれば咲夜に申し訳が立たないという思いでいっぱいだった。


「まあ、そういうわけじゃから、今後ともこの子をよろしく頼むぞ」

「承知しました」

「咲夜さんが言うなら……」


 はっきりと返答するジェシカと違い、カレンはまだ納得しきっていなかった。

 いくら咲夜の頼みでもそう簡単には受け入れられなかったのだ。


「母さんは少し用事があるんでな、それが終わるまで少しここで待っておってくれるか?」

「うん」

「そういうわけじゃから、二人とも……この子をしばらく頼んだぞ。いずれはナンバーズにも入れる予定じゃからそのつもりでな」

「おっ、お待ちください隊長」


 ジェシカの静止も空しく咲夜はそのまま立ち去ってしまった。

 

「相変わらず嵐のような人だな咲夜さんは……」

「カレン。口を慎みなさい」

「すみません……」


 泰然たいぜんとした態度を見せたジェシカだったが、カレンがそう言いたくなる気持ちも分かっていた。

 

「どうかしましたか?」


 そんな中、桔梗の素頓狂な表情が気になった。

 今の状況を理解できているのだろうかと疑問に感じたが、先ほどの態度の後で『分かっているのか!?』というふてぶてしい態度はとてもとれなかった。


「母さんってすごい人だったんだなと思いまして……」

「もしかして知らねぇんじゃねーだろうな? 咲夜さんはこの部隊で一番偉い人なんだぞ!」

「それは何となく分かりましたけど」

「本当に分かってんのか……?」


 普段であればカレンの女性らしからぬ態度を注意するジェシカも、今回ばかりはカレンの横暴さに助けられた。

 後先考えずに感情のまま行動できるカレンが羨ましかった。

 しかし、このままでは埒が明かないと思ったジェシカはカレンに変わって解説することにした。


「階級はご存知ですか?」

「えっと、カレンさんが大佐とかって呼ばれてた奴ですかね?」

「ええ、そしてその階級の中で大将の座につけるのは世界中で9人のみ。そのうちの一人が咲夜様というわけなのです」

「ちなみに、大将は一つのコロニーに一人だから9人なんだ。界軍の部隊を取り仕切る役割も担うから、隊長と呼ばれたり大将と呼ばれたりするが意味は一緒だな」


 ジェシカの説明に対してカレンが補足を加えた。

 カレンとジェシカは、咲夜がどれほど偉大な人物であるのかを知ってほしかった。

 その上で、咲夜の息子として生活する覚悟があるのかを見極めたかったのだ。


「そしてここからが、桔梗様にもご関係することです。大将の下には中将がいるのですが、この中からエリート中のエリートが選ばれます。そんな彼らのことを先ほど咲夜様がおっしゃられていた所属数字ナンバーズと呼んでいるのです」

「それがさっき母さんの言ってたやつなんですね」

「言っておきますがそう簡単になれるものではありません。将官クラスからはエリアEにまで行かなくてはならないのですよ」


 界軍第二部隊では階級ごとに担当区域が決められていた。

 大尉までは人間界で自警団のように人々の警備にあたる。

 少佐から大佐になると、大尉の仕事に加え、人間界に侵攻してきた魔獣レイドを撃退したり、時には聖地に赴くこともある。

 そして、准将からは聖地の調査や魔獣の討伐などが主な任となるため、当然エリアEにも進入しなくてはならなかったのだ。


「エリアEなら何度か行ったことありますよ」

「えっ……?」


 桔梗の何気ない一言にジェシカはひどく動揺した。

 

「失礼ながら、それほどの実力があるとは思えないのですが」

「もちろん母さんと一緒にでしたけどね」

「そういうことでしたか。それならまだ納得できます」


 その話を聞いていたカレンは一つ疑問に思ったことがあった。


「それで咲夜さんと出会ったのはいつなんだ?」

「そうですね。4年位前ですかね。あっ、でも母さんとして接してくれるようになったのは2ヶ月くらい前のことですけど……」

「そういえば、咲夜様が頻繁に外出し始めたのが4年前。近頃は全くといっていいほどありませんでしたがそういうことでしたか。もしかしてその時にご一緒で?」


 ジェシカは咲夜が聖地に出かけているのは、桔梗と一緒に聖地に向かうためだったのではないかと考えていた。

 

「基本俺は聖地にこもってまして、母さんが時々来てくれていただけなんですよ。だからこっちに来た時は、母さんの居場所すら分からない状況だったんですよね」

「お前聖地に一人でいたのか!?」

「いやいや、師匠とかと一緒にいましたよ。でも聖地から人間界に来るまでの一ヶ月ちょっとは基本一人でしたね」


 それは界軍に属しているジェシカとカレンには信じられないことであった。

 将官になっても何人かで小隊を組むのが基本であり、所属数字ナンバーズでさえエリアEはおろか、エリアDでも複数名での行動をとっていた。

 聖地には2、3週間ほど滞在することが多く、24時間の警戒を交代で行うためにはどうしても人数が必要だったのだ。

 そのため彼女たちにとっては、一ヶ月間も一人で聖地をうろつくことは普通に考えれば自殺行為であった。


「それじゃあ、魔獣を一人で倒したのか?」

「何回かは倒しましたよ。まあ、基本的に魔獣レイドに会う前に逃げてましたけどね」

「それであの時も魔獣レイドが来るのが分かったのか。どうやらお前は探知が優れているようだな」

「もちろん距離は限られてますけど」


 カレンだけでなく話を聞いていたジェシカも同様に納得していた。

 しかし、魔獣レイドを倒したのもまた事実。

 それは二人も理解していた。


「待たせたのぅ」


 仕事を終えた咲夜が部屋へと戻ってきた。


「思ったより早かったんだね」

「おぬしに会いたくて早く終わらせてきたんじゃよ」


 咲夜はしばらく会えなかった寂しさから、桔梗の頬に擦り寄った。

 

「ちょっと、母さん。恥ずかしいよ」

「何じゃ? もう反抗期か? 母さんは悲しいぞ」

 

 そんな二人の様子を見せられているジェシカは、この二人は親子というよりも恋人同士なのではないかと思ってしまった。

 それでも気を取り直して話を進めることにした。


「咲夜様。先ほど彼から話を伺いましたが、聖地で一緒に過ごされていたのは本当でしょうか?」

「そうじゃよ。よく一緒に出かけたもんじゃ」

「そうでしたか。それはつまり、彼はすでに将官クラスの実力があると判断してよろしいのでしょうか?」

「まあ、間違ってはおらんが、この子はそこまで強くはないぞ。もちろん見た目よりは強いがな」

 

 ジェシカには咲夜のその言葉の真意が分からなかった。

 そもそも咲夜のことだから、桔梗のことを褒め称えるのかと予想していたがそうでなかったことが少し意外だった。


「それでは界軍には将官として入隊させるおつもりですか?」

「いいや、この子は二等兵として入隊させるつもりじゃよ」

「二等兵で……ですか?」

「入隊する時に個人情報を提示せねばならぬじゃろ? この子は訳あって身分証明できるような物がないんでのぅ。偽造したものでも二等兵ぐらいであれば上も一々確認せんじゃろうと思ってな」

「ですがいずれは――」

「分かっておる。準備が整うまでの時間稼ぎじゃよ」

「そうですか」

「それと、わらわたちのことは他言無用で頼むぞ」

「はっ、もちろんです」

「桔梗。それじゃあ母さんの部屋に行こうか」

「うん」


 そうして二人は部屋を後にして咲夜の部屋へと向かって行った。

 部屋に残ったジェシカとカレンは肩の力が抜けるように、ソファーにへたり込んだ。


「はあ、その偽造の書類も作るのは私なんでしょうね」

「ジェシカさんも大変ですね」

「ええ、ですから今のうちに取り掛かることにしますよ」


 そう言ってジェシカは立ち上がり、デスクの方に座り直した。

 

「あはは、私はもう少し休んでようかな……」

「カレンもおそらく、明日から大変になるでしょうね」

「私も……?」


 カレンにはまだジェシカの言っている意味が分かっていなかった。

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