第8話・新しい地




「じゃ、行くか」

「っ!!ゃっ……!」

 言うや否や、カイルは晶子を軽々と抱き上げた。

 突然横抱きにされ、晶子は抵抗する。

「お、下ろして下さい。自分の足で歩けますから……っ」

「気にすんな。──じゃあ祖父さん、ちょっと行ってくるから」

「ああ、行っておいで。気を付けて行くんだよ」

 気にする・しないどころの話ではない、と抱かれたまま身動みじろぎするが、カイルは御構いなしにジェスに声を掛け、ジェスもにこやかにそれに応じる。

「え、あ、ちょっ……」

「フード、取れないようにちゃんと押さえとけよ?」

 晶子の抵抗虚しく、カイルは部屋を後にする。

 何を言っても無駄だと理解した晶子は抵抗をやめると軽くフードを持ち上げて、玄関へと向かうカイルをちらりと見上げた。と、視線がち合った。

(……)

 柔らかな笑みを向けられ、何となく気恥ずかしく思い目を逸らすと屋内の家具などに視線を滑らせる。

 電化製品などはなく、けれど水道は通っているようで。

「外に出るぞ」

 声を掛けられ、フードの裾を軽く指先で握った。

 カイルが居間と外とを直接繋ぐ扉を押し開く。

 瞬間、暖かな日差しと優しい風、澄んだ空気が晶子の身を包んだ。

「──……」

 目の前に広がるのは緑に覆われた大地と、青く澄んだ空。

 周囲にはビルなどの高層の建物はなく、民家も遠目に見えるか見えないかの位置にある程度。

 今し方出て来た家に視線を移すとそれは煉瓦れんがと木材で造られており、隣には厩が。

 敷地の境界線には簡易な柵が立てられてあって。

 晶子が知る国、世界とは違う。

 敢えて例えるならばその景色は中世ヨーロッパ時代に近い。

 夢の世界に迷い込んでしまったような錯覚に襲われるが、しかしそれが現実である事は、自分を抱くカイルから伝わる熱が教えてくれる。

「──ここは街外れだから、近くに民家はあまりない。畑を作ってるから野菜はそこで収穫出来るし、肉や魚は俺が獲るから近くに店がなくても然程問題はないはずだ。調味料なんかはまとめて買ってあるしな。で、向こうが商店がある街中。行きたかったら俺に言え。連れてってやる。絶対に一人では行くな」

 きょろきょろと周囲を見回していた晶子にカイルが説明をする。

 晶子はフードを押し上げて、カイルを見上げた。

「一人で行動するのは控えた方が良いのですか?」

「ああ。言っただろ?しょうこの髪と瞳の色は珍しい、って。街の連中は気の良い奴ばかりだからあまり心配はいらないが、其処此処には外から来た奴らもいる。そいつらに見つかれば、珍しくて金になる、と判断されて拐われかねないからな。それに──」

 カイルは微かに表情を険しくした。

「今、この国と隣国のベペアヴァム間で紛争が起きている。まだ戦争にまでは発展していないが、国境では両国の兵士達の睨み合いが続いていて、最近は国境に近い街や村に相手国の兵が乱入し、争いが起きているんだ。ここはその国境に近い。街でも度々騒ぎが起きている。万が一そいつらの目に入れば、確実にしょうこは連れて行かれるだろう」

 固まる晶子にカイルは、だから、と続けた。

「絶対に一人になるな。必ず俺の傍にいろ。そうすれば護ってやれる。それと、外に出る時は必ず外套で顔を隠せ。しょうこは美人だから、そっちでも目を付けられる可能性が高い」

「……」

 最後の一文には耳を疑ったが、しかし、フードの内側に赤く染まった頬を隠して晶子は頷いた。

「わ、かりました。ご迷惑をお掛けします」

「良いって。迷惑なんかじゃないし、俺が好きでしている事だから気にすんな」

 ふ、と微笑んだカイルは、視線を街から左の方角へ移動させた。

「あっち。国境側だから、絶対に近付くな」

 良いな?と首を傾げるカイルに、晶子はしっかりと頷いた。

「はい」

 素直に頷いた晶子に満足したように表情を和らげたカイルは、じゃあ行くか、と言って厩へと歩を進めた。

「え、何処に?」

「ちょっと街にな。着替えとか、しょうこに合った外套とか必要だろう?後は、女に必要な物……か?よく分んねぇから一緒に行った方が無難だ」

「え!?いえっ、私こちらのお金は持っていませんからっっ」

 買えない、と慌てる晶子に、カイルは呆れたような瞳を向ける。

「何言ってるんだ。俺が買うに決まってるだろ。それとも裸で過ごすのがしょうこの国の常識か?」

 当たり前に告げられ、そして重大な勘違いに、晶子は更に慌てふためいた。

「ちゃんと服を着てますっ」

 訂正すると、そうか、とカイルは頷く。

「なら着替えは必要だろう?──ほら、もう諦めろ」

 何時の間に厩に着いたのか。晶子はそこに居た栗毛の馬の背に乗せられた。

 慌てて晶子は馬の首の裏に手を添え、己の身体を支える。

 晶子が乗せられたのは裸馬。

 厩から馬を出したカイルがその背後に軽やかに飛び乗った。

「行くぞ」

 言うなり、カイルは馬の手綱を操って街中へと早足で進ませた。




「──読めない……」

 着いた街中はそれなりに賑わっていて。

 人の数が増えてからは馬から降り、手綱を引くカイルと共に並んで進んだ。

 途中、はぐれるのを恐れてカイルの服の裾を軽く握ると、彼は視線をそこに落として嬉しそうに笑み。

 街で見かけた文字のようなものに対して零すと、カイルは優しく目を細めた。

「少しずつ覚えて行ったら良い。それに俺がいるんだから分からなければ俺に訊け」

「──はい」

 頼って良いと当然のように言われ、晶子は嬉しく口許を緩めた。

 そうして進む商店の多い道。カイルは時々菓子など晶子に買ってやり、靴や服などを買い与えた。

 けれど下着だけはどうしても羞恥がまさったようで、店内に入る事すら出来ず。

 晶子も字が読めない事に加え、一人にする事をカイルが躊躇ったため、手にする事が叶わなかった。

「……あ、そうだ。しょうこ、ちょっと付いて来てくれ」

 何かを思い出したらしいカイルが晶子の手を取ってある場所へと向かう。

 着いたそこは一軒の小さな住宅で。

 カイルが軽くドアを叩くと、程なくして快活な女性がドアを開けた。

「はいはい、どなた──……、って、カイルじゃないか!久しぶりだね。ジェス爺さんは元気かい?」

「久しぶり、セラ小母さん。祖父さんも元気にしてるよ」

 四十代くらいの女とカイルは知り合いらしく、親しく言葉を交わす。

 背後で晶子は静かにその様子を眺めていた。

「で、何か用があるんだろう?」

 少しふくよかなセラはカイルに小首を傾げた。

 カイルは正直に頷く。

「ああ、ちょっと頼みがあって。──この娘の下着を買いたいんだけど、手伝ってくれないか?」

 カイルは背後に佇む晶子を示した。

 ──自分のためだったのか、と驚いた晶子は目を見開き、カイルを凝視した。

 フード越しの視線に気付いたカイルは、晶子に、ふ、と優しい笑みを向ける。

「この子、女の子なのかい?フード被ってるから良く分かんないね。というか、誰なんだい?」

 不思議そうなセラの声に、晶子は慌てて頭を下げる。

「あー、その事なんだけど、ちょっと中に入っても良いか?」

 カイルが家の中を示す。

「ああ!そうだね。ここ玄関先だった。悪い事したね。さあさあ、遠慮せずにお入り」

 セラはにこやかに二人を家の中へと招く。

 カイルは馬の手綱を玄関近くにある手摺りに結ぶと、晶子を連れて中へと足を踏み入れた。

「……しょうこ。フードを取って」

 手を引いて共に建物内に入り、扉を閉めて外部からの視線を遮断すると、カイルは晶子にそう指示を出した。

 晶子はじっとカイルの目を見て、そしてフードに手を掛ける。

 ──セラは信用するに値する人物なのだろう。

 カイルが信頼しているのならば晶子もそれを信じる。

「……!」

 顔を露わにした晶子を見たセラは、その目を大きく見開いた。

「……その髪……、目も……!」

 その反応に、本当に黒髪と黒い瞳が珍しいのだと知る。

 カイルはそっと晶子の頭を撫でた。

 それに釣られて晶子はカイルを見上げる。

 大丈夫だ、と言うように軽く目を細めたカイルは、セラに視線を移す。

「彼女の名前は、しょうこ。俺が見つけて、俺が拾った」

「『拾った』ってカイル、あんた……」

うちで一緒に住む」

 驚き目を瞬かせるセラに、カイルは淡々と告げる。

 一瞬言葉を失ったセラは、戸惑いを隠しきれないままに口を開いた。

「……ジェス爺さんは、反対しなかったのかい?」

「ああ、全く。寧ろ気に入っているみたいだ」

 なぜそこでジェスの名前が出てくるのか、と不思議に思う晶子を余所に、セラは、はぁ、と溜息を吐いた。

「ジェス爺さんが認めてるんじゃ、仕方がないね」

 訳が分からないといった様子の晶子に気付いたセラは、首を傾げた。

「えっと、しょうこと言ったか。ジェス爺さんの事を知らないのかい?」

「はい、申し訳ありません」

 頷くと、カイルが優しく髪を撫でた。

 その光景に目を細めたセラは、晶子に口を開く。

「ジェス爺さんはこの国じゃちょっとばかし名の知れた騎士だったのさ」

 初めて知った事実に、晶子は驚愕した。

(──あの優しい人が騎士……)

 セラは得意げに笑った。

「『戦場の鬼神』とまで呼ばれたんだよ。──まあ、受けた矢が原因で左脚が完全に麻痺しちまって退役したんだけどね。それでもずっと語り継がれる程の騎士なんだ」

 セラの説明の中にあったある言葉に晶子はカイルを見た。

「脚……?」

 ああそうか、とカイルは頷いた。

「祖父さん、ずっと座ってたからな。祖父さんの左脚、動かないんだ」

 ──それで気付かなかったのか、と納得した晶子はセラに視線を戻した。

 その視線を受けて、セラは再び口を開く。

「ジェス爺さんは現役時代は隊も率いていたから、その分人を見る目が鍛えられているんだ。そのジェス爺さんが認めたんなら、私が反対する理由はないんだよ」

 にこにこと笑むセラから再びカイルに視線を移した晶子は首を傾げた。

「認めて頂いたのでしょうか……?」

「しょうこは祖父さんと話をしただろう?」

「?はい。気遣って頂きました」

 それにカイルは破顔した。

「それは祖父さんが認めている証だ。祖父さんは信用に足ると判断した奴としか滅多に話をしないから」

「で、私はしょうこの下着を見てやれば良いんだね?」

 セラが確認のためにそう訊くと、カイルは頷いた。

「ああ。服とか靴は俺も店内に入れたんだが、流石に下着を売ってる店にはな……。しょうこを一人にもしたくないし、小母さんに頼みたくてさ」

「だろうね。他所者にその髪や瞳の事を気付かれでもしたら売られちまう。しかも、美人ときたもんだ。──よし、ちょいと待っといで。準備してくるよ」

 晶子の顔をまじまじと眺めたセラは、踵を返し大股で部屋へと入って行った。

「──元気な人だろう?」

「……えっと」

 カイルへの返答に困った晶子は、眉尻を下げた。

「あの人は、セラ。縁戚関係にはないが、昔から色々と世話になってる。世話好きで、口も堅いから信用出来る人だ。祖父さんも頼りにしてる」

「──ちょっと、カイル!おだてたって何にも出やしないよ!」

 説明に、なるほど、と晶子が頷いていると、部屋の中からセラの声が飛んだ。

 カイルが苦笑するのとほぼ同時に、支度を終えたセラが部屋から現れた。

「お待たせ。じゃあ、行こうか?」

 フードを被り直し外へ出ると、三人で店へと向かった。

 着くとセラは晶子にカイルと外で待っているよう告げ。

「一緒に行かなくて、大丈夫なのですか?」

「大丈夫だよ。サイズは分かっているからね」

 ──実はセラの家を出る前、晶子はセラに胸の大きさをカイルの前で測られており。

 その時の事を思い出してしまい、フードに隠された頬を赤く染めて身を小さくした晶子を、カイルは軽く抱き寄せた。

「ははっ。まあ、任せときな。それに店内で何かあった時に私じゃ対処出来ないからね」

 けらけらと笑ったセラはカイルから金を預かり、一人で店内へと入って行った。

「……あの、……」

「ん?」

 隣に立って待つカイルを晶子が見上げると、カイルは首を傾げた。

「色々と買って頂いて、申し訳ありません。どうやってお返しすれば……」

 カイルは瞬くと苦笑した。

「俺が買ってやりたくてしてるんだから、気にするな。それにしょうこに何か見返りを求めているわけじゃねぇし」

「ですが……」

「あのな、しょうこ。俺も祖父さんも金には困ってねぇから。収入があっても滅多に使わねぇから結構持ってんだよ。寧ろ使い道が出来て嬉しいくらいだ」

 だから、とカイルは晶子の頭をフード越しに撫でた。

 身を屈めてフードの中の顔を覗き込む。

「もっと俺に買わせろ。な?」

「っ……」

 晶子が気遣わなくても良いように言葉を選んでくれるカイル。

 態度でも言葉でも、縛られずにここにいて良いのだと示してくれる彼に、晶子の瞳が潤む。

 溜まる涙を零さぬように下唇を噛んだ晶子は、カイルに手を伸ばす。

 笑んだカイルはその手を取り、そっと抱き寄せた。

「……あり、が、とう、ございます……」

 胸許に顔を寄せ、震える声で礼を述べた晶子の頭を、カイルはぽんぽんと軽く叩くようにして撫でた。

 ──どうして逢ったばかりの自分に優しくしてくれるのか。

 疑問に思わないでもなかったが、それでも思い遣ってくれる心が偽りではないと感じるから。

 晶子はカイルの温もりに瞼を下ろした。




「お待たせ。幾つか買って来たよ」

 然程経たずに店から戻ったセラは、手にしていた袋を持ち上げる。

「お手数をお掛けし、申し訳ございません。ありがとうございます」

 頭を下げる晶子に、セラは快活に笑う。

「良いんだよ。それと、これは私からの贈り物さ。受け取っておくれね」

「これ……」

 言って渡された袋の中身を覗くと、晶子は初めて見る、けれども用途が分かるある物に目を留めた。

 幾枚かあるそれは。

「カイルは男だからね」

 洗って繰り返し使う種類の、月の物に対する品だった。

 同じく覗き込んだカイルは、あ、と声を上げる。

「……これは、考えが及ばなかった……」

 微かに頬を赤らめ、目を逸らした。




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