戻って来た世界
第16話・待っていた人々
喬尚の葬儀から早半年。
晶子が消えた日から邸に泊まり込み、探しながらずっと帰りを待っていた尚之は、仕事が休みであったその日も変わらず書類に目を落とす。
通報を受けて駆け付けた警官に連行された公子らは先月になって漸く起訴されたばかり。
まだ、初公判も始まってはいない。
けれど保身にばかり走り、反省の色が見えない彼女らに下る判決は重いものとなるのは確かだった。
「──」
目頭を押さえた尚之は、紙の上を滑らかに走らせていたペンを止める。
日没が早まった季節。けれどもほんのりオレンジ色に染まるだけで、まだ外は明るい。
一つ息を吐き、尚之は再び視線を紙に落とした。
分厚い本を捲り、書類と見比べながら何かを紙に書き綴る。時にはノートパソコンのキーボードを叩き。
そんな時だった。
──庭から閃光が放たれた。
強烈過ぎるそれ。咄嗟にきつく瞼を閉じた尚之は、しかし直ぐに手にしていた書類を放り出して急ぎ駆け出した。
それは晶子が行方不明となった時と酷似した光。
現実離れした考えは、常ならば捨て去るもの。
けれど、今はどんなに馬鹿げた考えであったとしても、有り得ないだろう事であったとしても、大切な存在が帰って来てくれるのならば縋りたかった。
尚之と同じく、晶子の無事を信じ、帰りを待ち望んでいた人々も同じ願いを胸に廊下を駆ける。その横を走り抜けた尚之は、庭に飛び出した。
──そして、視界に捉えた姿。
やっと、会えた。やっと、帰って来た。大切な妹。
もう二度と、傷付けさせはしない。
今度こそ、護り抜く。
浮かぶ涙で視界が滲んだ。
・*・*・*・*・*・
「「──……」」
突然の眩い光に包まれ、きつく瞼を閉じていた晶子とカイルは、来るはずの衝撃がない事を不思議に思い、光が収まったのを感じ取った後にゆっくりとその目を開いた。
知らぬ内に地面に座り込んでいた二人。カイルは目にした景色に辺りを見回した。
「ここは……?」
自然、戸惑いの声が漏れる。
それを余所に、晶子は目を見開いた。
今までいた場所とは異なるそこ。しかし、それは良く知った場所で。
ふらつきながら立ち上がろうとする晶子を、カイルが支えた。
明らかに様子の異なる妻を心配そうに見遣る。
「晶子?」
その呼び掛けにも気付かない晶子は、一歩足を踏み出した。
「……晶子様……!?」
──記憶の中で幾度も蘇った、以前は毎日のように聞いていた懐かしい声が響いた。
それは何時になく焦りに満ちて。
「……誰だ」
建物内から現れた人物から庇うように前に出たカイルの腕に、晶子の手がそっと触れる。
「大丈夫」
視線だけで振り返ったカイルに告げると、その背から晶子は身を出した。
互いにその姿を確りと目に映すと、向かい合った二人の顔が様々な感情と共に歪む。
「尚之さん……?」
「晶子、様」
城にいたはずの晶子とカイルが現在いるのは、晶子が喬尚の愛を受けて育った北条邸の庭。喬尚が晶子の誕生を祝い植えた、あのウメモドキのある一角だった。
まるで何年も離れていたような、そんな懐かしい感情を与える男と見つめ合っていた晶子は、一歩、引き寄せられるように足を前に出す。
が、しかし己の体重を支えきれずに膝から崩れ落ちた。
「晶子!」
咄嗟に、カイルがその身体を抱き留めた。
一瞬、再び得た大切な存在がなくなってしまうのではないかという恐怖に身体が硬直した尚之だったが、直ぐさま、はっとして二人の許へと駆け寄った。
「晶子様!」
「だ、いじょうぶ」
カイルの腕にしがみ付いた晶子は顔色悪く、しかし笑って見せた。
カイルは距離を縮めた尚之を見遣る。
自分達の身に何が起こったのかは想像出来る。が、それと目の前にいる者を信じられるかどうかは別問題で。
それでも男の目に宿る晶子の身を案じる色は本物であると感じたカイルはその唇を開いた。
「晶子を休ませたいんだが、部屋はあるか?」
幸いな事に言語に不自由はないらしく、迷う事なく言葉を紡ぐ。
突然見知らぬ男──それも明らかに日本人ではない者に声を掛けられた尚之は戸惑いながらも、しかし大事は晶子だと応じた。
「あ、ええ。晶子様のお部屋が二階に……」
「案内してくれ」
言うなり、カイルは晶子の身体を流れるような動作で抱き上げた。
横抱きにされた晶子は抵抗する事なく、頭をカイルの肩に預ける。
「苦しくないか?」
「は、い」
気遣うカイルに力なく笑む晶子は、その視線を尚之へと滑らせた。
「この人は、私の、大切な人なの」
今の状態で告げる事が出来たのはたったそれだけ。
けれども何かを感じ取ったらしい尚之は、一つ頷く。
「こちらへ」
動揺しながらも晶子の意思を優先する者達は、晶子を壊れ物のように抱くカイルの進む道を開いた。
通る邸内の広さに見向きもしなかったカイルは、案内された部屋にあったベッドの上に、抱く愛しい存在を降ろす。
優しく横たえられた晶子は表情を和らげた。
そこは、以前と変わらぬ見慣れた自室。
カイルに抱かれて邸内を行く中、皆に『お帰りなさい』と言葉を掛けられた事でも十分に分かってはいたが、それでも変わらぬ室内に、彼らが真実自分の無事を信じ、帰りを待っていてくれたのだと感じる事が出来た。
視線を一巡させ室内を見回した晶子は、自分を見守るカイルに安堵の息を吐く。
そして、開かれた扉からこちらを覗く心配の色濃い、それでいてカイルと晶子の只ならぬ様子に困惑する
(説明、しないと)
今までどこにいたのか。そして、カイルは誰で、晶子とはどういう関係なのか、を。
晶子は戻って来たのであって問題は然程ないが、カイルは別世界の人間だ。
彼の置かれた現在の状況は、曾て自分が経験したものと同じ。
いつ戻れるか分からない中、それまでは今いる場所で生きるしかない。
けれどそれには、周囲にいる人々の協力が必要不可欠だった。
「寝てろ」
「先程お医者様をお呼びしましたから、それまではどうかお休み下さい」
上体を起こそうとした晶子をカイルが窘める。
尚之も顔を覗き込むように身を乗り出しつつ、部屋に移動するまでの間に晶子の帰りをその目で確認した他の家人が医師を呼びに、急ぎ走った事を告げた。
しかしそれでも晶子は起き上がろうとする。
「話さなければ、いけない事が……」
──こちらでカイルが過ごすとなると、晶子が向こうで過ごしたよりもずっと障害が生じるはず。
疲労であまり働かない脳でそう考えた晶子は、自身の説明の重要性を強く感じていた。
カイルは晶子で経験があるからか自分達の今をほぼ正確に把握しているため、危害を加えられない限りは牙を剥かないはず。
尚之らも、晶子と親しいらしいカイルに無体を働く事はないと、信じる事は出来る。
だがそこには必ず警戒心があり。
最愛の夫には安心して過ごして貰いたいし、尚之らにもカイルを心から受け入れ、仲良くして貰いたい。
皆、晶子にとって掛け替えのない者達だから。
そのためには先ず、晶子が説明する必要がある。
今、彼らが共通して言葉に耳を傾けるのは、晶子のそれだけだ。
けれど、再びカイルの手でベッドに横たえられる。
「話しなら横になったままでも出来るだろう。それに一人の身体じゃない今、晶子の身体に掛かる負担が大きい」
常なら出来る無茶も、今はしてはならない。一体、どんな事が母体に影響を及ぼすか。
案じるカイルに、今度こそ晶子は大人しく従った。
と、何処か呆然とした声が耳に届く。
「一人の身体じゃ、ない……?」
視線を交わらせていた二人はそれを解き、二人を唖然とした表情で凝視する尚之へと滑らせた。
「それも含めて、全てを話したいんです。──聞いて、くれますか?」
これから話す事は現実離れしていて、決して手放しで信じられるものではない。
不安の滲む瞳。
尚之はまだ残る驚きを胸に抱きながらも、晶子の目を見返してしっかりと頷いた。
「──勿論。お教え下さい、晶子様がどのように生き、過ごされたかを」
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