旅立ち

 活気溢れる村を眺めながら、俺はいつもの修行場所へと向かった。

 村の天気は今日も快晴。

 旅立ちには絶好の日であった。

 

 最後の日ということもあり、今日は咲夜も来てくれていた。

 いつもと変わらず、無表情なかぐやの側でアリスと咲夜に別れを告げていた。


「時間なんてあっと言うまね。初めて会った時が懐かしいわ」

「何を年寄りくさいことを言うておる」

「失礼ね。あなたよりは若いわよ」

「そうじゃな……」


 この二人の言い合いが見られるのも今日で最後だと思うと、なんだか物寂しい。

 それでも俺にはやるべきことがある。

 もう、後には引き返せないのだ。


「どうしたの咲夜。あなたらしくない」 


 アリスの言う通り、咲夜は浮かない表情していた。

 何か思いつめたような感じがあった。

 

「おぬしとちごうて、何でも思い通りになる人生ではないんでな。」

「素直じゃないわね」

「おぬしにだけは言われとうないわ」


――思い通りな人生であることは否定しないのか……

 さすがは俺の尊敬する師匠だな。

 いつも余裕があり、どんなことでも平然とこなし、心の内を見せない。

 その上、強くて容姿端麗である彼女は、まさに完璧な大人の女性だろう。

 しかし、性格には多少の難はあるかもしれないが……


「それで、もう準備はよいのか?」

「ええ、いつでも出発できるんですけど、なんだか名残惜しくて」

「情けないわね。男ならしゃきっとしなさい。折角かぐやもいろいろ準備して……」


 アリスは言いかけてかぐやの方を見つめた。

 

「もしかして、かぐや持ってきてないの?」

「アリスが持ってきてると思った」

「はぁ、ちょっと取りに行ってくるわ。かぐやも来なさい」

「うん、分かった」


 そのまま、二人は村へと引き返してしまった。

 咲夜と二人になっても、以前のような気まずさはもう感じない。

 それでも今日は、遠くの鳥のさえずりが聞こえるくらい粛然しゅくぜんとしていた。


「相変わらず、騒がしい連中じゃ」

「だから、余計と別れが辛いのかもしれないですね。一人は寂しいもんですよ。やっぱり」

「そうじゃな。私もそう思う。私も結婚はしておらんし、まあする気もないんじゃが、さすがに一人は虚しくてな」


 急に何の話だろうかと思いながらも、咲夜の話に耳を傾けた。

 咲夜が自分のことをわらわではなく私と呼ぶときは、大体真面目な話の時だからだ。


「それで、小さい時に母上が私に優しくしてくれたことを思い出すようになってな。この年になって急に子供がほしくなった。私の人生で、それが心残りじゃった。じゃが、これはかなわぬ夢じゃと諦めておった。そんな折、おぬしが私を母と呼んだ時があったじゃろ?     

 それがより一層、この思いを増していった」

「何を言って――」


 本当は咲夜が何を言おうとしているか分かっていた。

 分かっていたと言うより、それを望んでいたのだ。


「だから、おぬしがよければ――私の息子にならんか?」

「えっ……?」

 

 咲夜のその一言で視界が霞み始めた。

 俺は今後一人で生きていくのだと覚悟を決めたつもりだったが、本当は何よりも孤独を恐れていた。

 自分に正直になれないあたりは、まだまだ成長が必要であるのだろう。


「俺なんかで……いいんですか?」

「息子にするなら、おぬししかおらんと思っておった」

「実は……俺も咲夜さんみたいな人がお母さんだったたらいいなって思ってたんですよ」

「なら、決まりじゃな」


 不安げだった咲夜の表情も少し和らいだ気がした。

 俺が受け入れてくれるかどうかが心配だったのだろう。

 咲夜は火照った顔を隠すように、扇子で扇いでいた。


「それじゃあ、名前を決めねばな。どんな名前がいいかのぅ」


 先ほどまでとは打って変わって、何やらはしゃいだ様子だった。

 あんなに楽しそうに俺の名前を考えてくれている人が、俺の母親になるのかと思うと何だかこそばゆかった。

 

「わらわの好きな、お花みたいなかわいらしいのがよいな」


――かわいいのはやめてくれ……

 俺の心の声が咲夜に届いたか否かは不明であったが、咲夜は自分の納得した名前を決めたようだった。


「花言葉は永遠の愛。私の息子にぴったりの名前じゃ」


 どんな名前かと、期待と不安に駆られながら息を呑んだ。


「今日からは私がお母さんじゃぞ。桔梗ききょう


 俺は今日、久しぶりに名前を呼ばれた。

 名前なんてなくても、特に不便を感じない生活をしていたから気付かなかった。

 名前を呼ばれることがこんなにも幸せなことだなんて。


「うん……母さん」

「こっちにおいで、桔梗」


 駆け寄った俺を咲夜は優しく包み込むように抱きしめてくれた。

 咲夜の胸から伝わってくる温もりに、思わず涙が零れた。

 今まで心に押し込めていた寂しさ、辛さ、不安といったものが、一気に体から排出されるように頬を伝っていく。

 そんな俺を無言のまま咲夜は抱きしめ、頭を撫でてくれていた。


 しばらくして、俺はようやく泣き終えた。

 もう、数分前の俺とは違う。

 俺には桔梗という名前をくれた母さんがいるのだから……


「あらあら、随分仲良くなっちゃって」

「しっ、師匠……」

「なんじゃ、アリス。私の息子はやらんぞ」

「別に取ったりしないわよ」


 二人が帰ってくると同時に咲夜は立ち上がった。

 

「そろそろ、わらわは人間界に戻らねばならぬのでな」

「そう、しばらく会えそうにないのは残念ね」

「おぬしの顔など見飽きたわ」


 俺が旅立てば、二人の会う理由はなくなってしまう。

 二人もまた、しばらくのお別れになってしまうのだった。


「それじゃあな、桔梗。風邪を引かんように気をつけるんじゃぞ。それから――」

「大丈夫だよ、母さん」


 母さんはこれが言いたかったのだろう。

 そんな姿が少しかわいく思えた。


「母さんの方こそ元気でね」

「人間界で待っておるからな」

「うん、必ず……」


 そして咲夜は、一足先に人間界へと戻っていった。


「良かったわね。家族が出来て」

「はい……」

「それでこそ、あなたたちを二人きりにさせた甲斐があったってもんよ」

「なっ!」

「二人を見てればわかるわよ」


 本当に、アリスの洞察力は信じられないくらい常識離れをしている。

 今回も、まんまとアリスの手のひらで踊らされていたようだ。

 

「それじゃあ、俺もそろそろ」

「ええ」

「これから師匠の蹴りやパンチをもらえないと思うと、名残惜しいですけどね」

「そんな調教をした覚えはないんだけど……」

 アリスとの生活の中で、俺は自然とそういう体質になってしまったのだ。

 元々そういう素質があり、目覚めただけかもしれないが……


「そんなことより、最後の確認よ。戦いの極意は覚えてるんでしょうね?」

「もちろん」


 戦闘は純粋に力の大小だけで決まるものじゃない。

 不意打ちはもちろん、言葉巧みに相手を騙すことも戦術の一つである。

 いつも長所が長所であるとは限らないし、いつも短所が短所であるとは限らない。

 これがアリスの極意であった。


 俺にはエーテルが少ないという欠点がある。

 しかし、こんな俺を見た敵は必ず余裕を持った戦い方をする。

 なぜなら、真に強い者は弱い相手に全力を出すようなことはしない。

それが、長期間戦い抜くための能力であるからだ。


 しかし、俺にはエーテル以外の力がある。

 俺の短所が相手を油断させ、相手の長所によって生まれた隙を突いて一撃で仕留める。

 これが俺に出来る唯一の戦術であった。


「それじゃあ、最後のテストよ。以前出した問題は覚えてる? お金がいくらかの話よ」

「ああ、あれね。覚えてますよ」


 他人を嘘で欺くというのがどういうものかを表す問題を、以前アリスから出題されていた。


 A君、B君、C君の三人は一人1万円ずつ払い、3万円の旅館に泊まりました。

 100周年記念に5千円を返金することになったのですが、三人で5千円を分けるのは面倒であると思った女将さんは、三人に3千円を返却し、残りの2千円は自分がこっそり貰うことにしました。

 つまり三人は、一人9千円を払ったことになります。

 しかし、女将さんが盗んだ2千円を足しても3万円になりません。

 合計が2万9千円となってしまい、千円足りなくなってしまいます。

 千円はどうして消えてしまったのでしょうか?


 アリスが言うには、これが人を欺くコツらしいが、昔の俺はこの問題の答えが分からなかった。

 だが今なら分かる。


「本来三人は5千円分の得をして、2万5千円を払うはずだった。しかし、女将さんが2千円を盗んだため、三人は2万7千円を払うこととなった。それに女将さんから返金してもらった三千円を足せば3万円になるから千円は消えてないというのが答えです」

「正解よ」


 他人を騙しあざむくには真実と嘘を混ぜること。

 そして、真実ほど疑わしく、嘘ほど最もらしくすること。

 これがアリスから学んだことであった。


「もう私が手取り足取り教えることはなさそうね」


 俺は最後に、アリスとかぐやに向かって胸に手を当てながら誓いを立てた。

「必ず、かぐやのお父さんを探して見せます! そして、二人の計画が成就じょうじゅするように全力でサポートすることをここに誓います! 4年間お世話になりました!」

 

 アリスはこくりと笑顔で頷いてくれた。

 一方かぐやは、俺のもとに歩み寄ってきた。


「あんまり、無茶はしないで」


 そういってを手渡された。


「これは……?」

「かぐやからの贈り物よ」


 二人はこれを取りに行っていたのか。

 まさか、かぐやがこんなことをしてくれるとは夢にも思わなかったため、あっけらかんとしてしまった。


「何やってんの。誓いを立てた男は颯爽さっそうと去っていくのが、かっこいいのよ。さっさといきなさい」

「それじゃあ、行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」


 アリスはにこやかに、かぐやはどこか寂しそうに見送ってくれた。

 こうして俺は新しい一歩を踏み出し、鬼族の村を後にしたのだった。

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