仮契約

 咲夜との修行の日々は一ヶ月程度で終わってしまった。

 もちろん完成したからではなく、彼女自身の都合によるものだ。


 コツや基礎は教えてもらっていたため、その後は以前のようにアリスとの修行となった。

 それでも咲夜は時間があるときは、月に2、3日であっても稽古を付けに来てくれた。

 褒めるということをしないアリスと違い、咲夜はうまくいったときは共に喜んでくれるため、それが何よりもうれしかった。


「随分成長したのぅ。おぬしはすでに、わらわたちよりもマイナスエネルギーに関しては上じゃろうな」

「咲夜さんのおかげですよ」

 この地点ですでに咲夜との出会いから約二年が経過していた。


「あら、私は?」

「もちろん師匠あってこそですよ」

「調子のいいこといっちゃって」

「まあ、このペースなら奥義もマスターできるじゃろうな」


 そんなものまであったのか!

 期待に胸を弾ませずにはいられなかった。

 

「今度来たときに教えてやろうかのぅ。今日はこれでおさらばじゃ。ではのぅ」

「待ってますよ。母さ――」

 気付いた時には最早手遅れであった。


「誰がお母さんじゃ」

――しまった。やらかした……

 あまりの恥ずかしさに、もう笑うしかなかった。

 その後は咲夜の目を見ることが出来なかった。


「ふふっ、それじゃあな。アリスもまたな」

「ええ、またね」

「お母さんか……」

 そう呟いて咲夜は人間界へと帰還していった。


「私をお母さんなんて呼んでたら、半殺しにしてたところよ」

「呼ばないよ!」

 落ち込んでいる俺に対して、アリスは追い討ちを掛けるようにからかってきた。


「ところで、第七感はもう完璧?」


 この第七感こそ、唯一俺がアリスや咲夜よりも優れているところであった。

 専門家の咲夜でさえマイナスエネルギーのコントロールは出来ても、それを肌で感じ取ることはできなかった。


 しかし、エーテルの少ない俺にはそれが可能だった。

 空気のように辺りに散布しているマイナスエネルギーの粒子を感じ取ることで、 目を閉じていてもそこにどんな形の物がどの位置にあるのかが把握できるのだ。

 もちろん色までは分からないが、その視野は現在、半径一キロの半球ほどあるた め死角はないに等しかった。


 ただ、死角がないだけで直接的に強くなったわけではない。

 対人戦では、アリスの攻撃を防げなかったり、避けられなかったりで、よく悶絶している。


「まあ、それなりには」

「そう」

 

 アリスは満面の笑みを浮かべていたが、こういう時が一番怖い。

 どうせ、良からぬことを考えているのだろう。

 こういうことは今まで何度も経験しているため、すでに慣れてしまっていた。


「なら、こっちに付いてきてくれる?」


 アリスは俺をいつもの修行場から、村の奥へと連れて行った。

 着いた先は遺跡のような場所で、山の上にあることからマチュピチュ遺跡に近いと言ってもいいだろう。

 近くの洞窟には『禁』と書かれた札が貼られ、中に入れないように扉が閉まっていた。

 

「さあ、中に入って」

 そんな洞窟の中へ、躊躇なくアリスは俺を押し込もうとする。


「いやいやいや、これは絶対ダメなやつですって」

「大丈夫よ」

「どうして?」

「私が許可したからよ」

「意味分かんねー!」


 相変わらず自分勝手な性格で困る。

 おそらくアリスの脳内は科学者でも解明できないだろう。

 

「そもそも何しに入るんですか?」

「あら、言ってなかったけ?」

「聞いてないですよ」


 アリスは露骨に面倒だという態度になった。

 俺はアリスと違い、脳内を読めるような感の鋭さを持ち合わせていないため、勘弁してほしいと思いながら話を聞いていた。


「あなたはマイナスエネルギーのおかげで、エーテルを使う対人戦ではそこそこ戦えるようになったわ。でもエーテルを使わないレイドを相手にする時は、相変わらず貧弱なままでしょ。だから、そのための解決策がここにあるの。お分かり?」


 エーテルは基本、人間と鬼しか使えない。

 つまり、エーテルを持たない鬼獣やレイドを相手にする場合は、エーテルが必要不可欠であり、マイナスエネルギーはあまり効果のないものであることを意味していた。


「実は、この中にとある竜が眠っているのよ」

「それって、昔村を襲ったっていう――」

「そう、獅子の竜、レーベリオンよ」


 それはその当時、村で一番強かったかぐやが唯一戦えた竜であった。

 そんな竜と対峙するなんて、考えただけでも腰が抜けそうだった。


「中に入ったら『力をください』って言うのよ。そしたらくれるから」

 

――そんなわけねぇだろう!

 そうは思ったが、アリスに逆らう方がよっぽど怖かったため、アリスがこじ開けた扉を潜り、洞窟内へと足を踏み入れた。

 

 中は暗闇で全くと言っていいほど見えなかったが、第七感を使える俺にとっては何の問題もなかった。

 しばらく進むと、僅かな灯火が辺りを照らしている祭壇へとたどり着いた。

覚悟を決め、そこで俺は大きく息を吸った。


「力を下さい!」

 

 アリスに言われた通り全力で叫んだが、声が響くだけで、何の反応もなかった。


「そりゃ、そうだよね」


 分かってはいたことだが、このまま何の成果もないまま戻ったらどうなるかは、十分心得ていた。

 そうは言っても何をしていいか分からなかったため、とりあえず祭壇を調べることにした。

 祭壇には壁画のようなものが描かれていた。

 それはライオンのようなたてがみをした竜の絵であった。


「それで獅子の竜か……」


『知った風な口を聞きおって』


 どこからともなく聞こえたその声は、頭の中で響くように伝わった。

 辺りを見渡すが当然誰もいない。


『貴様は何しにここへ来た?』


 おそらくこの声が獅子竜レーベリオンのものだろう。

 そう理解した俺は率直に答えた。


「俺に力をくれ」

『ふざけるな』


 相手もまた即答であった。

 もちろん、うまくいかないことは最初から分かっていた。


『まあ、対価を払ってくれるのであれば話は別だがな』

「その対価は何だ?」

『俺と契約するつもりか?』

「もちろんだ」

『そうか……なら仕方ないな』


 その後、獅子竜は対価と力について事細かに説明してくれた。

 そして俺はそれに納得した上で了承した。

 

『だが、これは飽くまでも仮の契約だ。力を使うたびにお前は対価を支払う。それを完全に支払い終えた時、お前に本当の力をくれてやる。それでいいな?』

「それで構わない」

『商談成立だな。なら、壁画に手を当てろ』


 言われた通り、壁画に手を当てた。

 すると、体をどす黒い煙のようなものが覆っていった。

 しばらくして煙が消えると、胸には黒い勾玉がぶら下がっていた。


『それは契約の証だ。肌身離さずつけてろよ』

「ああ、分かった」

『くれぐれも真の契約が成立するまで死ぬんじゃないぞ』

「心配するな。そのための力だ」


 一段落ついたからか、疲れたのかは分からないが、獅子竜からはため息が漏れていた。


『全く、割り合わん契約だ。お前もあの女には気をつけるんだな』


 それが誰のことを指しているのかはっきりとは分からなかった。

力で言えばかぐやだろうが、おそらくアリスのことだろう。

 それ以外に心当たりはなかった。

 

 軽く頷いて、俺は祭壇を後にした。

 暗い中にいたせいで、洞窟の外に出ると、日差しが眩しかった。


「どう、うまくいった?」

「師匠は知ってたんですか?」

「さあ、どうでしょう」


 本当に真意が掴めない人だ。

 それでも、俺にはアリスに感謝しきれないほどの恩があった。


「それじゃあ、いよいよ最後の修行を始めましょうか」


 それから一年後。

 それはアリスとの出会いから約4年。

 その日、俺の修行人生活はようやく幕を閉じたのだった。


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