第9話・新生活
「はははっ。──しかし、まあ、あのカイルが女の子を連れてるなんてねえ。ご馳走でも
けらけらと笑っていたセラは、どこか感慨深げに呟き、カイルは眉を顰めた。
「……ほっといてくれ」
晶子はフードの奥で瞬き、セラは再び豪快に笑う。
「ははっ。──じゃ、私は帰るよ。また何かあれば遠慮なく呼びな!」
「ありがとうございました」
「ありがとな、小母さん」
セラは片手を上げてにこやかに踵を返した。
「俺達も帰るか」
セラの背を見送るとカイルは晶子を振り返り。
「はい」
帰ろう、と。当たり前のように手を差し伸べてくれるカイルに、頬を緩ませた晶子は頷いた。そっと己の手を重ねながら。
「──お帰り。楽しかったかい?」
買い物に行くとは告げていなかったはずだが、きっと分かっていたのだろう。
カイルの家へ帰り着いた二人を、ジェスが優しい笑みと言葉で迎えた。フードを取った晶子は顔を綻ばせる。
「はい、とても。色々と買っても頂いて」
「そうか、それは良かった。気持ち良く使ってやっておくれ」
「はい。ありがとうございます」
素直に頷くと、ジェスは目を細めた。
──そしてその日から、晶子の新しい暮らしが始まった。
全く知らない世界での生活には戸惑う事も多かったが、それでもカイルとジェスに見守られ、支えられながら晶子は徐々に慣れて行った。
全ての家事を買って出た晶子は、使用する洗濯板が現代と同じ形状だった事が嬉しく、そして妙に可笑しく感じて。食事も、邸でよく作っていたために慣れたもので、度胆を抜くような食材はあったものの、拵えた食事はカイルやジェスの口にも合い大変喜ばれた。
水仕事で手が荒れたものの、色々と気に掛けてくれていたセラが気付いて薬をくれ。
家を一歩出れば、フードを被って顔を隠さなければならない事実に変わりはないが、それでも心穏やかに日々は過ぎて行った。
「ジェスさん。洗濯物、ここに置いておきますね」
「ありがとう、しょうこ。しょうこが来てくれて随分と楽になったよ」
歩行するのに使用する松葉杖のような物を傍らに置いて穏やかに目を細めるジェスに、晶子は嬉しそうに頬を緩めた。
「お役に立てているのならば、とても嬉しいです」
「役に立つどころではないよ。しょうこはもうここに居てくれなければならないくらいの存在だよ」
ずっと居ても良いと告げてくれるジェスは、きっと気付いている。
晶子がいくら笑顔で日々を過ごしていても、無償で家に置いて貰っている事実に申し訳なさを感じている事。そして日に幾度も、あちらにいる晶子を支えてくれた者達に想いを馳せている事を。
「……ありがとうござます」
「カイルと所帯を持ってくれたら、申し分ないね」
さらりと告げられる言葉。
晶子は苦笑した。
確かに、少なからず晶子はカイルを想っている。見知らぬ土地にただ一人置かれて、そこで心を砕いて包み込んでくれる者が現れたならば、当然なのかもしれないが。
しかし、いつ帰るかもわからない身。まして相手の心も分からない状態で返答などそうそう簡単に出来るものではない。
返答に困る晶子に、ジェスは眉尻を下げた。
「ああ、すまない。困らせてしまったね。そういえば、今から畑と森に行くんだろう?」
話題を変えたジェスに、晶子は頷いた。
近頃ではこちらでの生活に慣れてきた晶子をカイルがよく連れ出してくれており、散歩がてら薬草摘みなどにも同行させてもらっていた。
「はい。今日は根菜の収穫と、後は果実を
嬉しそうに目を細めると、ジェスも同じように目を細めた。
「楽しんでおいで」
「はい」
笑顔で頷いた晶子は身支度を整えると、ジェスに声を掛けた。
「では、行って来ます」
「気を付けてお行き」
実の孫同然に晶子を可愛がるジェスは、にこやかに手を振った。
「──おや、しょうこ。お出掛けかい?」
カイルに買って貰った外套のフードを被って外に出た所で、丁度家を訪ねて来たらしいセラと鉢合わせとなった。
色々と気遣ってくれるセラは、度々家を訪れる。
すっかり晶子の人柄を気に入ったらしいセラは自分の娘のように可愛がってもくれ、家族のように接してくれるセラをとても大切に想う晶子は、彼女を姿を目にすると破顔した。
「セラさん、こんにちは。ええ、今から畑と森に連れて行ってもらえるんです」
視線を厩の方へ向けると、そこには準備を終えたカイルが優しい目をして晶子を見ていて。セラは笑みを浮かべた。
「そうかいそうかい。なら、たくさん収穫しておいで。 持って来た煮物は食卓の上に置いておくからね」
言って、手にしていた包みを掲げる。
「はい、ありがとうございます」
「いつもありがとな、小母さん」
晶子が頷くと、会話が聞こえていたらしいカイルがそう声を掛ける。
「後で、野菜を小母さんに届けような」
「はい」
セラと別れて近くにある畑に向かい、そこで収穫した芋や大根に似た野菜が入った籠を日陰に置くと、カイルは馬を出しに厩へと足を向けた。と、耳が複数ある馬の足音を捉えた。
動きを止めたカイルと同様に、晶子もそちらへと顔を向ける。
向かって来る五人程の人影をその目に映したカイルは、顔を顰めた。
「……またか……」
小さく呟き、晶子の許まで戻ると匿うようにその背に下がらせた。
「……カイルさん……?」
「大丈夫だ」
告げるカイルは、鋭い瞳で前を見据えたまま。
程なくして二人の目の前で脚を止めた馬の背から降りた五人のうち中心にいた人物が前に歩み出た。
「カイル殿、会えて良かった」
四、五十代の身なりの良い白髪混じりの男が声を掛ける。
「……モリソン侯爵」
彼の名を口にするカイルの険しい表情は変わる事はなく、親しげに言葉を発する男とは対照的に高い壁を感じた。
「話ならお断りしたはずですが」
「そこを考え直してくれないか?
何かについて説得を試みるモリソンにカイルを何処かへ連れて行かれそうな不安を抱いた晶子は、無意識に自分を隠すカイルの背の服を掴んだ。
顔を前に向けたまま微かに反応を示したカイルは、直ぐに晶子の不安を和らげるように後ろ手でその手を包み込み、強い意思を宿した瞳をモリソンに向けた。
「申し訳ないが、私には護りたいものがある。それを放り出してまで国に仕えたいとは思えません」
「カイル殿!」
咎めるような声を上げたのは、モリソンの傍に控えた若い男。
それを手で制したモリソンは、カイルを見据える。
「ジェス殿だろう?彼は国が不自由なく……」
「それは俺も祖父も望んでいない。それに祖父だけじゃない。同じくらい護りたい者が増えたんです」
晶子の手を包むカイルの手に力が籠った。
そこで漸くモリソンは、カイルの背後にいる外套を羽織った晶子に目を向ける。
「……その者か?」
「そうです」
確認の言葉にカイルは躊躇いなく頷く。
「ならばジェス殿と共に……」
「申し訳ありませんが」
モリソンの言葉を遮ったカイルは、晶子を渡さないとばかりに一層その背に隠した。
「エゴだと言われようとも、祖父も彼女も俺がこの手で護ると心に誓っている」
カイルの服を握る晶子の手がぴくりと反応を示した。
「カイル殿」
「お帰り下さい。何度言われても、答えは同じです」
決して揺らぐ事のないその瞳に、モリソンは小さく息を吐いた。
「……分かった。今日のところは帰るとしよう。だが、諦めたわけではない事を知っていて欲しい」
渋々といったように馬に跨りこの場を後にするモリソンらを苦い顔で見送ったカイルは、一度目を閉じると気を取り直したように晶子を振り返った。
「──行こう」
「……はい」
二人は馬を連れて森へと向かった。
──馬の胴囲に括り付けた籠の中に捥いだ木の実や果実を入れた
「さっきの、モリソン侯爵だが……」
隣に片膝を立てて同じく地に腰を下ろすカイルが、ぽつり、呟くように口を開いた。
それに晶子は黙って耳を傾ける。
「あの人はこの国の高官あり武官の責任者で、俺は随分前から軍に勧誘されているんだ」
「……軍に……?」
晶子の呟きに頷いてカイルは、一つ一つ説明する。
「この国が隣国と緊迫関係にある事は、前に話したろう?両国間で睨み合いが続いていて、国境付近では争いも起きている」
それに晶子は頷いた。晶子が来てからも、実際に目にした事はないが、度々衝突の話は耳にしている。
カイルは続けた。
「──何時戦争が起きても不思議じゃない。国としては少しでも多くの武官が欲しい。強ければ尚更。普段は畑仕事やなんやかんやしているが、大切な者を護れるようにと、祖父さんに仕込まれた俺はこれでも結構強くてな」
以前、隊長を務める男と剣を交えて圧勝した、とカイルは語る。
腰に
「両国の関係が悪化する前から誘いはあったんだが、悪化してからはしつこくて。──確かに、国からの誘いだ。栄誉はある。けど、軍に所属すればいつ戦地に赴く事になるか分からない。……俺は祖父さんを一人にはしたくないんだ」
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