鬼族

 目を覚ました俺は布団から飛び上がった。

 するとそこは古風な木造作りの家のようで、部屋の中央には囲炉裏があることから、どうやら俺は居間で寝かせてもらっているようだった。

 俺は生きているのか……

 頭から喰われたように感じたが、首元を手で確認しても違和感はなく、どこにも怪我はなかった。


「あらあら。やっとお目覚めかしら」

 後ろでくくった髪を揺らしながら部屋に入ってきた女性には赤い角が生えていた。

「えーっと……」

「私はアリスよ。あなたは?」

 途惑っている俺に彼女は優しく話しかけてくれた。


「俺は……」

 そこで俺はようやく気がついた。

――名前がわからない。

 

「どうしたの?」

「いや……その……」 

 そうだ。

 親の名前から俺の名前も――

 俺の親って……誰だっけ?

  

「もしかして、名前が分からないとか?」

「みたいですね……」

 苦笑いするしかなかった。

 

「そう……それは困ったわね。どうして森の中で倒れていたのか聞こうと思ったんだけど」

「それは覚えてます。はっきりと」

 心にまでその恐怖は刻まれていた。

「良かったら聞かせてもらえる?」

「ええ、実は……」


 今までのことをアリスに全て打ち明けることにした。

 何せ今の俺には、彼女以外に頼れる術などなかったのだから……

 それにしてもアリスに話してみて改めて感じた。

 信じられないことだらけで、話している自分でさえ現状が全く把握できていない。

 話を聞き終えたアリスも俺の話が信じられないようであった。


「そんなことがあったなんて、信じられないわ。それじゃあまるで異世界の住人よ。あなた」

「俺だって信じられませんよ。どうしてこんな所にいるのかも、今生きていることだって」

 何が何やら俺にも分からなかった。

 ただ、アリスの言い方から察するに、ここは俺の知っている世界とは違うらしい。

 おそらくそれは間違いないだろう。

 なぜなら角の生えた人間がいるなんて聞いたことがないからだ。


「とりあえず、分かるとこから整理していきましょうか。まず、あなたの言う鬼って言うのはこの世界では鬼獣きじゅうと呼ばれているの」

「鬼獣?」

「そう、私たち鬼は2種類いるのよ。私たちのような人型の鬼と、あなたを襲った獣のような鬼の二種類よ」

「それで鬼獣か……」

「鬼はさらに4つに分類されていて、朱鬼しゅき蒼鬼そうき黄鬼きき緑鬼りょくきと呼ばれているの。あなたを食べたのは緑鬼ね」

 確かにアリスにも角が生えていたが、まさか鬼だとは思わなかった。

 角が生えていること以外はほとんど人間と変わらない。


「でも珍しいわね。鬼獣なんてもう居なくなったはずなんだけど……」

「確かに頭から喰われたんですよ。鮮明に覚えて――」

「あら、そこまで覚えていて名前は覚えていないの?」

「それは……」

 アリスの言う通りだ。

 名前だけ覚えていないなんて、記憶喪失にしては不自然すぎる。


「もしかしたら、食べられたのは頭じゃなくて名前なのかもしれないわね」

「いやいや、そんなことありえないでしょ」

「あら、別世界の住人よりはありえることよ。鬼は角に特殊な力が秘められているから、そういう鬼がいても不思議じゃないってわけ」

 名前や名前に関することだけが思い出せないということを考えれば、アリスの言うことは信じられなくもなかった。


「まあ、無くなっちゃったもんはしょうがないんじゃない? それよりも今はこれからどうするか、でしょ?」

 アリスの言う通りだ。

 名前を思い出すにしても、元の世界に戻るにしても、今はここで生きていくしかないんだ。

「そうですね……」

 

「それにしても不思議なもんよね。世界は違えど、こうして話が出来るなんて少し感激したわ」

「ほんとですよ。この世界でも日本語が通じるなんて」

「日本語? どこかで聞いたような……」


 その時家に誰かが入ってくる音がした。

 その足音はだんだんと俺の居る部屋へと迫ってくる。

 そして部屋の前に一人の女の子が現れた。

 部屋に入ってきた女の子には青い角が生えていた。


「かぐや、何でこんな子助けようと思ったの?」

「……懐かしい感じがしたから」

「まあ、あなたがいいなら私はいいんけど……この後どうするつもり? ってあんたが面倒見るわけないか……」

 

 俺は捨て犬や捨て猫じゃないんだが……

 そうは思ったが助けてもらっておいて文句は言えなかった。


「アリスの好きにしたらいい。私の勘違いだったから……」

「好きにしていいって言われてもね。何も知らないこんな子、なんの役に立つって言うのよ。強そうには見えないし、何かの才能があるようにも見えないし、私の好みでもないしね」

……泣きそう。

 そこまで言わなくてもいいだろう。


「この子があなたを助けてくれたんだから、一応お礼言っておきなさいよ」

 俺はてっきりアリスが助けてくれたものだと思っていた。

 それが、ほんとはか弱そうな女の子だとは思いもしなかった。

 もちろんアリスもだが、彼女の場合はかぐやよりも頼りがいのある感じがあった。


「かぐやさんでしたっけ? 助けていただきありがとうございました」

 俺が話したとたん、彼女はその場から立ち去ってしまった。

「俺、何か失礼なことでもしましたかね?」

「大丈夫。恥ずかしかっただけよ。あんな風に人と接したことがなかったから……」

 何かを思い出しているのだろうか。

 アリスはどこか寂しそうな表情を浮かべていた。


「何かあったんですか?」

「まあね。あの子がどんな風に育ったか聞きたい?」

「出来れば聞きたいですかね」

「そう……それじゃあ――」

 そう言ってアリスはかぐやについて語ってくれた。

 なぜかは分からないが昔話の口調ではあったが……

 

 昔々、緑鬼の男性と人間の女性が恋に落ちました。

 人に受け入れてもらえない二人は鬼の村で暮らすことにしたのです。

 そんな二人から一人の蒼鬼の女の子が生まれました。

 彼らはその子に『かぐや』と名づけました。

 三人は裕福ではないものの幸せに暮らしていました。

 

 そんなある日、人間の女性が病に倒れてしまいました。

 不治の病というわけではないものの、鬼の村にはない薬が必要だったのです。

 そこで緑鬼の男性は親友に妻と子供を預け一人、人間のいる街へと向かっていきました。

 しかし、彼が戻ってくることはありませんでした。

 人は鬼を恐れるがため、鬼に対して過剰に嫌悪感を抱いているのです。

 そのため彼も人間たちに捕らえられてしまったのでしょう。

 薬がなかったために人間の女性は帰らぬ人となってしまいました。

 そしてかぐやは一人ぼっちになってしまいました。

 それでもかぐやは父親が帰ってくることを祈り待ち続けることにしました。


 そんなある日、村を一匹の竜が襲いました。

 村の勇敢な戦士たちは命を懸けて戦いましたが、その強大な竜を止めることは出来ませんでした。

 誰もが諦める中かぐやだけは諦めていませんでした。

 彼女は父親の帰ってくる場所をどうしても守りたかったのです。

 かぐやは一人で立ち向かい、見事その竜を撃退しました。

 村の鬼たちは弱った竜を急いで遺跡に封印しました。


 こうして村には再び平穏が訪れたのです。

 村の鬼たちはかぐやの活躍を崇め奉りました。

 しかし、月日が経つにつれ、強大すぎる彼女の力を恐れるようになってしまったのです。


「今でもあの子は、一人で帰らぬ父親を待ち続けているのよ」

「一人じゃないですよ。だってアリスさんがいるじゃないですか」

「そうね」

 かぐやは俺なんかよりもよっぽど辛い思いをしていた。


「でもあの子は人と話すのが苦手だから、出来ればあなたにあの子の手助けをしてほしいかしら」

「見ず知らずの俺なんかでいいんですか?」

「だからいいのよ。それに鬼に抵抗のない人間は少ないから……それに、あの子には今必要なことなのよ」

 こんな俺でも誰かの役に立てるんだな。


「こんな俺でよければ――」

「ただし、あの子に手を出したら許さないから」

「肝に銘じておきます」

「ならいいわ。さて、日も暮れてきたしそろそろ夕食の準備をしないと」


 そう言って立ち上がったアリスは台所へと向かっていった。

 何を作っているかはわからないが、嗅ぎ慣れた調味料のにおいがした。


 アリスの料理姿を眺めていると、かぐやが居間へと下りてきた。

 こちらを警戒しながら、恐る恐る机の前に座った。

 どこか落ち着かない様子でそわそわしている。

 

 アリスに言われたのもあったが、かぐやの力になってあげたいという気持ちの方が強かった。

 こういう時は俺から話しかけたほうがいいのだろう

「あの――」

「ねぇ」

「えっ?」

 こちらから話し掛けようとした矢先であったため、逆に俺のほうが動揺してしまった。


「あなたは人間? それとも鬼?」

「ちょっとかぐや! それってどういう意味?」

 台所にいたアリスも思わず駆け寄ってきた。


「だって彼には鬼の血も流れてるから……」

「俺が……鬼?」

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