プロローグ

 ここは聖地のとある山間部。

 そこへ、4人の男女が訪れていた。

 彼らの目的は『黒鬼くろおに』を探すことであった。


 この世界には黒鬼伝説というものがある。

 いつからそんな話が広がったのか、それを知る者は誰一人いない。 

 それにも拘らず、黒鬼伝説を知らない人間はいなかった。

 黒鬼伝説とは 


 黒鬼は鬼族ですら勝てない悪の化身である。

 黒鬼は最強の戦士だった人間を一撃で倒した。

 黒鬼は世界を破滅寸前まで追い遣った。


 などといった様々な内容で、実際のところ何が真実なのかは分かっていない。

 人間は得体の知れない何かを見たとき、過剰に恐怖を覚える。

 それと鬼族に対する恐怖が混同したために、こんな噂が一人歩きしているのだと現代の科学者たちは結論付けていた。

  

 ところが、そんな黒鬼を聖地で目撃したという情報が彼らに舞い込んだのだ。

 その黒鬼が聖地の生態系を壊しているせいか、人間界で獰猛な魔獣レイドが多く姿を現していた。

 そこで彼らは、最悪の状況を想定し、少数精鋭で探索することにしていた。

 

「緊急事態なんて言うもんだから、どんな状況かと思ったが何のことはねー。聖地の入り口付近でR級を見かけたぐらいで、他はいつもと変わらず平穏じゃねーですか。ねぇ、副隊長さんよ」


 気だるそうに話しかけたのはエドワードという筋肉質な男性であった。

 顎髭を撫でながら、ここ一週間ほどの退屈な生活に不満を漏らしていた。


「無駄口を叩いている暇があるなら、早く黒鬼を見つけてくれると助かるんですけどね。あなたと違って、私は帰ってからも山積みの書類を片付けなくてはならないんですよ。それともあなたが代わりにやってくれるのですか?」

 

 そんな彼に自らの不満をぶつけたのはジェシカという女性であった。

 彼女のブロンドヘアーは月明かりに照らされ、神々しく輝いている。

 そんな彼女を後押しするかのように、一人の女性がエドワードに噛み付いた。


「分かってんのかじじぃ。副隊長に迷惑かけてんじゃねーぞ!」

「カレン、やめなさい。女の子がはしたないですよ」


 舌打ちしながらも、ジェシカの言う通りそれ以上は言わなかった。

 カレンはジェシカのことを心から尊敬している。

 そのため、ジェシカの足を引っ張っているエドワードを許せなかったのだ。


「へいへい、分あってますよ。ったく、うちの部隊は女が強過ぎて困る。それとカレン! 俺はまだ30で、一応お前の先輩なんだから敬語ぐらい使ったらどうだ」

「まあまあ、エドワード。それでうまくいってるんだからいいじゃないか」

健斗けんと……お前は何も分かっちゃいねぇぜ。男は時として、相手が女であってもびしっと言ってやらねーといけねぇもんなんだよ。それが、お前みたいな軟弱な男でもよう」

「うん、肝に銘じておくよ」


 エドワードを宥める健斗は小柄な体系ではあったが、意志の強い三人にも口を挟めるぐらいの度胸は持っている人物であった。

 エドワードより年下ではあったが、同期であったため健斗に対しては敬語云々に口出しすることはなかった。

 

「こんな奴の言うことなんて聞かなくていいんだよ。どうせ家庭で言えないことを、ここでぼやいてるだけなんだから」

「馬鹿言うな。俺は嫁さんに不満なんて何もないぜ」

「だったら、朝のごみ出しを奥さんに怒られながらやっていたのは何でだろうな?」

「てめえ……見てやがったのか……」

「奥さんに仕事してなかったって報告したらどうなるだろうな。エドワード先輩」

「覚えてろよ、カレン。この借りは絶対に返してやるからな」


 そんな二人のやり取りを聞いていたジェシカは思わずため息をついてしまった。

 少しは仲良くしてほしいとか、早く黒鬼を見つけてほしいなど言いたいことは山ほどあったが、それ以上に任務を早く終わらせることを最優先にしていたため、常に辺りの警戒をしていた。

 歩きっぱなしというのもあったが、精神的な疲労のほうが大きかったため、百戦錬磨を耐えてきたようなジェシカもさすがに休憩をとることにした。


 4人は木々に凭れるようにして、暗い森林の中に座り込んでいた。

 今日までであれば、今ぐらいの時間になると捜索を打ち切り、仮眠を取るのだが今日は違った。


「目論見通りであれば、そろそろ黒鬼と遭遇してもおかしくないので、みなさんそのつもりで」

「やっとか。腕が鳴るぜ」

「根拠はあるんですかい?」


 待ちきれないといったカレンとは対象的に、エドワードは至って冷静であった。

 そこはカレンと違い大人というべきだろう。

 エドワードは理論的に話を進めるように心がけていた。


「これを見てください」


 そう言ってジェシカは地図を広げた。


「最初に黒鬼が目撃されたのはエリアEとエリアDの境界辺りです。その後の生態系の異常から考えるに、黒鬼は南下していると思われます」

「なるほど、計算通りならもう直ぐぶつかるってわけか」

「このままいけばエリアDを抜け、そしてエリアCをも抜けるでしょう。なんとしてもこのエリアDで食い止めます。最悪でもエリアCで止めないと人間界に進入されるでしょう。そうなると被害は図りかねません」

「そりゃあ、俺たちが頑張るしかねぇわな」


 エドワードもさすがに納得したようで、今までの気の抜けた雰囲気から一転、気を引き締めた凛々しい顔立ちとなっていた。


「どうして、わざわざこのエリアDで押さえるんですか? エリアCまで待てば衛星も使えるし、捜索範囲も狭くて住むのに」


 健斗の指摘に対して、カレンとエドワードは言葉に詰まってしまった。

 

「それはこれが極秘任務ですので、人目につく可能性があるエリアCよりもここで捕らえた方が好ましいということです。隊長からは生け捕りの命令も出ていますのでくれぐれも注意を」

「まじかよ……あの人も大概にしてほしいもんだ。まあ、鬼一匹にこのメンバーはやりすぎだと思ったが、それが理由なら納得だな」


 エドワードもようやくこの任務の主旨を理解した。

 本当は聖地に向かう前に説明をしようとジェシカは考えていたが、面倒ごとまで内容に含まれていると、カレンとエドワードは文句を垂れると分かっていたため、敢えて説明していなかった。


「とにかく、これからは――っ!」


 ジェシカが話を戻そうとしたところで、近くで獣の悲鳴が聞こえた。

 4人は瞬時に臨戦態勢をとる。

 異様なまでの静けさがしばらく続いた。

 

「エドワード後ろ!」


 健斗の声に反応した3人は一瞬でその方向を振り向いた。

 すると、雑木林からある生物が姿を現した。


 それは彼らが捜し求めていた黒鬼だった。

 しかし、彼らのイメージしていた黒鬼とは大きくかけ離れたものであった。


 フードのついた黒いローブで全身は覆われており、二足歩行であることしか分からない。

 手には指先が竜の爪のように鋭く尖った、籠手のような物をはめていた。

 そして、黒い鬼の仮面をつけているせいで中の容姿は全く掴めない。


 それが彼らに同様を与えた。

 人間かもしれないし、鬼族かもしれない。

 もしかしたら、別の生物という可能性もある。

 そんな考えが彼らの脳裏を過ぎったのだ。

 

 時間にすれば一秒にも満たない僅かな時間だっただろう。

 その一瞬で黒鬼はカレンに詰め寄っていた。

 

 カレンは赤いエーテルで体全身を包み、黒鬼の攻撃を防ごうとした。

 しかし、黒鬼の手はカレンではなく、カレンが背中に背負っていたライフルへと向かっていた。

 それにカレンが気付いた時にはもう手遅れだった。

――やられた……

 

 そう思ったところで、襟元えりもとを掴まれ引っ張られた。

 その勢いで手をつくように倒れこんだカレンの目の前では、黒鬼の手がくうを貫いていた。


「危なかったな……カレン」

「うるせえ」


 エドワードは黒鬼の動きを見て、黒鬼がカレンのライフルを壊しに掛かっていることを瞬時に判断したのだった。

 しかし、カレンはそれに気付いていなかったため、彼としては不本意ながらも手を出すことにしたのであった。

 それでもカレンとしては、あれだけ偉そうに言っておいてエドワードに助けられたことが許せなかった。

 

「全員気をつけろ。こいつは――」


 エドワードが注意喚起をしている間に、黒鬼は誰にも手を掛けることなく森の奥へと去って行った。


「野郎」

「待てカレン」


 すぐさま黒鬼を追おうとするカレンを、ジェシカは制止した。


「私と健斗で奴を追い詰める。追い詰めたらエドワードが近接とカレンの遠距離支援で奴を捕らえる。いいな!」

「「「了解!」」」

「行くぞ」


「悪いんだけど、私の相手をしてもらってもいいかしら?」


 突如聞こえたその声は、彼ら4人を凍りつかせた。

 恐る恐る声のする方を見上げると、そこには大太刀を背負った朱鬼が一人、彼らを見下ろすように木の枝に腰を掛けていた。


幻王げんおう……アリス」

「あれが……赤鬼……」


 ジェシカと違い、カレンはアリスと遭遇するのが初めてであった。

 そんなアリスは頬杖をつきながら笑みを浮かべていた。


「そんな怖い顔しなくても、別に戦いに来たわけじゃないんだから、暇ならおしゃべりでもいいのよ」

「っざけんなぁぁ!!」

「やめろ、カレン!」


 ジェシカの制止を聞こうとしないカレンは、すでにエネルギーをチャージしていた背中のライフルをアリスに向けていた。

 そして何の躊躇もなく全力のエネルギー弾を放つ。

 光の速度にも近いその弾はアリスに当たることなく、空の彼方へと消えていった。


「せっかちな人ね。私、人の話を聞かない人って、嫌いなのよね」

 

 すでにカレンの前に移動していたアリスは、背中の大鎌を手に持ち構えていた。

 カレンがアリスに気付いた時には、腹部を斬られ、血飛沫ちしぶきが辺りを赤く染め上げていた。

 カレンは崩れるようにして、その場に倒れこんだ。


「カレン!」


 ジェシカは叫ぶと同時にカレンの下に駆け寄った。

 そして、カレンからアリスを引き離すように、トンファーを構えたジェシカは二人の間に入った。


「お前たちはカレンを連れて下がれ! 私がここで時間を稼ぐ」

「……でも」

「早く行け!」


 ジェシカは健斗の横槍を問答無用で黙らせた。

 アリスから逃げるには誰かが足止めをするしかないという判断から、自分がその役目を買って出たのであった。


「いくぞ」

「うん……」

 

 エドワードは健斗をなだめながら、カレンの肩を担いだ。

 健斗もすぐさまその反対側の肩に手を貸した。

 ジェシカの後ろにいる二人がカレンを運び終えるまで、彼女はアリスに睨みを利かせていた。

 

「そんなに睨まなくても、傷は浅くしてあるから運が悪くなければ、死にはしないわよ」

「貴様の言葉など信用できん」

「大丈夫よ。それに、今回は本当に何もしないから、あなたも逃げてくれていいのよ」

「ふざけるな――」


 離している間も、ジェシカがアリスから目を離すことはなかった。

 しかし、アリスの言動から生まれた僅かな心の動揺をアリスは見逃さなかったのだ。

 アリスはその一瞬を突き、ジェシカの背後へと回り、大鎌の刃をジェシカの首元に突きたてた。


「それじゃあ、今ここで刈り取ってあげましょうか?」

「――!」


 この時ジェシカを襲った恐怖は死に対するものではなく、アリスそのものであった。

 絶大な力を誇るアリスの前では、所詮自分など地を這う虫けらでしかないと思い込んでしまうほどでだった。

 

「ふふっ、冗談よ。今日の私はそういう気分じゃないから。命拾いしたわね」


 鎌を下ろしたアリスは、そのままジェシカを置いて森の奥へと消えていった。 

 アリスの言う通り、彼女がその後ジェシカたちに手を出すことはなかったが、それはジェシカにとっては耐え難い屈辱でしかなかった。

 

 重い足取りでカレンたちと合流したジェシカはすぐさま彼女に応急処置を施した。


「すまない……副隊長。あたしが勝手に手を出したせいで」

「今はしゃべるな。傷に響く」

「あいつに、手も足も出なかった……それが……」


 カレンの瞳には涙があふ)れていた。

 体に負った傷よりも心の方が深く傷ついていたのだ。

 そんなカレンの手を、ジェシカは優しく握り締めた。


「だったら今は、傷を治すことだけを考えろ。それが今のお前に必要なことだ」

 

 ジェシカの言葉を聞いたカレンは、意識を失った。

 ジェシカはカレンを背中に担ぎ、すぐさま今後の方針を打ち出した。


「これより人間界に帰還します。エネルギー切れを気にせず飛ばせば、半日ほどで戻れるでしょう」

「黒鬼はどうします?」

「それは私が後で隊長に掛けあいますので、二人は私のバックアップをお願いします」

「「了解」」


 ジェシカは青、エドワードは赤、健斗は黄のエーテルを放出し、その推進力を利用して人間界へと飛び去っていった。


「さすがに、幻王が出てくるとは思わなかったな」


 エドワードの言う通り、ここにいる全員が予期していなかった最悪の結果であった。

 自分たちの無力さと、期待に応えられなかった愚かさがジェシカを襲っていた。

 どんなことでも失敗は許されないという信念で行動しているジェシカにとっては、カレン以上に屈辱的なものだっただろう。

 だからこそ、これ以上失態は許されないと考えていた。

 一刻も早く黒鬼対策を打たなければ、人間界にも被害が及んでしまうことを彼女は恐れていたのだ。


「早く報告しないと――咲夜様に」

 

    

              



 それから数週間後、黒鬼は人間界へと降り立っていた。

 一般の人への被害が報じられることはなったが、裏の組織などを尽く潰していった。

 それは民にとって喜ばしいことではあったが、黒鬼が英雄になることは決してなかった。

 いつかその脅威が自分たちに向けられるのではないかという恐怖だけが、人々の間で広まり始めていたのだ。

 これが彼らにとっては、悪夢の始まりだったかもしれない。

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