第15話・光、再び




「──この部屋で大人しく待っていなさい」

「家に帰して下さい」

「全てが終われば」

 晶子は馬車で城に連行され、ある豪華な一室へと放り込まれた。

 騎士に掴まれていた腕が漸く解放されると、モリソンを睨み付ける。

 フードは外されたまま。

 その髪と瞳は人目に晒されている。

 部屋に着くまで歩いた城内ですれ違った者らからは好奇の目を向けられた。

 晶子の抗議を意にも介さずいとも簡単に切り捨てたモリソンは、顔を近くに控える者達に向けた。

「お前達、この者の身体を磨いて差し上げろ。王の御前に出るに相応しいように、な」

「「承知致しました」」

 モリソンの言葉に、側近くにいた二人の侍女が恭しく頭を垂れる。

 そして晶子へと向かって足を踏み出した。

「来ないで下さい」

 拒絶を示すのと同時に、晶子は後退した。

「申し訳ございませんが、従いかねます」

 侍女らは更に距離を縮めようとする。

「来ないで」

 家からのモリソンの発言に、自分の身に何が起きようとしているのかを悟っている晶子は、全身で威嚇する。

 同時に、無意識に腹を庇い。

「まさか──」

 その様子にハッとした様子のモリソンは眉を顰めた。

「子があるか」

「!」

「……その顔は図星のようだな。子があるまま王には差出せぬ。──おい、薬を早々に用意せよ」

 近くにいる侍従へ指示を出すモリソンに、晶子は嫌な予感を強く感じた。

「……な、にを」

(お願い、杞憂であって)

 しかし、願いは虚しく砕かれる事となった。

 心中で祈る晶子にモリソンは淡々と告げる。

「腹に子があっては陛下のお相手を勤められぬだろう」

「っ!!」

 さも当然の如く言い放たれ、晶子は愕然とした。同時に、奥底から激しい怒りが湧き起こる。

「そんな事はさせないし、しません」

「そなたの意思は関係ない」

 決定事項として告げられる。

「しかし……堕胎したその直後は流石に陛下に差し出せぬか。──致し方ない。陛下には明日でお許し頂こう」

 呟いたモリソンは、晶子に薬を飲ませるよう侍女らに厳命すると、その場を後にした。

 命を受けた者達が晶子に近付こうと足を踏み出す。

「来ないで!」

 ──絶対に薬を飲むわけには行かない。腹の子は、何としても護ってみせる。

 母としての強い、強い想い。

 彼らが近付こうと一歩踏み出す度に、晶子は同じだけ後ろに下がる。

「お諦め下さい。ご命令です」

「貴方達が私の意思は関係ないと言うのと同じ事よ。そんな事、私には関係ないわ」

 死角から、騎士の一人が手を伸ばす。

 晶子の腕に触れる。──直前、先手を取って伸ばされた手の首を掴んだ。それを引くのと同時に騎士の鳩尾に肘を打ち込む。

 まさかの反撃に彼らが呆然となった隙を見逃さず、晶子はバルコニーへと続く窓に駆け寄り、距離を取った。

 後ろ手に、扉の役目も担うその窓を押せば、鍵の掛け忘れか開く事が確認出来た。

 はっとした騎士や侍従らが動く。

 それを眼光で押し止めた。

「……貴女様が陛下に身を捧げれば、夫であられるウィルソン殿の立身は約束されましょう。褒賞も多く下されるはず」

「──立身?」

 晶子の呟きに、告げた騎士は目を光らせる。

「はい。それは生涯においての誉れとなりましょう」

 微かに考える素振りを見せた晶子に、落ちた、とその場にいた者は思った。

 けれども再び向けられたその瞳には、先程よりも強い拒絶の色が宿っている。

「それでも、私達には関係ないわ」

 あんなにも晶子と子を愛してくれるカイルが、妻と子が自分のために身を捧げて犠牲となる事を誉れに思うはずがない。

 想像すら出来なかった。

 晶子は後ろ手に窓を押し開いた。

 慌てる彼らを尻目に、晶子はバルコニーに躍り出る。

 手摺りにを背に、追って来た己を囲む者達を睨め付けた。

 流石に晶子の身が危ないからか、一定の距離から近付いては来ない。

「お戻り下さい!」

「私が、貴方方に従うとでも?」

 最早、彼らの言葉に耳を貸す気はない。

(……カイルさん……!!)

 心の中で、愛しい夫の名を呼んだ。

 連れ出されてから時間は経った。

 カイルならば、既に事態を把握しているはずだ。

 晶子は、何とかして己を捕らえようと模索している周囲に視線を巡らせる。

 自分だけで、この状況から脱するのは難しい。

(早く……、早く来て──!)

 ──彼は、向かって来てくれている。

 そうと分かるから。

 心中で叫び、求めた。




「──陛下」

「カイルの妻が到着したのか?」

「はい。ですが……」

「何だ?」

 躊躇いがちに言葉を切ったモリソンに、椅子から立ち上がった王は怪訝そうに眉根を寄せる。

「腹に子があったため、ねやにお連れになるのは明日までお待ち頂きたく……」

「待て」

 モリソンの口から放たれた願いに、王の言葉が重なった。

「御不満かと存じますが、流した直後は流石に……」

「違う!」

 強い否定に、モリソンは言葉を止めた。

「何を言っている。閨とは、流すとは、どういう意味で言っている!」

「え、その、陛下が『お話しになりたい』と……」

 困惑も露わに言葉を紡ぐ。

 王は盛大に顔を顰めた。

「馬鹿者、そのままの意味だ!!……全く、そなたが要らぬ気を回すとは……、!」

 側近の失態に頭痛とうつうを感じて額に手を置いた王は、直ぐさま、はっと顔を上げた。

「モリソン、そなた子を流すと言っていたが、まさかもう薬を飲ませたのか……!?」

「……!!」

 己の勘違いに青褪めていたモリソンは、別の意味で更に顔を青くする。

「っっ飲ませるよう、指示致しました……」

「ならば早う止めよ!取り返しのつかぬ事になるぞ!!」

 王の傍にあった騎士が駆け出す。

 王もモリソンを連れて、部屋を急ぎ出た。

「お前は何を勘違いしたのだ。私がカイルの妻に手を付けるはずがなかろう!」

 考えれば分かる事。

 カイルは国が剣として求める人材。幾度も幾度も足を運び、素気無すげなく断られても諦める事の出来ない人物。

 その男が愛する女を組み伏せば、怒りを買うのは必至。

 味方どころか、敵となるだろう。

 それがどれ程、恐ろしい事か。

「も、も、申し訳ございません……っっ!!」


 足早に回廊を進む青褪めた王と側近の侯爵を、城に勤める者達は怪訝そうに見送った。



・*・*・*・*・*・



「……──止まれ!」

「退け、邪魔だ!!」

「ゔっ……!!」

「ぐはっ……!」

 剣の刃が打つかる音。怒号。呻き、悲鳴。

 その凄絶な音の中心に、カイルはいた。

 ──己の全てを捧げると誓った何よりも愛する妻を救い出すために。未だこの世を目に映したことのない我が子を救い出すために。

 その道を阻む者は全て敵と認識した。

「がはっ……!」

 譬え顔見知りであっても、怒りに染まるカイルは容赦なく斬り倒す。

「……っ、鎮まれカイル・ウィルソン!城の敷地内においてのこの様な暴挙は決して赦されぬ事だぞ!」

 知人の一人であるらしき男が、紙一重で剣先を避けながら必死に言葉を放つ。

 それに返るのは鋭い眼光。その中に憎悪の色を見つけ、男は怯む。

「黙れ!お前達が俺の妻と子を拐ったんだろうが!!」

「!?どういう事だ!」

「死にたくなければ退け!」

 戸惑いを見せた男の言葉には答えず、カイルは剣を繰り出した。

 カイルの発言に、それまで剣を手に対峙していた騎士の間に動揺が走る。

 気がそぞろとなった一瞬の隙を見逃さず、カイルは一気にその場を駆け抜けた。

「……晶子────っっ……!!」







 晶子と騎士らの睨み合いは、平行線を辿る。

 騎士らが近付こうとすれば、晶子が手摺りにより身を寄せ距離を取ろうとし。

 モリソンの誤解ではあるが『王所望』の女故に下手を打つ事が許されず、国に仕える者達は動きを止めるより他の選択肢はなかった。

「…………っ、…………!」

 と、城門のある方角から沸き起こる喧騒が耳に届く。

 気付いた騎士の幾人かが眼球を動かした。晶子もまたそれに気付くが、眼前に迫る者達から目を離す事が出来ず、耳だけを澄ませる。

 近付く音。

 それは叫びのようであったり、怒声のようであったり、または断末魔のようであったり。様々な声が入り混じる、争いの音。

 その中に、微かだがある音が聞こえ、晶子は反射的にそちらに顔を向けた。

「……──う子っ!!」

 ──それは、待ち人の声。

 決して聞き間違う事のない、愛しい人の声。

(カイルさん──……!!)

 晶子の心が最愛の夫の名を叫ぶ。

 が、晶子が目を、気を逸らした事で、その隙を見逃さなかった騎士の一人が素早く動いた。

「っ!!」

 はっと振り返った晶子に、騎士の手が迫る。

 ──咄嗟、だった。

 捕らえられれば我が子が殺される。

 それを避けるために、一層手摺から身を乗り出した。

 瞬間、くらっと眩暈を感じ、同時に手摺の外へと身体が傾いだ。

「晶子っっ!!」

 下から、晶子の姿をその目に捉えたカイルの叫びが響き渡る。

「……っ、……」

 何とか利き手でバルコニーの縁に掴まり、地面に叩きつけられる事を避けた晶子だったが、しかし、無理に落下を防いだ事で全身が前後に大きく振られる。

 バルコニーが外壁から突き出ていたため幸いにも身体を打ち付ける事はなかったが、それでも身に受けた衝撃は大きい。

 眩暈も完全に収まったわけではなく、晶子は苦痛に顔を歪めた。

「晶子……!待ってろ、すぐに助ける!!」

「カイルさん……っ」

 二人の視線が交差する。

 晶子が連行されてから数刻。──やっと、やっと会えた二人のその距離は近いようでいて、遠い。

「おい、早く引き上げろ!陛下に献上する身体に傷を付ける訳にはいかん!」

 晶子が今までいたバルコニーから、騎士らの騒ぐ声が。そして、幾人かが手摺を乗り越え、それに掴まりながらも晶子の命を繋ぐ縁を掴んだ手に己の手を伸ばす。

 はっとした晶子は、声を上げた。

「触らないで!!」

「晶子!!くそ……っ!」

 カイルを追って来た騎士達は、彼の言葉が正しかったのだと証明するようなその場の状況に困惑を隠せず、動きを止めていた。

「──この騒ぎは何だ!女はどうした!?」

 そこへ、男の声が届いた。

 ──城内を行くのでは間に合わない。晶子の許へ少しでも早く辿り着ける手段を視線を巡らせ探していたカイルは、その声を耳に入れた瞬間、振り仰いだ。

「陛下……!」

 姿を現したのは、モリソンを伴い、息を僅かに切らせた王。彼は室内を素早く見回した後、慌てる侍従らを余所に、多くの人が不自然に集まるバルコニーへと足を進めた。

「陛下、お待ちを……!」

「退け!」

 道を阻もうとする侍女を押し退け、幾人もの臣下の視線が注がれるバルコニーの外へとその目を向けた。途端、王の目は見開かれる。

 目に映ったのは、今にも落ちてしまいそうな、この世界では見た事のない漆黒の髪を持つ女。そして地上から此方を見上げる──。

「カイル……、っっ!!」

 王は、その名を口にした。が、その姿を視界に捉えたカイルから返ったのは、凄まじい殺気。それは、カイルから敵として認識された事を示していた。

 恐れていた事が、現実となった。

 王の傍らに立ったモリソンは震え、王は焦り口を開く。

「違う、誤解だ……!」

「黙れ」

 しかし、カイルに一蹴される。

 周囲にある者達もその殺気に呑まれ、身動きが取れない。

 が、その中で、動ける者があった。

 その人物は頃合いを見計らい、晶子との距離を一気に詰めた。

「──いやっ…………っっ!!」

 僅かな縁を掴み、利き腕一本で己の全体重を支えていた晶子は、身体の不調も加わり既に限界を迎えていた。

 そこへ騎士の手が伸びて来て。

 抵抗しようとして身を捩ったその時──、縁を掴む手が空を切る。

「っっ!!」

 カイルは強く地面を蹴り、晶子が落下するであろう地点へと駆ける。その身を受け止めるために。救うために。

 重力に引き寄せられる晶子にはもう、何かに掴まる力は残ってはなかった。

 ただ、無意識のうちに腹を抱えるように身体を僅かに丸め。

(──お祖父様、ジェスさん、……みんな……!)

 心の中で、亡くした大切な人に願った。

 ──せめて、我が子だけでも助けて、と。

「晶子…………!」

 カイルの伸ばした手が、晶子の身体に触れる。

「「──!!」」


 その瞬間、強い、強い光がその場を覆った──。






「「──……」」

 その場を包み込んでいた光が急速に収まり、咄嗟に自分の目を庇っていた者達は、恐る恐るそれを開く。

 そして。

「……二人は、何処に行ったんだ……?」

 あるはずのカイルと晶子の姿がない事に、今度は混乱がその場を満たした。

「……っ、兎に角二人を探すのだ!」

 王の命令に、臣下は素早く動く。

(カイルがの国側に付く前に、何としても見つけねば……!)


 しかし何処を探しても、また、国境付近まで捜索範囲を拡げても、二人を見つける事は叶わなかった。




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