第10話・近付く距離




 カイルは前を見据えたまま、ぐっと拳を握った。

「……まだ話してなかったと思うが、俺の両親は戦争で死んだんだ」

 どくん、と、軽く瞠目した晶子の心臓が嫌な音を立てる。

「他国に嫁ぐ友人の結婚式に招かれて出席し、そこから帰宅する途中だった。突発的な戦争に巻き込まれて、な。俺が七つの頃だ。両親を一度に亡くした俺は既に退役していた祖父さんに引き取られて、以来祖父さんに育ててもらった」

 幼い頃の記憶が蘇り、晶子の顔が微かに歪む。

 幼くして両親を失い、祖父であるジェスに育てられたカイル。亡くした理由は違えども、喬尚に引き取られた自分自身と重なった。

「祖父さんは元騎士だが、両親の死をきっかけに大の戦争嫌いになった。大切な息子夫婦を奪ったんだからな」

 当然だろう、と語るカイル。

 晶子の心は不安に覆い尽くされた。──もし、カイルが戦場に身を置く事になれば──。

「──っ」

 その可能性に思わず、晶子はカイルの腕に抱き着いた。

「っ、晶子?」

 驚き、声を上げたカイルに、晶子は縋るように言葉を発した。

「……行かないで、下さい……っ」

 戦場に赴けば、命の危険は何十倍、何百倍と膨れ上がる。


 ──カイルを失いたくはなかった。


「……、大丈夫だ。行かないから」

 ふ、と嬉しそうに笑んだカイルは、晶子の身体を抱き寄せた。

「祖父さんが俺を鍛えて剣の扱い方を叩き込んだのは、自分自身と大切な者を護るため。俺は戦争でこの剣を使うつもりはない」

 それに、と晶子を抱き締める腕に力を籠めた。

「大切な者が増えたから。護りたいと思える者が増えたから。俺はそれを手放すつもりはない。だから、何処にも行かない」

 安心しろ、と。

 晶子は頷き、カイルの身体にしがみついた。

 が。

「──っ、すみません!」

 自分の態勢に気付いて慌てて身を離した。

「ふっ」

 その慌てようにくつくつと笑いを溢すカイルは、離れた晶子を再び抱き寄せた。

「っ、カイルさんっ」

「まあまあ。このままでいいだろ?」

 晶子は頬を赤く染め、けれどもおずおずとカイルの脇腹辺りの服を握り、身を任せた。

 目を穏やかに細めたカイルは、優しく晶子を包み込む。

「なあ、しょうこ。そろそろ話してくれないか?」

「え……?」

「しょうこが、時々悲しそうな、苦しそうな顔をする理由」

 晶子は、身を強張らせた。

 それを感じ取ったカイルは宥めるように背を摩る。

「──どうしても、話したくないなら仕方がないが……」

「……いえ。聞いてもらえますか?」

 ──公子の事を、話す時が来たのかもしれない。

 晶子は、重い口を開いた。



「……そうか」

 やはり言葉にするのは辛く、時々詰まりながら語る晶子の声に耳を傾けていたカイルは、晶子の頭をフード越しに優しい手付きで撫でた。

「あの時は辛くて、……苦しくて、全てを棄ててしまいたかった。けれど、私を大切に支えてくれた人達は沢山いて……。その人達に心配と迷惑を掛けてしまったと思うと……。──カイルさんやジェスさんと過ごす日常を幸せだと感じてしまうから、余計に、申し訳なくて……」

 それは、今まで内に溜め込んでいた想い。

 一つ吐き出してしまうと、次々と溢れ出て来る。

 それを嫌な顔一つせず受け止めてくれるカイルに晶子はしがみついた。

「──なあ、しょうこの大切な人達は、しょうこを凄く大切にしてくれたんだろ?」

「はい……」

「だったら、しょうこが辛い思いをしていなければ良いと思ってくれるはずだ。笑って過ごしている事を望んでくれているはずだ。──そうだろう?」

 それは、確信を持った言葉。

 晶子は、幾度も幾度も頷いた。

 確かに晶子を支えてくれた者達は皆、晶子の幸せを願ってくれていた。

 ──今、カイルやジェスに支えられ、護られて幸せだと、伝えられない事は辛いけれど、それでも笑って過ごす事が彼らに出来る唯一の事ならば。


 暫く、寄り添い合って過ごし、夕暮れ前になるとカイルは立ち上がって手を差し出した。

「──帰ろう」

「はい」

 二人、手を重ね合って、帰路に就いた。

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