第3話『火志摩高:後編』

「? どうした、循庸?」


 そんな循庸に対し、ヒデトは振り向いて不思議そうに尋ねる。


「お……お前、何も感じないのか……? な、何か……〝空気〟が、変な感じに……っ!」


「? は、ハア?」


 全身の毛を逆立て、明らかに異常な事態を訴える循庸。

 しかし対するヒデトやナオミは別に普段通りといった顔をしており、むしろ循庸を不思議そうな顔で見ている。


「ちょっと、大丈夫? 熱でもあるんじゃないの?」


 ナオミが近づき、循庸を心配する。ヒデトもそれを追う様に循庸へと近づいた。

 確かに傍から見れば、彼が突然高熱にうなされ出したようにも見えるだろう。


「どうした、何かあったのか」


 循庸の異常に気付き、今度は葦田が歩み寄って来る。


「ああ先生、循庸が変なんスよ。なんかって、いきなり寒がり出して……」


 ヒデトが報告するように言った。

 だが、それを聞いた瞬間――――


「〝空気〟……だと?」


 今度は、葦田が目の色を変えた。

 そして循庸達に背を向けると、何を思ったのか携帯電話ウェアラブルデバイスを取り出し、に電話をかけ始める。


「私だ。今すぐ火志摩高周辺の『ワームホール初期波動』の波長を調べろ。……ああ、そうだ、今すぐにだ!」


 電話の相手が誰なのかなど、循庸達は知る由もない。

 葦田はとても焦った様子で、携帯電話ウェアラブルデバイスに怒鳴り付ける。

 しかし――――それは




 次の瞬間――――――強烈な〝超音波〟が、火志摩高全域を覆った。




 校舎の窓ガラスが、全て一瞬で砕け散る。

 建造物が軋む音が鳴り響く。

 鼓膜を破らんがばかりの超高域の音波に循庸達は堪らず耳を抑え、苦痛の表情を浮かべる。


「なん……だっ、これ……ッ!?」


「み……耳が……っ!」


 ヒデトのナオミの2人は、あまりに突然の出来事に耳を抑えたままうずくまってしまう。

 火志摩高にいた誰もが、この突然の事態を理解できなかったことだろう。

 だが、


「これは……まさか……ッ!!!」


 唯一、

 葦田は耳を抑えたまま、火志摩高のを見る。



 すると――――そこには、〝歪み〟があった。



 文字通り、火志摩高上空ののだ。

 空が、まるで水溜りに小石を投げ入れたかのように波打っている。

 そんな湾曲した空間から、いや或いは湾曲した空間が生まれたことで、延々と超音波が奏でられ続けている。

 しかし、そんな超音波は段々と鳴りを潜め始める。




 そして、その超音波が鳴り止むと思われた瞬間――――〝何か巨大な物体〟が、その湾曲した空間から飛び出した。




 それはさながら隕石のような迫力で火志摩高のだだっ広い校庭に落下し、土煙の柱を巻き上げる。

 直後、さらに同様の巨大な物体が〝3つ〟湾曲した空間から飛び出ると、その歪んだ空間はゆっくりと消滅していった。


「な……なんだ……!?」


 そんな常軌を逸した光景に、循庸を始め他の者達も目を奪われる。

 〝何か巨大な物体〟が落下した校庭は、格納庫ハンガー前にいる循庸達からは視界を遮る物もなく真っ直ぐ見える。距離にしておよそ500メートルほど離れているだろうか。


 故に――――循庸達は、すぐにその〝何か巨大な物体〟の正体を目撃することとなった。


 土煙の中から、ぬるり、と何かが這い出る。


 それはとてつもなく巨大で、おそらく全長はLWとして標準的な48式 灰簾カイレンと同じくらい。まで、およそ6メートルあるかないかだろう。

 全身が半透明な緑色に覆われ、体内の細胞らしき物体が透けてしまっている。

 頭部には1本の触角のような長い毛が存在し、しきりに動いている。

 手脚と呼べる物が存在せず、まるでナメクジのように地面を這って動くその物体を、循庸達はかつて確かに見たことがあった。 


 あれはたぶん小学校の理科の授業で、教科書に書かれていた〝微生物〟――――




 そう、あれは――――『ミドリムシユーグレナ』だ。




 その人間など容易く踏み潰してしまうであろう巨大な生命体は、間違いなく、かつて顕微鏡で覗いた0.1ミリ以下の微生物その物だった。


「な……ん……なんだぁ、ありゃあッ!?」


「あ、アレって……アレよね……? 『ミドリムシ』……よね……? たぶん……」


 ヒデトもナオミも目を丸くしたまま開いた口が塞がらず、2人の表情はまるで天変地異でも見ているかのようだ。

 当然である。かつて顕微鏡で覗かなければ確認もできなかった極小の生物が、巨大な怪物となっているのだから。


 土煙の中から1体の巨大ミドリムシが這い出て来ると、それに続いて後から落下してきた3体の巨大ミドリムシも姿を現す。

 合計4体の巨大ミドリムシは器用に毛の生えた頭を掲げ、陸上生物さながらの動きで周囲を確認すると、4体揃ってぞろぞろと動き始める。


 そして電気が消え、暗くなった東方面の3号館校舎に近づくと――――一斉に、コンクリートで出来た校舎を


「! 学校が……!」


 そんな怪獣映画顔負けの光景に、さらに驚愕する循庸達だったが――――すぐに彼等は校舎を破壊する巨大ミドリムシの意図に気付き、驚愕を〝恐怖〟へと変えた。

 巨大ミドリムシの集団は、ただ闇雲に暴れているのではない。



 奴らは――――のだ。



 コンクリートを始め無数の〝鉱物〟や〝無機質〟で構築された〝校舎〟という建造物を、壊し、融かし、体内に取り込んでいるのである。

 その〝食事〟は生物として、まして〝有機体〟として極めてあるまじき物だった。


「アイツら…………学校を、喰ってる……?」


 そんな生物ならざる食事光景に、循庸は戦慄する。

 せめて救いがあるとすれば、この時間帯は校舎にほとんど生徒が残っていないことだろう。


「くそッ! 奴等、……ッ!」


 葦田は歯痒そうに呟くと格納庫ハンガー内へと走り、設置された固定専用線の受話器を取って火志摩高の運用管制室ミッションコントロールセンターへと連絡する。


「管制室聞こえるか! こちら教官の葦田だ! 

 非常事態発生! 現在火志摩高は敵の襲撃を受けている! 数は4! 場所はチャーリー‐7だ!

 至急迎撃部隊を編成、北校舎に張り付く敵を撃退しろ! それまでは、こちらで時間を稼ぐ! とにかく急げ!」


 葦田は鬼気迫る声で叫ぶと、受話器をスタンドに叩き付けた。

 そして続けざまに、携帯電話ウェアラブルデバイスをどこかにかける。


! これは一体どういうことですか! 奴等はまだ――――ッ!」


 葦田の声には明らかに〝怒り〟が垣間見えたが、彼の声はすぐ電話の向こう側の相手に遮られる。


「……は? いやしかし〝彼〟はまだ実戦も経験していないのですよ!? それどころか資格ライセンスも――ッ! ですから早く増援を――――ッ!」


 葦田は電話の向こうの相手に抗おうとした。

 だが、それは無意味だった。


『――――』


 再び電話の相手が何か言うと、非情にも葦田の携帯電話ウェアラブルデバイスは通話の終了を告げる。


「…………」


「せ……先生……?」


 携帯電話ウェアラブルデバイスを持つ手を震わせる葦田の背中に、循庸は恐る恐る話し掛ける。

 葦田はしばし沈黙の後、




「…………些嵜、〝あの新型〟に乗れ」




 背中を向けたまま、循庸に言った。


「……は? あの、新型って……さっきの、ですか……?」


 循庸は葦田の言ったことがとっさに理解できず、聞き返す。


「そうだ。アレは、お前のために作られた専用機だ。

 〝本社〟からの増援まで、おそらくまだ時間がかかる。それまで、あの『ハザード』共を足止めせねばならん」


「は……? え……? あの、えと、すみません、何を言ってるのかよく――――」


 葦田の言葉に、循庸もヒデトもナオミも困惑を隠せない。


 意味不明な単語を連呼されたのもあるが、さっき着いたばかりである例の新型機が〝『LWテストパイロット資格』すら有していない循庸の専用機〟など、冗談にしてもタチが悪すぎる。


 そもそも循庸に限らず、2年生のほとんどは【48式 灰簾カイレン】を初めとした旧型機しか搭乗したことがない。しかも、そのほとんどはVRバーチャルリアリティ訓練装置で操作しただけというオマケ付きである。


 それがどんな機体かも分からぬ新型機に乗れなど、循庸達は葦田は気がおかしくなってしまったのかと思ったほどだ。


「そ、それに使ったこともない新型で、しかもあ、あんな化物と戦えなんて――――」


 先生は――――俺に〝死ね〟って言うんですか。


 循庸は怯えた声で拒否しようとした。

 そんな循庸の肩を、葦田はガッチリと両手で掴む。


「……私も共に出る。時間を稼ぐだけでいいんだ。お前は、必ず私が守る。

 頼む些嵜。お前にしか、出来ないんだ。

 …………お前は――――」


 必死に感情を抑えた表情で、けれどとても優しい声で、葦田は循庸に何かを言おうとする。


「先生……?」


 循庸は惚けるように困惑していたが――――突然聞こえてきた〝銃声〟で再びハッキリとした意識を取り戻す。


 どうやら離れた場所にある別の格納庫ハンガーからLWが出撃したらしく、2機の【48式 灰簾カイレン】が【火志摩 M44突撃銃アサルトライフル】で巨大ミドリムシの群れに攻撃を加えている。


 傍目から見れば、巨大とは言え単細胞生物と、最新技術の塊であるLWの戦い。

 【火志摩 M44突撃銃アサルトライフル】が放つ25ミリ弾の一斉射を受ければ、単細胞生物など一瞬で殲滅させられる――――普通なら、誰しもがそう思うだろう。


 しかし――――現実は異なった。


 ――――効いていない。どれだけ大量の25ミリ弾を身体に受けても、4体の巨大ミドリムシはまるで動きを止めようとしない。




 ――――吸収しているのだ。放たれた弾丸を、全て喰っているのである。




「! いかん! 徹甲AP弾では駄目だ! でないと取り込まれるぞ!!」


 その光景を見ていた葦田は思わず叫ぶ。しかし、その声は必死に銃撃を浴びせ続けるパイロット達に届くはずなどなかった。


 必死の銃撃も虚しく、巨大ミドリムシ達は【48式 灰簾カイレン】へと接近する。

 そして――――、1機の【48式 灰簾カイレン】に向け、頭の触手のような毛を鞭のように振るった。


 瞬間――――その攻撃を受けた【48式 灰簾カイレン】は胴体を真っ二つに切断され、腰から上を盛大に爆発させた。

 まず、搭乗者パイロットは生きていないだろう。


 目の前で両機が爆発四散した光景にもう1機の【48式 灰簾カイレン】は恐れ戦くが、僅かに隙を見せた瞬間飛び掛かってきた1体の巨大ミドリムシにへばり付かれる。


 機械の巨人と緑色の怪物の身体の大きさはほぼ同じ。しかし力比べでは、どうやら後者に部があるらしい。


 【48式 灰簾カイレン】は巨大ミドリムシの身体を両手のマニュピレータで掴み、必死に引き剥がそうとするが――――その瞬間、緑の身体を掴むマニュピレータがどろりと溶けた。


 そう、喰っているのだ。明確に、〝捕食〟しているのだ。


 見る間に【48式 灰簾カイレン】の巨体は溶かされていき、物の数十秒でたった1体の巨大ミドリムシに丸々飲み込まれてしまった。


 そんな光景の後ろでは、さっき爆発した【48式 灰簾カイレン】の脚部や破片を、他の巨大ミドリムシ達が群がりながら捕食している。


 それはとてもこの世の物とは思えない――――人間に〝恐怖〟を植え付ける景色だった。


「う……嘘だろ……ヨンパチが2機も……!」


 ヒデトは竦み上がりながら、数百メートル先の惨状を見つめてた。

 勿論、循庸も。


「…………」


 巨大ミドリムシは4体で群れを成し、破壊と暴走食事を続けている。既に、2人の人間パイロットの命が奪われた。


 おそらく生徒達の避難は始まっているのだろうが、あのままではいずれ学校の生徒や職員達にも甚大な被害が出るかもしれない。

 もしかしたら、校舎に取り残された人々は既に捕食されてしまったのかもしれない。


 あの化物共が繰り広げる〝殺戮劇〟を想像した循庸は、震える手を握り締め――――




「…………俺、やります」




 呟くように、言った。


「ち、ちょっと循庸!?」


 そんな彼の一言にナオミは顔面蒼白になる。


「俺しか出来ないんでしょ? なら、やってやろうじゃないですか。

 あんな化物……まとめてぶっ殺してやりますよ」


 循庸はそう言うと、葦田達の下から走り去っていく。

 彼が向かうのは――――〝新型機〟が運び込まれた、16番格納庫ハンガー

 そんな彼の背中を、葦田は悲しい目で見つめる。


「……すまない」


 誰に聞こえるでもなく葦田は呟くと、


「私の機体を準備しろ! 装備は直接指示する! 急げ!!」


 まだ格納庫ハンガーに残っている整備員達に向かって叫んだ。

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